ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

子どもの頃のいやな経験を思い出した

2024-03-18 22:32:02 | 生き方

昨日の、「レミは生きている」の主なテーマは、混血児に対する差別だった。

その差別のひどさをいやというほど味わったことが描かれていた。

読んでいて、私自身の子どもの頃のいやな経験を思い出した。

平野威馬雄氏と私が育った年代との齢の差は、ひと世代分くらい違いがあったが、彼が受けた差別と私自身が子どもの頃に受けたいじめとに、かなり共通点があった。

それは、周囲で生きる多数の人たちが、自分たちとの違いを感じると差別があるということ。

そして、力のある者が弱い者に対して一方的に攻撃を加えるということだ。

 

自分が育った子どもの頃は、小さな社会では、とにかく腕力を中心とした力がある者が、君臨していた。

そして、ことあるごとに理由をつけて、自分の強さを見せつけ、好きに振るまおうとした。

強さがあるから味わえる自尊心を満足させるためには、弱い者たちの存在が必要であった。

弱い者たち、それは、まず戦闘力の低い者が該当する。

ケンカの弱い者は、いつも一方的に被害者となった。

腕力のほかにも、運動能力が低い者たちも弱者となった。

走るのが遅い、速いボールが取れない、跳び箱の高いのが跳べない…などは、指差され馬鹿にされ疎外された。

そういう存在が私であった。

 

自分に対する侵害を避けようとする者たちは、最強のボスの取り巻きとなって、ご機嫌をうかがった。

彼らはボスの言うがままに従う子分となって、自らの保身に走った。

子分たちは、ボスのわがままにたまる鬱憤を、弱者たちに向けて発揮するのだった。

多勢に無勢、おまけに個では武力も圧倒的に足りない弱者は、泣くか避けたり逃げたりするかしかなかった。

 

多勢に無勢と書いたが、狭い社会の中では、他者と少し違うだけで異端者扱いされる。

小学校では、ムラから少し離れたところにある会社の社宅から通う同級生もいたが、「ムラの者じゃない奴とは遊ぶな」などと言う奴らがいた。

周囲の者は自分のことを「オラ」と言っていたが、私が「ボク」と言っていたことから、よそ者扱いされたりもした。

みんなができるのに、できない者、できの悪い者は、馬鹿にされた。

 

そんなふうに、子どもの頃には、力の弱い者や地元出身でない者、少数派の者などは、仲間外れにされて攻撃を受けたものだった。

 

「レミは生きている」を読みながら、こんなだった自分の子どもの頃を思い出した。

今は、「ハラスメント」とか「人権問題」とか言って、だいぶひどい状況が改善されたかのように言われるが、はたしてそうだろうか?

昨日も書いたが、偏見や差別に苦しむ少数派や弱者は、現代でも多い。

例えば、ちょっと考えただけでも、女性、子ども、高齢者、障害者、外国人、感染症患者等、部落差別、SNSによる中傷、…等々、様々な人権問題が存在している。

 

これらの問題は、昔からあってなくなっていないものも多いし、現代になってさらに増えているものもある。

何十年たっても変わっていない部分があることに気づく。

世界情勢を見ても、日本の社会を見ても、人の行いの愚かさや限界を感じざるを得ない気分になったりする。

自戒して注意して行動できる人が増えなければ、結局こうした問題はなくならないのだろう…。

コメント (2)
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