36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

情報の海を泳ぎ切る(その2)」

2011-10-25 01:42:27 | 仕事術
 前回は情報そのものを記憶するのではなく、必要なときに必要な情報にアクセスできる鍵を持とう!というお話でした。
今回は必要な情報と必要でない情報の違いはなんだろう?という疑問からスタートしたいと思います。

 前回もお伝えしたとおり現代の日本人は江戸時代の日本人に比べて20000倍以上の情報を浴びて暮らしているそうです。
当然、その中には自分が知っておくべき情報もあれば、知らなくてよい(気にするだけ時間の無駄)情報もあるでしょう。
でも(おそらく)知らなくてよい情報はこれです!と決まっているわけではないと思うのです。



 その時、その場所でその人が知らなくてもいい情報というのはあると思いますが、

ひょっとしたら・・・明日必要になるかもしれない
ひょっとしたら・・・あなたの隣に座っている人が喉から手が出るほど欲しがっているかもしれない
ひょっとしたら・・・今は知らないけれども自分が別の立場になったときにものすごく大切だ!と思うかもしれない

 そんなことがきっとあるんだろうなと感じるわけです。



 つまり情報には出会うべき時、出会うべき場所、出会うべき人というものがあるんだということ。
別の言い方をすれば最初から「無駄な情報」といったものはなくて、あるのは出会うタイミングとそのタイミングをつかむ人なのではないでしょうか?
「ソムリエ」という漫画がありますが(テレビドラマ化もされているようですね)その中で主人公のソムリエが

「悪いワインというのはありません。ワインが最高に輝く時に出会えるかどうか、それがワインとの縁です」
(この通りのセリフではないのですが記憶をたどりながら書いております…。
 知ってる方訂正連絡と謝罪要求をください、汗)

というニュアンスの言葉を発するんですね。

 Ozakiはこの言葉が情報にもあてはまるように思います。
「根本的に無駄な情報というものはありません。情報が生かせるときに出会うかどうか、それが情報との縁です」
という風に。

ただし、ワインと違って情報は腐ったりはしませんよね。
(過去の情報であったとしてもその過去の情報の蓄積が歴史になるのです)

 ここで前回の話に戻します。
情報を生かせるかどうかは自分のその時の状況に左右されます。
ただし、その生かせる状況にあるにも関わらず生かすべき情報を知らなかったらどうなるでしょうか?
そういった状況を回避し、生かすべき状況、生かすべき時が来たら自分が持てる情報が輝きを放てるようとにかくいろんな情報に自らをさらしておく。

 情報のすべてをコントロールできない現代はこういう発想が必要なのではないか。
Ozakiはそう思うようになったのです。


(さらに続きます)