マクロス外伝大本営 新統合軍極東太平洋軍管区司令部

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マクロス

2018-04-13 17:13:00 | 日記

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森忠政

2018-04-13 12:53:40 | 戦国武将・戦国姫図鑑
森忠政
【諱】
忠政
【苗字】

【生没】
1570年ー1634年
【父親】
森可成
【母親】
えい
【兄弟】
森可隆
森長可
森成利
森長隆
森長氏
うめ(関成政室)
碧松院(中川清秀室)
【正室】
チボ
【子息】
森重政
虎松
森忠広
黒(森長信室)
菊(鳥居忠恒室)
宮(池田長幸室)
郷(関成次室)
法光院(本多忠義室)
【養子】
森長継
【解説】
森可成の6男として生まれる。
河内源氏一族源義家の4世孫の森頼定を祖とした一族で、同じ一族に毛利良勝がいる。
父は忠政が生まれた年に討ち死にする。
石山合戦で講和条件で森家ゆかりの者を僧籍に入れるという事で僧籍に入るが。
関成政の子竹若丸が代わりに入り還俗している。
織田信長の小姓として3人の兄と共に出仕するが、同僚の梁田河内守にからかわれ激怒して信長の前で扇子で殴る事件が起きる。
幼いともあって美濃国の母えいの元に帰り、後に本能寺の変で巻き込まれずに済む事になる。
兄長可が小牧長久手の戦いで戦死、森家の生き残りは忠政だけになったので家督を相続する。
本能寺の変で安土城を脱出の際に助けてくれた甲賀忍者伴惟安とその息子惟利を仕官させ。
各務元正や林為忠の両家老がつけられた。
富山の役にて1500名を率いて出陣、これが忠政の初陣となる。
羽柴姓を名乗る事が認められ、羽柴忠政と称した。
小田原征伐に参加し、朝鮮出兵では名護屋城に参陣。
豊臣秀吉の死後、徳川家康に接近し東軍に参加した。
小早川秀秋の死で津山藩が改易されると領地の川中島から転封する。
領地に入るが宇喜多秀家の旧臣や在郷土豪が反発。
元小早川家臣難波宗守が率いる一揆勢が忠政を津山に入らせないため国境を封鎖する。
忠政は鎮圧を進め、難波の自害で終息する。
しばらくは津山藩は荒れており、家老達の殺し合いが起き。
大塚丹後守の裁量により落ち着くが、忠政は激怒し3家老は領地没収した。
こうした事もあり、新たな家の支えが必要となり。
兄長可と不仲になり家を出て幕府旗本になっている叔父森可政の津山藩入りを希望。
幕府はそれを認め、可政に津山入りを認め4男の森可春に3000石を与える。
可政の津山藩入りの後、藩政は落ち着くようになる。
大坂の陣では池田忠継ら西国の大名の軍勢に従軍する。
大坂城に近づくも銃撃され、軍令を犯してしまう事態が発生。
軍監の城昌茂に制止されたり水野勝成に叱責される。
1616年に13年かけて建築した津山城が完成する。
美濃職人町や大坂・尾張の職人を呼んで新職人町の作製する。
しかし後継ぎ問題が起こり、森忠広が子無く亡くなり。
下手すれば改易する危険性があったが、関家継を森長継として養子に迎える事に成功する。
堀尾忠晴が子なく亡くなり改易されるとその領地に入る話が入る。
乗り気ではないが話を了承する。
しかし、正式な会合の前に忠政は食中毒で亡くなる。
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