Bike&SlowLife

バイクとカメラを愛し、自然を愛し・美しい風景を愛して、ゆっくり生きてる奈良県に住む気分は若者の雑記帳です。

天川村の山の中、限界集落へ Ⅱ

2019-09-06 | 奈良県南部

《 昨日の続きです 》

次に天川村広瀬の集落へ

塩野集落から県道53号へ下りて、天ノ川沿いを東へ向かう、それらしき路に入る、狭い路の真ん中には苔の緑ラインがある
ここの路も上り坂でヘアピンカーブ、軽四でも気軽に曲がれない、脱輪しないように注意してユックリ進む



↓ 県道53号沿いの景色


清流の天ノ川に緑が写り込む



まだ新しいような感じの吊橋、その横には年代物の地名表示板がある

とにかく渡ってみる


吊橋より、南の谷から天ノ川に落ちる小滝、



吊橋から眺める天ノ川




振り返れば、山の上に広瀬の建物らしきのが見えた、右の方は大きなお寺のようだ



対岸へ渡る、岩の中に小さな石仏さんがいらっしゃる、槙の木か?まだ新しいのが供えられている
このそばに民家はない、誰かがお参りに来るのだろう



苔の岩の向こうには清流の滝




天ノ川、もう少し上流にて




川沿いの県道から、広瀬集落へ上って行く


少し上ったら、南斜面の視界が広がった、上の方にも道路のガードレールが見える

りっぱな大きな民家、まだ建物もしっかりしてる、でも誰も住んでないようだ

この地は、先に訪れた塩野地区よりも南に面した土地が多く、住環境も少しは良さそうである、でも、どちらにしても不便な山の中の斜面であるが・・・



建物横の石段を上れば、裏手にも民家



さらに細い道を上ったら車道へ出た、 車道沿いの建物、放棄歴10年~20年以上か?



この建物は新しい、地区の集会所なのだ、災害時の避難場所にもなっている

この場所は1921年(大正10年)設置の塩野小学校の跡地らしい、 ・・・ 100年前には、ここに集落があったのだ、小学校ができるくらいだから、近隣も含めてかなりの人が住んでたのだろう。




手前の下にも民家が見える、その下に天ノ川が流れ、川沿いに県道53号が走る、対面は緑の山また山




↓ 空き家がほとんどでカギも雨戸も閉まっているが、 草木に覆われて玄関の開いてる建物があったので覗いてみた





ブラザー製冷蔵庫のドアは開いて卵が4個



隣の部屋はタンスが傾いて、物が散乱、
たぶん床が腐ってるのだろう、部屋へ入ろうと畳に足を着いたらブニュッと沈む、床が抜けそうだ



奥の仏壇は開いたまま・・・  布団は敷いたまま・・・



「 JULY 1989 」 のカレンダーが落ちていた、・・・ ちょうど30年前だ


この集落でも誰にも逢わなかった、ただ一軒だけ、家の前に現役らしき軽トラが停まってるのが見えたのみ、
集落内全域を廻ってないので、詳しく解らないがほとんど無人の建物のようである・・・・


こんな光景を見たら、人の世の無常を感じますねぇ


 それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。さればいまだ万歳の人身(にんじん)をうけたりといふことをきかず。
 一生過ぎやすし、今にいたりてたれか百年の形体をたもつべきや、われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり。
 されば朝(あした)は紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となる身なり。
                    ・・・・蓮如上人の 「 白骨の御文 」 より一部抜粋




コメント (1)
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