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三木武夫に学ぶ政治の定石Ⅶ

2013年02月21日 | 歴史
 三木武吉の上に帽子の如く乗っていたのが鳩山一郎です。
鳩山さんは吉田さんとケンカして自由党を出て、お金が無くなると吉田に騙されまた戻るというどうしようもない人で語るべき価値はありません。
鳩山さんのわがままを調整しながらシナリオを書いていたのが三木武吉でした。彼が考えていたのは野党第一党の改進党を抱き込むことです。
与党自由党からいかに鳩山派を引き連れて政界再編に持ち込むか。野党第一党も主流派と反主流派に分かれていました。
主流派重光葵は、駐英大使を経た外交官で外務省のエースを経て、戦前外務大臣やりながら、ご都合主義により小説吉田学校では党人派の代表にされています。
戦前は駐英大使は外務大臣と同格の重要ポストでした。
重光さんの元に東条英機の側近だった大麻唯男がくっついていて、三木武夫は幹事長として戦前派で後に大売国奴として非難される松村健三と組みます。
松村さんと三木武吉は大変仲がよいのです。三木武夫は当時からクリーンな政治というポーズを崩さず「金権政治打破」「平和主義」「戦時中の圧政を忘れるな」です。
三木武吉の憲法改定自主憲法とはそりが合いません。
何よりも三木武吉は公職追放で冷や飯組、三木武夫は当選3回の時から政界中枢にのし上がっていった占領期おいしい思い組、そりが合うわけがありません。
なかなか組むことができません。吉田茂という人はやけくそになって半年間に2回も解散するデタラメ政治ぶりをさらします。
ここで強くまとめられる人がいたらとっくに吉田政権は潰れていたでしょう。ところが周りが目立ちたがり屋揃いで「俺が俺が!」。
吉田さんは各個撃破、その都度騙して政権を維持していきます。嘘しか言わない、約束なんて無いが同然です。
野党改進党80人中、重光さんは10人の小派閥にもかかわらず党首です。三木武夫は松村さんと組んでも15~20人派閥で幹事長です。
その他大勢は中間派という状況。野党の中でのつばぜり合いを延々続けていきます。与党もダメだが野党はもっとダメです。
占領期は昭和29年まで、結局昭和20年代は保守2大政党がぐでんぐでんのつぶし合いの末、芦田均は刑務所送りになるような中で、
勝つのは社会党が付いた方というデタラメぶりでした。現在においても社会党を公明党に入れ替えたら意味が通ってしまいます。
当時社会党は左派と右派に分かれていました。保守2大政党に分かれたときに一致団結してどっちかに付きます。吉田内閣が潰れるときがそうでした。
自由党を追い出された鳩山さん、三木武吉と、重光さん、三木武夫の改進党が一つになって日本民主党ができます。鳩山内閣成立です。
その時の社会党は首班指名で鳩山一郎に投票します。議長選挙で三木武吉を落として自由党に入れます。こういった嫌がらせをしたのです。
こういうところだけ左右両派一致して行動します。こんなでたらめなことを続けていてはダメだと三木武吉は保守合同、自由民主党を結成します。
鳩山さんは総理を3日やれば満足する人だったので、三木武吉は鳩山内閣潰しても良いから一緒になろうと頼み込みました。
三木武吉のすごいところは本当の目的自主憲法制定のためには手段を選びません。正しい意味で、結果のためには手段を選びません。
そのためには鳩山内閣なんか明日潰れてもかまいません。自民党結成時はお互い名前にこだわりません。「礼儀として」鳩山内閣はいったん総辞職します。
ここまでやって合同するのです。
三木武吉の路線に徹底的に反対したのが民主党の中では三木武夫運輸大臣、自由党の中では池田勇人、佐藤栄作です。
池田佐藤からしたら「三木武夫のようなきれい事ばかりの若造と組めるか」です。佐藤さんはそれで最初は自民党に入りませんでした。
三木武夫は「池田佐藤のような吉田側近の官僚政治が戦後の日本をダメにしたんだ」です。お互い組めません。三木武吉が押さえ込みながら自民党にしました。
これが55年体制の始まりです。自民党ができたときに三木武吉は民主党の代表として、自由党代表の大野伴睦と組んで自民党の中枢となります。
三木武夫と池田勇人はそれぞれ反主流です。
そこで三木さんと池田さんのすごいのは、昨日まで「あいつとは絶対組めない」と言いながら自民党ができてしまったらこの二人が接近します。
昨日の敵は今日の友です。橋下さんが散々ツイッターで悪口言った翌日に握手できるでしょうか。相手が許してくれるでしょうか。
ポピュリスト橋下の真価は今後問われることでしょう。池田さんと三木さんは利害関係だけで手を組めるのです。
橋下さんも絶対利害関係でしか動かない人ならば、あいつが好きだとか嫌いとか言う感情は持ち込まないはずです。
本当に100%利害でしか動かない人間は血迷うことが無いので信頼できるのです。
三木武夫が批判されるのは「バスが動くことには反対するが、いざバスが動いたときは運転席に座っている」ということです。
この時のエピソードがこの批判の対象となっています。三木武夫48歳の時です。
その後、池田さんと三木さんは組んで石橋内閣、石橋さんが病気になって2ヶ月で潰れます。
岸、池田、佐藤、田中の4代の内閣で、三木さんは内閣ができたときと終わったときで主流、反主流が同じだったことが一度もありません。
4代の内閣で3回辞表を叩きつけています。池田内閣だけ最初は反主流で後に主流派となりました。
岸、佐藤、田中では自分が内閣を作る主流派にいながら内閣を潰すために辞表を叩きつけて反主流となります。
閣僚経験が多く、通産、外務、環境庁、科技庁、経済企画庁長官…。しかし大蔵省には彼を大蔵大臣にだけはさせないという意思がありました。
党人派と言われながらも大臣経験が豊富なため三木さんは役所の経験は長いのです。
その都度条件闘争して大臣経験を重ね、池田と三木が組んで石橋内閣を作ります。この時反主流派から主流派になるモデルケースを作りました。
三木さんが発案し、池田さんが同調して石橋さんを全国遊説させます。最近で言えば麻生さんの例です。鳩山一郎も野党の時にやっています。
つまり、反主流になってポストが無くなったら全国遊説をするのです。国民に直接声で訴えかけ、夜は地元の有力者を支援者に誘います。
石橋湛山は10人もいない小派閥です。岸信介という大実力者に勝てるはずがありません。2位の立場から決戦投票で3位の石井光二郎票をかき集め、7票差で大逆転します。
池田さんが大蔵、三木さんが幹事長、官房長官石田博英が参謀役でした。
この石田さんが5人に通産大臣、7人に農水など60人ほどのポスト条件を乱発し、駆け引きに使います。
石橋内閣はこういった政治取引に注目が集まりますが、最大の特徴はその前の全国遊説にあります。
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