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三木武夫に学ぶ政治の定石Ⅵ

2013年02月19日 | 歴史
グデングデン政治の乗り切り方
 関西電力大飯原子力発電所の再稼働に関して、大阪の橋下市長は「この夏の節電には限界がある」と敗北宣言をしました。
まさに正しいポピュリストの真骨頂です。さすが橋下さんです。最近の政治家にはない卑怯未練ぶりを見せていただきました。人をきちんと裏切れる政治家です。
これはけして貶めているのではなく、自分の支持者向けに反原発の拳を振り上げ徹底抗戦し、最後の一歩で踏み留まり引き上げたのです。
三木さんや中曽根さんの絶頂期を思い起こすような条件闘争で自分のポーズを決めました。
もし留まらずに反原発のままで行ってたら破滅していました。間違いなく関西地方は大変なことになっていたでしょう。
「明日原発を止める」、「10年後に止める」、どちらにせよ原発を解体しないと全廃にはならないのでこの二つを比べる意味はありません。
橋下さんは引き際を心得ていたということでしょう。
 40日抗争という大平さんが命を落とした戦いの時、自民党から大平さんと福田さんの二人が首班指名に立つというでたらめな事態が起きました。
三木さんの力が引退状態になっていた事と、中曽根さんが中堅若手でまだ力不足だったこともあり、
引き際を心得ない人達の暴走が起こしたみっともないできごとでした。最後は大平さんの死という悲劇となりました。
それに比べると橋下さんは大変上手に動いたとみるべきです。ポピュリストというのは煽るだけ煽ってぎりぎり一歩手前で踏みとどまる事が大事なのです。
彼は政治家としてはともかく、政争屋としては当事者能力があるようです。
「なーんだ、橋下さんも言うだけじゃないか」と評判を落としたと言う見方もありますが、一歩前で留まることによってそれを最小限に留めたと見るべきです。
政策と政局は不離一体なものなのです。こういった政局が解った動きができないと政策などできやしません。
やっていることはデタラメですが評判を落とさないで済むやり方ができる人が橋下さんです。
こういったポピュリストである橋下さんや小泉さんの元祖が三木武夫なのです。
 サ条約締結の時、三木さんは徹底的に講和条約も安保も反対でした。
野党第一党の幹事長としてあおりに煽って当時自由党幹事長増田甲子七が必死になって三木さんに頭を下げ「野党第一党も賛成派に入ってくれ」と懇願します。
三木さんは吉田茂を土下座させてぎりぎりで乗ります。これは橋下さんと同じ手法です。
橋下さんも野田さんに土下座させて「原発問題は屈しました」と引いて見せます。彼は現代ではポピュリストといえますが、当時の三木さんに比べたらまだまだです。
吉田さんはサ条約で独立を回復します。占領軍に公職追放されていた連中が政界復帰してきます。筆頭が鳩山一郎です。これがまた希代のポピュリストです。
戦前は腐敗した政党政治の象徴でした。いつの間にか自由主義の代表とされてしまった人物です。とにかく政敵の反対のことを言うのが鳩の遺伝子のようです。
吉田鳩山抗争というと人気小説吉田学校のメインテーマですが、吉田茂がワンマンで大変強い指導力があったというイメージは間違っています。
吉田さんは誰かの側近になっていないと権力を振るえない人でした。
戦前戦中は大久保利通の次男の牧野伸顕という内大臣(元老に次ぐ地位)がいて、吉田さんは牧野さんの側近でした。その引きで外務省に入省します。
牧野さんの意向に沿って外務大臣に出世していきました。
戦後はマッカーサーの下で民政局のケージス、ホイットニーなどと徹底的に対立した「my pet fascist」と呼ばれた情報参謀ウイロビーがいました。
吉田さんの絶頂期はウイロビーの下にいたときに占領地の首相として権力をふるった時でした。サ条約を結んだ後は吉田さんは何の存在価値もありません。
吉田さんはレイムダックになっていました。しかし相手が弱すぎました。ライバル筆頭は鳩山一郎で、吉田さんよりさらに弱いのです。
まさにぐでんぐでんの政治状況でした。こうしてだらだらと政権が続きます。今だけで無く当時からこの有様だったのです。
吉田学校を形成して官僚出身の佐藤栄作、池田勇人等の政策通の政治家を育てたと言う一面もあります。
しかし一方で岡崎勝夫、大橋武夫など吉田学校に無視された人たち、言い換えれば後に出世しなかった面々の方がずっと優秀だったのです。
佐藤栄作、田中角栄は政権とってからは吉田さんがやりたかったことの逆のことしかやっていません。
この吉田さんを倒したのが三木武吉、小説吉田学校の作者戸川伊佐武が徹底的に美化した人です。
三木武吉は最終的に吉田さんを倒したので自民党の生みの親といわれます。たいへんな権謀術数家です。
一度も大臣にならずに自民党総裁総理大臣よりも偉いと言われた三木武吉と比喩されることが、総理を目指していない政治家にとって最高の名誉であるとされます。
青木幹男、金丸信などがその対象でしょう。三木武吉は立ち会い演説会で「4人の妾がいる男」と揶揄されて、「それは違う、5人だ」と言い返したそうです。
三木武吉は民政党以来何一つ成功していない人物でもあります。何故成功しないのでしょう。
予算に対して何も資料を持たずに質問ができると言うほどの大蔵族で、元大蔵政務官です。何故吉田茂を目の敵にしたのでしょう。
自民党を作るのはも目的では無く手段だったのです。保守合同という、とにかく社会党を倒せる強い保守政党を作らなければいけないと考えました。
目的は「自主憲法制定」なのです。憲法改正では無くて「自主憲法制定」です。ところがそこで担ぎ出したのが何故か鳩山一郎。これが謎です。
鳩山さんはすぐ人を裏切るし、すぐ泣き出すし、すぐすねる。
こんな人ですら三木が担いだら総理にできるほどの力量あるという功名心でもあったのでしょうか。
三木武吉は嘘と権謀術数によって吉田茂を3年間揺さぶり続け、最終的に「自主憲法制定」しようとして自民党を作ったところで癌で倒れます。
最大限機会主義者(オポチュニスト)を装った原理主義者(ファンダメンタリスト)が三木武吉でありました。
この三木武吉と張り合う位置にいたのが若き日の三木武夫です。
この三木さんは逆に最大限原理主義者(ファンダメンタリスト)を装った機会主義者(オポチュニスト)でした。
この二人の三木さんは、反吉田勢力がまとまらずに仲良くできません。
香川の武吉、徳島の武夫は隣村の出身のような関係ですが親類ではありません。実は同じ戦前の民政党の流れです。

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