水子供養と アセンションに向けての意識改革ブログ

命の大切さとともに
ライトボディのことや
意識改革 霊的なことについて
かなりディープな内容になります

中二病を手放す

2017-07-24 17:08:58 | スピリチュアル
朝から、コンタクトのレンズが割れていることに気付く。

朝ご飯を食べながら、発達障害の子の特集をテレビで観た。

その後、長男の高校の二者面談に行った。成績も態度も甘い長男に対し、少し落ち込んだ気持ちで帰った。

その後、長男がボクシングジムに入会に行くのに、お金がいるのに対して横柄な態度に腹が立った。

コンビニに行き、お金を下すときに通りがかりの、洋服の修繕屋さんに、次男の制服のズボンを頼もうと思い中に入ると、マスクをした女の人が修繕をしていた。

質問して、応対してくれたが、声が聞きとれない。相手の女性は大きい声なのに、マスクの下から何を言っているのかわからない。

突如、発声に不自由のある方だと気付く。

頭を下げてコンビニに向かいながら、なんともいえない気持ちになる。

家に帰り、長男にお金を渡し、冷たく「電車で行くか自転車で行くのか?」と言い、車で送るなんて選択肢はないということを示唆する。電車で行くそうだ。

「じゃあわたしは出かけるから。」と言い、さっさと家を出た。

歩きながら、前から足の不自由な方が2名続けて歩いてくる。

いつものCD屋さんに立ち寄り、帰る時、列をなして歩く、新聞配達の障がいを持つ子たちに出会う。

ふと横を見ると、小さい時によく摘んで、一人で遊んだ「おしろい花」があった。

立ち止まり、花を摘んで、懐かしい香りを楽しむ。幾つか種をもらい、庭に埋めた。芽が出たら嬉しい。



庭樹と野菜に水をやり、パソコンに向かって今ここにいる。



歩きながら思ったことは、「まだどこか中二病である自分の解放」と、「もっと手放したい自分」と、「何も持たない自分に対して、世界は優しいのだということを知れ」ということだった。



自尊心は、大切だ。けれど、自分は一般の人とは違うという、何か、どこかしらうぬぼれた気持ちは、もう必要ない。何か出来るのではないかと自分にワクワクする気持ちは素敵だけど、

今日、朝からコンタクトをせず、似合わないメガネをかけて、化粧も口紅も落ちた状態で、ブスッとしながらてくてく街を歩く、「おブス」なわたしに対して、空は、人は、世界は、とっても優しかったということ。みんな、それぞれに生きていた。

街に出たとたん、何人もの障がいを持つ方に出会うというのは、どういうことなのだろうか。



また思ったこととして、夢を持つということについて。

夢を持つことは大切だ。今幸せな状態で夢を持てたら、どんなにいいかなと思う。

だけど、「今の気持ち」が飢餓状態で、夢を持つのは良くない。

今の気持ちが飢えているのなら、今の自分が嫌いだから夢を持つのなら、

今の飢えている自分に、嫌いな自分に、沢山満足させてあげることが必要に思った。

なぜなら、人は、「今」しか生きられないから。



今から遡る過去を良いものには出来る。如何様にも、考え方によって、良いものに出来る。

その、「良い過去」をひっさげた今の自分が満足しているならば、未来は自然と愛に包まれたものになっていく。自然と歩く足の先が、夢へと近付いていくこともある。



わたしはもう、「天狗」な自分にはなりたくない。

この夏は、徹底的に自分を見つめる夏にしたい。



地に足をつけて今を生きている、何人もの人々を見て、そして、うなだれている自分に、とても優しい世界を知り、

深く反省をした日だった。





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