母親の感情や情緒、人生においての考え方、さらに体外の環境変化に対して、
何ヶ月にも満たないような胎児でも、微妙に反応するらしいということが、一部の医学者によって確認されつつあります。
このように、現代科学や医学でも、人間のいのちの不思議さについては、まだまだ解明されていません。
しかし、私どもの立場から考えますと、胎児が「こころ」を持った存在であることに何の不思議もありません。
生命の誕生は、はかり知れない無量のいのちのつながりであり、因・縁・果という宇宙の法則にのっとって輪廻をくり返します。
肉体は滅んでも、霊(こころ)は消えません。
だからこそ、先祖の霊をまつり、霊が浄らかにやすまることを祈るのです。
浮かばれない水子霊がなぜ女性である母にとり憑くのでしょうか。
これは、水子の立場に立ってみれば当然といえるでしょう。
母胎でいのちを得てはぐくまれ、母を通じてのみ生そのものを知っている胎児が、中絶という一方的な突然の死に見舞われたとき、
その霊は、母体にとりすがって意志表示する以外に方法はないのです。
医学が発達した結果、中絶手術は、母体にさして大きな苦痛を与えないし、
手術後、2~3時間も休憩すれば、そのまま歩いて帰れるといった「気やすさ」があるため、
これがますます習慣性となっていく。たとえ、夫婦の合意、あるいは男女の合意があったとしても、
一度が二度、二度が三度という中絶の「習慣性」がついてしまえば、水子霊の障害は増大し、救いがたいほどの悪因縁をもたらします。
水子霊が、女性にのっぴきならない障害をもたらすという事実は、
仏教に帰依している私どもからみても、つくづくとその怖ろしさを感じさせられるのです。
救いを呼ぶ水子霊
佐藤玄明 著
何ヶ月にも満たないような胎児でも、微妙に反応するらしいということが、一部の医学者によって確認されつつあります。
このように、現代科学や医学でも、人間のいのちの不思議さについては、まだまだ解明されていません。
しかし、私どもの立場から考えますと、胎児が「こころ」を持った存在であることに何の不思議もありません。
生命の誕生は、はかり知れない無量のいのちのつながりであり、因・縁・果という宇宙の法則にのっとって輪廻をくり返します。
肉体は滅んでも、霊(こころ)は消えません。
だからこそ、先祖の霊をまつり、霊が浄らかにやすまることを祈るのです。
浮かばれない水子霊がなぜ女性である母にとり憑くのでしょうか。
これは、水子の立場に立ってみれば当然といえるでしょう。
母胎でいのちを得てはぐくまれ、母を通じてのみ生そのものを知っている胎児が、中絶という一方的な突然の死に見舞われたとき、
その霊は、母体にとりすがって意志表示する以外に方法はないのです。
医学が発達した結果、中絶手術は、母体にさして大きな苦痛を与えないし、
手術後、2~3時間も休憩すれば、そのまま歩いて帰れるといった「気やすさ」があるため、
これがますます習慣性となっていく。たとえ、夫婦の合意、あるいは男女の合意があったとしても、
一度が二度、二度が三度という中絶の「習慣性」がついてしまえば、水子霊の障害は増大し、救いがたいほどの悪因縁をもたらします。
水子霊が、女性にのっぴきならない障害をもたらすという事実は、
仏教に帰依している私どもからみても、つくづくとその怖ろしさを感じさせられるのです。
救いを呼ぶ水子霊
佐藤玄明 著