癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


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NO655・・・ババのシンボル

2022-06-23 | 聖者

 スワミの話によるとババの教えが永遠に残るシンボルが欲しいとのことであった。もちろん急拡大するアシュラムの宿泊施設の拡大が急務であり、それと並行してインドで一番高い、シバ神の塔を建てるのが目的と聞いていた。その高さは40mと聞いたような記憶があるのだが定かではない。マンディールに向かって左側に建てる計画がなされていた。3階まで部屋でその上からシバ神の像が建てられるとのことであったが、その話はいつの間にか聞くことはなくなった。

 

 それと同時期にスワミの逃亡生活も終わったようであるので、何らかの手打ちが行われたのであろう。この話は当時はトップシークレットであったのだろうか、多く語られることはなかった。そのような時期に、2回目の来日が行われた。最初の内は湯布院に集中していたのであるが、体制が整うと東京公演や他で公演を行う様になるのであるが、今はしっかりと体制を整えなければならない。

 

 一回目と同じく、来日のビザや航空券の手配はセット氏とスワミの中でつつがなく終わり、後は来日を待つばかりであるが、途中乗り換えの香港から電話が入る。KENZO、プロミス、OK?NOなら香港からインドに帰るが、どうか?簡単な英語で知らない人が聞いたら何が何かわからないだろうが、要するに、スワミと約束した金額はそろっているかを聞いているのである。

 

 プログラムと参加者の人数から大体金額は出ているのだが、到底一回でクリアできるような金額ではない。香港に着いてる時間は、こちらには生徒が到着している時間である。来るも来ないも、来なければパニックである。もし来ない事になったら、集まった人になんと説明すれば良いのだろう。まさかお金が予定に届かなかったので、スワミは香港からインドに帰えりましたと言えば良いのだろうか?

 

 スワミは2枚も3枚も舌を持っている人である。ある人には、お金の為に日本に来ているのではないと綺麗ごとを言っている。KENZOにお金を要求したことは無いと言っている。ゆえに私がスワミ受けする為にお金を集めていると思われている。常識ある人は、それは見抜いており、スワミと付き合うのも大変えね~とねぎらって頂いていた。本当にスワミがお金の為に来ているのでないと思っていたのは、常に少数のトンチンカンであるが、算数が出来ないのであろう。

 

 お金を誰も出さなければ、どうしてアシュラムの拡張はどんどん進むのか少し考えれば分かる事だ。それに日本に来る交通費だけでも軽く100万円はかかる。まさかエコノミーで来いとは言えないだろう。それに途中までは外人の付き人が来ている。インドから通訳のセット氏も来るし、帰りはシンガポールで待っている。その人達の宿泊費も必要である。シンガポールからお金を分散してインドに持ち込むので大体4~5人はシンガポールで待機しているのであります。

 

 日本に来る回数が増え成功の内に終わると、私に対する嫉妬ややっかみが益々強くなり、外務省に問い合わせした者がでた。スワミは観光ビザで入国し商売をしているが、違反では無いかのタレコミである。もちろん違法な事は私達(スワミ・ババも含む)はしてない。日本のディバイン、サークルジャパンは法人ではなく、任意の仲良しグループである。その生徒たちが、スワミを招致しているのだから商売ではない。

 

 また、全てのプログラムは参加費ではなく、ドネーションで募集しているので、それぐらいのタレコミは想定内で、何ら心配もしていなかったが、無駄な時間を使わせるものだ。結局何の問題はなかった。それくらいの金額は問題ないとの外務省の見解が下りた。税務署も一回も問題になった事はなかったのだが、最悪の場合は、協力者を10名くらい募って自分らの収入に上げればクリアできることは考えていた。税金を払わない方法を考えれば良いだけである。人間て難しい動物であるとつくづく嫌になる事がある。平気でババとスワミの邪魔をしながら、スワミの前ではおべんちゃらを使う。それが問題になるなら、問題がおこらないようにするのが、古い生徒のセバではないのかと言いたい。そして古くなるほど、自分たちが偉くなったように感じるのか?お局のような振る舞いになる。ひどい人は、スワミの好みの女性が参加するとスワミの側に近寄れないようにガードをする。これが人間の実態である。

 

 このように四方八方に気配りしながらプログラムを実行して、集まったお金の全てをスワミに献上できたのであります。これがアメリカやドイツになると税引き後を渡されていたようである。もっとひどいのはアメリカ人でアメリカに招致して集まったお金はアメリカにキープして、スワミには1ドルも持って帰らさせなかったそうである。お金を人質にアメリカだけのスワミにしようとしたのか?日本人が邪魔で邪魔で仕方ない。ゆえに建設費の大半は日本人が集めていたので、スワミは日本を頼りにしていた。その引き換えに、大伝法の殆どは日本人の魂の中に刻まれる事が出来たのです。タイミングと時期が合致していたのです。

 

 話は、戻しますが、今回のメインプログラムは、ミニババ像からアムリタを出す行で、一人の大きな建設業の男性が選ばれ、その人の頭の上にババ像は乗せられた。スワミがマントラをババ像に吹き込むとアムリタが流れ出だしたのであります。もちろん多くの人が見ている前で行ったので種も仕掛けもないし、スワミの手には何も持っていなかったし、スワミ服の中に隠すスペースは無かったのであります。

 

 そのババ像の名前は、アムリタババ像と名付けられ、そのババ像をどうするのかと、スワミが私に尋ねる。私に対する試しである。この前に、大きな問題が起こっていたのであるが、計算ミスで、スワミとの約束を果たすことが出来ない問題が起こっていた。スワミの前で、私とウッシーでドネーションの計算をしていたら、ウッシーのミスで二重に計上されている事に気が付くことになる。上の方と下の方に同じプログラムと参加者の名前が書かれていたのであります。合計を計算していくと予定通りで問題なかったのだが、二重に計上されている。

 

 ゆえに下に書かれた金額を消すと100万円以上のマイナスが出る。私とウッシーが顔を合わせて苦虫を殺した顔になると、スワミも問題に気が付いたのであろう。その場は何とかするとのことで解散したのであるが、顔は晴れない。ウッシーと二人でう~ん。う~んとした顔をしていると、一人の女性がそれに気づき助け舟になって頂けた。全額は無理だが郵便局に行けば50万円引き出すことが出来るので、それでどうにかしてとの嬉しい言葉だった。その日は土曜日だったので、50万円のドネーションである。見返りを全く期待されないドネーションである。涙が出るほど嬉しかった。

 

 その方は、ウッシーと共に東京のセバをして頂いているリーダーの方で、東京公演の時には大変な苦労をして頂く事になった。その当時はインドに行った人たちの東京の集まり場所として、自前の4階建てマンションの一室を提供して頂いていた。そこのシンボルにするのに最適なババ像である。そこに行くようにババが仕組んだのか?、・・・・ドネーションさせて頂いたので、見返りをして頂く事には、抵抗があるので、絶対それは持って帰る事は出来ないと、何度も断られたが、最後には、東京のシンボルだからと私の無理を聞いて頂いた。

 

 ゆえに、スワミに問われた時に、すぐ東京に持って帰って頂くと答えたら、事情を知らないスワミは、お前は馬鹿かというような顔をした。当然湯布院のシンボルにすべきだろうという顔をしたが、後で事情を知ったスワミは、OK!ベリーグッド。

 

 多分、次の来日の時だったと思うのだが、いまだに忘れられない、素敵な若夫婦に助けられた思い出がある。その時から、今の今まで忘れることはない素敵な夫婦であった。本当に見返りを求めない多額なドネーションをお風呂の建設資金の足しにしてください。と通帳に振り込んでいただいた。この話もいずれさせて頂きます。が、今は何をしているだろうか?強烈に思い出すことがある。菩薩行というセバをしていると嫌な人にも巡り合うが、中には数段高い魂の人にも巡り合える。天風先生の姪の中村有美さん。東京のKさん、若夫婦の二人ともう一人東京の税理士の先生など、ふとした時に思い出す。また、お金が足らないときに、プログラムを急遽申し込んで頂ける人などいて、90%クリアしておけば、どうにか最後は辻褄があって、スワミに喜んで帰国して頂いたことが何度もあった。

 

 また、その上を行くのがスワミで、ある時外人の付き人が1200万円と書かれた契約書を持ってきた事がある。強制的に1200万円持って帰るエネルギーを発散させながら、私にサインしろという。これが無いとインドにお金を持ち込むことは出来ない契約書だと迫る。今では懐かしい思い出ですが、当時は死に物狂いの馬車馬の如く走らされていた、。大幅に足らないときは、罵倒され干し上げられた。これが羨ましいと思い、足を引っ張る人の気持ちが分からない。ババの計画を堂々と邪魔している人の霊性修行って一体何だったのだろうか?おそらく死ぬまで気が付くことなく、修行を続けるのであろう。スワミがババの為のシンボルの建設資金が必要だと言えば、それに向かって進むのが修行だと思うのだが、間違っていたのだろうか?自問自答を繰り返す日々であった。不信感があるのなら、自分がプログラムの申し込みをしないで、そんな所に顔を出さなければ良いだけである。そういう人に限って人を巻き込「五虐罪」を犯す。罪を犯しながら悟りたいという。この罰則は神が創ったのであることを知らない。「触らぬ神に祟りなし」という。

 


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NO654・・・プログラム受講の意味

2022-06-23 | 聖者

 人間に生まれた最大の目的は、神(大宇宙の一員)になる事である。なる方法には、師匠について学ぶ方法と、自分で本などを参考にしてなる方法と、何もしないでなる方法があるので、あるが、これには大きく時間と関係して来る。何もしないでも、いずれは神になれるのであるが、当方もない時間を要する。要すると言っても、最初はみんな同じで、どうしても神を信じることが出来ない。というより、動物の本能を持って生まれて来ているので、神など知るゆえもない。

 

 自分の欲しいものがあれば力で奪う本能のままに生きていく。人間の成り立ちは、最初は鉱物に生まれ、鉱物の中に潜む微生物とアミノ酸の力によって、鉱物は分解され、やがて大地になり、その大地に植物が生まれ、植物の力において動物が生まれる。この鉱物・植物・動物には神性(神の魂が宿っている=万物には仏性あり)があるのであるが、まだ未熟ゆえに自分が生きるのに精一杯である。それが時と共に進化し高等な能力を持つ動物に進化して行く。

 

 高等な動物は、人を愛する心を持つ動物の事であり、最初に我が子を外敵から守る愛情が育っていく。その愛情は親子兄弟親戚へと広がって行き、やがては集団が形成されていく。この集団が大きくなり、集団の結束において愛情が更に大きくなる。が、この中でも、思想はバラバラで、油断をすると仲間からも奪おうとする者が出てくる。それを束ねようとする高度な意識を持つものが生まれ、規則や道徳というものが生まれ、自分たちの力ではどうすることが出来ない虚しさを知る者は、何かに動かされていることを知り、神の存在に気が付く。

 

 ここまで、エネルギーが進化するには何億年という月日が必要であり、神という存在を少しでも理解できるものは、人間の魂になって行くのであるが、同じ人間でも進化の過程であり、動物本能が強いものは神を否定しながら進化して行く。人間界は、この集団であるから、当然神を否定する者がいても不思議ではないが、何万年か過ごす間にその人も神の存在を知る事になる。

 

 そして、その中の少数から神を求める者が現れてくる。私たちも、遠い前世では、神を否定して生きてきたのであるから、神を否定する人にも、優しく接しなければならない。自分の前世の姿だと思いださなければならない。親子兄弟でも魂は別なので、神の事で喧嘩になる事がしばしばある。違う魂の者同士が結婚をし、離婚に至る原因において宗教観の違いが多々ある。

 

 特に外人に多く、アシュラムのアメリカ人スタッフに聞いたことがある。あなたは何故?離婚してここにいるのだと聞いたら、私の方が魂が進化したから、進化が止まっている旦那と意見が合わず離婚したという。これも当然ありうるだろう。この神をはさんでする議論は永遠に平行線で交わる事は無いので、仕方ない事である。神をもっと知りたいと思ってインドに渡る事になったのであろうが、その彼女も、そこで止まっている。

 

 アシュラムを訪れる多くの外人の窓口になり、世話をしているのであるが、スタッフであり、修行僧ではない。人の為に尽くしているので、菩薩行に見えるが菩薩行ではない。スタッフという名の事務員で給料を頂いていると聞いたことがある。一か月6万円の給料と聞いたことがある。菩薩行とは、見返りを求めない無償の奉仕であるから、該当しない。

 

 この無償で行う菩薩行が神に至る一番の近道で、その道を求めるには53段の急な坂(東海道53次)を上るのと同じだと言われている。いろいろの障害を乗り越え、53段階を目指さなければならない。その為には、道案内人が必要な様に、その道を歩いて神の世界にたどり着いた人の道案内が必要となる。この道案内をして頂ける人が師匠で師匠を持たない修行は、途方もない時間がかかると言われているが、いつかは神の世界にたどり着くことは出来る。なぜなら、人間に生まれた目的は神になるのが最終目的であるからだ。

 

 師匠を持たないで、自力で修行する人は、途方もなく苦難の連続の道をたどって53番目の菩薩の最高位を目指さなければならない。その間には死後50年間墓場の中で暮らし、やがて微生物の力で水になり、その水は蒸発し雲となり、また、冷やされ水になり大地に注がれ、海の水になる。を繰り返さなければならない。ゆえに自分の事を自(みずか)らと呼ぶ。また香典袋の紐は黒と白で結ばれており、水引きと呼ぶ。更に人間の自然死は引き潮と共に息を引き取る。水に引かれて息が絶える。これを何千回も繰り返しながら、菩薩の最高位に至るのである。

 

 菩薩の53段回目(宇宙の塵)に至った者は、雲の上の段階にいるので、水になって再び大地に落ちる事はない。ここで見返りのない慈悲の心を地球という惑星に住む人々に送り続けるのである。次に地球が生まれ変わる時に、塵の集団の中心に安住する神になるのである。気が遠くなるような時間が必要なので、人間の一生は、神の瞬きの一回の時間であると言われている。その刹那の時間をああでもない、こうでもないと、永遠に続くと思う錯覚の世界で悩み暮らしている。

 

 ゆえに霊性修行の国インドの人々は、刹那(せつな)の時間の「今」を大事に生きてるのです。朝は紅顔でも、夕には、死体となって焼かれている煙になっているかも知れないと仏教では教えているのです。他力で行くか、自力で目指すかは、その人の魂レベルが決める事なので、その時期が来るまでは自力で頑張り「法」というものの存在が分かった人がプログラムを受講し、人々の為に愛情を注げる菩薩様になればと良い、と思うのが目的でプログラムを考え実行したので、高い安いと思う人がいても何ら矛盾はしていないと割り切り、スワミと私たちは、前に進み続けたのです。雲を一気に突破し、53番目の菩薩の一員に至るプログラムを組んで実行したのです。参考にしてください。:満月行


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