まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

本宮映画劇場は大正昭和の歴史を語る映画館

2024-05-03 16:45:09 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

 私たちが設計した鶴岡まちなかキネマのX(Twitter)をみていると、時々、本宮映画劇場が登場します。懐かしい外観を見て、思わずフォロー。その本宮映画劇場を訪問する機会に恵まれました。

(下写真)玄関側外観です。木造三階建。日本建築の翼廊を持つ左右対称形という点では銀座歌舞伎座のような・・・あるいは石造「風」基壇をもつバロック的な構えにも見えますが様式建築の持つ約束事に従うそぶりは全くなく、自由に、壁の凹凸をつけたり、愉しくファサードをつくっています。

(下写真)後ろに廻ってみると、全体の構成が良く分かります。正面の作り(ファサード)は洋風ですが、日本の伝統的な芝居小屋の作り方でできていることが分かります。劇場の本体は三角屋根、切妻屋根です。小屋組みは洋なのか和なのか、わかりませんが、おそらく木造のキングポストトラスではないでしょうか。館主は「東大の先生が合掌形式になっているといっていた」とおっしゃっています。

 下左写真は四国は愛媛の内子座ですが、左右に出っ張り部分を持つ玄関側の作り方の基本が共通していることが分かります。正面側の屋根が中央部分と左右の二つから構成されていることも同じです。また後ろにある客席部分が本宮劇場と同じ切妻屋根であることも確認できます。下右写真はお隣高知の梼原座ですが、これも同じように、正面側に左右対称の出っ張りを持ち、背後の劇場本体部分は三角の切妻屋根です。

 以上のような、木造の芝居小屋の中身に対して、中央の屋根をアーチ型にしたり、壁の下部に基壇をつくったりと、「ハイカラ」な洋風のファサードを付けたのでしょう。それは建設された大正3(1914)年という時代を反映しています。建て主は小松茂藤治さん、当初は「歌舞伎座兼公会堂」だたそうです。立派な棟札も拝見しました(下写真)

 中に入ります(下写真)。立派なスクリーンと舞台です。昭和の映画館風ですが芝居小屋に欠かせないプロセニアムもちゃんとついています。。後程紹介する現館主の田村さんが子供のころ、経営していたお父様が、1945年に映写機を備え付け、本宮映画劇場にしたそうです。両袖には桟敷席があったかもしれませんが、今は壁でふさがれています。

劇場ですから、舞台上の吊り物機構も備えられるようになっています。ブドウ棚のようなものも見えます(現在舞台にあがることはできません)。

床は土間になっていました。客席を振り返ります(下写真)。1階だけで200席前後はあると思います。さらに後ろには2階、3階席があったと田村さんが解説してくれました。写真が貼ってある壁をはがしてみたいものですが。今は2階への階段も閉鎖中です。天井も面白い装飾がされています。私は、このタイプの天井を見るのは初めてのような気がしますが、類似のものがあるようにも思います。

館主の田村さんが、「今日は気分が乗ったので、映画を少しだけみせようか」ということになりました。あとで見せてくれる常設の「映写機は無理だから、プロジェクターを使うよ」ということでした(下写真)。

美空ひばりと林与一主演の映画予告編でした。封切り当時の映画を見たかもわかりません。子供のころは、毎週映画館に行っていましたし、一度に2本か3本見ていた(3本建て上映)ので、何を見たのかよく覚えていません。残念です。

劇場から去りがたい気分でしたが、田村さんはそのあと映写室を見せてくれました(下写真)。煙突付きの映写機の横に立っておられます。

 

何と、カーボンアーク35mm映写機です。初めてまじかに見ました。今は、古い映写機といってもキセノンランプ製ですから、大変貴重なものです。アークの火花を出す炭素棒もセットしてあります。高密(高光)工業のROYALという映写機のようです。

何と、炭素棒も実物が置いてあります。現役です。もちろん初めてみます。

2本を近づけて放電するときの光を光源にするのです。当然ですが放電で段々ちびていくので、常に調整が必要です。下の写真は使用後の短くなった炭素棒です。

 

映写室の隅にはフィルムを巻き取ったりする機械(何と呼ぶのでしょうか)やフィルムをつなぐスプライサーもありました。映画「ニューシネマパラダイス」の世界です。

最後に記念写真もお願いしました。

先ほど1945年に映写機を入れて映画館にしたと言いましたがその後、本宮映画劇場は1963年に閉館したそうです。現館主の田村さんは長く映画館とは離れ別の仕事をしていましたが、定年後、復活させたそうです。

田村さんは、「私はあと30年大丈夫」とおっしゃっていましたので、これからも、時々は上映してもらえることと思います。ただ、「映画館」として営業するのは大変そうです。例えば映写室は、私もまちなかキネマを設計したので分かりますが、もともと防火性能確保のため規定が厳しく、今の状態はいわゆる「既存不適格建築」です。ほかにも、現行法規への適合などを含め、いろいろ大変なことがありそうです。

とはいえ、30年といわずその先にも、何とか残っていって欲しいものです。

また機会を見つけて見学したい建物です。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design

設計計画高谷時彦事務所

 

 

 


磐城石炭化石館へ

2024-04-30 11:57:59 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

連休で妻の実家にお邪魔しました。車で磐城石炭化石館に連れて行ってもらいました。磐城はかつて石炭採掘で栄えたまちです。

坑道を進んでいくと、今も掘っているかたがたに遭遇!ものすごく高い湿度、過酷な環境です(下の写真)。

数年前に、夕張炭鉱に潜った時のことを思い出しました。そこでは採掘現場で石炭鉱石を一個いただきました(下の写真)。

皆様本当にご苦労様です。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architect/urban designer

設計計画高谷時彦事務所

 

 

 

 


8年ぶりの気仙沼

2019-07-25 13:07:07 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

日本建築学会の所用で、気仙沼へ行く機会がありました。

前回は2011年の初夏でしたから実に8年ぶり。朝早く着いたので前回と同じように内湾地区を歩いてみました。

港にはさんま漁の船がたくさん接岸しています(下写真)。

少し歩くとカツオ船もいます。土佐の一本吊り?乗組員には外国人もいるようです。

市場に行くとカツオが水揚げされています。

せりの風景も。

何を話しているのでしょう。今年は、水揚げが少ないのでまちの人も心配していましたが、どうなんでしょうか。これから増えるといいですが。

所用は夕方までに完了。レンタカーを戻して、再びまちを歩いてみました。明治10年創業の老舗のお米屋さんです。扇型の変形敷地に建っています。

昭和初期建築です。

前に来たときはこのような感じでした。

家の前で写真を撮っているとオーナーさんが中もどうぞと見せてくださいました。

以前の場所から少しだけ横に寄せて再建したそうです。昨年の4月に竣工しています。

昭和初期の歴史的なまち並みが少しづつ復興していっているようです。大変な道のりであったに違いません。

この建物も、昭和初期の雰囲気を良く伝えています。縦長の不思議な出窓です。表現主義的な特徴をもっています。

早く皆さんに大いに使われる建物として再生されることを祈ります。

I visited Kesen'numa City for the first time in 8years after Great East Japan Erthquake and Tsunami.

I got there very early in the mornig and was lucky enough to see the landing of bonitoes from the fishing boat at the fishing market.

Though Kesennuma Port is number one in the number of catches of bonito, previous catches have been small this year until the day I saw the port.

People have been waiting for a big catch!

 

Tokihiko Takatani

architect/professor

Takatani Tokihiko Studio.  architecture/urban design Tokyo

Graduate School of Tohoku Koeki University.  Tsuruoka City. Yamagata Pref. Japan

 

髙谷時彦

建築/都市デザイン

設計計画高谷時彦事務所: 東京都文京区千石4-37-4 

東北公益文科大学大学院: 山形県鶴岡市馬場町

  

 

 

 

 

 


小樽運河、建築めぐり(2)

2018-11-11 18:25:01 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

 

このあたりは「北のウォール街」。銀行建築が集中しています。まずは拓殖銀行小樽支店。1933築のRC造。矢橋賢吉の設計。当時銀行の上部は貸事務所だったそうです。バブル期にはシーユーチェンのプロデュース、ナイジェルコーツ設計のホテルとして話題を呼びました。残念ながら今は、宿泊できません。

 

 

近くには日本銀行小樽支店。辰野金吾、長野宇平冶、岡田信一郎だそうです。様式建築の名手ぞろい。

外壁には、知恵の象徴、ふくろうがとまっていました。

 ここから南東、南小樽駅方面に向かう道は観光ロードと化していました。

 

 外国の方も大勢いらっしゃいます。小樽はかつて20万都市でしたが、いまや12万人を割っており、人口減少が止まらない地方都市の典型です。しかし、一方で観光客は年間800万人も来ており、宿泊も70万泊ということです。

途中で木骨石造建築のお店にはいってっみると中がうまく改装されていました。

耐震補強もしながら使い続けるためにはこういった、ある意味では大胆なリノベーションも必要だと思います。喧騒の観光ストリートを抜けて坂を上ると、こんな豪邸もあります。

 

右手、南側には立派な庭がありそうです。明治39年築、木造の豪邸。

ようやく駅に到着。駅もなかなか渋い。

(continued) City walking in Otaru-City.

高谷時彦 建築・都市デザイン

東北公益文科大学大学院 鶴岡・山形

設計計画高谷時彦事務所 東京

Tokihiko Takatani Architect/Professor

Graduate School of Tohoku Koeki University, Tsuruoka-City Yamagata pref.

Tokihiko Takatani Studio Architecture/Urban design