落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

怒るよ

2009年08月21日 | diary
アニメ「うんこさん」に韓国人が激怒? キャラクターの設定めぐり騒動。

マスコミ業界にはもともと在日外国人は多いんだけど、最近めだつようになってきたのはぐりのような3世や2世ではない、ニューカマー。
今いる仕事場にも何人かいるんだけど、彼らに対する評価を耳にするたび、とても残念な気持ちになる。
この国の人たちは「差別」に対してなぜこんなに鈍感になれるのだろう、と。
ほんとうに悲しいし、情けなくなる。

なんでそんなに、「自分たちは正しい」「間違っているのは相手」「ここは自分たちの国」「誰もが守るべきは自分たちのルール」などと強固にいいきれるのだろう。
真剣にアタマに来るし、涙も出て来る。
日本に憧れて、一生懸命言葉を勉強して、いろんな障害をのりこえて、家族や友だちと離れてひとりで異郷の土地まで来て頑張っている人たちを、どうしてもっとリスペクトできないんだろう。
彼らが外国人だからリスペクトせよ、などというつもりは毛頭ない。
そうではない。
彼らの異質さはそのまま日本人の異質さの裏返しなのだと、まともな想像力のある人間なら容易に気づくはずなのに、なぜ誰もそうしようとしないのか。

ふざけんな。


秋田県にて。

嵐去る

2009年08月18日 | diary
今月30日に投票を控えた衆議院総選挙が公示されましたが。
ぐりの修羅場は昨日終了。なぜなら今日が公示日だから。そう、今回のお仕事は選挙関係(一応ボカしてみた)。公示日前日が〆切だったのだー。

嵐のよーな修羅場が過ぎて、今日はひさびさの休み。代休。
でもなんだか二日酔いみたいな感じがする。胃がむかむかして頭が重い。目の焦点がなかなかあわず、ろれつもうまくまわらない。疲労がたまるのと二日酔いがこんなに似てるとは思わなかった。
明日からはまた忙しいので、疲れた身体を癒そうとオイルマッサージ+フェイシャルエステの店に行ったら大失敗。予約時間通りに行ったのに誰も出てこない。15分くらい待ってやっと出てきたと思ったら、そこからまた10分待つ(なぜかはわからない)。マッサージはド下手。店の電話が鳴るたびにしょっちゅう中断される。マッサージしながら溜息つくってどーゆーこと?挙句に顔に蒸しタオルをかぶせたまま戻ってこない。しかも鼻も口もタオルで塞がれてるんですけど。死ぬってば。オマケに廊下をドタバタドタバタものすごい音をたててかけまわるって、この店はいったい何屋なの?リラックスを提供するのがここの商売じゃないの?
タオルがひえきっても放置されたままなので諦めて帰る支度をしてたら、戻ってきたスタッフが泣き出した。泣きたいのはこっちのほうだ。やっとやっととれた休みに、疲れをとってリラックスしに来てるのに黙って我慢しなきゃいけない理由がわからない。時間の無駄でしょう。
お金だけはちゃんと払ったけど、よく考えたら払う理由もなかったね。だってまったく疲れとれてないもん。つかむしろよけい疲れてるよーな。


某選挙事務所でいただいたお弁当。気を使って手づくりのお漬物やら鮭フレークやら高級ふりかけやら、サイドメニューまで次々出してくれた。アットホーム。

アルバカーキの負け犬姉妹

2009年08月03日 | movie
『サンシャイン・クリーニング』

30代のシングルマザー・ローズ(エイミー・アダムス)は不動産業の資格をとるために働きながら学校にかよっているのだが、恋人で刑事のマック(スティーヴ・ザーン)に紹介された「現場清掃」の仕事がいい収入になったことから、失業中の妹ノラ(エミリー・ブラント)といっしょに専門業者として開業する。

「現場清掃」ってアレですな。殺人とか自殺とか、よーするに現場が汚れる事件の、その後処理ってことです。
同じ題材を扱った映画では96年の『フェティッシュ』がある。当時ブイブイに売れてたクエンティン・タランティーノ製作総指揮のサスペンス・コメディ。舞台がマイアミで、ラテンなノリのサウンドトラックがすごく気にいった記憶があるけど(CDも買ったハズ)、内容はさっぱり覚えていない。
『フェティッシュ』のヒロインは確か殺人現場フェチで自ら志願して清掃業者に就職するんだけど、この『サンシャイン・クリーニング』のヒロインは違う。学校にかようため、退学になった息子(ジェイソン・スペヴァック)を私学にいれるため、つまりよーするに純粋にカネ目当てである。だがそんななかで、自然と仕事に対するやりがいを発見していく。ん?なんか聞いたことある話やな?あ、オスカー作品(笑)『おくりびと』ですな。

ただし『おくりびと』と違うのは、ヒロイン姉妹がやりがいをみつけたところでストーリーが一丁上がり、ではないところである。プロの仕事とはそんな生易しいものではない。たとえば納棺師にはとくに資格は必要ないが、現場清掃には厳格なルールがある。業者は講習を受けて資格をとらなくてはならない。納棺師は葬儀が済めば遺族に感謝されてお役御免だが、現場清掃業者はそうはいかない。むりやり見切り発車で開業した姉妹にも出端をくじかれる出来事がふりかかる。
現場には人が生きていたという痕跡がくっきりと残っている。そこを清掃するヒロインたちは遺族や故人たちとのかすかな繋がりを感じるのだが、そんな素直さも素人ゆえの感傷でしかないことを思い知らされる。
ふたりの亡き母との思い出のシーンもやはり『おくりびと』を彷佛とさせる。親との別れを克服するのは、どんな子にとっても長い旅になる。別れの意味がわからない事情があればなおさらだろう。

片腕のホームセンター経営者ウィンストンを演じたクリフトン・コリンズ・Jrがすごくよかった。この人は『カポーティ』でペリー・スミスを演じた人ですね。
父親役のアラン・アーキンは『リトル・ミス・サンシャイン』のおじいちゃん役と完璧にキャラがカブッてましたがー。おもろかったから許す(何様)。
この映画、『リトル・ミス・サンシャイン』のチームがつくったらしーけど、じゃあ『サンシャイン・クリーニング』とゆータイトルは完全に2匹めのドジョウ狙いってことでいいんでしょうかね?コレ、劇中でヒロインたちが開業する清掃業者の名前なんだけど、なんでその名前なのか説明がなかったよーな気がするんだけど?ぐりが覚えてないだけ?あり?

かわいそうなどうしようもないやつ

2009年08月03日 | movie
『レスラー』

心臓発作で引退宣告を受けた往年の人気レスラー・ランディ(ミッキー・ローク)。
ふと気づけば、ひとりぼっちでトレーラーハウスに住む彼には頼る家族も恋人も友だちもいなかった。
馴染みのストリップダンサー・キャシディ(マリサ・トメイ)は仲違いしている娘ステファニー(エヴァン・レイチェル・ウッド)に連絡するようアドバイスするのだが・・・。

んんー。なんか、あのー。期待したほどではなかった、よーな??
コレってやっぱ、男性向けの映画よねー?男が男のどーしよーもなさに共感して涙するための映画とゆーか?まーそんないい方しちゃっちゃあ、ミもフタもないかもしれませんがー。
大体、ぐりは格闘技って苦手なんだよねえ。それもプロレスがいちばん苦手。なんでみんな、あんなの観て楽しいのかー?わかりませぬ。
けどたぶん、格闘技ファンの熱狂もまた、人の人たる「どーしよーもなさ」の象徴なんだろーな、ってことはわかる。近世以前まで世界中で娯楽のひとつとしてひろく行われた公開処刑(拷問含む)が人権意識の高まりとともに消えていき、人が人を傷つけ痛めつけるさまを見たいという大衆の強い欲求は、過剰に演出された格闘ショーによって満たされるようになった、なんて書くと怒る人もたぶんいるだろーと思うんだけど。でも映画のなかでも、マリサ・トメイが怪我をしたミッキー・ロークをキリストになぞらえるシーンがあるんだよね。ちゃんと。
人間誰もがといえば語弊はあるけど、多くの人の心の中には、人が苦しむさまを見たい、死に瀕してもだえるさまを見たい、というどうしようもない欲望がもともとそなわっているのだろう。その渇望を潤すために、選手たちは殴り合い、血を流しあう。いつか、それこそ「どうしようもなく」なるまで。

まーしかしこの映画、一から十までミッキー・ロークありきの作品です。彼が出てなければそれこそどーしよーもない。
なんちゅーか、リアリティも奥行きも立体感もない。キャシディのキャラクター描写はまあそれなりに丁寧だけど、娘ステファニーはなんじゃこりゃでございます。昨今日本じゃ「草食男子」?とかなんとかいって恋愛に疎い?男性が話題になりがちですけど、もしかしてこの映画の監督だか脚本家もそーなんじゃないのー?女性観そーとーに歪んでるよ?
ランディは娘に対してもキャシディに対しても常にどこか逃げ腰で、ほんとうに正直に向かいあっているようには見えない。あるいは彼らはそれが優しさだと思っているのかもしれない。けどそんなもの優しさでもなんでもない。ただ女々しいだけだ。少なくともぐりにはそう見える。
ランディはキャシディにいう。現実の世界はオレにはキビしすぎる、と。それこそ世の女が決して耳にしたくない言葉だ。
彼はまたこうもいう。オレに辞めろといっていいのはファンだけだと。ファンがそんなこというわけないじゃん。みんな彼がリングで死ぬとこが見たいんだからさ。
それも本望なのかしらん?格闘家として?
ついてけなーいっ。