落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

かわいそうなどうしようもないやつ

2009年08月03日 | movie
『レスラー』

心臓発作で引退宣告を受けた往年の人気レスラー・ランディ(ミッキー・ローク)。
ふと気づけば、ひとりぼっちでトレーラーハウスに住む彼には頼る家族も恋人も友だちもいなかった。
馴染みのストリップダンサー・キャシディ(マリサ・トメイ)は仲違いしている娘ステファニー(エヴァン・レイチェル・ウッド)に連絡するようアドバイスするのだが・・・。

んんー。なんか、あのー。期待したほどではなかった、よーな??
コレってやっぱ、男性向けの映画よねー?男が男のどーしよーもなさに共感して涙するための映画とゆーか?まーそんないい方しちゃっちゃあ、ミもフタもないかもしれませんがー。
大体、ぐりは格闘技って苦手なんだよねえ。それもプロレスがいちばん苦手。なんでみんな、あんなの観て楽しいのかー?わかりませぬ。
けどたぶん、格闘技ファンの熱狂もまた、人の人たる「どーしよーもなさ」の象徴なんだろーな、ってことはわかる。近世以前まで世界中で娯楽のひとつとしてひろく行われた公開処刑(拷問含む)が人権意識の高まりとともに消えていき、人が人を傷つけ痛めつけるさまを見たいという大衆の強い欲求は、過剰に演出された格闘ショーによって満たされるようになった、なんて書くと怒る人もたぶんいるだろーと思うんだけど。でも映画のなかでも、マリサ・トメイが怪我をしたミッキー・ロークをキリストになぞらえるシーンがあるんだよね。ちゃんと。
人間誰もがといえば語弊はあるけど、多くの人の心の中には、人が苦しむさまを見たい、死に瀕してもだえるさまを見たい、というどうしようもない欲望がもともとそなわっているのだろう。その渇望を潤すために、選手たちは殴り合い、血を流しあう。いつか、それこそ「どうしようもなく」なるまで。

まーしかしこの映画、一から十までミッキー・ロークありきの作品です。彼が出てなければそれこそどーしよーもない。
なんちゅーか、リアリティも奥行きも立体感もない。キャシディのキャラクター描写はまあそれなりに丁寧だけど、娘ステファニーはなんじゃこりゃでございます。昨今日本じゃ「草食男子」?とかなんとかいって恋愛に疎い?男性が話題になりがちですけど、もしかしてこの映画の監督だか脚本家もそーなんじゃないのー?女性観そーとーに歪んでるよ?
ランディは娘に対してもキャシディに対しても常にどこか逃げ腰で、ほんとうに正直に向かいあっているようには見えない。あるいは彼らはそれが優しさだと思っているのかもしれない。けどそんなもの優しさでもなんでもない。ただ女々しいだけだ。少なくともぐりにはそう見える。
ランディはキャシディにいう。現実の世界はオレにはキビしすぎる、と。それこそ世の女が決して耳にしたくない言葉だ。
彼はまたこうもいう。オレに辞めろといっていいのはファンだけだと。ファンがそんなこというわけないじゃん。みんな彼がリングで死ぬとこが見たいんだからさ。
それも本望なのかしらん?格闘家として?
ついてけなーいっ。

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