2008年6月のブログ記事一覧(3ページ目)-落穂日記
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落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

裸がどうした

2008年06月22日 | book
『すべては「裸になる」から始まって』 森下くるみ著
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ときどき読んでるブログ森下くるみの間の著者であるAV女優のエッセイ。
にもちょろりと触れたことがあるが、ぐりはAVに出演してる俳優と、いわゆる一般の俳優との区別がよくわからない。一般の俳優だって、仕事のためにカメラの前で裸になったり、うそっこでセックスしたりもする。→をφとか*とかに入れるか入れないかなんて些細な差であって、AVでやってるのもふつうの映画やTVでやってることだって偽セックスに変わりはない。一般の劇場用長篇でも『ショートバス』とか一部の作品では実際にしてるし。逆に、実際にする方が誤摩化しがきかないぶん、より体力や演技力や集中力が求められるという面では難易度の高い芝居であるともいえる。
ただ現実にはやっぱり「ナマもの」である肉体を売り物にするAV出演者の方が、賞味期限に厳しいことは紛れもない事実だろう。とはいえAVにも熟女専とかフケ専とかもあるだろうし、いつまでどこまで行くかはその人次第というところももしかしたら非AVの俳優といっしょかもしれない。あ、でも男優の場合は→が↑しなくなったら終わりか?けど→だけがセックスじゃないしー。
そんなことをつらつら考えれば考えるほどわからなくなる。ってかなんでそんなこと考えてんだアタシ?

この本では、著者の少女時代からデビューのきっかけ、恋愛、友情、家族、売れっ子になっていく過程やファンとの交流など、およそ一般庶民がAV女優に対して抱く素朴な謎のひとつひとつを、ごくごく率直に語っている。と同時に、これはひとりの女性としての成長の物語でもある。
森下くるみはほんとうに素直だ。よほど精神的に強くないとこうはなれない。実家が貧しく、とくに目的もなくぼんやり生きていた彼女がスカウトされ、たった1本撮った直後に「一番になりたい」という野心を抱いたこと、綺麗事でもハッタリでもなくAV女優という仕事にプライドを持ち、現場に愛情を持っていること、10年以上にわたるAV女優生活の中でさまざまな人々に投げつけられて来た心ない罵詈雑言の数々。
「汚ねぇなあ。近寄んなよ。風呂入れ」
「お願いだからオレのために仕事辞めて」
「彼女がAV女優だってことを知られたくないから、友だちに会わせられない」
「AV女優は間違った道」
「楽してお金稼げてるんでしょ」
「AV女優ってヤク中が多いってホント?」
「あんたAV女優なんだから、すぐヤラせてくれるんでしょ?」
「AVなんかやっててさあ、幸せになる権利あるわけないじゃん。何言ってんの」
これらの言葉はフィクションではない。実際に著者や同業の女優が面と向かっていわれた言葉ばかりだ。
よくそんなこといえるなと思う。まともな想像力のある人間のやることとは到底思えない。だがほんとうは、口に出さないだけで心の中で彼女たちを軽蔑している人々も多いのだろう。

ツライ現場もある。あり得ない行為を強いられる作品もある。それでも彼女は10年やりぬいて来た。プロとして、ビデオを観てくれる無数のユーザーのために。
ぐりはAVだろうがなんだろうが、プロとしてプライドをもってやってれば仕事なんかなんだってかっこいいと考える人だけど、AVで10年って今どきなかなかいないだろうしその点で森下くるみはまず常人ではないと思う。
ここしばらくは以前ほどひんぱんに新作は出してなくて、クラブイベントでのトークやDJ、コラムなどの執筆活動の方が主になっているそうだが、是非ともこの本だけじゃなくてもっとバンバン本が出せるくらいに頑張ってほしい。
1本も作品は観たことないけど、応援してますよー。

ジオットの首輪

2008年06月22日 | movie
『美しすぎる母』

1972年11月17日、ロンドンでバーバラ・べークランド(ジュリアン・ムーア)という女性がひとり息子のトニー(エディ・レッドメイン)に刺殺された。バーバラの元夫ブルックス(スティーヴン・ディレイン)は人工樹脂ベークライトを工業化し「プラスチックの父」と呼ばれたレオ・ベークランドの孫にあたる。
夫妻は68年に離婚し母子はふたりきりで各地を転々としながら暮していた。まるで恋人のように仲睦まじかったふたりにいったい何があったのか。史実を元にした愛憎ドラマ。

うーーーーーーーん・・・期待外れ。
監督のトム・ケイリンは1924年にシカゴで起きた実在の誘拐殺人事件を元にした『恍惚』という映画でデビューした人で、この映画はさりげに前衛的だったりしてかなりおもしろかったのだが、さすがにまだ当事者が存命中のこの事件に関してはそこまで大胆にはなれなかったよーで、細部にはあれこれとこだわりはみられるものの全体にはかなりおとなしい、ソツのない映画になってしまっている。
音楽とか美術とか、ディテールはホントにいいんだよね。リアルで。でもシナリオがすーんごい段取り調で、もーどーしよーもないくらい退屈。
同性愛や近親相姦はコトが史実であるからには観客全員先刻承知なワケで、それをまたあんな腰の引けたヌルい演出で見せられても今さら「だからどーした」って感じなのよ。事件は史実でも映画はあくまでフィクションなんだし、捏造までいかなくてももっとエモーショナルな描写も出来たはずだと思う。ヘンにセンセーショナルにしたくなかった気分もわからんではないけど、こんな題材を映画化しといて今さら気取ってどーするっつの。
ジュリアン・ムーアは確かに物凄い熱演だけど、演出がこれでは完全に空回りにしか見えません。気の毒。

あとやっぱ気になるのはジュリアン・ムーアの衣裳がヤバいくらい似合ってないってとこでしょーかね。
40代後半ってこともあってお肉垂れまくりで肩や腕はソバカスだらけ、露出に向いたボディとはなかなかいいがたいんだけど、なぜか全編やたらに肌を出した服ばっかり着ている。ぐりはこの女優さん好きだし、頑張って演じてる気合いもわかるだけに観ててせつなかった。
それも演出なんだよといわれてしまえばそれまでなんだけど。

島会議

2008年06月22日 | book
『言論統制列島 誰もいわなかった右翼と左翼』 森達也/鈴木邦男/斎藤貴男著
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おもしろかったー。
ぐりは自分が右とか左とか全然意識はしてないんだけど、どこだかでは勝手にどっちかに分類されてるらしー。まー好きにやってればと思いますが。分けたい人は分ければいんじゃないのー?そーやって適当に人をカテゴライズすることにどーゆー意味があるんだか、理解は出来ないし、興味もいっさいないけどね。
この3人は一水会代表だった鈴木氏だけは自ら右翼と自認してるけど、森氏と斉藤氏もやはりどっちがどうとかいうことにはほぼ関心はない。ただ、自分でおかしいと思うことには堂々とおかしいといってるだけなのにー、って感じ。

しかし日本はいつからこんなに、「おかしいと思うことをおかしいという」ことが難しい世の中になったんですかねー?
まあぐりも他人のことはいえたギリではありませんが、なんせめんどくさいのよ。別に妙な投稿とかよそのサイトで叩かれたりとか、そんなんは好きにやりゃあいいと思うんだけど(好きこのんで“肥だめ”に飛び込む趣味はないんで)、それも最低限の常識的なルールの範囲内での話。ルールも守れん人間に好き勝手やられんのはマジで困るんでね。
しかしそーゆーことする人の目的がわからん。何がしたいんやろね。気色わるいわあ。

このお三方もけっこう各方面でいろいろと“めんどくさい”目には遭って来てるハズだけど、べつにそんなこと気にしてない。とくに困ってないっていう。かっこいい。ホントはそんなワケないのにねー。
ぐりは知識もないしあんまし難しい本はうまく読みこなせないんだけど、この手の対談だと話言葉で書かれてるし、互いに知識・情報を補完しながら進行するのでとってもわかりやすい。この本もすごく読みやすかったです。

頭の中の消しゴム

2008年06月21日 | movie
『アウェイ・フロム・ハー 君を想う』
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アルツハイマー型認知症を発症したフィオナ(ジュリー・クリスティ)は44年連れ添った夫グラント(ゴードン・ピンセント)と離れ介護施設に入居するのだが、30日の面会禁止期間が明けて見舞いに来た彼のことは既に記憶から消え、足の不自由なオーブリー(マイケル・マーフィ)の世話に熱中していた。
愛しあって幸せに暮して来たはずと信じていたグラントは深く傷つくのだが・・・。

認知症の患者を身内にもった経験のある人なら誰でもわかると思うのだが、この病気は基本的に一度始まったら止めることはできない。記憶がどんどん頭の中から消えていき、やがて暗闇が訪れる。長く時間のかかる別離。
ただ健康な人間にわかりにくいのは、症状が一方的に進行しつづけるわけではなく、たまに正気に戻ったり、失くしたはずの記憶が何かの拍子に甦ったり、不規則な波のようなものがあるところである。この波が介護する親族を徒に翻弄するところが、あるいはこの病気の最も苦しい部分かもしれない。
グラントは初め、妻が自分を忘れ他の入居者と恋に堕ちた事実に混乱する。だが妻を責める気にはなれない。自分も若いころ、妻に誠実でなかったことがあったからだ。その罪悪感ゆえに、今、夫として何をすべきかを迷いながら探りつづける。

若くして不幸な病を抱えたヒロインを演じるジュリー・クリスティが実に美しい。ほんとうに夢のように美しい。こんな奥さんならたとえ認知症でも、誰もがすべてを犠牲にしてかしずいてもいいと思うんじゃないか、ってくらい美しい。看護師役のクリステン・トムソンがすごくよかったけど、この人舞台女優なのね。他にはほとんど映画には出ていない。
現実の介護の現場にはもっともっと苦しい物語がいくらでもあるだろう。あえてそういう不幸な面を強調せず、夫婦の愛の物語を淡々と丁寧に描きたかった気持ちは理解できる。けどやっぱちょっと淡々とし過ぎて、正直、若干退屈なとこもありました。トーンはキライじゃないけどねー。
監督のサラ・ポーリーは本業は女優で弱冠27歳。彼女の出世作である『スウィート ヒアアフター』の監督アトム・エゴヤンが製作総指揮にクレジットされているが、シナリオやカメラワーク、構成などにかなり強く影響を感じる。ぐりはエゴヤン好きだけど、だからってエゴヤンもどきも気に入るわけじゃないってことは観てみないとわかんないもんなのね〜。

おみなえしの恋

2008年06月21日 | play
シネマ歌舞伎『ふるあめりかに袖はぬらさじ』

時は幕末、吉原から横浜へ流れて来た芸者・お園(坂東玉三郎)が親しくしていた花魁・亀遊(中村七之助)が自室で喉を切って死んだのは文久2年、生麦事件のあった年のことだった。
亀遊は楼の通辞・藤吉(中村獅童)と恋仲だったが、病がちで多額の借金を抱えた身では、医師を目指し海外留学を予定している恋人の足を引っぱりこそすれ支えになることはできない。そんな不運をはかなんでの17歳の死だった。
ところが自殺当夜に登楼したアメリカ人客(坂東彌十郎)が彼女の身請けを申し出ていたことから、“攘夷女郎”“愛国烈婦”などと尾ひれのついた噂話が広まり、楼の主人(中村勘三郎)たちは「亀勇は異人に身を任せるのがイヤで自決した」と名前まで変えて噂を煽るようになる。

杉村春子の当たり役だった舞台を玉三郎主演で歌舞伎座で上演した去年12月の公演をHDで収録したシネマ歌舞伎。こういう形で歌舞伎を観るのは初めてだけど、意外といいもんです。結構臨場感あるし。
しかしこの時勢にこの演目を演るって松竹もなかなかやるね。すっごい象徴的。
今の世の中ってなんだか幕末に似たとこあるもんね。とにかく愛国とか国益とかいいさえすればみんな納得しちゃう。国のためなら大抵のことは許されるし、よしんば疑問に思ってもみんな我が身かわいさに黙りこんでしまう。それで結果的に世の中どーなっちゃおうと誰も責任なんかとりゃしない。都合の悪いことはカネなり暴力なりでフタして隠しちゃって見て見ぬフリ。
ヒロインお園は自ら亀遊の死に立ち会っておいて、ろくな葛藤もなく主人に乞われるままに嘘やデタラメを平気でペラペラと喋りまくるようになる。適当なでっちあげを鵜呑みにした客たちも勝手に満足して楽しんでいる。彼女たちに悪意はまったくないから罪悪感もない。こうなったのは誰のせいでもない、自然の成りゆきだと当然のように信じている。
彼女は今の日本人そのものなんじゃないかと思う。無自覚の罪深さ、愚かであることとしたたかであることの相似。

しかしこの舞台は本当に豪華だ。玉三郎に勘三郎、獅童に七之助と勘太郎の兄弟だけでなく、その他大勢の楼の客にも市川海老蔵や板東三津五郎や中村橋之助など映画やTVでお馴染みのスターばっかりうじゃうじゃでてくる。ビックリするわ。
中でもぐりが驚いたのは薄幸の美少女を演じた七之助。ぐりはこの人の歌舞伎はほんの数回しか観たことないんだけど、観るたびにぎょっとする。ホントに「ぎょっとする」としかいいようがない。キレイというかコワイというか、あまりにも可憐で何だか見ちゃいかんモノを見てしまったよーな衝撃度がある。今回も冒頭で玉三郎が屏風をどけて布団から彼が起きあがったとき、軽く息とまりましたもん。
玉三郎と勘三郎の掛け合いはいつも通りおもしろかったし、社会派ブラックコメディとしてもとてもよく出来たお芝居だと思います。機会があればまた観たい。