落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

蒼い入江

2022年02月20日 | movie

『ブルー・バイユー』



アントニオ(ジャスティン・チョン)は3歳のとき韓国から養子としてアメリカに渡り、ルイジアナ州でパートナー・キャシー(アリシア・ヴィキャンデル)と彼女の娘・ジェシー(シドニー・コワルスケ)と3人仲睦まじく暮らしていたが、ある日、キャシーの元夫で警官のエース(マーク・オブライエン)と些細なことで揉め事になり、それをきっかけに、30年前に養父母が怠った移民手続きを理由に強制送還されることになってしまう。
強制送還されれば二度とアメリカには入国できない。じきに生まれてくる子どものためにもアメリカを離れるわけにいかないアントニオは、在留資格を求めて裁判所に訴え出ることにしたのだが…。

何度もこのブログに書いているが、私は在日コリアン3世で、日本の教育をうけて日本で働き、納税し、年金も社会保険も健康保険も払っている。
祖父母は1920〜30年代に来日し、両親も日本で生まれた。私自身は朝鮮半島に行ったことは一度もないし、朝鮮語も話せない。朝鮮の文化も歴史もよく理解しているとは言い難い。ぶっちゃけていえば、私にとって朝鮮半島は、会ったこともない名前も知らない親戚が住んでいるというだけの、ただの外国だ。
日本は1910年に日韓併合として朝鮮半島を植民地化したが、敗戦を経て1952年のサンフランシスコ講和条約発効に伴い「朝鮮人は講和条約発効の日をもって日本国籍を喪失した外国人となる」とした。
なので生まれたときは私は無国籍だったが、日本の右傾化を危惧した両親の判断で20数年前に日本国籍を取得したので在留資格には何ら問題はない(この機会に知ってほしい『特設永住者』についての基礎知識)。あくまで、いまのところ。
それでも、際限なく右へ右へと流されていく日本社会の中で常に不安を感じ続け、それは日毎に肥大化し、現状は専門家のサポートで日常生活を送っている。でなければ自立して社会生活を送っていくだけの平静を保っていられないからだ。
公共の場所では不用意に他人の言葉を耳にしないよう常にイヤホンで音楽を聴き、電車の吊り広告は決して視界に入れないようにしている。初対面の人には自己紹介の時点で自ら出自を告げ、暗に「そういう話題を私の前で持ち出すな」と警告する。

私は自分を日本人だと思ったことも、朝鮮人だと思ったことも、韓国人だと思ったこともない。
日本のどこにも郷愁を感じることはないし、どこに行ってもホームシックにかかったことはまったくない。
だから他人のそれを、とても尊く感じる。
「ここが自分の居場所なんだ」という感覚を持ったことがないからだ。
いつでも、どこでも、自分は常に余所者で、それが当たり前だと思って暮らしてきた。

好きでそんな境遇に生まれてくる人なんかいない。
気がついたらそうだった。
仕方がない。
選びようがない。

もし日本が戦争状態になったら、私や家族や同じ境遇にある人がどうなるかは日を見るよりも明らかで、世の中にはそのことを深刻に捉える人がほとんどいないという孤独を思うと、心底虚しくなる。
苦しくなる。

だから映画が始まって、アントニオがキャシーのお腹の子どもの超音波映像を見て感動したり、生さぬ仲のジェシーと父娘の絆を確かめあったりしている微笑ましいシーンでさえ、いたたまれない気持ちで観ていた。
わずか3歳だったアントニオは自ら望んでアメリカに来たわけではない。韓国のことなど何ひとつ知りもしない。私と同じように。
養父母との関係も、自分から望んで壊したわけではない。
そのことを最愛の人に話したくなくて嘘をついた気持ちも、とてもよくわかる。
誰も、好きこのんで自分の不幸で他人の同情なんか買いたくはない。

アントニオは、キャシーを、ジェシーを心から愛し、たいせつに思い、まもなく生まれてくる子のために最善を尽くそうと踠き苦しむ。
なのに状況はどんどん悪化していく。まともな味方すらいない。アントニオが当局に勝てる見こみなどほとんどない。
それでも、時折挿入されるベトナム系難民のパーカー(リン・ダン・ファン)との交流のシーンになぜか心穏やかなものを感じられるのは、彼女が、唯一の選択肢として母国を捨てて逃げてきたアメリカでの難民としての人生も、やがて尽きることがわかっている己が命の限界も、運命のすべてをただ微笑んでそのまま受け入れていることが、人としての幸せであるかのように見えるからなのだろうか。

それが正解なのかどうかはわからない。
単に、世の中にはそういう人もいる、ということを示しているだけなのかもしれない。
アントニオはパーカーとは逆に、自分の境遇に必死に抵抗し続けるが、残念ながら、一生懸命やればなんとかなる時代はとっくの昔に終わってしまっている。あるいは、そんなことは初めからただの夢物語だったのかもしれない。
アントニオのキャラクターが決して清廉潔白ではなく、アメリカという残酷な階級社会の底辺に近い、寄る辺なく中途半端な人物として描かれているのが、シビアな現実をよりリアルに物語っている。
それだけ、この世の中は冷たく、厳しく、理不尽で、現実的なのだ。
もしそのことに気づいていない人がいるなら、それはただ幸運なのではなく、その人が単に無知なのか、見るべき現実から逃げているかのどちらかに過ぎない。

アメリカはずっとずっと人種差別が社会問題として存在している国だが、いま、新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに、世界中でアジア人差別が横行するようになった。
この作品の制作が決まったのはパンデミック以前だが、カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門に出品されるなど世界の映画界から注目を集めたのは、こうした国際情勢と無関係ではないだろう。

映画としてとても素敵な作品だし、私はすごく好きだ。
ラストシーンでは涙を抑えることは到底できなかった。
あざといといえばあざといシーンなのだが、その直後に、アントニオと同じように正式な在留資格のない養子が全米に膨大にいて、実際に見ず知らずの「母国」へ強制送還されている事実が画像とテロップで説明されてしまうと、彼ら一人ひとりの、数万の物語は断じて無視されてはならないという感情がこみ上げてくる。

私だって、好きで日本に生まれたわけじゃない。
私だって、好きで無国籍で生まれたわけじゃない。
私だけじゃない。
父も、母も、私自身も差別に苦しんだ。運命の孤独に苛まれた。
それは何をもってしても決して相殺されたりなんかしない。

映画館で観たのは昨日のことなのだが、こうしてレビューを書いていても涙が止まらない。
もしこの映画を日本で観る人がいるなら、せめて、これは決して遠い外国の話なんかではないことを受けとめてほしい。
日本にも、いつ何がどうなるかわからない人が無数にいて、そういう我々も、この社会の一員であることに気づいてほしいと、切に願う。

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