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その日、飛行機は遅れてワルシャワ・フレデリック・ショパン空港に着いた。
本来の到着予定時間は午後8時45分。だが離陸が10分ほど遅れた上に、着陸にも20分ほど遅れが出て、空港の外に出られたときには9時半をまわっていた。
事情もよくわからない異国であまり遅い時間にひとりで外をほっつき歩きたくない。急いで地下鉄に乗ろうとすると、チケット売り場にいたおじさんが「今日はもう電車はないよ」という。はっ?マジ?
だがそこで事の真偽を確かめている余裕はない。速攻で代替の交通手段を調べ、運よくすぐに市内中心部行きのバスに乗ることができた。途中、乗換のトラムもほぼ定刻通りに乗車できた。ありがとうGoogle。
トラムを待っている間にパラパラと小雨が降り始めた。気温は18℃くらいだったと思う。
ポーランドの7月初めの気候は気温は最高20℃前後、ときどき強い風が吹いたり短い雨が降ったり、日本の4月ごろの陽気に似ている。夜は少し肌寒い。日暮れの遅いポーランドの夏でも、さすがにこの時間はとっぷりと夜も更け、辺りは真っ暗である。
宿泊予定のダウンタウンに着くと、雨は小雨から本降りになりかけていた。ここから予約した宿は徒歩3分程度のはず。急ごう。
ところが。
宿の住所通りの場所に着いても、宿の名称を記した看板がどこにも見つからない。
隣のタバコ屋さんが開いていたので尋ねてみたが「知らない」という。Google mapは正面入り口ではなく裏口への経路を表示することがしばしばあるため、念のためぐるっとブロックを一周してみたが、やはりそれらしき看板は見当たらない。
通りすがりの人に何人か尋ねるが、住所はやはり最初にみつけた場所で間違っていない。
宿の番号に電話をかけてみても、誰も出ない(この宿は予約時にも滞在後にも一度も電話に出なかった)。メールの回答もない。夜なので仕方がないといえば仕方がないけど、予約確認書には24時までチェックイン可とある。
(注:あとになって宿から来たメールにセルフチェックイン方法が書かれていたが、着信したのが遅過ぎた)
時間は土曜日の夜10時過ぎ。飲食店の多いエリアとはいえ、雨のせいかあまり人通りはない。
ひとりで考えていても仕方がない。誰か事情がわかりそうな人をつかまえたい。
見回すと、通りの向かいのレストランの前で話しこんでいる男女がいた。
フランスの女優イザベル・ユペールに雰囲気の似た女性と、ジャコメッティの彫刻のようにすらっとした男性。土曜日の夜10時過ぎ、そのふたりが路上で真面目に話しあっているところに、恥を忍んでわりこんだ。
「すみません、お訊ねしてもいいですか」
「もちろん」
「この宿を探しているんです。住所はあってるんですけど、看板がなくて」
「どれ。うん、住所はあってるね。いっしょにいってみよう」
男性がいっしょに道を渡り、壁のインターホンを押してくれた。反応はない。何度か試してみてくれたが、応答もなければ、ゲートが開く様子もない。
レストランの前で待っていた女性のところに戻り、事情を訊かれた。
「予約をしたのはいつ」
「数週間前です。宿泊代は支払ってあります。でも、今日は電話もメールも応答がないんです」
「今日ワルシャワに着いたんだね」
「いま着きました」
「どこから来たの」
「日本」
そこでふたりは顔を見あわせて、短くポーランド語で会話をしたあと、男性が説明を始めた。
「OK、きみにとってベストな解決策をみつけよう。
今日は土曜日で時間も遅い。雨も降ってる。宿に連絡はつかない。きみはポーランド語が話せない。
でも、彼女の娘が日本語を学んでるから、いまからそこにいって勉強を手伝うのはどうかな。あの子は英語もできるから大丈夫。
Uberでタクシーを呼んで送ってあげる。きみはお金は払わなくていい」
えっ?
はっ?
土曜日の雨の夜、路上で声かけて来た知らない外国人を、家に泊める?
マジですか?
いや助かりますけど、それ、親切すぎる!
そのときの私の顔はそうとうにポカンとしていたと思う。
確かに自分で状況をなんとかしようとは思ってはいたけど、そもそも頭の回転は速いほうじゃない。
とはいえ、ワルシャワの治安がわるくないことはわかっていたから、どこか24時間開いている飲食店があればなあという程度にしか考えていなかった。季節的には4時過ぎにはもう明るくなるし、バスやトラムもそのころには動くし。
私が呆然としている隙に、またものすごくタイミングよくタクシーがやってきた。
「さあ、乗って」
ふたりは私といっしょにタクシーに乗り、郊外に向けて発車した。
女性が助手席に乗ってドライバーに道を説明し、男性が私の隣に座っていろいろと話してくれた。
男性はかつて日本の某有名企業の現地法人に10年以上勤務した経験があり、そのころにインセンティブで日本に旅行したことがあるという。
当時はたくさんの日本人といっしょに働いた。いいやつばっかりだった。だから僕は半分日本人みたいなものだよ、といった。
私はふたりのあまりの親切に感動して、何度も「Thank you so much」をリピートしまくっていたように思う。
すると男性は、「そんなこといわなくていい。僕らは当たり前のことをしてるだけだから。きみは日本からポーランドに来た。雨の夜に、言葉もわからなくて困っている人を助けるなんて、ポーランド人なら誰でもすることだよ。僕らだけじゃない」
もうなんと答えていいかわからなかった。
女性の家はダウンタウンからタクシーで20分程度の、日本でいう団地のような集合住宅だった。
いったん彼女が先に降りて、自宅にいるであろう子どもたちに事情を説明しにあがっていった(車中で何度か電話したが出なかったらしい。「いま夏休みだから、ゲームか何かしてるんだよ」)。
車内で待っている間、「休暇なの?なぜポーランド?イタリアやフランスに行ってもいいのに」と訊かれた。
私はこう答えた。
「今回の休暇は長いんです。イタリアもフランスも好きだけど、長い休暇にどこかに行くなら、ポーランドがいいと思った。ポーランドの文化や歴史を、直接知りたいんです」
男性はあまり納得いってなかったみたいだけど、もうすこし詳しく説明しようとしたときに女性が戻ってきた。
「大丈夫よ。行きましょう」
クリスさんといった男性とはここでお別れした。
もっときちんとお礼を伝えたかったし、せっかく会えた偶然にもとても感謝していたので、このとき限りになったのはちょっと残念だった。
14階(日本でいうところの15階)の部屋に案内されると、そこには20代半ばの娘さんと息子さんがいた。
メガネをかけた娘さんはもう、これ以上はないだろうというくらい目をまんまるにして「おかあさん!」「おかあさんたら!」「私の部屋散らかってるよ!(実際は綺麗だった)」と連呼していた。
こんな遅い時間にごめんなさい…。
お母さんが「あなた日本語勉強してるんでしょ。教えてもらいないなさい」的なことをポーランド語でいうと「最近あんまり勉強してなくて…『ハズカシイデス』」とおちゃめに答えてくれた。
女性はタオルを用意してバスルームやトイレの場所を説明し、子どもたちにいろいろと指示を出して、再びクリスさんとどこかにでかけていった。
邪魔しちゃってマジすいませんでした。
娘さんはカロリーナさん。息子さんはシモンさん。
おなかすいてない?ごはん食べてないでしょ?何か飲む?とふたりともやはりメチャクチャ優しい。
私がお水くださいというとミネラルウォーターをだして、早速インターネットで宿の情報を調べてくれた。そしてシモンさんが「これから中心部の郵便局に行くから、宿の住所にいってどんなところか調べてくるよ」といってでかけていった。
深夜に郵便局?と疑問に思ったが、ワルシャワの郵便局はいつも混雑しているため、窓口で待たされる昼間を避けて、シモンさんは日常的に深夜に郵便局に行く習慣があるらしい。まあ確かに日本だって夜中の郵便局は空いている。
カロリーナさんとふたりになって、なぜ日本語を勉強してるの?と訊いてみた。
カロリーナさんは英語も得意だが、長い間ドイツ語を勉強していたらしい。あまりにも長く学んでいて、違う言語も勉強してみたくて日本語を選んだけど、漢字が難しくて苦労しているという。
1文字に発音はひとつのアルファベット圏の人からすると、音読み訓読み同音異義語まみれの日本語の漢字の使い方は確かに簡単ではない。日本語で教育を受けた人間だって完璧には使えない。
修士課程の口頭試問が難関だというカロリーナさんがノートをだしてきて、日本の社会問題や政治状況、経済問題や文化についていろいろと質問された。時期的に選挙が近いので、今回の選挙で争点となっている年金問題や高齢化・少子化問題や、男女差別、落語や古典文学についてなど、広範囲な話をした。
彼女の英語はとてもわかりやすく、私のブロークンイングリッシュもまったく苦にすることなく理解してくれて、おそらくはとても優秀な学生さんなんだろうと思う。
好奇心も旺盛で、ポーランドの社会制度についても非常にしっかりとした意見をもっていた。
ポーランドの若い人はみんなあなたのように政治問題に関心が高いのかと訊いてみると、政治問題は難しいけど、みんな関心はあるし、積極的に発言する。それが民主主義だといった。
カロリーナさんは快活でとても優しくて、話している間も繰り返し「疲れてるでしょ。眠くない?」「おなかすいてない?何か食べない?」と気を遣ってくれた。
「あなたは眠くないの」と訊くと「夏休みだからいつも寝るのは朝なんだよね」とのこと。
それでもこみいった話を英語でしているとさすがに疲れてきて、深夜2時過ぎにはお母さんの寝室で寝かせてくれた。
「何かあったらいつでも起こして」と声をかけてくれた。
いつもその部屋で寝ているというネコがやってきて、荷物や私の匂いを嗅いで、小声で文句をいった。
このネコは近所でシモンさんに拾われた。拾われた通りの名前をとってペルクンという。おとなしくて、決してひっかいたり噛んだりもしない、家具でツメをとぐこともしない、頭のいいネコだった。
カロリーナさんが家族3人で住む家は、日本でいう3LDK。
贅沢ではないが立派な家具には手入れが行き届いていて、どこもかしこもきちんと整頓された綺麗なお宅だった。
「素敵なおうちですね」というとお母さんは「普通よ」といっていたけれど、働きながら家のことも完璧にやることが彼女のこだわりなのかもしれない。
お借りしたお母さんのベッドルームを含め、各部屋には素描画が何枚か飾られていて、うち何点かはシモンさんが描いたものであるらしい。とても上手な風景画だった。
朝になるとカロリーナさんがコーヒーにスクランブルエッグとトーストの朝食をつくってくれた。
何か予定は?行きたいところがあるでしょう?と訊かれたのだが、この日は日曜日。実は当日はワジェンキ公園に行く予定だった。この公園では夏は日曜に無料のコンサートが開かれていて、それを聴くつもりだったのだ。
いってみると「それ行ったことない。行こう」といって、いっしょに行ってくれた。
毎週無料でクラシックの生演奏が聴ける公園があるなんて、外国人からすれば羨ましくてしょうがない環境だけど、地元の人にとっては当たり前過ぎてわざわざ行くようなイベントではないのかもしれない。
道々、カロリーナさんは小さいころワジェンキ公園で遊んだ祖父の話をしてくれた。
木や花の名前を教えてくれた祖父の書いた文章が、家にはいくつも残っているという。
ポーランドは美しく豊かな国だが、長い歴史の中でロシアやヨーロッパの他国の侵略をたびたび受けてきた。第二次世界大戦ではドイツとソ連両方から侵攻され、政府はロンドンに亡命。終戦後は共産党の一党独裁が始まり、1989年の社会主義体制崩壊までに何度も激しい暴動があった。
現在のポーランドは治安も良く、インフラもじゅうぶんに整い、外国人にとっては旅行するのにうってつけの素敵な国だが、ここまでくるには、人々のたいへんな努力と苦労があったことは想像に難くない。
とくにカロリーナさんのおじいさんの世代にとってそれは、筆舌に尽くし難いほど苦難の連続の時代だったのではないだろうか。
そんなおじいさんとの思い出だけでなく、書かれた詩やエッセイもたいせつにしているカロリーナさん一家が、少し羨ましくなった。
風があっても気温は20℃あるかないか、前夜の雨は止んで野外コンサートにまたとなくふさわしい天気。
コンサート開演10分前のショパン像前の広場には、すでにたくさんの聴衆が集まっていた。芝生の空いているスペースに腰を下ろして待っていると、司会の女性が演奏者の紹介を始めた。この日のピアニストは生井澤日向子さんで、曲目は「英雄ポロネーズ」や「別れの曲」など、ほとんどが誰もが聴いたことのあるショパンの代表曲ばかりだった。
小さな赤ちゃんからお年寄りまで誰でも、芝生やベンチで夏の風に吹かれながら、19世紀のポーランドが生んだ天才音楽家の作品を心ゆくまで堪能することができる無料コンサート。
クラシック音楽、芸術というとどうしても堅苦しく高尚なものを連想しがちだけれど、こうしてそこにいるすべての人が平等にその恩恵を楽しめる、ひたすら平和なばかりの空間のための文化がもしそうなのだとしたら、こんなに素晴らしいことはないなと思う。
歴史や文化や芸術なんてものは、みんなこういう瞬間のためにあるんじゃないかと思えてくる。
1時間ほどのコンサートのあと、カロリーナさんと公園を一巡りして見どころを案内してもらい(今年は日本とポーランドの国交樹立100周年にあたる。その直前に秋篠宮ご夫妻がポーランドを訪問し、この公園内の植物園で桜を植樹したという。私は旅行中でまったく知らなかった)、そのあと、自宅の近所のショッピングモールにあるフードコートでランチをとった。
ショッピングモールは日曜日は休みで閑散としていたが、フードコートだけが開いていた。
しばらく前に日曜・祝日の商店営業を禁止する法律が施行されたため、ポーランド全土で、カフェやガソリンスタンド・ホテルなどの例外を除いて原則的にほとんどの店が閉まっている。
もともとポーランドでは日曜は家族で過ごす習慣があるため、その習慣をより強くするための政策であるらしい。
家族で過ごすはずの日曜日なのに、こんなに時間を割いてくれてありがとう、もうしわけない、あなたとあなたの家族の親切に感謝している、と伝えるとカロリーナは、
「当たり前のことをしてるだけだよ。これがポーランドなの。
あなたは遠くから来て、雨の夜に宿を締め出されてた。
ポーランド人なら誰だって助けるよ。
私たちだけじゃない。
お母さんだって、できることはなるべくしてあげなさいっていってたし、どうせ私は夏休みで日曜は寝てるだけだし」
と、事も無げに答えた。
確かに、ポーランド人はみんなとても親切だ。
ニコニコとみるからに親しげというほど愛想良くはないのだが、何か尋ねれば、誰でもちゃんと答えてくれる。しまってある老眼鏡を出して来てくれたり、スマホで調べてくれたり、地図のあるところを案内してくれたりする。迷っていたら「こっちよ」と声をかけてくれるし、できないことがあればさらりと「こうするんだよ」とやってみせてくれる。
一度うっかり軍事施設らしきところに迷い込んだときですら、警備の男性たちが穏やかに道案内をしてくれた。
英語は予想した以上に通じないけど、それでも、できるかぎりのことはみんなしてくれる。
都合10日ほどの滞在の間に、スリや置き引きなどの犯罪を目にすることもなければ、差別的な言葉や態度で嫌な目に遭わされたことも、理不尽に思うようなことも一度もなかった(強いていえば駅のホームや列車の発着システムがわかりにくいことぐらいだけど、これは現地の人にとっても不便なことのひとつだそうである)。
たまたま偶然なのかもしれないけど、右も左も分からない他国での初めての旅行中に、これはとても大きなことだと思う。
日本だってそうとう治安が良くて平和な国だけど、日本には日本なりの複雑さや理不尽さがある。
外国の人からみれば訳のわからないことはたくさんあるだろう。
私個人はさして旅行慣れしている方ではないけど、それでも、海外を旅していればどこでも多少は変なことはあるし、それが海外旅行というものだろうと、どこかで割りきらなければ旅はできない。
でもポーランドにはそれがなかった。ただみんな優しく、穏やかだった。
そういう意味で、ポーランドは誰でも安心して旅ができる、とても優しい国だという印象をもった。
その印象の大部分は、カロリーナさんたちとの出会いが占めてはいるが、それでも、私は誰かに「これまで旅していちばんよかった国は」と尋ねられたらいつでも、何をおいても、「ポーランド!」と声を大にしていうだろう。
そして近いうちにまた、ポーランドに行きたいと思っている。昨日帰国したばかりだけど。
今度はもっとポーランド語を勉強して、歴史や文化の知識を身につけて、ワルシャワやクラクフだけでなく、他の地方都市や海や森にも行ってみたい、冬の寒いポーランドも体験してみたいと思っている。
食事の後、いったんカロリーナさんの家に戻ると、お母さんが帰宅していて、ふたりで車で宿まで送ってくれた。
別れるとき、「何か困ったことがあったらいつでも連絡してね。なんでもいいから」と念を押すのも忘れなかった。
とことんどこまでも優しいカロリーナさん一家だった。
別れた後、今回のことをブログに書いてもいいか、とSNSで許可を求めたら、「もちろん。書いたら送ってね」と快諾してくれた。
カロリーナさんをはじめ、ポーランドで親切にしてくれた人全員に、心からお礼がいいたい。
ほんとうにありがとう。
ポーランド旅行、ほんとにほんとに楽しかったです。
とても感動しました。
また必ず行きたいです。
そして何か、恩返しできることがあったら、したいと思っています。
ありがとう。
またね。
その日、飛行機は遅れてワルシャワ・フレデリック・ショパン空港に着いた。
本来の到着予定時間は午後8時45分。だが離陸が10分ほど遅れた上に、着陸にも20分ほど遅れが出て、空港の外に出られたときには9時半をまわっていた。
事情もよくわからない異国であまり遅い時間にひとりで外をほっつき歩きたくない。急いで地下鉄に乗ろうとすると、チケット売り場にいたおじさんが「今日はもう電車はないよ」という。はっ?マジ?
だがそこで事の真偽を確かめている余裕はない。速攻で代替の交通手段を調べ、運よくすぐに市内中心部行きのバスに乗ることができた。途中、乗換のトラムもほぼ定刻通りに乗車できた。ありがとうGoogle。
トラムを待っている間にパラパラと小雨が降り始めた。気温は18℃くらいだったと思う。
ポーランドの7月初めの気候は気温は最高20℃前後、ときどき強い風が吹いたり短い雨が降ったり、日本の4月ごろの陽気に似ている。夜は少し肌寒い。日暮れの遅いポーランドの夏でも、さすがにこの時間はとっぷりと夜も更け、辺りは真っ暗である。
宿泊予定のダウンタウンに着くと、雨は小雨から本降りになりかけていた。ここから予約した宿は徒歩3分程度のはず。急ごう。
ワルシャワのトラム。
ところが。
宿の住所通りの場所に着いても、宿の名称を記した看板がどこにも見つからない。
隣のタバコ屋さんが開いていたので尋ねてみたが「知らない」という。Google mapは正面入り口ではなく裏口への経路を表示することがしばしばあるため、念のためぐるっとブロックを一周してみたが、やはりそれらしき看板は見当たらない。
通りすがりの人に何人か尋ねるが、住所はやはり最初にみつけた場所で間違っていない。
宿の番号に電話をかけてみても、誰も出ない(この宿は予約時にも滞在後にも一度も電話に出なかった)。メールの回答もない。夜なので仕方がないといえば仕方がないけど、予約確認書には24時までチェックイン可とある。
(注:あとになって宿から来たメールにセルフチェックイン方法が書かれていたが、着信したのが遅過ぎた)
時間は土曜日の夜10時過ぎ。飲食店の多いエリアとはいえ、雨のせいかあまり人通りはない。
ひとりで考えていても仕方がない。誰か事情がわかりそうな人をつかまえたい。
見回すと、通りの向かいのレストランの前で話しこんでいる男女がいた。
フランスの女優イザベル・ユペールに雰囲気の似た女性と、ジャコメッティの彫刻のようにすらっとした男性。土曜日の夜10時過ぎ、そのふたりが路上で真面目に話しあっているところに、恥を忍んでわりこんだ。
「すみません、お訊ねしてもいいですか」
「もちろん」
「この宿を探しているんです。住所はあってるんですけど、看板がなくて」
「どれ。うん、住所はあってるね。いっしょにいってみよう」
男性がいっしょに道を渡り、壁のインターホンを押してくれた。反応はない。何度か試してみてくれたが、応答もなければ、ゲートが開く様子もない。
壁のインターホン。緑で隠したところに住所が書いてあるだけ。
レストランの前で待っていた女性のところに戻り、事情を訊かれた。
「予約をしたのはいつ」
「数週間前です。宿泊代は支払ってあります。でも、今日は電話もメールも応答がないんです」
「今日ワルシャワに着いたんだね」
「いま着きました」
「どこから来たの」
「日本」
そこでふたりは顔を見あわせて、短くポーランド語で会話をしたあと、男性が説明を始めた。
「OK、きみにとってベストな解決策をみつけよう。
今日は土曜日で時間も遅い。雨も降ってる。宿に連絡はつかない。きみはポーランド語が話せない。
でも、彼女の娘が日本語を学んでるから、いまからそこにいって勉強を手伝うのはどうかな。あの子は英語もできるから大丈夫。
Uberでタクシーを呼んで送ってあげる。きみはお金は払わなくていい」
えっ?
はっ?
土曜日の雨の夜、路上で声かけて来た知らない外国人を、家に泊める?
マジですか?
いや助かりますけど、それ、親切すぎる!
そのときの私の顔はそうとうにポカンとしていたと思う。
確かに自分で状況をなんとかしようとは思ってはいたけど、そもそも頭の回転は速いほうじゃない。
とはいえ、ワルシャワの治安がわるくないことはわかっていたから、どこか24時間開いている飲食店があればなあという程度にしか考えていなかった。季節的には4時過ぎにはもう明るくなるし、バスやトラムもそのころには動くし。
私が呆然としている隙に、またものすごくタイミングよくタクシーがやってきた。
「さあ、乗って」
ふたりは私といっしょにタクシーに乗り、郊外に向けて発車した。
女性が助手席に乗ってドライバーに道を説明し、男性が私の隣に座っていろいろと話してくれた。
男性はかつて日本の某有名企業の現地法人に10年以上勤務した経験があり、そのころにインセンティブで日本に旅行したことがあるという。
当時はたくさんの日本人といっしょに働いた。いいやつばっかりだった。だから僕は半分日本人みたいなものだよ、といった。
私はふたりのあまりの親切に感動して、何度も「Thank you so much」をリピートしまくっていたように思う。
すると男性は、「そんなこといわなくていい。僕らは当たり前のことをしてるだけだから。きみは日本からポーランドに来た。雨の夜に、言葉もわからなくて困っている人を助けるなんて、ポーランド人なら誰でもすることだよ。僕らだけじゃない」
もうなんと答えていいかわからなかった。
女性の家はダウンタウンからタクシーで20分程度の、日本でいう団地のような集合住宅だった。
いったん彼女が先に降りて、自宅にいるであろう子どもたちに事情を説明しにあがっていった(車中で何度か電話したが出なかったらしい。「いま夏休みだから、ゲームか何かしてるんだよ」)。
ワルシャワ市内。別の団地。
車内で待っている間、「休暇なの?なぜポーランド?イタリアやフランスに行ってもいいのに」と訊かれた。
私はこう答えた。
「今回の休暇は長いんです。イタリアもフランスも好きだけど、長い休暇にどこかに行くなら、ポーランドがいいと思った。ポーランドの文化や歴史を、直接知りたいんです」
男性はあまり納得いってなかったみたいだけど、もうすこし詳しく説明しようとしたときに女性が戻ってきた。
「大丈夫よ。行きましょう」
クリスさんといった男性とはここでお別れした。
もっときちんとお礼を伝えたかったし、せっかく会えた偶然にもとても感謝していたので、このとき限りになったのはちょっと残念だった。
14階(日本でいうところの15階)の部屋に案内されると、そこには20代半ばの娘さんと息子さんがいた。
メガネをかけた娘さんはもう、これ以上はないだろうというくらい目をまんまるにして「おかあさん!」「おかあさんたら!」「私の部屋散らかってるよ!(実際は綺麗だった)」と連呼していた。
こんな遅い時間にごめんなさい…。
お母さんが「あなた日本語勉強してるんでしょ。教えてもらいないなさい」的なことをポーランド語でいうと「最近あんまり勉強してなくて…『ハズカシイデス』」とおちゃめに答えてくれた。
女性はタオルを用意してバスルームやトイレの場所を説明し、子どもたちにいろいろと指示を出して、再びクリスさんとどこかにでかけていった。
邪魔しちゃってマジすいませんでした。
娘さんはカロリーナさん。息子さんはシモンさん。
おなかすいてない?ごはん食べてないでしょ?何か飲む?とふたりともやはりメチャクチャ優しい。
私がお水くださいというとミネラルウォーターをだして、早速インターネットで宿の情報を調べてくれた。そしてシモンさんが「これから中心部の郵便局に行くから、宿の住所にいってどんなところか調べてくるよ」といってでかけていった。
深夜に郵便局?と疑問に思ったが、ワルシャワの郵便局はいつも混雑しているため、窓口で待たされる昼間を避けて、シモンさんは日常的に深夜に郵便局に行く習慣があるらしい。まあ確かに日本だって夜中の郵便局は空いている。
カロリーナさんとふたりになって、なぜ日本語を勉強してるの?と訊いてみた。
カロリーナさんは英語も得意だが、長い間ドイツ語を勉強していたらしい。あまりにも長く学んでいて、違う言語も勉強してみたくて日本語を選んだけど、漢字が難しくて苦労しているという。
1文字に発音はひとつのアルファベット圏の人からすると、音読み訓読み同音異義語まみれの日本語の漢字の使い方は確かに簡単ではない。日本語で教育を受けた人間だって完璧には使えない。
修士課程の口頭試問が難関だというカロリーナさんがノートをだしてきて、日本の社会問題や政治状況、経済問題や文化についていろいろと質問された。時期的に選挙が近いので、今回の選挙で争点となっている年金問題や高齢化・少子化問題や、男女差別、落語や古典文学についてなど、広範囲な話をした。
彼女の英語はとてもわかりやすく、私のブロークンイングリッシュもまったく苦にすることなく理解してくれて、おそらくはとても優秀な学生さんなんだろうと思う。
好奇心も旺盛で、ポーランドの社会制度についても非常にしっかりとした意見をもっていた。
ポーランドの若い人はみんなあなたのように政治問題に関心が高いのかと訊いてみると、政治問題は難しいけど、みんな関心はあるし、積極的に発言する。それが民主主義だといった。
カロリーナさんは快活でとても優しくて、話している間も繰り返し「疲れてるでしょ。眠くない?」「おなかすいてない?何か食べない?」と気を遣ってくれた。
「あなたは眠くないの」と訊くと「夏休みだからいつも寝るのは朝なんだよね」とのこと。
それでもこみいった話を英語でしているとさすがに疲れてきて、深夜2時過ぎにはお母さんの寝室で寝かせてくれた。
「何かあったらいつでも起こして」と声をかけてくれた。
いつもその部屋で寝ているというネコがやってきて、荷物や私の匂いを嗅いで、小声で文句をいった。
このネコは近所でシモンさんに拾われた。拾われた通りの名前をとってペルクンという。おとなしくて、決してひっかいたり噛んだりもしない、家具でツメをとぐこともしない、頭のいいネコだった。
ペルクン。3歳ぐらい。
カロリーナさんが家族3人で住む家は、日本でいう3LDK。
贅沢ではないが立派な家具には手入れが行き届いていて、どこもかしこもきちんと整頓された綺麗なお宅だった。
「素敵なおうちですね」というとお母さんは「普通よ」といっていたけれど、働きながら家のことも完璧にやることが彼女のこだわりなのかもしれない。
お借りしたお母さんのベッドルームを含め、各部屋には素描画が何枚か飾られていて、うち何点かはシモンさんが描いたものであるらしい。とても上手な風景画だった。
朝になるとカロリーナさんがコーヒーにスクランブルエッグとトーストの朝食をつくってくれた。
何か予定は?行きたいところがあるでしょう?と訊かれたのだが、この日は日曜日。実は当日はワジェンキ公園に行く予定だった。この公園では夏は日曜に無料のコンサートが開かれていて、それを聴くつもりだったのだ。
ワジェンキ公園。
いってみると「それ行ったことない。行こう」といって、いっしょに行ってくれた。
毎週無料でクラシックの生演奏が聴ける公園があるなんて、外国人からすれば羨ましくてしょうがない環境だけど、地元の人にとっては当たり前過ぎてわざわざ行くようなイベントではないのかもしれない。
道々、カロリーナさんは小さいころワジェンキ公園で遊んだ祖父の話をしてくれた。
木や花の名前を教えてくれた祖父の書いた文章が、家にはいくつも残っているという。
ポーランドは美しく豊かな国だが、長い歴史の中でロシアやヨーロッパの他国の侵略をたびたび受けてきた。第二次世界大戦ではドイツとソ連両方から侵攻され、政府はロンドンに亡命。終戦後は共産党の一党独裁が始まり、1989年の社会主義体制崩壊までに何度も激しい暴動があった。
現在のポーランドは治安も良く、インフラもじゅうぶんに整い、外国人にとっては旅行するのにうってつけの素敵な国だが、ここまでくるには、人々のたいへんな努力と苦労があったことは想像に難くない。
とくにカロリーナさんのおじいさんの世代にとってそれは、筆舌に尽くし難いほど苦難の連続の時代だったのではないだろうか。
そんなおじいさんとの思い出だけでなく、書かれた詩やエッセイもたいせつにしているカロリーナさん一家が、少し羨ましくなった。
ワルシャワ旧市街。ナチス・ドイツに粉々に破壊された街を、ワルシャワ市民は絵画や写真などの記録をもとに、元通りに復元した。この街並みを見るのも今回の旅行の目的のひとつだった。
風があっても気温は20℃あるかないか、前夜の雨は止んで野外コンサートにまたとなくふさわしい天気。
コンサート開演10分前のショパン像前の広場には、すでにたくさんの聴衆が集まっていた。芝生の空いているスペースに腰を下ろして待っていると、司会の女性が演奏者の紹介を始めた。この日のピアニストは生井澤日向子さんで、曲目は「英雄ポロネーズ」や「別れの曲」など、ほとんどが誰もが聴いたことのあるショパンの代表曲ばかりだった。
小さな赤ちゃんからお年寄りまで誰でも、芝生やベンチで夏の風に吹かれながら、19世紀のポーランドが生んだ天才音楽家の作品を心ゆくまで堪能することができる無料コンサート。
クラシック音楽、芸術というとどうしても堅苦しく高尚なものを連想しがちだけれど、こうしてそこにいるすべての人が平等にその恩恵を楽しめる、ひたすら平和なばかりの空間のための文化がもしそうなのだとしたら、こんなに素晴らしいことはないなと思う。
歴史や文化や芸術なんてものは、みんなこういう瞬間のためにあるんじゃないかと思えてくる。
1時間ほどのコンサートのあと、カロリーナさんと公園を一巡りして見どころを案内してもらい(今年は日本とポーランドの国交樹立100周年にあたる。その直前に秋篠宮ご夫妻がポーランドを訪問し、この公園内の植物園で桜を植樹したという。私は旅行中でまったく知らなかった)、そのあと、自宅の近所のショッピングモールにあるフードコートでランチをとった。
ショッピングモールは日曜日は休みで閑散としていたが、フードコートだけが開いていた。
しばらく前に日曜・祝日の商店営業を禁止する法律が施行されたため、ポーランド全土で、カフェやガソリンスタンド・ホテルなどの例外を除いて原則的にほとんどの店が閉まっている。
もともとポーランドでは日曜は家族で過ごす習慣があるため、その習慣をより強くするための政策であるらしい。
家族で過ごすはずの日曜日なのに、こんなに時間を割いてくれてありがとう、もうしわけない、あなたとあなたの家族の親切に感謝している、と伝えるとカロリーナは、
「当たり前のことをしてるだけだよ。これがポーランドなの。
あなたは遠くから来て、雨の夜に宿を締め出されてた。
ポーランド人なら誰だって助けるよ。
私たちだけじゃない。
お母さんだって、できることはなるべくしてあげなさいっていってたし、どうせ私は夏休みで日曜は寝てるだけだし」
と、事も無げに答えた。
確かに、ポーランド人はみんなとても親切だ。
ニコニコとみるからに親しげというほど愛想良くはないのだが、何か尋ねれば、誰でもちゃんと答えてくれる。しまってある老眼鏡を出して来てくれたり、スマホで調べてくれたり、地図のあるところを案内してくれたりする。迷っていたら「こっちよ」と声をかけてくれるし、できないことがあればさらりと「こうするんだよ」とやってみせてくれる。
一度うっかり軍事施設らしきところに迷い込んだときですら、警備の男性たちが穏やかに道案内をしてくれた。
英語は予想した以上に通じないけど、それでも、できるかぎりのことはみんなしてくれる。
都合10日ほどの滞在の間に、スリや置き引きなどの犯罪を目にすることもなければ、差別的な言葉や態度で嫌な目に遭わされたことも、理不尽に思うようなことも一度もなかった(強いていえば駅のホームや列車の発着システムがわかりにくいことぐらいだけど、これは現地の人にとっても不便なことのひとつだそうである)。
たまたま偶然なのかもしれないけど、右も左も分からない他国での初めての旅行中に、これはとても大きなことだと思う。
日本だってそうとう治安が良くて平和な国だけど、日本には日本なりの複雑さや理不尽さがある。
外国の人からみれば訳のわからないことはたくさんあるだろう。
私個人はさして旅行慣れしている方ではないけど、それでも、海外を旅していればどこでも多少は変なことはあるし、それが海外旅行というものだろうと、どこかで割りきらなければ旅はできない。
でもポーランドにはそれがなかった。ただみんな優しく、穏やかだった。
そういう意味で、ポーランドは誰でも安心して旅ができる、とても優しい国だという印象をもった。
その印象の大部分は、カロリーナさんたちとの出会いが占めてはいるが、それでも、私は誰かに「これまで旅していちばんよかった国は」と尋ねられたらいつでも、何をおいても、「ポーランド!」と声を大にしていうだろう。
そして近いうちにまた、ポーランドに行きたいと思っている。昨日帰国したばかりだけど。
今度はもっとポーランド語を勉強して、歴史や文化の知識を身につけて、ワルシャワやクラクフだけでなく、他の地方都市や海や森にも行ってみたい、冬の寒いポーランドも体験してみたいと思っている。
食事の後、いったんカロリーナさんの家に戻ると、お母さんが帰宅していて、ふたりで車で宿まで送ってくれた。
別れるとき、「何か困ったことがあったらいつでも連絡してね。なんでもいいから」と念を押すのも忘れなかった。
とことんどこまでも優しいカロリーナさん一家だった。
別れた後、今回のことをブログに書いてもいいか、とSNSで許可を求めたら、「もちろん。書いたら送ってね」と快諾してくれた。
カロリーナさんをはじめ、ポーランドで親切にしてくれた人全員に、心からお礼がいいたい。
ほんとうにありがとう。
ポーランド旅行、ほんとにほんとに楽しかったです。
とても感動しました。
また必ず行きたいです。
そして何か、恩返しできることがあったら、したいと思っています。
ありがとう。
またね。
ワルシャワ歴史博物館からの眺め。ここでは市民が市街復元のために利用した絵画や写真・製図などの記録や、破壊された街の遺物などを見ることができる。
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