『羊の木』
市役所の上司から、新たに受け入れることになった6名の転入者の対応を極秘に任された月末一(錦戸亮)。やがてやって来た福元(水澤紳吾)、太田(優香)、栗本(市川実日子)、大野(田中泯)、宮腰(松田龍平)、杉山(北村一輝)は各々べつの殺人罪で懲役刑をうけ仮釈放中の身だった。
宮腰は年齢が近かった月末が高校時代から組んでいたバンドに加わるようになり、メンバーの文(木村文乃)と恋仲になるのだが・・・。
『紙の月』『桐島、部活やめるってよ』『クヒオ大佐』『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の吉田大八監督最新作。
うん、力作エンターテインメント、という形容がぴったり。
更生した犯罪者を受け入れる制度を導入しようとする町の物語というとつい社会派ドラマを連想しがちだけど、ぜんぜんそんなことないです。むつかしいことは何にもない、誰もが頭カラッポにして楽しめるふつうのサスペンスドラマです。おもしろかったです。すごく。
けどその一方で、作り手側の真剣度がこれほどがっちりと伝わってくる映画もなかなかないんじゃないかと思う。
一度罪を犯した人を人は信じることができるのか、赦すことができるのか。社会はうけいれることができるのか。人の居場所とはなんなのか。奪われ二度と戻ることのない命の重み、償えない罪の重さといった普遍的なテーマを、一見主体性もなく周囲に流されるだけの月末という主人公の静かな背中を通して、淡々と真摯に描いている。
そこにありふれた正義論は存在しない。教訓も諦念もない。
人はひとりひとり皆違う。取り返しのつかないものは永遠に取り返しがつかない。それでも、生きてさえいれば人は(いくらかなら)前に進むことはできるかもしれないという、ごく当たり前の事実しかない。
そんなごく当たり前の事実を、飾らずにストレートにシンプルに伝えるために、作り手たちがどれほど繊細に緻密に隅々までとことん考え抜いたか、その気合はものすごくよくわかる。
頑張った。お疲れ様です。
作中に登場する「のろろ様」という神の存在がまた絶妙です。
海からやってくる異形を追い返すため、昔の人々は人身御供をふたり捧げた。崖から突き落とされた生贄のうち、ひとりは海の底に姿を消すが、もうひとりは無事に生還する。もちろんいまはそんなことは行われていないが、年にいちど、のろろ様を町に迎える祭りがある。海辺には巨大なのろろ像も建っている。町の人は滅多なことではその姿を見ようとしない。見てはいけないとされている。理由はどうあれ、昔からそういわれているから。
これって「人の罪」のメタファーだよね。人間は生きていれば誰もが何らかの罪を負っている。そして日常ではその罪から目を背け、あたかもそれが実在しないかのように暮らしている。まともに向きあうのが怖いから。だがくさいものに蓋をするからには、そこに犠牲がともなうこともわかっている。わかっているからこそ、ますます人々は目を伏せる。理由はなくて、単に以前からみんなそうしているから、そうするだけ。
出演者全員が却って笑えるくらいのはまり役だったのがこの作品最大の勝利だろう。
ただただ穏やかで凡庸な市役所職員そのものの錦戸亮や、見るからに恐ろしいくらい気弱そうな水澤紳吾、往年の五月みどりばりに無駄なフェロモンを炸裂しまくる優香も凄いんだけど、やはり誰をさておいても驚異的なのは松田龍平だと思う。どこか可愛らしく優しげな風貌なのに、画面に映っただけでそこはかとなく怖い。びっくりするくらいとくに何もしていないように見えるのに、そこにいるだけで演じる人物の語るべき物語が滝のように溢れ出てくる俳優ってそうはいないと思うんだけど、この作品の松田龍平はまさにそれです。圧倒的すぎて、観てて変な汗をかいてしまった。
よけいな説明がまったくない映画なので、観る人によって全然違う受け止め方をされる作品でもあると思う。
でも個人的には、観た人それぞれに観終わった後にゆっくり余韻に浸りながら、描かれた物語の意味を落ち着いて考えるための映画でもあるのではないかと思う。
そういうエンターテインメント映画があるということが、自由で豊かな社会の証だと思うし、こういう作品がこんな人気監督と人気俳優でつくられたことにも、意味があるのではないでしょうか。
市役所の上司から、新たに受け入れることになった6名の転入者の対応を極秘に任された月末一(錦戸亮)。やがてやって来た福元(水澤紳吾)、太田(優香)、栗本(市川実日子)、大野(田中泯)、宮腰(松田龍平)、杉山(北村一輝)は各々べつの殺人罪で懲役刑をうけ仮釈放中の身だった。
宮腰は年齢が近かった月末が高校時代から組んでいたバンドに加わるようになり、メンバーの文(木村文乃)と恋仲になるのだが・・・。
『紙の月』『桐島、部活やめるってよ』『クヒオ大佐』『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の吉田大八監督最新作。
うん、力作エンターテインメント、という形容がぴったり。
更生した犯罪者を受け入れる制度を導入しようとする町の物語というとつい社会派ドラマを連想しがちだけど、ぜんぜんそんなことないです。むつかしいことは何にもない、誰もが頭カラッポにして楽しめるふつうのサスペンスドラマです。おもしろかったです。すごく。
けどその一方で、作り手側の真剣度がこれほどがっちりと伝わってくる映画もなかなかないんじゃないかと思う。
一度罪を犯した人を人は信じることができるのか、赦すことができるのか。社会はうけいれることができるのか。人の居場所とはなんなのか。奪われ二度と戻ることのない命の重み、償えない罪の重さといった普遍的なテーマを、一見主体性もなく周囲に流されるだけの月末という主人公の静かな背中を通して、淡々と真摯に描いている。
そこにありふれた正義論は存在しない。教訓も諦念もない。
人はひとりひとり皆違う。取り返しのつかないものは永遠に取り返しがつかない。それでも、生きてさえいれば人は(いくらかなら)前に進むことはできるかもしれないという、ごく当たり前の事実しかない。
そんなごく当たり前の事実を、飾らずにストレートにシンプルに伝えるために、作り手たちがどれほど繊細に緻密に隅々までとことん考え抜いたか、その気合はものすごくよくわかる。
頑張った。お疲れ様です。
作中に登場する「のろろ様」という神の存在がまた絶妙です。
海からやってくる異形を追い返すため、昔の人々は人身御供をふたり捧げた。崖から突き落とされた生贄のうち、ひとりは海の底に姿を消すが、もうひとりは無事に生還する。もちろんいまはそんなことは行われていないが、年にいちど、のろろ様を町に迎える祭りがある。海辺には巨大なのろろ像も建っている。町の人は滅多なことではその姿を見ようとしない。見てはいけないとされている。理由はどうあれ、昔からそういわれているから。
これって「人の罪」のメタファーだよね。人間は生きていれば誰もが何らかの罪を負っている。そして日常ではその罪から目を背け、あたかもそれが実在しないかのように暮らしている。まともに向きあうのが怖いから。だがくさいものに蓋をするからには、そこに犠牲がともなうこともわかっている。わかっているからこそ、ますます人々は目を伏せる。理由はなくて、単に以前からみんなそうしているから、そうするだけ。
出演者全員が却って笑えるくらいのはまり役だったのがこの作品最大の勝利だろう。
ただただ穏やかで凡庸な市役所職員そのものの錦戸亮や、見るからに恐ろしいくらい気弱そうな水澤紳吾、往年の五月みどりばりに無駄なフェロモンを炸裂しまくる優香も凄いんだけど、やはり誰をさておいても驚異的なのは松田龍平だと思う。どこか可愛らしく優しげな風貌なのに、画面に映っただけでそこはかとなく怖い。びっくりするくらいとくに何もしていないように見えるのに、そこにいるだけで演じる人物の語るべき物語が滝のように溢れ出てくる俳優ってそうはいないと思うんだけど、この作品の松田龍平はまさにそれです。圧倒的すぎて、観てて変な汗をかいてしまった。
よけいな説明がまったくない映画なので、観る人によって全然違う受け止め方をされる作品でもあると思う。
でも個人的には、観た人それぞれに観終わった後にゆっくり余韻に浸りながら、描かれた物語の意味を落ち着いて考えるための映画でもあるのではないかと思う。
そういうエンターテインメント映画があるということが、自由で豊かな社会の証だと思うし、こういう作品がこんな人気監督と人気俳優でつくられたことにも、意味があるのではないでしょうか。
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