『私が、生きる肌』
スペインの巨匠ペドロ・アルモドバルの最新作。
形成外科医のロベル(アントニオ・バンデラス)は事故で失った妻そっくりに整形手術を施したベラ(エレナ・アナヤ)を自宅に監禁、あらゆる自由を拘束し、最新の技術を駆使した人工皮膚の人体実験を彼女に繰り返す。
愛する家族と引き裂かれ、狂気の復讐心に燃える彼だったが、やがて喪ったものを取り戻したいという欲求の前に、完璧な計画を自ら瓦解させていく。
なんだかんだで毎回新作をチェックしてしまうアルモドバル作品。
毎度毎度とんでもないというか、ろくでもない映画だとゆーことは観る前からわかってるんだけど、なんかそのとんでもなさとかろくでもなさをついつい確かめたくなるんだよね。
それくらい、いつもいつもとんでもなくろくでもない。この人にとっては、社会通念とか常識とか倫理観とかそーゆーのは徹頭徹尾どうでもいいらしい。つうかむしろそーゆー「まともな神経」を心の底からバカにしてるんじゃないかとも思われるフシさえある。完全にそーゆーものをすっぱりとぶっちぎってやりたい放題。どこまでぶっちぎれるか、究極のやりたい放題に挑戦してるとしか思えない。もうあっぱれでございます。
でもってストーリーがムチャクチャ。ワンシーンごとにそんなことあるわけないやろ?アホか!!な展開満載。なのにぐいぐい引きつけられる。ほとんど絶叫マシーン並みの強引さ。ここまでやれば却って爽快なくらい。
どこがどうとんでもなくろくでもないとゆーと、まず設定ね。
患者を自宅に監禁して24時間監視しつつ人体実験を繰り返すマッドサイエンティストが主役ってとこが既にアウトでしょう。
この彼の出生自体もアウトだし、妻を亡くした顛末にも娘を死なせた原因にもあまりにも救いがなさ過ぎてアウト。スリーアウトね。ストーリーの要素がいちいち不倫に駆落ちにレイプに誘拐に監禁その他、大事件のオンパレード。盛り過ぎやろ。
ふつーここまで盛ったら観ててバタバタしてしょうがないような気がしちゃうんだけど、なんでかしっくりまとまってるのが不思議でしょうがない。これぞアルモドバルマジック。
たぶんその底に、人間がみんな持って生まれてきたはずの得体の知れなさ、狂気やしたたかさや愚かさがきっちり流れてるからだと思う。
自らを裏切った妻が本来の姿を失い、自ら命を絶ってもひたすら彼女を愛し続けるロベル。娘を奪ったビセンテ(ジャン・コルネット)を心底恨み、凄まじい復讐を企てながらやがて自らその計画に囚われていく。
ロベルに忠実に仕えるマリリア(マリサ・バレデス)にしても、息子のセカ(ロベルト・アラモ)にしても、バカはバカなんだけどものすごいきっちり筋が通ったバカなんだよね。ここまでくればバカもひとつの生き方かもなと感心させられてしまう。
いつも通り予想通りてんやわんや大騒ぎな映画だったけど、ムチャクチャなようで定番のテーマも外してない。
生き別れの母子、トランスジェンダー、不義。
考えてみればアルモドバルはこの同じカードを、毎回別のゲームで繰っているようにも思える。
でもそのゲームのなんと彩やかなことか。
たぶん次の作品も観ちゃうんだろーなー。間違いなく。
スペインの巨匠ペドロ・アルモドバルの最新作。
形成外科医のロベル(アントニオ・バンデラス)は事故で失った妻そっくりに整形手術を施したベラ(エレナ・アナヤ)を自宅に監禁、あらゆる自由を拘束し、最新の技術を駆使した人工皮膚の人体実験を彼女に繰り返す。
愛する家族と引き裂かれ、狂気の復讐心に燃える彼だったが、やがて喪ったものを取り戻したいという欲求の前に、完璧な計画を自ら瓦解させていく。
なんだかんだで毎回新作をチェックしてしまうアルモドバル作品。
毎度毎度とんでもないというか、ろくでもない映画だとゆーことは観る前からわかってるんだけど、なんかそのとんでもなさとかろくでもなさをついつい確かめたくなるんだよね。
それくらい、いつもいつもとんでもなくろくでもない。この人にとっては、社会通念とか常識とか倫理観とかそーゆーのは徹頭徹尾どうでもいいらしい。つうかむしろそーゆー「まともな神経」を心の底からバカにしてるんじゃないかとも思われるフシさえある。完全にそーゆーものをすっぱりとぶっちぎってやりたい放題。どこまでぶっちぎれるか、究極のやりたい放題に挑戦してるとしか思えない。もうあっぱれでございます。
でもってストーリーがムチャクチャ。ワンシーンごとにそんなことあるわけないやろ?アホか!!な展開満載。なのにぐいぐい引きつけられる。ほとんど絶叫マシーン並みの強引さ。ここまでやれば却って爽快なくらい。
どこがどうとんでもなくろくでもないとゆーと、まず設定ね。
患者を自宅に監禁して24時間監視しつつ人体実験を繰り返すマッドサイエンティストが主役ってとこが既にアウトでしょう。
この彼の出生自体もアウトだし、妻を亡くした顛末にも娘を死なせた原因にもあまりにも救いがなさ過ぎてアウト。スリーアウトね。ストーリーの要素がいちいち不倫に駆落ちにレイプに誘拐に監禁その他、大事件のオンパレード。盛り過ぎやろ。
ふつーここまで盛ったら観ててバタバタしてしょうがないような気がしちゃうんだけど、なんでかしっくりまとまってるのが不思議でしょうがない。これぞアルモドバルマジック。
たぶんその底に、人間がみんな持って生まれてきたはずの得体の知れなさ、狂気やしたたかさや愚かさがきっちり流れてるからだと思う。
自らを裏切った妻が本来の姿を失い、自ら命を絶ってもひたすら彼女を愛し続けるロベル。娘を奪ったビセンテ(ジャン・コルネット)を心底恨み、凄まじい復讐を企てながらやがて自らその計画に囚われていく。
ロベルに忠実に仕えるマリリア(マリサ・バレデス)にしても、息子のセカ(ロベルト・アラモ)にしても、バカはバカなんだけどものすごいきっちり筋が通ったバカなんだよね。ここまでくればバカもひとつの生き方かもなと感心させられてしまう。
いつも通り予想通りてんやわんや大騒ぎな映画だったけど、ムチャクチャなようで定番のテーマも外してない。
生き別れの母子、トランスジェンダー、不義。
考えてみればアルモドバルはこの同じカードを、毎回別のゲームで繰っているようにも思える。
でもそのゲームのなんと彩やかなことか。
たぶん次の作品も観ちゃうんだろーなー。間違いなく。
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