落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

不幸の映画

2005年11月12日 | movie
『パープル・バタフライ』
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ぐりはこの映画すごくいいと思うし、とても好きだ。つくりてがいいたかったことが非常に正確に描かれた、よく出来た作品だと思う。
だが出品されたカンヌ映画祭での評価は芳しくなく、中国国内での興行成績ももうひとつよくなかったという。主演のひとりが日本人であり日本とかかわりの深い映画でありながら、日本での公開は完成から2年も遅れた。やっと今日公開にこぎつけたものの、上映環境は決していいとはいえない。こういう作品こそ、大画面で音響設備の整った劇場で観るべき映画なのに。
こんなにいい映画なのに、出てる人も撮ってる人もすごくがんばってるのに、かわいそうな映画だと思う。

この映画を難解だとか不出来だとかいう人も少なくない。
正直なところ、ぐりはこの映画のどこがいけないのかよくわからない。確かに台詞は極端に少ないし、あくまで自然光にこだわった質素なライティング、ほぼ全編手持ちでアウトフォーカス気味に撮られた映像は臨場感は充分すぎるものの、説明過多な映像に慣れた観客にとってはいささか不親切な部分もあるかもしれない。
とはいえ、この映画は日中戦争前夜の史実や錯綜する人間関係をひもとくことで物語を進行させる映画ではない。そもそも説明はいらないのだ。
舞台が中国で1928年・1931年という年号が字幕に出てくるだけで立派な説明になっているはずで(張作霖事件・満州事変)、つくりてはそれ以上何もいいたくはなかったのだ。
この映画は日本の中国侵略を背景にしていて一般には抗日映画にジャンル分けされてはいるが、実際にいわんとしているのはもっと普遍的でパーソナルなメッセージだ。婁燁(ロウ・イエ)監督も主演の章子怡(チャン・ツィイー)も「この映画でおきることはどの時代の誰におきてもおかしくない」といっている。

この映画の主人公はふたりの男とひとりの女、あるいはふたりの中国人とひとりの日本人だ。
彼らはもともとはごくごくふつうの一般市民だった。それが時代の波に巻き込まれ翻弄されるうちに人間らしいあたたかい感情を忘れ自分を見失い、なすがままに冷酷非情な殺人者に変貌していく。それが一体なんのための暴力なのか、彼ら自身の意志やイデオロギーやそれぞれの属する組織への忠誠心が判然と描かれないことで、彼らの「人間性」の部分がより強調されているように感じられる。3人が3人とも、自分のしていることを心から受けいれているようには見えないのだ。当り前のことだ。まともな人間なら誰でも、人殺しなんかしたくない。戦争なんかしたくない。
彼らが望んでいるのは、彼らをそんな運命に叩き落した“境界線”の向こう側へ還ること、それだけだ。ほんの少し前、平和でしあわせにつつまれていたころ、たとえ世の中がどうなろうと目の前のささやかな幸福だけが大切だったおだやかな日々。
しかし時間の歯車が逆に回ることは決してない。そのことは彼らもよくわかっている。だから彼らの心にはしんとつめたく凍りついた絶望しかない。
その絶望の赴くまま、自分で自分が果たしてどこへ行こうとしているのか量りかねながら、運命にひきずられるようにまっしぐらに転落していく人々。哀れとしかいいようがない。
愛国心や正義の行方がどうとか、戦争はいけない、残酷だ、悲惨だ、という概念的な理屈ではなく、「誰だって戦争なんかイヤだ」というプリミティブな感情論をひたすら丁寧に再現することで描かれた反戦映画。まさにいつの時代の誰にとってもごく素直に共感できる、シンプルにエモーショナルな悲恋ドラマだと思います。

さて主演の章子怡。
今までぐりが観た出演作のなかではコレがいちばんいいです。まさに名演。ろくにメイクもせず(カットチェンジのたびに眉の形が変わってたり>爆)髪もボサボサ、衣装も地味だ。物語がとにかく暗いので笑顔もない。おびえたり泣いたりするシーンばかりが続く。それでもちゃんとかわいいのだ。役にもしっかりハマッてるし。
仲村トオルも最高です。かっこいいよ。そして彼もこれまでに見たことないような名演技。このヒトいまいち滑舌がよくなくて台詞回しが危ういときがあるけど、この映画では台詞は最小限しかないしそれも半分以上が北京語なのでまったく気になりませんでした。発音がイケてんのかどーなのかはぐりにはよくわからない(NGは一度も出してないらしい。すげー)。喋り方って外国語でも変わんないもんなんだね(笑)。まんま「仲村トーク」でしたです。
劉燁(リウ・イエ)は毎度のことですがいうことないです。天才。スゴイ。彼も他の出演作とは大きく違ったキャラクターを演じているので新鮮です。役柄のために髪を短くしていて、しかもこれも役づくりなのかガリガリに痩せこけていて見た目に既に痛々しい。
ぐりは動いてる李冰冰(リー・ピンピン)を観たのはこれが初めてなんだけど(爆)、知りあいの女優さん(プロフィール←リロードすると画像が変わる)そっくりで驚きました。この人以前TVのバラエティに出てたこともあるので知ってる方もおられるやもしれませんがー。ちなみにこの週末は舞台に出とられます。

ぐりはこの映画の映像も好きですね。雨が多かったり登場人物同士が知らずにすれ違ってたり、偶然の邂逅が物語を展開させていくところなんかは巷でいうように王家衛(ウォン・カーウァイ)を連想させたりもしますが、いわゆるパクリには見えない。映画全体の雰囲気がぜんぜん違うから。一見ノリで撮ってる風にみえて、実は相当緻密に計算してつくりこんである。とくに前半の駅のシーンはホント圧巻。あのワンシーンだけでも一見の価値ありです。
監督はとくに意識して時代背景を再現する演出はしなかったといってますが、結果的には30年代の中国の空気のにおい─ホコリっぽさ、貧しさ、混乱、猥雑さ、蔓延する不安感、ひりひりするような緊迫感…─はすごく自然に出てたと思います。それも上手いなー、と思いました。冒頭の満州のシーンから3年後の上海のシーンへの転換なんかは、ふつうならわかりやすくオールド・シャンハイのモダンな風景を映すところをあえてそうせず、若いサラリーマン上海人・司徒(劉燁)のデート前の浮かれた表情を使ってたりしてるのが見事です。
もし強いてこの映画の欠点を挙げるとするなら、台詞が少なすぎること。ぐりは台詞が少ない映画はどっちかといえば好きなんだけど、コレは不自然なくらい少なすぎる。ひとことふたことくらいあった方がいいシーンでもひたすら無言。いくらなんでも静かすぎです。それくらいかなぁ。
あと日本人の観客にはラストに付け足された上海事変と南京大虐殺の記録映像がイタイみたいですが、アレはたぶん国家電影局の審査向けに足してあるんだと思います。観たくなければ観なくてもいい。やったことはやったことなんで、観ても観なくてもいっしょだけどね。

とりあえずスゴイ気に入りました。今年のぐり的ベスト10に入ってくるのは確実と思われ。
時間があったらまた映画館で観たいです。

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