『夏の終り』
1950年代。妻子ある作家・小杉(小林薫)と長い間愛人関係を続けてきた知子(満島ひかり)は、ある日訪ねてきた同郷の涼太(綾野剛)とも男女の仲に。かつて夫も娘もいた彼女が燃えるような恋に堕ち、家庭を捨てて選んだ涼太だが、今となっては小杉とも別れられない知子に業を煮やした彼は・・・。
瀬戸内寂聴の同名小説の映画化。
何を隠そう寂聴さんの本を一冊も読んだことがないぐり。『源氏物語』も円地文子版で読みました。
今回の映画が面白かったらいい機会なので原作も読んでみようかと思ったけど・・・うーんビミョー。
役者の芝居はいい。カメラワークも美術も音楽もいい。細やかな演出のディテールも好みです。なんとなく全体的にじめっとして王家衛(ウォン・カーウァイ)とか婁火華(ロウ・イエ)みたいな感じ。
なんでしょうな、構成かな?だるいのよ。観てて。冗長なの。眠かったわー。だってスゴイみえみえじゃん。イヤみえみえでもいいのよ、究極。でもどこを切り取ってもなんかどっかで見たなーって感じしかしないのよ。物語に広がりがない。どきどきしない。わくわくしない。なんだろう。けどそれって映画=エンターテインメントとしては致命的だよね。違うよこれは芸術だよとか、文芸作品なんだよとか、そういうのはぐり興味ないんでね、残念ながらさ。まず映画はエンターテインメントありき。それだけでもだめだけど。
下世話な話しちゃうと、メインキャラの3人に色気がないとこが最も致命的なんだと思うのよ。
実際には色っぽい人なんだと思うよ。満島ひかりにしても、綾野剛にしても、小林薫にしても。色気がないわけじゃないと思う。なのに画面にそれが反映されてない。なんでだろう?物語自体はすごいエロい話のはずなのに、さっぱりそのエロが匂ってこない。不思議なくらいカサカサ。だから観てる間中、「いつエロなフェロモンがでてくるんだろう」って待ちかまえちゃうの。無意識に。そして出てこないまま終了。脱力。疲労。
まるでぐりがエロしか興味がないみたいに聞こえてしまうじゃあないですか。それでもいいけど別にね。けどこのストーリーでエロなフェロモンなしって、それやっぱ観てて虚しくなるよ、誰でもさあ。あたしだけ?そりゃすいませんね。
申し訳ないけど、あまりに暇で後半はひたすら「知子が真木よう子だったら」「麻生久美子はどうか」「永作博美は違うか」「涼太が松田龍平だったら」「いや新井浩文でもいいな」「小杉がリリー・フランキーだったら」「浅野忠信もありか」とか置き換えて遊んでしまったよ。ごめん。それくらい暇だったの。ほんとすいません。そうひどい映画じゃないんだけどね(フォローになってない)。
この映画のメインのロケ地は兵庫県で、ヒロイン・知子の自宅とその周辺はこないだ観た『少年H』と同じく日本毛織加古川工場の社宅で撮影されている。
『少年H』では1~2回ちらっと映るだけだったけど、今回はがっつりと主要なシーンのほとんどはここで撮影されていて、かつ外景だけでなく、知子の自宅内のシーン(美術監督インタビュー。画像あり)や周辺の風景も実際の社宅と近隣地域を使って撮影されている。冒頭のファーストカットからあのタイムスリップでもしたかのような素晴らしい路地の夕景からですから、ニッケ社宅ファンにはたまらん映画です。マニアックすぎてごめん。ホントにセットじゃないの?ってくらい超レトロでいいのよこれがー。個人的には高校時代通学で毎日慣れ親しんだトロッコ道や運河沿いのレンガ塀がちょこちょこ出てきて、すごい懐かしかったです。
ぐりの記憶が正しければ、この撮影で使用された兵庫県加古川市から高砂市のあたりは戦災にあわなかったので、昭和初期のころの風景がそのままになった場所がわりとたくさん残っているのだが、長引く不況で自治体にも本格的に保存活動をする予算もなく、だいたいが老朽化するに任され、所有者の力が尽きたところで人知れず取り壊されていくという運命を辿っている。とてももったいない。観光地化もされず、ただのどかな当たり前の風景こそ貴重なのにね。どうにかならないものだろうか。
東京オリンピックも決まって、世の中はまた新しい建物を建てるために古いものをどんどん壊していくのがもてはやされるようになるのかもしれない。
けど、壊したものはもう二度と元には戻らない。古いからこそ価値のあるものも大事にしてほしい。大事にしたい。
そういう風景を楽しむには非常にいい映画でした(爆)。
1950年代。妻子ある作家・小杉(小林薫)と長い間愛人関係を続けてきた知子(満島ひかり)は、ある日訪ねてきた同郷の涼太(綾野剛)とも男女の仲に。かつて夫も娘もいた彼女が燃えるような恋に堕ち、家庭を捨てて選んだ涼太だが、今となっては小杉とも別れられない知子に業を煮やした彼は・・・。
瀬戸内寂聴の同名小説の映画化。
何を隠そう寂聴さんの本を一冊も読んだことがないぐり。『源氏物語』も円地文子版で読みました。
今回の映画が面白かったらいい機会なので原作も読んでみようかと思ったけど・・・うーんビミョー。
役者の芝居はいい。カメラワークも美術も音楽もいい。細やかな演出のディテールも好みです。なんとなく全体的にじめっとして王家衛(ウォン・カーウァイ)とか婁火華(ロウ・イエ)みたいな感じ。
なんでしょうな、構成かな?だるいのよ。観てて。冗長なの。眠かったわー。だってスゴイみえみえじゃん。イヤみえみえでもいいのよ、究極。でもどこを切り取ってもなんかどっかで見たなーって感じしかしないのよ。物語に広がりがない。どきどきしない。わくわくしない。なんだろう。けどそれって映画=エンターテインメントとしては致命的だよね。違うよこれは芸術だよとか、文芸作品なんだよとか、そういうのはぐり興味ないんでね、残念ながらさ。まず映画はエンターテインメントありき。それだけでもだめだけど。
下世話な話しちゃうと、メインキャラの3人に色気がないとこが最も致命的なんだと思うのよ。
実際には色っぽい人なんだと思うよ。満島ひかりにしても、綾野剛にしても、小林薫にしても。色気がないわけじゃないと思う。なのに画面にそれが反映されてない。なんでだろう?物語自体はすごいエロい話のはずなのに、さっぱりそのエロが匂ってこない。不思議なくらいカサカサ。だから観てる間中、「いつエロなフェロモンがでてくるんだろう」って待ちかまえちゃうの。無意識に。そして出てこないまま終了。脱力。疲労。
まるでぐりがエロしか興味がないみたいに聞こえてしまうじゃあないですか。それでもいいけど別にね。けどこのストーリーでエロなフェロモンなしって、それやっぱ観てて虚しくなるよ、誰でもさあ。あたしだけ?そりゃすいませんね。
申し訳ないけど、あまりに暇で後半はひたすら「知子が真木よう子だったら」「麻生久美子はどうか」「永作博美は違うか」「涼太が松田龍平だったら」「いや新井浩文でもいいな」「小杉がリリー・フランキーだったら」「浅野忠信もありか」とか置き換えて遊んでしまったよ。ごめん。それくらい暇だったの。ほんとすいません。そうひどい映画じゃないんだけどね(フォローになってない)。
この映画のメインのロケ地は兵庫県で、ヒロイン・知子の自宅とその周辺はこないだ観た『少年H』と同じく日本毛織加古川工場の社宅で撮影されている。
『少年H』では1~2回ちらっと映るだけだったけど、今回はがっつりと主要なシーンのほとんどはここで撮影されていて、かつ外景だけでなく、知子の自宅内のシーン(美術監督インタビュー。画像あり)や周辺の風景も実際の社宅と近隣地域を使って撮影されている。冒頭のファーストカットからあのタイムスリップでもしたかのような素晴らしい路地の夕景からですから、ニッケ社宅ファンにはたまらん映画です。マニアックすぎてごめん。ホントにセットじゃないの?ってくらい超レトロでいいのよこれがー。個人的には高校時代通学で毎日慣れ親しんだトロッコ道や運河沿いのレンガ塀がちょこちょこ出てきて、すごい懐かしかったです。
ぐりの記憶が正しければ、この撮影で使用された兵庫県加古川市から高砂市のあたりは戦災にあわなかったので、昭和初期のころの風景がそのままになった場所がわりとたくさん残っているのだが、長引く不況で自治体にも本格的に保存活動をする予算もなく、だいたいが老朽化するに任され、所有者の力が尽きたところで人知れず取り壊されていくという運命を辿っている。とてももったいない。観光地化もされず、ただのどかな当たり前の風景こそ貴重なのにね。どうにかならないものだろうか。
東京オリンピックも決まって、世の中はまた新しい建物を建てるために古いものをどんどん壊していくのがもてはやされるようになるのかもしれない。
けど、壊したものはもう二度と元には戻らない。古いからこそ価値のあるものも大事にしてほしい。大事にしたい。
そういう風景を楽しむには非常にいい映画でした(爆)。
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