『ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ』
政権を揺るがす“文書”発覚に伴う首相会見のその日、官邸記者クラブの共用コピー機から、会見での想定問答リストの原稿が見つかる。
メディアと政権との明らかな癒着を示すQ&Aをスクープにするべきと主張するネットメディアのまひる(安田成美)、隠蔽したい公共放送解説委員の秋月(馬渕英里何)、そもそもこんなものを誰が書いたのか、他の加盟各社の意向を知りたいリベラル系全国紙官邸キャップの及川(眞島秀和)、自分で原本を発見したもののどうすればいいのかわからない保守系全国紙首相番記者の小林(柳下大)、記者クラブのスキャンダルが首相との私的関係にどう影響するかに拘泥する保守系全国紙コラムニストの飯塚(松尾貴史)、それぞれの思惑が絡みあう社会派コメディ。
仕事柄、しばしば前を通りかかる国会記者会館。
中に入ったことはないです。通るだけ。出入りしてる国会メディアの皆様方にもままお目にかかることはありますが、正直、いままで共感のようなものは一度も感じたことがない。残念ながら。
彼らも仕事、一会社員にすぎないことはわかるし、であるからには妥協もやむを得ない局面もあるだろうけど、それでも、ジャーナリストとしてもっと毅然としていてほしいという感情はどうしようもない。記者クラブに所属する及川は、記者クラブのために施設や運営費用を国が負担していることを「国民の知る権利をまもるため」というが、であるならば、その“知る権利”を妨害するような行為をこそ記者クラブは厳に慎むべきではないかと思う。
日本独特のこの記者クラブ制度が、これまで“知る権利”どころかあらゆる人権をどれだけ蹂躙してきたか、改めてここで繰り返すまでもない。
メディアのすべてが間違っているとはいわない。ひとりひとりは真摯にそれぞれの使命に向きあっておられるのだろう。だからこそ、彼らが最も大事にしなくてはならないものを、決して見誤ってほしくないと、せつに思う。
演劇は好きだけど、実際に観にくるのはすっごいひさしぶり。超おもしろかったです。
よくよく振り返ってみれば、いままで観たことあって記憶に残ってる演劇の大半が社会問題に関わる題材を扱ってたことに初めて気づきました。たとえば『人形の家』は女性の自立、『ふるあめりかに袖はぬらさじ』はナショナリズム、『繭』は天皇制、『舞台|阪神淡路大震災』はそのものすばり阪神淡路大震災。
でも私が観るものに限らず、古今東西の戯曲は普遍的に社会問題を扱った作品が多いのではないだろうか。オイディプスは迷信が国を滅ぼす物語だし(野村萬斎凄まじかった)、ロミジュリだってラブストーリーだけど家や身分制度が引き起こす悲劇を描いている。舞台って発信者とオーディエンスの間にメディアが介在しないから、ほかのエンターテインメントよりセンシティブな題材がとりあげやすいんだろうね。オーディエンスがそこから何を受けとめるか、発信者側がその場でそのまま責任をとれる。コントロールもしやすい。
映画や音楽よりも古くから、伝統的に社会を風刺してきた演劇だからこそできる表現でもあるんだろうけど、そう考えれば、政権の誰もが法律ぶっちぎりの無茶苦茶を年中繰り返し倒すこの無法地帯時代、こういうお芝居をもっとやりたい放題にやっちゃってもいいのでは、という気もします。
それくらいおもしろかった。
登場人物5人の設定のバランスも絶妙だし、セリフに登場する大小さまざまなエピソードが全部「ああ、あのことをいってるな」という背景がわかりやすいのも楽しかったんだけど、やっぱ全部もってっちゃったのは松尾貴史の首相のモノマネ。似すぎでしょ。しかも客席がやたらウケるもんだから調子のっちゃってどんどんやる。ずるいよねえ。けどおもしろい。こんなにおもしろいんだから、もっとみんなやればいい。なんでやんないんだろう。もったいないよ。それくらい笑えた。
5人の中でいちばん共感したのは及川さんかな。スクープが続いて市民の支持もあつい大手メディアのエリート幹部記者。政権批判はしたい。でも記者クラブはまもりたい。敵はなるべくつくりたくない。正義感はあるのに、立場も大事。仕事は好きなのに、そのためにプライベートを犠牲にしなきゃいけないストレスが苦しい。わかりすぎてちょっとイタいぐらいわかります。がんばれ及川くん(年齢設定的にも近いし)。演じてた眞島秀和はテレビやら映画でしょっちゅう見かける人だけど、舞台でみると意外なくらい大柄で声もよくて、動きが派手で舞台映えする。経歴を見るとあまり出てないけど、もっと舞台をやってもいいのではという気もしました。
おそらく書き手が観客側の視点を代弁するキャラクターとして設定したのはまひるだと思うんだけど、それにしては登場シーンが多くなくさして活躍もしなかったのはなぜなんだろう。そこも含めて、上演時間1時間45分がちょっと物足りない印象はありました。
この舞台、これから7月半ばまでの東京公演を経て、三重、愛知、長野、岩手、山形、山口、福岡、兵庫、愛知(また)、滋賀と9月上旬まで全国各地での上演が決まっている。東京公演では25歳以下3,000円、高校生以下は1,000円という割引価格も設定されている。
ひとりでも多くの、とくに若い人に観てほしい。あとメディア関係者ね。どんだけ己らがみっともないか、ちょっと客観的に観てみたほうがいいかもよ。
できることなら、この上演が終わるころまでに、この物語の背景となる現状がすこしでもいい方向に変わっていることを願う。いや願ってるだけじゃダメなんだけど。ホント致命的絶望的状況だからさ。
サブタイトルはこの曲のオマージュだよね。たぶん。歌詞と内容がリンクしてるんだとすればちょっと怖い。
政権を揺るがす“文書”発覚に伴う首相会見のその日、官邸記者クラブの共用コピー機から、会見での想定問答リストの原稿が見つかる。
メディアと政権との明らかな癒着を示すQ&Aをスクープにするべきと主張するネットメディアのまひる(安田成美)、隠蔽したい公共放送解説委員の秋月(馬渕英里何)、そもそもこんなものを誰が書いたのか、他の加盟各社の意向を知りたいリベラル系全国紙官邸キャップの及川(眞島秀和)、自分で原本を発見したもののどうすればいいのかわからない保守系全国紙首相番記者の小林(柳下大)、記者クラブのスキャンダルが首相との私的関係にどう影響するかに拘泥する保守系全国紙コラムニストの飯塚(松尾貴史)、それぞれの思惑が絡みあう社会派コメディ。
仕事柄、しばしば前を通りかかる国会記者会館。
中に入ったことはないです。通るだけ。出入りしてる国会メディアの皆様方にもままお目にかかることはありますが、正直、いままで共感のようなものは一度も感じたことがない。残念ながら。
彼らも仕事、一会社員にすぎないことはわかるし、であるからには妥協もやむを得ない局面もあるだろうけど、それでも、ジャーナリストとしてもっと毅然としていてほしいという感情はどうしようもない。記者クラブに所属する及川は、記者クラブのために施設や運営費用を国が負担していることを「国民の知る権利をまもるため」というが、であるならば、その“知る権利”を妨害するような行為をこそ記者クラブは厳に慎むべきではないかと思う。
日本独特のこの記者クラブ制度が、これまで“知る権利”どころかあらゆる人権をどれだけ蹂躙してきたか、改めてここで繰り返すまでもない。
メディアのすべてが間違っているとはいわない。ひとりひとりは真摯にそれぞれの使命に向きあっておられるのだろう。だからこそ、彼らが最も大事にしなくてはならないものを、決して見誤ってほしくないと、せつに思う。
演劇は好きだけど、実際に観にくるのはすっごいひさしぶり。超おもしろかったです。
よくよく振り返ってみれば、いままで観たことあって記憶に残ってる演劇の大半が社会問題に関わる題材を扱ってたことに初めて気づきました。たとえば『人形の家』は女性の自立、『ふるあめりかに袖はぬらさじ』はナショナリズム、『繭』は天皇制、『舞台|阪神淡路大震災』はそのものすばり阪神淡路大震災。
でも私が観るものに限らず、古今東西の戯曲は普遍的に社会問題を扱った作品が多いのではないだろうか。オイディプスは迷信が国を滅ぼす物語だし(野村萬斎凄まじかった)、ロミジュリだってラブストーリーだけど家や身分制度が引き起こす悲劇を描いている。舞台って発信者とオーディエンスの間にメディアが介在しないから、ほかのエンターテインメントよりセンシティブな題材がとりあげやすいんだろうね。オーディエンスがそこから何を受けとめるか、発信者側がその場でそのまま責任をとれる。コントロールもしやすい。
映画や音楽よりも古くから、伝統的に社会を風刺してきた演劇だからこそできる表現でもあるんだろうけど、そう考えれば、政権の誰もが法律ぶっちぎりの無茶苦茶を年中繰り返し倒すこの無法地帯時代、こういうお芝居をもっとやりたい放題にやっちゃってもいいのでは、という気もします。
それくらいおもしろかった。
登場人物5人の設定のバランスも絶妙だし、セリフに登場する大小さまざまなエピソードが全部「ああ、あのことをいってるな」という背景がわかりやすいのも楽しかったんだけど、やっぱ全部もってっちゃったのは松尾貴史の首相のモノマネ。似すぎでしょ。しかも客席がやたらウケるもんだから調子のっちゃってどんどんやる。ずるいよねえ。けどおもしろい。こんなにおもしろいんだから、もっとみんなやればいい。なんでやんないんだろう。もったいないよ。それくらい笑えた。
5人の中でいちばん共感したのは及川さんかな。スクープが続いて市民の支持もあつい大手メディアのエリート幹部記者。政権批判はしたい。でも記者クラブはまもりたい。敵はなるべくつくりたくない。正義感はあるのに、立場も大事。仕事は好きなのに、そのためにプライベートを犠牲にしなきゃいけないストレスが苦しい。わかりすぎてちょっとイタいぐらいわかります。がんばれ及川くん(年齢設定的にも近いし)。演じてた眞島秀和はテレビやら映画でしょっちゅう見かける人だけど、舞台でみると意外なくらい大柄で声もよくて、動きが派手で舞台映えする。経歴を見るとあまり出てないけど、もっと舞台をやってもいいのではという気もしました。
おそらく書き手が観客側の視点を代弁するキャラクターとして設定したのはまひるだと思うんだけど、それにしては登場シーンが多くなくさして活躍もしなかったのはなぜなんだろう。そこも含めて、上演時間1時間45分がちょっと物足りない印象はありました。
この舞台、これから7月半ばまでの東京公演を経て、三重、愛知、長野、岩手、山形、山口、福岡、兵庫、愛知(また)、滋賀と9月上旬まで全国各地での上演が決まっている。東京公演では25歳以下3,000円、高校生以下は1,000円という割引価格も設定されている。
ひとりでも多くの、とくに若い人に観てほしい。あとメディア関係者ね。どんだけ己らがみっともないか、ちょっと客観的に観てみたほうがいいかもよ。
できることなら、この上演が終わるころまでに、この物語の背景となる現状がすこしでもいい方向に変わっていることを願う。いや願ってるだけじゃダメなんだけど。ホント致命的絶望的状況だからさ。
サブタイトルはこの曲のオマージュだよね。たぶん。歌詞と内容がリンクしてるんだとすればちょっと怖い。