ぐりは年賀状を出す習慣がないんですが。
以前は出してたんだけど、出す相手と出さない相手を選ぶ作業がめんどうで、また出しても届け先不明で戻ってくるのが多かったり、去年一昨年は続けて身内に不幸が重なったりで、ここ3年くらいは来たぶんだけに寒中見舞いを返すだけになってしまった。不精でいかんなとは思うのだが。ちなみにうちの仕事場ではもともと年賀状を出していない(爆)。経費も下りない。
もともと中学や高校時代の同級生と卒業後の交流がなく(ほとんどが地元の大学に進学して、ぐりだけが上京したせいもある)、大学の友人といっても継続して友人関係が続いている人物といえば数えるくらい(同じ工房の同級生はひとりしかいない)、恩師は卒業して間もなく相次いで亡くなったし、社会人になってからも何度か転職をして、お世話になった人たちもおいおいそれぞれに職場を変わっていくから、必然的に接点はどんどん薄くなっていく。転職前の同僚たちとも3〜4年も経てばつきあいはなくなるし、女の子の中には結婚して家庭に入ると交友関係が狭まる人も割りと多いから、子どもが小さいうちは「こんなに大きくなりました」なんて写真入りの年賀状が送られては来るけど、大きくなってくるとそれもなくなる。男性の同僚とはそれほど親しいつきあいはしないから、そもそも年賀状のやりとり自体がない。出しても返事も来ない。クライアントには年賀状程度で営業的な効果なんかないから出すだけ無駄である。
年賀状に限らず、ぐり自身の交友関係はとても狭い。前述の通り、中学の友人とは中学を出たらわずかな例外を除けば他はほぼそれっきり、高校も同じ。10年以上つきあいが続いた地元の友人は高校〜浪人時代に通った予備校の仲間たちだけど、それも30代に入ってからはさっぱりである。仕事で知りあった人はたいていがどこまで行っても仕事の相手だから、職場を変わってまでつきあうことはほとんどない。だから日常的に連絡を取りあうような友人はほんとうに例外中の例外ということになる。
年をとって友だちの数は減る一方なので、今いる友だちは大事にしなくてはーとは思うんだけど、持って生まれた性格がズボラかつ冷酷ときているから、そのうち気づけばひとりぼっちなんてことになりそうでちょっと怖いです。
こんなぐりでも3〜4年前までは年賀状を50枚以上出していた。
経費も労力も相当にかかる。かかりすぎて疲れてやめた、飽きた、というのが本音かもしれない。
これまでで最も長く年賀状をやりとりしたのは幼稚園の先生。記憶にある限りでは30代に入ってからももらっていたので、四半世紀以上、年に一度のハガキだけの交流が続いたことになる。
卒園以降一度もお会いしたことはないが、毎年サインペンで手描きしたかわいいイラスト入りのハガキを送ってくれた先生ももう50代後半になっているはず。お子さんたちもみなさん成人されているだろう。
もう顔も思い出せない。向こうも覚えていないだろう。でも靴の空き箱の中のハガキの文字はまったく変わっていない。それはやっぱり懐かしいと思う。
京都・木津川、藪の中三仏磨崖像。
ほんとに鬱蒼とした藪の中にあって、時代劇に出て来そうな場所。
以前は出してたんだけど、出す相手と出さない相手を選ぶ作業がめんどうで、また出しても届け先不明で戻ってくるのが多かったり、去年一昨年は続けて身内に不幸が重なったりで、ここ3年くらいは来たぶんだけに寒中見舞いを返すだけになってしまった。不精でいかんなとは思うのだが。ちなみにうちの仕事場ではもともと年賀状を出していない(爆)。経費も下りない。
もともと中学や高校時代の同級生と卒業後の交流がなく(ほとんどが地元の大学に進学して、ぐりだけが上京したせいもある)、大学の友人といっても継続して友人関係が続いている人物といえば数えるくらい(同じ工房の同級生はひとりしかいない)、恩師は卒業して間もなく相次いで亡くなったし、社会人になってからも何度か転職をして、お世話になった人たちもおいおいそれぞれに職場を変わっていくから、必然的に接点はどんどん薄くなっていく。転職前の同僚たちとも3〜4年も経てばつきあいはなくなるし、女の子の中には結婚して家庭に入ると交友関係が狭まる人も割りと多いから、子どもが小さいうちは「こんなに大きくなりました」なんて写真入りの年賀状が送られては来るけど、大きくなってくるとそれもなくなる。男性の同僚とはそれほど親しいつきあいはしないから、そもそも年賀状のやりとり自体がない。出しても返事も来ない。クライアントには年賀状程度で営業的な効果なんかないから出すだけ無駄である。
年賀状に限らず、ぐり自身の交友関係はとても狭い。前述の通り、中学の友人とは中学を出たらわずかな例外を除けば他はほぼそれっきり、高校も同じ。10年以上つきあいが続いた地元の友人は高校〜浪人時代に通った予備校の仲間たちだけど、それも30代に入ってからはさっぱりである。仕事で知りあった人はたいていがどこまで行っても仕事の相手だから、職場を変わってまでつきあうことはほとんどない。だから日常的に連絡を取りあうような友人はほんとうに例外中の例外ということになる。
年をとって友だちの数は減る一方なので、今いる友だちは大事にしなくてはーとは思うんだけど、持って生まれた性格がズボラかつ冷酷ときているから、そのうち気づけばひとりぼっちなんてことになりそうでちょっと怖いです。
こんなぐりでも3〜4年前までは年賀状を50枚以上出していた。
経費も労力も相当にかかる。かかりすぎて疲れてやめた、飽きた、というのが本音かもしれない。
これまでで最も長く年賀状をやりとりしたのは幼稚園の先生。記憶にある限りでは30代に入ってからももらっていたので、四半世紀以上、年に一度のハガキだけの交流が続いたことになる。
卒園以降一度もお会いしたことはないが、毎年サインペンで手描きしたかわいいイラスト入りのハガキを送ってくれた先生ももう50代後半になっているはず。お子さんたちもみなさん成人されているだろう。
もう顔も思い出せない。向こうも覚えていないだろう。でも靴の空き箱の中のハガキの文字はまったく変わっていない。それはやっぱり懐かしいと思う。
京都・木津川、藪の中三仏磨崖像。
ほんとに鬱蒼とした藪の中にあって、時代劇に出て来そうな場所。