『愛についてのキンゼイ・レポート』
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000AR94EG&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
ぐりは不勉強ながらこのキンゼイさんについてはなーんにも知らなかったんだけど、この映画に出て来るよーなエピソードは自分でも経験してるから、かなり共感しました。
前にも書いたと思うんだけど、ぐり自身がその方面に異常に鈍かったのと躾が厳しかったせいで、ぐりは大人になってからも相当なかまととでした。何が普通で何が正しくて、自分は正常なのか異常なのかぜんぜん分からなかった。幸いにも鈍感だったのでそれほど真面目に悩まなかったけど、大学生のころ「マルコポーロ」という雑誌(のちにホロコーストを否定する記事がもとで廃刊になった)に連載されていた清水ちなみさんの「大えっち」というアンケートコラムを読んで、「ああ人間ってみんな違うんだな、みんなといっしょでなくったっていいんだ」とスッキリした気持ちになったのをよく覚えてます。
「大えっち」は単行本にもなったので読んだ方もいると思うんだけど、女性だけを対象にしたセックスに関する詳細なアンケートで、それこそ初体験や不倫経験などの単純な設問から相手の肉体に抱いた印象やオーガズムの感覚の具体的な比喩などといったユニークなのもあって、普通に読み物として楽しいし、読んだ誰もがかなりホッと出来る内容なんではないかと思います。機会があったら是非お手にとってみて下さい。
人はいつからこんなにセックスに否定的になったのだろう?
これはぐりが勝手に思ってるんだけど、人類がセックス=恥ずかしいという風に感じるよーになったのって、大航海時代以降じゃないかと思うんだよね。つまり性病の蔓延が原因。それ以前はカトリック世界でだってセックスはもっとオープンなものだったし、日本も江戸時代までは庶民の性生活は今よりもアナーキーだった。そこへ性病が登場した。まだ医学が発達していなかった時代、人が性病から健康を守る手段は「純潔」しかなかった。それはそれで間違ってはいなかったんだけど、人間は誰もがそこまで意志が強いわけではない。かくして人の性的幻想を抑圧するためにあらゆる事実無根の迷信が生み出された。その結果やがて人は「セックスは恥ずかしいもの、子づくり以外のセックスは反道徳的なもの」と思いこむように洗脳されていってしまった。
キンゼイ氏は医学の発達した現代においてそうした無意味な呪縛に苦しめられる人々を救うために、科学的にセックスを研究したひとだ。彼の研究は素晴しかったし、この映画にもそのことはちゃんと描かれている。
だがこの映画のおもしろいところは、そうした美しい面/かっこいい面だけではなく、キンゼイ氏を含めた科学界のありようの不自然な部分もさりげに描かれているところだ。
キンゼイ氏やスタッフたちは純粋に研究にのめりこむあまり、やがてセックスに対して傲慢な感覚を抱くようになっていってしまう。自分はセックスを知り抜いているから、自分や伴侶のセックスのみならず感情までも完全にコントロール出来ると思ってしまうのだ。まぁそれが人情というものだろう。だが人は自分で自分を100%制御出来るほど完璧な生き物ではない。
キンゼイ氏の本に助けられた人はたくさんいるだろう。だがあれから60年近くが経とうというのに、性知識の不十分さによって起こる不幸は決してなくならなかった。未成年が犠牲になる性犯罪や性的マイノリティに対する差別、性病感染者の低年齢化は今の方が当時よりも深刻になっている。それどころか、世界には完全に誤った性認識のために反人格的な慣習が堂々と行われている地域も存在したままだ。
あの当時「原子爆弾よりも衝撃的」といわれたキンゼイ・レポートだが、結局は全人類を救うところまでにはいたらなかった。果たしてこの重荷から全ての人が解放される日は現実に訪れるのだろうか。
ところでこの「キンゼイ・レポート」は日本語訳は出てるのかな?読んでみたーい。
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ぐりは不勉強ながらこのキンゼイさんについてはなーんにも知らなかったんだけど、この映画に出て来るよーなエピソードは自分でも経験してるから、かなり共感しました。
前にも書いたと思うんだけど、ぐり自身がその方面に異常に鈍かったのと躾が厳しかったせいで、ぐりは大人になってからも相当なかまととでした。何が普通で何が正しくて、自分は正常なのか異常なのかぜんぜん分からなかった。幸いにも鈍感だったのでそれほど真面目に悩まなかったけど、大学生のころ「マルコポーロ」という雑誌(のちにホロコーストを否定する記事がもとで廃刊になった)に連載されていた清水ちなみさんの「大えっち」というアンケートコラムを読んで、「ああ人間ってみんな違うんだな、みんなといっしょでなくったっていいんだ」とスッキリした気持ちになったのをよく覚えてます。
「大えっち」は単行本にもなったので読んだ方もいると思うんだけど、女性だけを対象にしたセックスに関する詳細なアンケートで、それこそ初体験や不倫経験などの単純な設問から相手の肉体に抱いた印象やオーガズムの感覚の具体的な比喩などといったユニークなのもあって、普通に読み物として楽しいし、読んだ誰もがかなりホッと出来る内容なんではないかと思います。機会があったら是非お手にとってみて下さい。
人はいつからこんなにセックスに否定的になったのだろう?
これはぐりが勝手に思ってるんだけど、人類がセックス=恥ずかしいという風に感じるよーになったのって、大航海時代以降じゃないかと思うんだよね。つまり性病の蔓延が原因。それ以前はカトリック世界でだってセックスはもっとオープンなものだったし、日本も江戸時代までは庶民の性生活は今よりもアナーキーだった。そこへ性病が登場した。まだ医学が発達していなかった時代、人が性病から健康を守る手段は「純潔」しかなかった。それはそれで間違ってはいなかったんだけど、人間は誰もがそこまで意志が強いわけではない。かくして人の性的幻想を抑圧するためにあらゆる事実無根の迷信が生み出された。その結果やがて人は「セックスは恥ずかしいもの、子づくり以外のセックスは反道徳的なもの」と思いこむように洗脳されていってしまった。
キンゼイ氏は医学の発達した現代においてそうした無意味な呪縛に苦しめられる人々を救うために、科学的にセックスを研究したひとだ。彼の研究は素晴しかったし、この映画にもそのことはちゃんと描かれている。
だがこの映画のおもしろいところは、そうした美しい面/かっこいい面だけではなく、キンゼイ氏を含めた科学界のありようの不自然な部分もさりげに描かれているところだ。
キンゼイ氏やスタッフたちは純粋に研究にのめりこむあまり、やがてセックスに対して傲慢な感覚を抱くようになっていってしまう。自分はセックスを知り抜いているから、自分や伴侶のセックスのみならず感情までも完全にコントロール出来ると思ってしまうのだ。まぁそれが人情というものだろう。だが人は自分で自分を100%制御出来るほど完璧な生き物ではない。
キンゼイ氏の本に助けられた人はたくさんいるだろう。だがあれから60年近くが経とうというのに、性知識の不十分さによって起こる不幸は決してなくならなかった。未成年が犠牲になる性犯罪や性的マイノリティに対する差別、性病感染者の低年齢化は今の方が当時よりも深刻になっている。それどころか、世界には完全に誤った性認識のために反人格的な慣習が堂々と行われている地域も存在したままだ。
あの当時「原子爆弾よりも衝撃的」といわれたキンゼイ・レポートだが、結局は全人類を救うところまでにはいたらなかった。果たしてこの重荷から全ての人が解放される日は現実に訪れるのだろうか。
ところでこの「キンゼイ・レポート」は日本語訳は出てるのかな?読んでみたーい。