はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

「水の歌」のよろこび

2008年09月05日 18時44分13秒 | インターミッション(論文等)
  台上に左腕(かいな)をりんと挙げ黒い水着の伍代夏子は

 「笹短歌ドットコム」(お題「水」)で、優秀作品に選んでいただいた。
 まったく予想していなかったので、嬉しさよりも驚きの方が大きい。

 笹師範からは
「熟女好きにはたまらない光景と見た。」
という、なんだか詠者が熟女好きであるかのようなコメントもいただき、さらに
「発売中の『週刊ポスト』を立ち読みしていたら、五代夏子のグラビアがありましたよ。黒い水着の写真はありませんでしたが、チェックしてみてください。」
と、さりげなく耳寄りな情報まで教えてもらっているのだが、そ、そんなことはないぞ、熟女も嫌いではないけれど、私は幅の広い人間であり、同年代も年下も全然オッケーであって、でも未成年だとちょっとやばいかなとか、高校生以下は対象外とか、なんでこんな所で自分の嗜好をてきぱきと述べているのか。

 ちょっと混乱してしまったが、とにかく身に余る光栄であり、素直に本当にうれしく思う。
 しかし同時に、これはまぐれ当たりのような物であることも自分で分かっているので、ちょっと舞い上がってしまった己を引き締め、さらに研鑽を積んでいく所存である。
 さらに、私は全然オッケーの人であることも重ねて申し述べ、これをもって喜びの言葉とさせていただく。

「選」について(4)

2008年09月05日 18時10分46秒 | インターミッション(論文等)
(続き)

長くなるので、他の2首

  蝉しぐれ教え子の背が水玉を弾くを眇に見る女教師は

  生命は穴から水を奪われる都会の空よさあ薄雲れ

は割愛するが、こうして各論的、客観的に見ていくと、採られる(あるいは採られない)理由というのも、なんとなくだが分かったような気になる。

 しかし、もう一度5首をまとめて眺めてみると、絞られかけたピントが急速にずれていくように、また分からなくなってくる。
 この歌が採られて、この歌が採られなかった理由は何なのか。
 急いで断っておくが、プロへの反抗心とか、採られなかったことに納得がいかないとか、そんなかっこいい話では、もちろんない。
 バカみたいだが、本当に分からないのだ。

(続く)