はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

白桃(斎藤茂吉料理歌集)

2009年05月21日 22時28分10秒 | 斎藤茂吉料理歌集

 昭和八年

黴(かび)ふきし餅(もちひ)を水のなかに入れ今しばらくを惜しみて居らむ

あかつきの麥生(むぎふ)の霜は白けれど春の彼岸に近づきにけり

うつつなるきびしきさまに會(あ)ひ會ひて夜半(よは)のひととき菓子を食ひをり

のぼり來(こ)し比叡の山の雲にぬれて馬酔木(あしび)の花は咲きさかりけり

山めぐりわが立來(たちく)れば樅(もみ)の實は木下闇(こしたやみ)に落つ人は踏みつつ

道のべの木いちごの花にほへるをあらそはなくに蜂ひとつゐる

あひむかひ一つ卓袱臺(ちやぶだい)に夕飯(ゆふいひ)を食ひつつをればこころは和ぎぬ

伊香保呂(いかほろ)の榛名(はるな)の湖(うみ)の汀にて消(け)のこる雪を食へるをさなご

この山に古くつたはりし笹飴(ささあめ)もやがては滅びゆかむとぞする

桑原に桑の實赤くなりたるをなつかしみつつ友戀ひわたる

あさなゆふな食ひつつ心樂しかり信濃のわらびみちのくの蕨

くれなゐのいろの胡頽子(ぐみ)の實ふさなりになりつつありぬ見れど飽かなく

このゆふべ支那料理苑(えん)の木立(こだち)にて蜩(ひぐらし)がひとつ鳴きそむるなり

谷汲(たにぐみ)はしづかなる寺くれなゐの梅干ほしぬ日のくるるまで

ぬばたまのき鵜の鳥むらがりて年魚(あゆ)とることは業(げふ)となしたり

幾億萬(いくおくまん)の鮎の卵とおもへどもかく鮎となるに數かぎりあり

白きはな散りすぎしとき沙羅の木のき木(こ)の實を手のひらに載す

夕食を樂しみて食ふ音きこゆわが沿ひてゆく壁のなかにて

ひるの山道(やまみち)くだりくだり坂本(さかもと)に蕎麥かぐはしく食ひあへるかな

山がはの岸の淺處(あさど)に鮎の子かむれつつをるはしばし安けし

ただひとつ惜しみて置きし白桃(しろもも)のゆたけきを吾は食ひをはりけり

額(ひたひ)よりまだたらたらと汗たるを拭きながらあつき飯(いひ)を樂しむ

いつのまにおとろへをりしわが齒にて漬けたる茄子をながくかかりて噛む

山中(やまなか)をぬひつつゆけばしづかにて山みづの音や栗(あをぐり)のいがや

味噌汁に卵おとしてひとり食ふ朝けの山をさびしとおもふ

梓川(あづさがは)の岸の村なる稻核(いねこき)に風邪気味にして今朝は目ざめぬ

しづかなるこの宿(やど)に賣藥商(くすりうり)蠶種商(こだねうり)年々に來てなじみけりとぞ

しづかなる狹間(はざま)となりし朝がれひ生(なま)の卵を我も呑みたり

早晝(はやひる)の辨當(べんとう)を食ふ工夫らは川浪(かはなみ)ちかくまで並びつつ居り

山みづにかくろひて住む岩魚をもここの泉に養ひにけり

椎茸をそだてつつゐるところありきのうもけふもしぐれふる山

くれなゐのあららぎの實の生(な)りにける山の高原(たかはら)いまぞ去りゆく

葛(くず)の葉のあかきもみぢのひるがへる谷あひゆきぬ眞晝(まひる)にちかし

幾たびも吾は湯あむれわが友はうま酒のみし好みたるらし

朝ざむき横手の町に山のものつらなめて賣るころに逢ひつつ

山の茸(きのこ)うづたかく盛り賣る町にわが悲しみを遣(や)らふ方(かた)なし

白頭翁(おきなぐさ)の花ふふみつつ春ふけて山のうへに啼くほとときす

いつしかもわが戀ひゐたる夏わらび山より下(くだ)り友は賜(た)びたり

ひさかたの空くもりつつ木垂(こた)るまで胡頽子(ぐみ)のくれなゐを相見(あいみ)つるかも


 昭和九年

上ノ山(かみのやま)の町朝くれば銃(つつ)に打たれし白き兎はつるされてあり

上ノ山の町に賣りゐる山鳥(やまどり)もわが見るゆゑに寂しからむか

酒のみし伯父のことなど語りあひ弟は醉ひぬ涙いづるまで

兎のあと山鳥(やまどり)のあと山鳥は二つ居りしか繼ぎ行きしかも

山鳥はすぐ目のまへを飛びたてり獵人(かりびと)ならばかかるところを直(ただ)打つらしも

やまどりがこの雪に幾時(いくとき)か居たるべし山漆(やまうるし)の實を食(は)みちらしたる

鐵砲(てつぽう)の音(おと)のひびきし山かげに打たれたるものは山どりか何(なに)

箱根なるかの射干(ひあふぎ)はくろき實を保ちながらに枯れふすらむか

わがこもる部屋に來りて穉兒(をさなご)は追儺の豆を撒きて行きたり

麥畑(むぎはた)はゆるきなだれにひろがりてその色を吾は樂しむ

やうやくに日は延びゆくとおもひつつこころ寂しく餅(もち)あぶりけり

みちのくの妹が吾(われ)におくり來し餅(もちひ)をぞ食ふ朝もゆふべも

擬寳珠(ぎばうしゆ)も羊齒(しだ)も萌えつつゆく春のくれかかる庭ひとり見にけり

やうやくに老いたまひぬと肉類をこのごろ断ちて飯食(いひを)しましき

三人(みたり)して布野(ふのう)村を去りゆくと晝(ひる)のかれひの包(つつみ)を持ちぬ

この山に我ら入り來て晝の飯(いひ)くひつつ居れど君はいまさず

おとろへし齒をはげまして常陸(ひたち)あがた山形あがたの蕨をくひぬ

くれなゐに成りし胡頽子の實こもれるを夜の店より買ひて樂しむ

雨の音(おと)谷をおろして來るときに夕がれひにて山女(やまめ)の魚(うを)を噛む

味噌の汁たぎり居りしを顧(かへり)みてふたりは午飯(ひるのいひ)食はむとおもひき

石垣を背向(そがひ)にしつつ藥(くすり)ぐさかすかに植ゑてこのひとつ村

たちまちに燈(ともしび)消していましむる湯の峯(みね)の夜(よ)に酒を飲みたり

となり間に媚び戯(たはむ)るるこゑ聞きて氷の水を飲みほすわれは

いにしへのすめらみかども中邊路(なかへぢ)を越えたまひたりのこる眞水(ましみづ)

下府(しもこふ)より上府(かみこふ)にわたる平(たひら)には稻あをあをし國府(こくふ)のあとぞ

湧きいづるゆたけき水を目(ま)のあたり見つつ人麿をおもふべけむか

唐辛子いれたる缶に住みつきし蟲(むし)をし見つつしばし悲しむ

唐辛子の中に繭(まゆ)こもる微(かす)かなる蟲とりいだして見てゐる吾は

ひとびとは鮎壽司(あゆずし)くひてよろこべど吾が齒はよわし食ひがてなくに

かきくらし稲田(いなだ)に雨のしぶければ白鷺(しらさぎ)の群(むれ)の飛びたちかねつ

けふ一日(ひとひ)ことを勵(はげ)みてこころよく鰻食はむと銀座にぞ來(こ)し

ぬばたまの一夜(ひとよ)は明けて山のうへの寒水(さむみづ)のなかの鱒(ます)の子ぞ疾(と)き

山がひの菜畑(あをなばたけ)につゆじもの干ゆくころほひ吾等來りぬ

犬いで來(き)人いで來(こ)しと思ふばかりに川の對岸(たいがん)に雉子(きじ)は打たれぬ

蕗の薹賣れるを見れば日のあたる岡のうへにははや萌ゆるらし

ぎばうしゆも羊齒(しだ)も枯れ伏しつはぶきの黄に咲きし花はけふぞうつろふ

納豆を餅(もちひ)につけて食(を)すことをわれは樂しむ人にいはぬかも

街にいでて何をし食はば平(たひら)けき心はわれにかへり來むかも

雁(がん)打ちに日曜日毎ゆく友と鋪道のうへに逢ひて立ち居り

簡易なる食店(しよくてん)に入りなめこ汁と飯(めし)とを食ひていでて來りぬ

底冷えに更くる夜ごろを起きゆきて五勺の酒を煖(あたた)めしめぬ

をさな兒の飯(いひ)くふ見ればこのゆふべはつかのハムをうばひ合うなり

わがいのち寂しきよひも豊酒(とよみき)にゑひはてにけり君がなさけに

はしきやし今日の筍(たけのこ)手に持ちてその香(か)さへよしわれ一人居り

猪名川(ゐながは)のかぐはしき魚(いを)をまへに置きくふも食はぬも君がまにまに

々としたる蕨のとどけるを疊のうへにしばし置きつつ

うるはしきをみなに似ざるさ蕨をわれは愛(め)でつつ朝々に食ふ

豊酒(とよみき)をゑらぎ飲まむと健(すくよ)かに今日のまとゐに來たるたぬしさ


(原本 齋藤茂吉全集第二巻(昭和四八年))

最新の画像もっと見る

コメントを投稿