息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

辞めたい1週間

2022年05月30日 18時02分07秒 | 教訓
先週は、学校を辞めたいという気持ちに負けて、土日も含めて4日間、なにもしないと決め込んで、好きな本を読み漁り、映画も見、奔放に過ごした。
ラインで、同僚に本音をちらっと漏らした。
以下、その内容。
「ご心配をかけました。
ここだけの話ですが、この1週間、学校を辞めようかどうか、あれこれ悩みながら過ごしてきました。
主な理由は、責任をもって、子どもたちの教育ができないでいるということです。「自分のやりたいように」ではなく、「自分のやるべきことができないでいる」ことからです。
「授業が勝負」だと管理職は言いましたが、それならそれに見合う学校のシステムや、職員の働き方、行事、会議のマネジメントをしているのか。全く否です。学年会の設定もされず、放課後は会議の穴埋めで、個々の子どもたちと話すことも学習を補うこともできません。
遠足にしても、縄跳びにしても、一気にやらなくてはならないことが凝縮され、その中で子どもたちが何をどう取り組むか、じっくり準備することもできない。
とくにこの2週間は面談もあり、その傾向が強く、徐々に疲弊していき、「納得できる学校の姿はもはやない」と短絡的ながら考えたに違いありません。
何人かの元同僚、先輩とも話してきました。
「あなたが踏ん張らないでどうする?」「だからこそ逃げてはいけない」と鼓舞されもしました。
まだ結論はでないのですよ(笑)
ただ、やりっぱなしでの逃亡にはしたくないし、かわいい子どもたちもいる。生活はどうするかも悩みます。
踏ん張っている○○さんたちのことも頭にあります。
こんな中途半端で、明日から復帰します。
あまり悲観しないわたしですが、心から体にきたのは初めて。
いやな漢字検定の計画もしないといけません(笑)
すみません、だらだらと。
こんな感じで明日からもよろしくおねがいします。」
結局、今日から出勤。
単純なもので、子どもたちと会った瞬間にそんなグダグダな気分も、束の間と言え忘れてしまう。
これが、働き方改革の進まない要因でもあるのだが。
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はたして?

2022年05月28日 09時34分57秒 | 教訓
2日前から、左目にソフトコンタクトレンズが、中に ずれて残っているのか、はたまたいつの間にかとれてしまったのか分からないでいる。
これで2回目のことだ。
鏡にくっつくようにして、左目をのぞきこむが、コンタクトを外した目では、よく分からず。スマホで左目の写真を撮り、画像を見たが、ピンぼけ。指でまぶたの上から触れてみるも、なにか段差があるような、ないような。
ようやく今朝、眼科で診てもらう。
「あ、なにも見当たりません。ご安心を。」との答えに安堵。
ということは、いつの間にか外れて落ちたことになる。
ハードの時にはよくあったことだが、ソフトも、お前もか!
対策を考えねばならない。目が悪いだけでも面倒なのになあと、落胆。
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沖縄「返還」から半世紀

2022年05月14日 23時33分54秒 | 教訓
私が一浪して駿台予備学校に通っていたとき。何も変わってはいない。
常に「本土」のための犠牲を払ってきた歴史は、いつになったら終焉を迎えるのか。
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「あの胸が岬のように遠かった 河野裕子との青春」 永田和宏  

2022年05月08日 22時11分00秒 | こんな本を読みました
「あの胸が岬のように遠かった 河野裕子との青春」 永田和宏
 衝撃を受けつつも、一気に読了する。泣けて泣けて、それでも足りないほど泣けた。
私にも、似たような青春があり、永遠を誓った恋人があり、毎日毎日、尽きることもないおしゃべりや、言い争いや、すれ違い。それこそ、拙いながらも、真剣に、真摯に想い合った時期があったのだ。この二人にも負けてはいなかったと自負できるほどの恋愛だったと思う。
 それを成就できなかったのは、もっぱら私の責任である。今思い返せば、なんと愚かな選択をしてしまったのだろうか。なんと彼女を絶望の淵に追い込んでしまったのだろうか。
 河野裕子に重なって、彼女の表情、言葉、そして肌のぬくもりが、虚しく蘇る。
 過去に遡って、もし、選択を誤ることがなければ、息子たちも、献身的な妻の存在のない、また別の世界が展開されたことだろう。
 もう後戻りのできない世界に生きているからこそ、この思いは、私だけのものにしていかなければならない。今を大切にしていくこと。それだけだ。
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大地の芸術祭 九条美術展 伊藤千代子の生涯

2022年05月05日 21時27分05秒 | わたしごと
 連休の前半は、長男夫婦に同行して、新潟・十日町の大地の芸術祭へ。
 昨年開催の予定だったのが、コロナのために一年延期して行われることになったものだ。
 着いた日が初日とあって、まだドタバタ感は否めなかったが、まだ雪の残るアルプス(?)の山々を遠くに見ながら、また、
 フキノトウの群生を見ながら、十分楽しませてもらった。絵心のない私だけに、別の楽しみ方をしてしまい、息子たちには申し訳ないが、まあ許してほしい。作品は、ここではとてもコメントはできない。私にとって「すてきな作品」というのは、「きれいだと思えるもの」「なにか心に訴える感じがする」といった程度の識別しかできないが、それでも、まあまあそんな作品もいくつか見ることができた。他の作品については、「よくわからない」のだ。
 二日目に泊まった石打のホテルは、アットホームな雰囲気で、小さいながらも、「高級感」を醸し出しているところである。リノベーションしてから、まだ四年とのことで、10部屋しかないホテルながら、中はスイートの如し。ミシェランのお勧めもウリのようだ。夜、ホテルの入り口にある喫煙コーナーで、寒さに震えながらタバコを吸っていると、近くで川の流れの音がする。ものの10m前に、小さな川。スキー場の横に建つホテルのそばだから、雪解けの水の流れは急である。そこに、こんな立札が立っていた。「土石流警戒河川」。
少し心が騒ぐ。この界隈のホテルは、危険と背中合わせで営業しているのだと思うし、客にも、非常時の説明はあってしかるべきではないかとも思った。
 東京に帰り、四日に上野、都美術館の「九条美術展」に。サークルの先輩のきよみちゃんとは、時間を前後してすれ違ったようだ。ここでは、メッセージがはっきりしているため。安心して鑑賞できる。上野公園は、子どものブックフェア、動物園が、久々に見る人の群れ。
 その前の日に、東中野、ポレポレで、「わが青春つきるとも 伊藤千代子の生涯」を朝一で見る。客は、高齢者中心の50人足らずか。せりふは硬いながらも、当時、天皇制、軍国主義に命を賭して生きた伊藤千代子の生き方に感銘。それを見ながら、現代では「命を奪われること」はないとしても、治安維持法的な社会構造は、どれほど変革されているのか。巧妙に騙されているのてはないか、「忖度」やら「同調性」を押し付けられているのではないかと思った。



 
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