息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

萎える感覚が分かった瞬間

2017年12月15日 23時02分56秒 | 教育を考える
 通知表の締め切りの翌日、「学年での学校評価」という会議があった。
 教育目標、重点目標、年間行事計画、生活指導、特別活動など、1年間の総括を全ての項目にわたって総点検する会議である。

 職員室で、各学年ごとに寄り集まって話し合いがはじまる。
 ただ、なんとなく活気が感じられないのは、昨日までの通知表完成を目指した「激務」のせいだろう。
 また、完成していない職員もいる。

 私の学年は3人で。
 ひとつひとつの項目について、自由に意見を述べ合って、まとめていくという作業だ。

 体がだるく、頭が固い。

 約45分の会議で、1年分を総ざらいすること自体、どうかと思うが・・・

 年間の行事計画では、「大きな会議の前には、会議をいれないこと」
 研修では、「市の教育研究会、研修会の終了時刻を4時にするか、または各学校独自に休憩がとれる指導をしてもらいたい」
 そんな意見を入れてもらう。

 しかし、根が続かない。
 「道徳の教科化に伴う評価を、人格否定や、徳目強制にならないような話し合いを行う」
 「学校のきまりが肥大化し、また<きまりだから守る>という発想ではなく、職員も子どもも、きまりを総点検する必要がある」
 「10.23の都の通達について知らない職員が多いので、きちんと学習する必要がある」
 「都の働き方改革についての学校の現場にいる教職員の意向を吸い上げて欲しい」
 などの意見は、今年は出さないまま会議を終えてしまった。
 正直、若い職員に1から説明する意欲が湧いてこないのである。
 いけないとは思いながら、ついつい「終わらせる」ことを優先させてしまう気持ちが第一になってしまうのだ。

 ああ、こうして先輩たちは、職場の世代の溝を埋められないまま、働こうという気持ちを萎えさせていくのだな。
 同世代がほとんどいなくなり、組合の仲間もほとんどいなくなってしまった現場。
 少し下の教員は、自分の「職務」と「校長の顔」とを最優先した仕事に専念するだけで、よりよい職場を作っていこう、校長の意向に意見を申し立てることなど、ほとんど見られない「そつないおりこうさん」ばかりだ。

 絶望としか言えない現場の風景だ。
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教務主任としてのポリシー

2017年12月12日 00時13分54秒 | 教育を考える
 今週が締め切りとなっている通知表。
 毎日の行事予定に「成績処理日」と書いてある。いつもより清掃や昼休みを減らして、20分ほど早く下校させる措置もとってある。
 ところが、よく見ると、今週のすべてに会議がすきまなく入れられている。

 これはどうしたことか。
 年度末反省や、教育課程編成のための会議の目白押しなのだ。
 どこで「成績処理」を行えばいいのか。
 行事計画を立てた、教務主任に、
 「せめて成績の締め切りの数日前の間は、会議を入れないでほしい」
 と、会議日程の対案をそえて手紙を書いた。それは校長にも伝えた。
 「ま、彼の考えも聞いた上で・・・」の回答。

 今日、月曜は返事なし。
 会議も予定通り開催。終了は、3時50分。

 宇佐美寛氏の言葉ではないが、
 「番」というものがある。
 今度は、彼、教務主任の番である。

 この「番」を忘れたり、タイミングをずらしたりすれば、それは「信頼関係」を崩すもとになることは明らかだ。

 何のコメントも寄こさないことで、まずひとつ。
 強行して、会議をそのまま開催させたことで、ふたつ。
 それ以前に、すきがあれば、ただ「会議」を入れてしまうと言ったポリシーのなさに、みっつ。

 3重の信頼崩壊である。


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個人面談 15分の勝負

2017年11月28日 18時58分33秒 | 教育を考える
15分の割り当て時間で、なにが話せるだろうか。
私は、自己評価、学級の子どもが分析した他者評価、私の評価の3枚をプリントして保護者に渡し、それを見ながら面談を進めている。
なにしろ短時間で、これまで8か月預かった子どもの分析をするのである。

「可能性」に多くの時間を割き、それを開花させるための条件、課題を述べる。


ま、みなさんがやっていることだとは思うが。
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仮説社の魅力

2017年11月25日 16時51分18秒 | 教育を考える
科学クラブのネタ探しに、久しぶりに仮説社を訪れた。
高田馬場から巣鴨に移転してから、ちょっとだけ遠い感じがして、なかなか行く気力が湧いて来なかったので、えいっとばかりに西武線、山手線を乗り継いで行った。
仮説社では、ついつい衝動買いをしてしまう。
楽しいものばかりだから。
あれこれ見回し、最後にレジに行くと、たいがいは一万を超えた請求になる。
今回は慎重に選択して、それでも五千円とちょっと。なかなか手強い仮説社の誘惑だ。

今回は、
偏光板のシート。
紫外線で色が変わるビーズ。
風で回るコマのシート。
紙が巻かれたマジックハンド風のおもちゃ。
焼き肉と唐辛子の授業書。
あなた、お葬式どうしる? の書籍。

常に危ない過剰購入である。
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都教委版「働き方改革」は、絶対に失敗する

2017年11月23日 21時24分31秒 | 教育を考える
 校長が新聞記事のコピーを配布して、「やっと楽になれる」と、笑顔満面で職員に話しかけてきた。
 都教委が出した改革案の「1日あたりの在校時間を11時間以内とする」を指しているのだろう。
 みな冷ややかな表情で、一応校長に頷き返す。
 校長が去ったあと、「まっ、無理だよね」という声があちこちから聞こえてくる。

 レイバーネット日本の根津報告を引用してみる。これは教育委員会の傍聴記として発表されているものだ。

 「次に、③都公立学校教員勤務実態調査の集計について(速報値 調査期間は6月19日から7月16日のうちの連続する7日間) ④「学校における働き方改革推進プラン(仮称)」中間まとめについて。
 中学校教員の68,2%が過労死ライン(週60時間)を超えるとの結果。小学校37,4%、高校31,9%、特別支援学校43,5%と並ぶ。また、副校長では小学校84,6%、中学校78,6%、高校58,3%、特別支援学校86,7%が過労死ラインを超える。
 この結果を踏まえて都教委が出した「学校における働き方改革推進プラン(仮称)」は、「当面の目標」が「週あたりの総在校時間が60時間を超える教員をゼロにする」そのための「取り組み」が「平日は、1日あたりの在校時間を11時間以内とすること」「土曜日、日曜日については、どちらか一方は必ず休養できるようにすること」。
 また、「取り組みの方向性」として次を挙げる。
ア.働き方の見直しに向けた意識改革(勤務時間を意識した働き方をするように等)
イ.教員業務の見直し(給食費等の徴収・管理を事務職員が行う、教員が在宅でも仕事ができるようにする等)
ウ.教員を支える人員体制の確保(スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーの配置促進、学校支援ボランティアによる支援)
エ.部活動の負担軽減(「部活動指導員」の配置、地域人材の活用)
オ.ライフワークバランスの実現に向けた環境整備(病児保育や家事代行付きのベビーシッター利用の支援等)

 「学校における働き方改革推進プラン(仮称)」には、教員の長時間労働の一番の原因が都教委・文科省にあることの認識がまったくない。一言の反省の弁もない。教員の意識改革ではなく、都教委の意識改革が必要だ。子どもたちのことを知る教職員がどのような教育をするかを職員会議で論議し決定して仕事をしてきた時代(2000年以前)には過労死ラインの長時間労働は多分ほとんどなかった。都教委(文科省)が職員会議を指示・伝達の場に変え、教育内容を指示・強制し、また書類の提出を強制したことで教員の仕事が凄まじく増えたのだ。年間35時間ものオリンピック・パラリンピック教育、土曜授業の強制や押し付け「研修」、各種の調査報告、業績評価のための自己申告書、授業プラン等々の作成・提出を課すなどである。

 解決策は、教育行政が介入を止め、各学校に職員会議の決定権、教育課程編成権を戻すこと。そして、少人数学級や複数担任制にすること。この2点を実行することだ。しかし、都教委の「プラン」にはそういった解決策は一つもない。スクールカウンセラーを配置するというのならば、フルタイムのカウンセラーを雇用すべきなのだ。週1日の「勤務」では子どもとの信頼関係を築く時間がなく、子どもたちはスクールカウンセラーに相談しない。カウンセラーに仕事を振り向けても、かえって教員の仕事量を増やすだけ。そうした現実を私も在職中に見てもきた。昨年11月10日の定例会において都教委はいじめ問題への取り組み報告の中で、「教員とスクールカウンセラーが連携して対応した事例のうち、効果が見られた事例の割合が、どういうわけか過去2年間よりも減少した。」と不可解と言わんばかりの報告をしたが、こうした事実から学ぶことなく、今回も破綻した策を挙げる。学校支援ボランティア等にしても、同じことが言えるのではないだろうか。

 イ の「在宅で仕事ができるようにする」(仕事の持ち帰り)については、10年前までは多くの教員がそうしてきたが、「個人情報の漏洩」を理由に都教委が禁止したこと。オの「ベビーシッター利用の支援」に至っては、「我が子の病気ぐらいで休暇を取るな」との声が聞こえてきそう。過労死されるのは迷惑だからかたちを繕う、としか思えない「プラン」。一緒に傍聴していた友人は、「まさにマッチポンプだ!」と怒った。「都教委が次々に打ち出す教育施策が、教員の過労死ラインの働き方に拍車をかけていると気づけ!」と都教委に言いたい。」
 (http://www.labornetjp.org/news/2017/1109nezu)

 まずもって「意識改革」だとしている認識のいい加減さからして、もう「無理だ」と確信する。
 私は、5時には退勤するように「意識改革」をしているが、それでも自宅で、在校の超過勤務と同じくらいの「残業」を行っている。
 いや、行わざるを得ないのだ。

 お手並み拝見といきたいところだが、結果はすでに明らかである。

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NO残業デー

2017年11月15日 17時59分06秒 | 教育を考える
今日はNO残業だってさ
机上の赤ペンに
嗤いつつ 話しかける
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鼻を描かないと人権問題です!

2017年11月06日 02時58分15秒 | 教育を考える
管理職が、「廊下などに絵を貼り出してあるクラスがありますが、鼻や口や耳が描かれていないものがいくつかあります。これは人権に関わりますからすぐに追加して描かせるように」と話していた。
子どもからは「先生、鼻って描くのが難しいので、描かないほうが友達によく似て描けます」と言われることが、しばしばある。
だから、大それた人権問題とは無縁だと思うのだが。

最近は細かなことまで指示、管理しようとする管理職が多くなったなあと思う。
「紙は必ず四点止めで画ビョウを刺すこと」「指名したら、はいと返事、立って発言、ですと言わせなさい」「まず、礼をして、それから挨拶」
いいじゃない、それぞれのやり方で。

揃えると安心、そんな時代は過去のことだ。
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さてさて うちの教育委員会はやる気があるかどうか

2017年11月04日 03時30分48秒 | 教育を考える
先月いっぱい、私の市では「勤務時間調査」が実施された。
市の教員全員対象に、毎日の勤務の実態を調べるためだ。
「うちはやってます」といったアリバイ工作だけの、たんなるポーズではないことを望む。

私に関しては、学芸会と、二本の研究授業、周年行事関連の記念誌の編集に取り組んだせいで、ばかにならないくらい超過勤務をしていて、過労死ラインの月80時間は楽に越えているのだが。

前々から指導主事に「懇願」している、出張研修で、休憩時間がなくなってしまうことくらいは改善してもらいたいものだ。私がこの市に転勤してから13年、教育委員会に改善を要望してから、約5年。
全く改善されていない案件だ。
○○委員会、○○研修、教科研修、全て終了時刻が4時45分。
学校を出るまで、ぎりぎり授業を行い、会場に馳せ参じる私たちの当日の実態だ。毎回、せめて学校の実態に応じて、事前に休憩をとるか、無理ならあとから調整させるよう、校長会で指導すればいいものを。それすら何年もさていない。
他の市や区では、4時終了はしているところも多数あるというのに。
今年中に何も回答や改善がなければ、裁判も辞さないぞと思っている。
この「不作為」による返還金はいくらになるだろうか。
毎回、45分の超過。教科研究会が5回、委託委員会が2つ、10回、市の悉皆研修が3回、小中連携とやらの出張が4回、合わせると22回。いやもう少しあるかな。
少なく見積もって、45分が800円とすると、17600円。これが、13年間。228800円。
え、計算間違いかなと思うくらいの高額だ。
これだけ「タダ働き」させていた過去を、なんとか是正させたい。

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教育費無償化?反省はないのか さらに肝腎なことも忘れている

2017年10月18日 07時32分54秒 | 教育を考える
自身の政権中で、数百億円もの教育予算を削ってきたのに、その反省の弁すらなく、いかにも誇らしげに公約にしている欺瞞が許せない。
ついでに、自衛隊認知の9条改悪と抱きあわせ。ずる賢い手法にも
薄汚さを感じる。
いまや先進国では最下位を低迷している日本の教育予算。だれがそうしたのか。
意地悪ばかりしていた人物が、いきなり「みんな意地悪はよくないよ」と周りに説いて回る。それを誰が信じると言うのだろう。

教員の過労死寸前の過重勤務。
安倍さんは、何も語らない。
いや、関心はないのだろう。
自公政権の継続は、腹の底からお断りだ。
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溢れるほどの本を教室に 5年前よりもさらに拡充

2017年10月14日 22時32分50秒 | 教育を考える
 これは5年前に書いた記事です。
 今は500冊にふくらんでいます。
 最近は、卒業生や教え子、教え子のお家から、「先生、教室に置いてください。寄付します。」として贈られることが多く、知らず知らずのうちに増えていきます。
 教室は学年の解放区にしていますから、休み時間になると、そして授業中も、そっと教室に入ってくる子が絶えません。

「私は、小学生のころは、まったく本を読まない子でした。
今思うと、そのころから本が好きになっていれば、もっともっと私は「違った大人」になったかもしれないと、少しばかり後悔しています。

今年は、「教室を本で埋め尽くそう」と考えて、毎日1冊ずつ、本を教室に持ち込んでいます。前からあった本も含めると、学級文庫には、約200冊を越えた本が収められています。

コミック、漫画もあります。
全てOKというわけではなく、今、クラスに置いてあるのは、
「コボちゃん」「ブラックジャック」「火の鳥」「美味しんぼ」「はだしのゲン」くらいです。
「コボちゃん」は、4コマ漫画の起承転結を学んでほしいから。
「ブラックジャック」は、ハローワークとして、医者の仁術を知って欲しいから。
「火の鳥」は、私が好きだから、スケールが大きいから。
「はだしのゲン」は、原爆、昭和史についての入門書となるから。

なんでもかんでもあり、の文庫です。
文学作品あり、クイズあり、図鑑あり、推理小説あり、科学ものあり、伝記あり・・・

ジャンルに対して選択肢が多いことと、量的に豊富だということが、子供達が本を手にする最低条件です。

さらに、私の宣伝。

供給側は、けっこう品揃えが大変なのですが。
もっぱらブックオフの「105円」本でまかないます。

月に、最低5,6件の店舗を回ります。」
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学芸会のエンディングは 映画「同胞」から「ふるさと」

2017年10月08日 11時11分37秒 | 教育を考える
 私たちの学年は、自分たちの町の歴史を劇化してのぞんだ。

 東京の多摩、江戸の初期までは水の少ない不毛の地。玉川上水ができ、枝のように分水ができてから村が活気づいてきたこと。
 それまでの村人の苦労、工夫。水車で小麦や米を擂る。防風のための庭木。お手玉、ぽっくり、独楽、竹とんぼ。
 7つの村が統合し、原型ができた明治初期。鉄道の開設。電化。
 先人の苦難のあとを辿りながら、子ども達は一生懸命に伝わる工夫を考え、表現していたと思う。
 練習の途中で郷土資料館にも行って、本物の家や水車を見てくることもおこなった。

 その様子は、舞台の上にスクリーンを設けて、進行と同時にスライドショーで披露した。
 小さい子達ながらも、照明も子どもが担当。ズーム、パンなども1人でできるようになった。
 「学んだ」「表現した」「伝えようとがんばった」25分だったと自負している。

 最後の歌は「ふるさと」
 知っている方は、ほんの一握りだろう。

 ふるさと

【作詞】石塚克彦
【作曲】岡田京子


1.ふるさと ふるさと
  ふるさと ふるさと
  けや木の梢としじゅうがら
  庭の日だまり 水たまり
  帰ってこない渡り鳥
  ふるさと ふるさと

2.ふるさと ふるさと
  ふるさと ふるさと
  送電線と麦畑
  朝に吹く風 たつみ風
  どこまで続く白い道
  ふるさと ふるさと

 これは映画「同胞(はらから)」のテーマソングだ。

 1975年の映画だから、42年前のものだ。脚本を作る際に、はじめからこの曲だと決めていたものだ。

 ※同胞(はらから)は、1975年に松竹が制作、同年10月25日に公開した山田洋次監督の映画。岩手県の過疎の村で、青年会が劇団公演を計画し成功させるまでを描く青春映画。実際に起きた話を基にしており、モデルとなった劇団「統一劇場」が公演シーンを演じている。

 ※岩手県の小さな村の青年会会長高志の許を、統一劇場の職員の秀子が訪れ、劇団の公演を提案する。高額な費用が問題となり、青年会の議論は紛糾するが、高志の熱意に押され、公演の実施が決まる。青年会員の頑張りでチケットも完売するが、公演の直前になって有料の催しには会場は貸せないと中学校から断られる。公演を楽しみにしている人たちのために中止にはできないと秀子は無料にすることを決断する。公演は大成功する。

 ※キャスト 
斉藤高志:寺尾聰
河野秀子:倍賞千恵子
松尾中学校校長:大滝秀治
柳田進:下條アトム
木村茂:土谷亨
渡辺純一郎:河合進
福田愛子:岡本茉莉
斉藤忠治:赤塚真人
小野佳代子:市毛良枝
菊地健一:笠井一彦
斉藤博志:井川比佐志
斉藤富美:杉山とく子
斉藤晴美:木村晃子
小柳文治:下條正巳
小野きぬ:三崎千恵子
消防団団長:渥美清
小野精一郎:今福正雄


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小言てんこ盛り 学芸会

2017年10月08日 10時38分49秒 | 教育を考える
 私の教員生活で、1番質の低い学芸会を見てしまい、讃辞の一言も出せないで職場を離れた。
 口ごもってしまうのは、職場にとって悪いと思うので、「反省」にしっかりと書くつもり。

 ①「創造」「表現の楽しさ」を追求していないこと
  目の前の子どもに依拠した台本を書こうとしていない。つまり苦労して作り上げていない。どこかからもらってきたものか、劇団四季の焼き直し。
  とくに後者は、長い劇を30分に短くする必要があるのだが、物語として無理に無理を重ねていく。だからストーリーに整合性を欠き、感動を伝えら
  れないものとなっていく。数校異動して、学芸会を経験しているが、必ずといっていいほど、5,6年生で四季の劇を行う。「またかよ」と思うが
  いっこうにその傾向は下火にならない。衣装も貸し借りでき、台本も一応ある。なんと簡便な方法だと思うが、やはり寂しい光景だ。

 ②学校全体で、劇指導を共有していない
  学年の力量だけが頼り。若い教員が多いために、表現の楽しさや指導法が未熟なまま練習に入る。かつては研修会を開いて、みんなで学んだものだ
  が、忙しさにかまけてそんなことを考える余裕がない。前回書いた「あてぶり」氾濫の劇となってしまう。

 ③学校文化の消滅 テレビのバラエティ番組の僕
  今回、ダチョウ倶楽部のギャグ、あきらかにテレビのコマーシャルやコントを模したギャグがあった。笑いはとれるが、そんなパクリで受ける姿勢に
  辟易する。クラスのお楽しみ会の延長と思えるような安直さに、親も受け、笑い、教員も満足する。

 ④準備の時間をとらない愚
  学芸会の本番2日前、水曜日の午後に、常置の部会が行われ、夕方にはOJTとして「勉強会」が行われた。いずれも学芸会とは関係ない内容で。さ
  らにその日は「ノー残業デー」、早く退勤しなさいと言う。結局、会場などの設営での作業日は設定されたものの、学年で準備する時間は設定される
  ことはなかった。舞台装置、大道具、小道具、衣装作りは時間がかかるものである。
  結果、前回のものを廃品利用するしかない。同じ草のセットが複数の学年で使われたり、幹の上に丸い葉っぱの木が無理矢理「いちょう」と張り紙を
  して使われたりと、貧弱なセットでの舞台となってしまった。

 校長は「学芸会ではなく、日頃の学習の延長上にある学習発表会にしていきたい」と言ったが、それも吹き飛んでしまうくらいの「合意」のなさが感じ
られたものだった。
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過労死 教務の劣化 ノー残業デーの虚しさ

2017年10月05日 21時07分18秒 | 教育を考える
 明日から学芸会。
 子ども達と最後の練習、そして衣装や小道具などの再点検を行っている時期、昨日は会議づくしの1日となっていた。
 5時間授業のあと、部会、休憩後にはOJTが組まれている。
 「えー、いつ学芸会の準備の仕上げをすればいいんだ」
 と私が叫ぶ。声には出さないが、みんな職員室で寂しく頷く。

 私が教務主任をしていたときも、忙しさは変わらないが、会議を日程の中に差し込むのは、いつも至難の業であったが、少なくとも「大きな行事の前には会議を入れない」という合意・原則があった。

 とにかく空いていればそこに会議を入れる。そんな発想の行事計画には、いつも失望する。
 会議日程や行事計画の作成にも、哲学はあるのだ。
 「現時点で重要なものに、学校全体の力を集中させる。」「今、この時期、大事なものを優先させて計画を立てる」
 それくらいの配慮ができない教務は、学校の質を下げ、教員の仕事を劣化させる。
 
 当然のことながら、2つの会議のあとで、職員は体育館に行き学年の劇の準備を、ほぼ同時並行で、表示や会場作りなど、学芸会で割り当てられた仕事に取り組みはじめる。

 そんな矢先、おもむろに副校長が、「あっ、今日はノー残業デーでーす。みなさーん、早くお帰りくださーい」の言葉が飛んでくる。

 「ノー残務デーじゃないんだからなあ」
 「家でできないから今やっているのに」
 「学芸会がどうなってもいいのかな」
 ぶちぶちぶちとつぶやく声。

 有名無実のノー残業デー。

 「日本放送協会(NHK)の記者だった女性(当時31)が2013年7月に心不全で死亡したのは過重労働が原因だったとして、14年に渋谷労働基  準監督署(東京)が労災を認定していたことが分かった。NHKが4日、発表した。ピーク時の時間外労働は月150時間を超えていた。」(朝日)

 
 この記事は、決して対岸にはない。
 
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創造性の欠如 学芸会に際して

2017年09月19日 06時39分02秒 | 教育を考える
みな忙しいのだろうとも思うが。
いつも学芸会シーズンになると、うんざりすることがある。
どの学校でも似た現象なのだが、高学年の演目に必ず、劇団四季の劇があることだ。
どこでもやっているだけに、台本は使い回しができることや、この劇団が毎年観賞教室を開いていて、子どもたちが一度観賞しているので取り組みやすいというメリットがあるからだ。
しかし、しかしである。
なにか寂しい。
今、目の前にいる子どもたちを見て、自分らが作り上げられないものかと。
忙しすぎる職場で、効率よく行事をこなすのも大事だろう。

最近、「これ、私が書いてみました」と笑顔で私に創作台本を見せてくれる若手がいなくなって、久しい。

そつなく仕事をするだけでは、大事なことを忘れてしまう。
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納得いかないコミュニティスクール

2017年08月29日 11時50分38秒 | 教育を考える
隣の学校ですでに実施され、わが校も来年、再来年にはコミュニティスクールを目指すという。
夏休みとあって、隣の学校の主幹が二人訪れて、そのあらましを説明に来てくれた。
結論的には、大いなる失望。
二人の説明では、これまでの活動は、学校の仕事の下請けに保護者、地域の人材を使っているだけ。
やれ地域巡りの引率の手伝いだ、スポーツテストの記録の応援だ、そんな話ばかりだ。もちろん私たちにとっては、ありがたい人的応援なのだが。

私は、コミュニティスクールとは、地域の代表と学校とが、同じテーブルにつき、学校も含めた地域の教育力を高めることを話し合い、実施していくものだとばかり思っていた。
隣の学校は、地域は学校の下請けに成り下がっているだけだ。
しかも、それを得意満面に話している主幹さん二人に、怒りさえ覚えた。
私には珍しい感情だ。

私の勘違いではないとは思うが、コミュニティスクールについて勉強しよう。
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