息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

時間が足りない!

2015年01月31日 23時23分21秒 | わたしごと
 私の制限時間まで、あと何年なのだろうか。
 生死というよりも、私の意識が、頭脳が、そこそこ働いている状態が途切れるまでだ。
 長く見積もっても、あと20年あるかどうか。
 生命が先に途切れることだってあり得る。
 そして最短、明日かも知れないのだ。

 世の中は、安倍政権が誕生してからというもの、殺伐としてきたし、
 「バラ色に向けた」ご時世で、命を全うしたかったが、
 どうもそうはいかないようだ。

 そういえば、私は曾祖父母の顔は知ってはいるが、
 彼ら彼女らが、どんな時代に生き、どんな思いで日々をすごしていたのか、ほとんど知らない。
 3つの代を遡ると、ほとんど、ではなく、まったく分からなくなる。

 つまり私だってそうだ。
 息子たち、そして教え子たちが、この世からいなくなった時点で、私の存在は、まったく無と言ってもいいほどの
 ちっぽけなものとなる。
 私を記憶している人たちをすべて消すには、百年はいらないだろう。
 
 だからこそ、残された日々を、できるかぎり、やりたいことをやっておきたい。
 ひとつでも、後世に残せるものができるなら、なおうれしいが。
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先立つ恩師たち 合掌

2015年01月31日 12時25分28秒 | わたしごと
 大学生時代の「心の糧」が、また亡くなった。
 堅い法学の用語を、優しい表現に練り直して私たちに伝える達人であった。
 その学問的な姿勢も、学ぶべきことが多かった。
 もっと語ってほしかった。残念な訃報。

「東大名誉教授の憲法学者で、「九条の会」呼びかけ人の一人の奥平康弘(おくだいら・やすひろ)さんが26日、急性心筋梗塞(こうそく)のため東京都内の自宅で死去した。85歳。葬儀は近親者で営んだ。九条の会がお別れの会を後日開く。喪主は妻せい子(せいこ)さん。
 北海道函館市生まれ。東大法学部卒。東大社会科学研究所教授・同所長、国際基督教大教養学部教授などを歴任した。「表現の自由」を巡る問題の権威として知られる。
 2004年には井上ひさしさんらと「九条の会」を結成。また昨年、憲法解釈変更により集団的自衛権行使を容認した閣議決定の際には、呼びかけ人となって憲法学者の連名で撤回を求める声明を出すなど、改憲阻止の活動に尽力した。」(毎日)
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テロと未来像

2015年01月26日 07時28分34秒 | 教訓
人の命を軽々しく、いや正確に言えば、粗末に扱うテロ行為
閉塞感を打ち破る、起死回生、一発逆転、その気持ちに共感しないでもないにせよ、彼らが描く未来像は、はたして命を大切にできる世界なのか
身体も精神も、豊かで自由な世界なのか
その矛盾は、どう理解したらいいのだろう
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アナログ的な笑い だるま座 矢代静一

2015年01月25日 00時28分57秒 | 素人の劇評
1/24(土)14:00
「誘拐」―誠実にうそをつけ―
劇団だるま座・だるま企画 荻窪 アトリエだるま座

矢代静一氏の劇は、何十年ぶりの観劇となるはずです。たしか大学時代に「労演」の会員として、彼の劇をいくつか観たと思うのですが、いざ、その演目は・・・と考えると、まったく思い出せないのです。 私のイメージとしては、彼は「社会派」のカテゴリーに入っているのですが、Wikidataで調べてみると、プロ野球のヤクルトファンであったり、宝塚を支援していたり紫綬褒章、勲四等旭日小綬章をもらったり、と、けっこう「俗的」(悪い意味で使っているわけではありません。人間くさいというほうが近いかもしれません)だったことに驚いています。 さて劇はとても楽しく見せていただきました。なによりも、しっかりとしたアナログともいってようほどの脚本、個性豊かな俳優陣と、うまいブレンドによって、あっという間に2時間が過ぎてしまいました。 だるま座の財産は、どのような劇にも対応できる、層の厚い役者陣だと思えました。もちろん、企画力、主宰の熱意などもあるとも思いますが。
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100回目の劇評 ライオン・パーマ

2015年01月17日 21時48分24秒 | 素人の劇評
ようやく100本目の劇評となりました。

「男は二度死ぬ その一度目!!~その三~」ライオン・パーマ
1/17(土)14:00 シアターグリーン BOX in BOX THEATER

調べてみると、この劇団は二度目の観劇となります。


ライオン・パーマ 「恋愛漫画~バンカラ編~」
2012年 10/27 14:00の部 王子小劇場

ここでの劇評通り、個性豊かな俳優さんの集まりです。それぞれの持ち味が、うまく融合して、安心して笑い、安心して「キュン」
とすることができました。
「どこに向かっているのかわからない」「安定性こそ心配のタネ」といった懸念も書かれてあり、今回もそれがそのままあてはまりそうです。
しかし、今考えてみると、たった2時間とは言え、観客と喜びや悲しみを共有できることこそ、劇団の至上の目標かな、とも。
それができない劇団の多さからすれば、まずはライオン・パーマは、劇団としての存在価値が厳然としてあるのだということです。
下ネタを極力排除して、役者の個性で、台本のせりふで、笑いや涙を誘う姿勢にも、高い好感度を持ちました。

「また観てみたい劇団」 そんな印象です。

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「君が代・日の丸」を押しつけられて

2015年01月17日 09時21分30秒 | 教育を考える
東京「日の丸・君が代」処分取消訴訟(3次訴訟)原告団・弁護団の声明である。
「ちょっと処分は厳しいよ」程度の判決であり、本質的な「思想・信条の自由」「不当な支配の禁止」などについては合憲として認めているなど
たぶんに不満の残るものであるが、そんな「たいしたことない」裁判官をもってしても、都の処分は間違っていると認定したのだ。
良心は、なかなか裁判には反映されない。

「1 本日、東京地方裁判所民事第11部(佐々木裁判長)は、都立学校の教職員50名(以下、「原告ら教職員」という)が「日の丸・君が代」強制にかかわる懲戒処分(戒告25件、減給29件、停職2件)の取消しを求めていた事件について、各処分のうち、減給及び停職処分については、いずれも東京都教育委員会(以下、「都教委」という)の裁量権逸脱・濫用に当たり違法であるとしてこれを取消す原告ら教職員一部勝訴の判決を言い渡した。
2 都教委は、2003年10月23日通達(以下、「10・23通達」という)及びこれに基づく職務命令により、卒業式等における国旗掲揚・国歌起立斉唱を教職員に義務付け、命令に従えない教職員に対し、1回目は戒告、2、3回目は原則減給(1~6ヶ月)、4回目以降は原則停職(1~6ヶ月。例外的に4回目に減給6ヶ月あり)と、回を重ねるごとに累積加重する懲戒処分を繰り返し、さらに「思想・良心・信仰」が不起立・不斉唱の動機であることを表明している者に対しても反省を迫り実質的に思想転向を迫る「服務事故再発防止研修」を強要する「国旗・国歌の起立斉唱の強制」システムを実施してきた。
2012年1月16日、最高裁判所第一小法廷は、これらの処分のうち、「戒告」は懲戒権の逸脱・濫用とまではいえないものの、「戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択することについては,本件事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要となる」とし、実際に下された「減給」及び「停職」処分は相当性が無く、社会通念上著しく妥当を欠き、懲戒権の範囲を逸脱・濫用しており違法であるとした。本判決は、この最高裁第一小法廷判決の内容を維持したものである。
原告ら教職員の受けた減給以上の懲戒処分を違法としたことは最高裁に引き続き、東京都が実施してきた「国旗・国歌強制システム」を断罪したものであって、都教委の暴走に歯止めをかける判断として評価される。しかしながら、2006年度の規則改訂により、2007年度以降に戒告処分を受けた本訴原告らは、2006年以前に減給処分を受けた場合以上の金銭的な損害を受けているのであり、その実質的な検討をしないまま、形式的に2012年最高裁判決に従った判断を下したことは真に遺憾である。
3 更に、本判決は、10・23通達・職務命令・懲戒処分が、憲法19条、20条、13条、23条、26条違反及び教育基本法16条(不当な支配の禁止)に該当し違憲違法であるとという原告ら教職員の主張については、従前の判決を維持し、これを認めなかった。また、原告らの予備的主張(国家シンボルの強制自体の違憲性)には何ら言及しないまま合憲と結論づけている。さらに、原告らの精神的苦痛には一切触れることなく、都教委に国賠法上の過失はないとして、国家賠償請求も棄却した。
これらの点は事案の本質を見誤るものであり、きわめて遺憾というほかはない。」
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「毅然とした指導」「強い指導」に翻弄される教師たち 序

2015年01月15日 00時51分26秒 | 教育を考える
最近、「毅然とした指導」「強い指導」という言葉が、現場で行き交っている。
エスケープや非行など、教師側として「手に負えない」事態が進んでいるといった事情も、その背景にあるのだろうが、非常に違和感のある言葉である。
漠然とした言葉であり、その受け止め方は人それぞれで異なる用語であるが、簡単に言えば「有無を言わせぬ命令」とでも言うのだろう。
問答無用で、子どもを屈服させることは、教育の敗北を意味するものだろう。

しかし、それに対して異議を唱えるものは、ほんの一握りである。
もともと教員は「真面目」であるだけに、さらにやっかいである。その言葉を受けて、ひたすら子ども達に抑圧的に振る舞ってしまう。
違和感を覚えつつも、「これだけ熱意をもって指導した」とひた走るのである。
そうすると、ますます子どもとの距離は広がり、指導すればするほど、教室内の溝は深まっていくのである。

私の学校も残念ながら、管理職も生活指導担当も、一途に「きまりを守らせる」ことだけに突っ走っているようである。
「きまりだから守らせる」
そんな発想から抜けられないのである。

後日、さらに検討していこうと思う。
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まぶしい成人 まずしい成人

2015年01月12日 23時26分51秒 | わたしごと
20歳のときは、奈良に旅行に行っていたとばかり思っていたが、よくよく考えてみると、それは大学の卒業式のときだった。
一浪して大学に入ったものだから、20歳は2年生のときだということになる。
夏は、北海道に行ったと思うのだが、それも1年生のときかもしれない。サークルの合宿は、飯山だったと思うが、これは確かに1年生のとき。
「雨にぬれながら、たたずむ人がいる~」「あー、だから今夜だけは、君を抱いていたい~」
そんな歌が流行っていたころ。
なんと年月がたってしまったことよ。

電車の中で、和服姿の若さではちきれんばかりの女の子を、たくさん見かけた。
若さは、それだけで美しい。そう思った。

彼氏と一緒に乗り込み、いちゃついているカップルもいる。
やっかみも含めて、ちょっといらいらもする。

電車に乗っている時間だけのしぐさや会話で判断するのは、いささか早急で軽率だとは思うが、電車で見かけた3組のカップルは、ずっとスマホのゲームに熱中していた。よくもまあ、こんなに二人して沈黙が維持できるなと「感心」。
半分を過ぎたころから、互いにゲームの報告。つづいて芸能ニュース。つづいて「昼に何を食べようか」。
そして、誰々の元彼がどうした、元カノがどうしたの話。

私は、そのころ、どんな話をしていたことだろう。
もう少し真面目だったと思うのだが・・・
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日本社会の未来のために 勇気ある提訴

2015年01月11日 23時32分44秒 | わたしごと
 「1月9日、慰安婦捏造とバッシングを浴びていた元朝日記者・植村隆さんが東京地裁に「名誉毀損裁判」を起こした。植村さんは、「週刊文春」および西岡力氏によって捏造記者とされ、社会的信用を傷つけられ、個人攻撃を浴びたとして、両者に記事の訂正・謝罪・損害賠償を求めている。弁護団は170名で「これは植村個人の問題でなく、日本の民主主義・言論の自由がかかっている大問題」と全国の弁護士が結集した。提訴後の報告集会が午後5時から、参院議員会館講堂で開催された。たくさんの市民がかけつけ、会場を急遽変更したが、300人近い人が詰めかけた。「私の人権、家族・友人の人権、北星の仲間を守るために提訴した」。植村隆さんは、提訴にいたった経緯と決意を時には涙を浮かべながら、じっくり語った。話おわると激励の拍手が鳴り止まなかった。」(レイバーネット日本より)

 青木理氏の著書を読み、「これは提訴しなければならない。一個人の問題ではない」と思っていただけに、とりあえず安堵。

少し長くなるが、植村氏が外国人記者に向けた会見でのスピーチを全文掲載しておく。これは私の記憶にとどめておくための引用でもある。

「みなさま、お忙しいところ、私の記者会見に来ていただきまして、ありがとうございます。パリの新聞社襲撃事件で多数の記者たちが亡くなったことに、本当にショックを受けています。1987年5月には私の同期の小尻知博記者が支局を襲撃されて殺される事件がありました。同じジャーナリストとして、こうした暴力には絶対に屈してはいけないと改めて思いました。


私が非常勤講師として勤めている北星学園大学にも昨日また、脅迫状が送られてきました。匿名性に隠れた卑劣な脅迫行為は、絶対に許すことができないと思います。なぜ、北星学園大学に脅迫状がくるかというと、私がそこに勤務しているからであります。去年、週刊文春の記事で、私が「捏造記者だ」というレッテル貼りをされました。それで、まったく私の記事とは関係ない大学にまで、こうした脅迫行為がおこなわれています。


私は訴訟準備のために東京にいて、大学には行っていなかったのですが、私のために大学が脅迫にさらされることに心が痛みます。本日、週刊文春を発行する文藝春秋および、その週刊誌にコメントを発表した東京基督教大学の西岡力氏の両名を名誉毀損の被告として、裁判を起こしました。私は私の人権、私の家族の人権、家族の友人の人権、勤務先の北星学園大学の安全を守るために、この訴訟を起こしました。


私は24年前の大阪社会部時代に、慰安婦と名乗りでた韓国のおばあさんのつらい体験の記事を署名入りで2本書きました。この記事が原因で、23年間ずっとバッシングを受けています。この記事で私が存在を報じたのは金学順さんという人で、韓国でカミングアウトした第1号の慰安婦です。彼女の勇気のある証言で、慰安婦の生の証言が世界に伝わって、たくさんの被害者が名乗り出るようなりました。そういう意味では、慰安婦問題が世界に知られるようになった証言者第1号のおばあさんでした。


1年前の週刊文春(2月6日号)の記事に、1991年8月の記事が批判的に紹介されました。この見出しを見ていただければわかりますが、「慰安婦捏造 朝日新聞記者がお嬢様女子大学の教授に」とあります。


西岡氏はこの週刊誌のコメントで、私の記事に対して、「強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記事と言っても過言ではない」とコメントしています。


(私の記事では)本文2段落目に、「女性の話によると、中国東北部で生まれ、17歳のときにだまされて慰安婦にされた」と書いてます。そこには触れないで、(西岡氏は)「強制連行があったかのように書いており、捏造」としています。これはフェアではないと思います。


私の記事はリードで「女子挺身隊」という言葉を使いました。当時、韓国では慰安婦のことを女子挺身隊、あるいは挺身隊という言葉で表現していました。しかし、西岡氏は1992年4月の文藝春秋で、「重大な事実誤認」と批判していました。その当時、西岡氏は、「朝日に限らず日本のどの新聞も、金さんが連行されたプロセスを詳しく報じず、大多数の日本人は、当時の日本当局が権力を使って金さんを慰安婦としてしまったと受け止めてしまった」と書いています。


しかし、その後は、私だけを狙い撃ちにして批判しています。98年頃から、批判が「捏造」という言葉に変わりました。同じ1991年の記事に対して、評価を変えてしまっているのです。フレームアップだと思います。結局、その流れで、去年の2月の週刊文春の記事は私を「捏造記者」とレッテル貼りしました。これはフレームアップの延長線上だと思います。


この記事が原因で、私の転職先の神戸の女子大学にいやがらせのメール、電話が多数殺到しました。そして私がいま勤務している北星学園大学にはさらに多くの抗議のメールや電話がくるようになりました。抗議電話の一部は、インターネット上に公開されて、さらに憎悪が煽られています。


標的は大学だけではありません。私の家族、娘にまで及びました。娘の写真がインターネット上にさらされ、誹謗中傷が書き連ねられています。たとえば、「こいつの父親のせいで、どれだけの日本人が苦労したことか。おやじが超絶反日活動で、贅沢三昧に育ったのだろう。自殺するまで追い込むしかない」。私のパートナーは韓国人です。つまり、私の娘は父親が日本人で、母親が韓国人なのです。娘に対してヘイトスピーチのような、コリアンを差別するようなコメントも書かれています。


週刊文春の「捏造」というレッテル貼り、そして西岡氏の言説が、結果的にこうした状況を引き起こしたのだと思います。私は言論の場でも手記を発表して反論しています。それだけではなく、法廷でも捏造記者ではないことを認めていただこうと思っています。


私は「捏造記者」ではありません。不当なバッシングに屈するわけにはいかないのです。」
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学校の劣化を憂う

2015年01月10日 08時19分27秒 | 教育を考える
来年度の教育課程を話し合う中で、私にとってはおそらく初めて聞くような発言が飛び出した。

1つ目は、こんな発言である。
「みなさんは時間にルーズです。会議の時間にきちんと集まっているのは、全体の3分の1。教員として恥ずかしいことです。」
「会議に遅れないように、例えば体育などは着替えの時間もあるので、授業を少し早く終わらせるようにして、会議に間に合うように子ども達を
下校させてください。」
前者は校長から。後者は、それを受けての教務主幹から。

その発言のあとに、私が発言。
「会議のために、子どもの授業を端折るということは、本末転倒ではないか。時間のない中で、少しでも早く会議を始めたい、講師がいる場合など失礼に
ならないかということは分からないでもないが、授業を軽く扱って、会議を優先的に考える発想はやめてもらいたい。みんなそれなりに会議に間に合うように努力しているのだから。無理ならばやむなく開始時間を繰り下げるしかないのではないか。」

2つ目は、明らかに「個人攻撃」とも言える発言が、堂々と出てきたこと。
「学年で打ち合わせしたことを守らない人がいて迷惑を受けた」的な発言が、学年主任から。
これは発言ではなく、書面で書いてものをまとめてプリントした中にあった。
幸いに同僚が、
「こんな個人的なものは、ここの話し合いにはふさわしくない。ここでこのように書くこと自体間違っていると思う。」
と発言してくれた。私も言うつもりでいたのだが、この発言につきる。
ただ本人が欠席していたので、どう伝わるか。または伝わらないかもしれない。気になる学年であり、学年主任が、2人の若い教師に対して、
1人には「寵愛」し、1人にはほとんど「無視」のような対応をしている。主任のわがまま、気ままを放置してきた私たちも反省しないといけない。

相変わらず若い人の発言がない。
従順とまではいかないにせよ、批判的な精神と、教師としての誇り、怒りを失っているかのようなふがいない彼ら、彼女らである。

もっともっと私たちの背中を見せていかないと。
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テロへの魅力 そして恐れ

2015年01月08日 18時31分39秒 | 教訓
この閉塞の世界を、根本から覆したい、破壊したい。そんな思いは、いつも私の胸の中に潜んでいる。
ちっぽけな私であるからこそ、一瞬のうちに、世の中を混乱に貶めることのできるテロは、魅力的でさえある。
しかし、例えばテロにより、自分の望んだ社会を作り上げることができたとしても、それに異を唱えるものから、同じようにテロをしかけられたら、それもまた肯定しなくてはならないだろう。
暴力がまた次の暴力を生み出す世界。それを望んだわけではないのに。
いつ、どこで、だれが殺されるかわからない社会。
テロが作り出す社会は、おそらくは現在よりも、もっともっと恐ろしい社会になることだろう。
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さあ三学期!

2015年01月07日 07時45分16秒 | 教訓
明日から三学期。
今日は会議づくしで、来年度に向けた年度末反省と言われる話し合い。
私たちの過重な勤務を少しでも軽減して、普段の授業準備にあて、子どもたち一人一人に目を向けたいと考えているが、現在の勤務条件からして、勤務時間を越えてやらなければ到底処理できないほどの書類の作成、雑務が待ち構えている。
新しい提案も、時間がないから、の一言でかきけされてしまう。
それでも、できることを一つ一つやっていかないと現場は何も変わらない。
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同調せざるを得ない連鎖を断ち切る

2015年01月05日 23時32分39秒 | 教育を考える
私の学校でもそうだが、教師は「超多忙」といってもいいほど、過酷な勤務条件にあえいでいる。
したがって、例えば1人の親が担任に、我が子の指導の仕方、指導法の是非などで、執拗に問い合わせ、
食い下がると、連絡帳での返事、その前段階での学年での対策についての話し合い、管理職への報告をしたり助言を
受けたり・・・とで、あっという間に「容量オーバー」となる。それはそのまま日々の授業に反映し、目に見えて
クラスがガタガタとなってしまう。
さらに管理職から、「指導不足」「使えないわね」とでも言われようとしたら、同僚から「なにやっているんだ」「毅然
と指導しなさいよ」などと言われるものなら、なおさら致命的である。
クラスの指導は、突如管理的となり、担任の笑顔は消え、クラス崩壊は加速度を増す。
そんな事例を見ているものだから、軒並み「横並び」により「出る杭」にならないようになる。
問題が起きて、そこからが教育のしどころだという発想は後退し、「問題を起こさない」クラス作りへと軌道修正していく。
驚くほど静かなクラスこそが「すぐれたクラス」だという錯覚に陥る。
「きまりだから守る」といった発想で、子どもを縛り始める。
静かで、受け身の子ども、一糸乱れずに同じ行動をしているクラス、その大量生産だ。
残念なことに、それを「よし」とする親が増えている。

先生は、ちょっと先に生まれ、ちょっとだけ生きてきた兄貴、そんな立ち位置で教員生活をしてきた私には、最近の教師が
鼻を高くして、静寂で従順なクラスを作っていることに、我慢ならない。

政治的無関心が多いのも、国をどう変えていくかのビジョンも方法ももたない国民を大量に作りだしているのも、元はと言えば、みんなお前ら
が原因なんだよ。

そんな気分だ。
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元旦の新聞を読む 東京新聞編

2015年01月04日 20時56分24秒 | 教訓
元日、3日のものは入手することができず、4日付けのもので検討。
幸いに社説は「年のはじめに考える」であった。
社説のタイトルは「真の強者は弱者に優しい」である。勝ち組だけを優遇している
安倍首相への批判が中心である。
すでに紹介した2つの社説が「軍歌」を聞いてでもいるかのような勇ましさを感じるのに対し、
東京のこれは、冷静に、格差が広がりつつある日本を憂いている。今日は日曜日だが、毎週日曜日には
一部売りの東京新聞を買うことが日課となっている。
日曜版の特集も楽しみだが、「こちら特報部」の記事と、「本音のコラム」、「週刊誌を読む」が面白い。
前者は山口二郎法政大教授が、後者は篠田博之「創」編集長が担当する。
原発の報道もそうだが、今、朝日よりもずっと良心的な記事を書いている新聞とは言えまいか。
派手さはないにしろ、地道に考えさせ、真摯に史実と向き合うという姿勢は、私の読んでいる商業新聞の中ではダントツである。
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桑の葉 やーい!

2015年01月03日 19時26分16秒 | わたしごと
学校でカイコを飼っています。春から夏にかけていただいた500個の卵は、私たちの管理不行き届きで全滅。
秋から飼育を再スタートさせたカイコたちが、今100匹近くいます。
学校にあった桑の木も、ぎりぎりの12月中旬に葉をすべて落とし、それからは学校周辺、市内の桑の木を探しては葉を摘み、
カイコに与えてきました。
そして冬休みに入り、いよいよ桑の木の葉も、近くからは取得できない状況になり、市外の公園で細々と摘んでは、カイコに与える
か細い毎日。
茨城の妻の実家に、箱ごと持ち帰ってはみたものの、もうどこにも葉のついた桑の木はありません。
茨城から帰り、自宅の近くに、まばらに葉をつけた桑を見つけ、そのお家に頼み込んで、なんとか10枚分ほどの葉を手に入れることができました。
ネットでも、桑の葉を販売しているところがあり(キャンドルという会社です)、ようやく5日には届くことに。
さて、問題は明日。
関東、できれば東京で、葉のついた桑の木のある場所をご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか。
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