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息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

記憶にございません

2019年09月29日 21時38分49秒 | 素人の劇評
ま、三谷らしい面白さ。
あり得ない、だからこそ笑えるし、これが真実に近いなら、笑うに笑えない映画になったろう。
後ろの席で、「安倍さんに石をぶつけてみようかな」と笑いあっている老夫婦。
賛成!
と言いたいが、安倍さんは記憶をなくしても無駄だろう。染み付いた下品さや高慢さは、石くらいでは削ぎ落とせないだろう。
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ま こんなもんかな BOOK・OFF買い取り

2019年09月22日 14時43分51秒 | 言葉の勘違い
今回は、約350冊の買い取り希望。古くなって、やや汚れが目立つもの、教育本、ブックレットなどが大半混じっていむため、あまり期待できない。
「マイナスの期待」通り、買い取ってくれたのは、271冊。しめて6320円。平均30円にもならない。
ま、こんなものかな。
ほとんどが5円。むごい値段だ。
高く評価されたのは、
スクールロイヤー、150円。ミライの授業、200円。駒音高く、100円。アメリカの教室に入ってみた、150円。昭和解体、150円。僕たちは宇宙のことぜんぜんわからない、100円。忙しすぎる人のための宇宙講座、100円。科学の誤解大全、150円。北斎への招待、100円。これで、なっとくの歴史、100円。集団左遷、150円。世界の教養365、500円。さよならミニスカート、100円。
この10数冊で1500円くらいを占める。ということは、あとの250冊ちょいで、4800円。平均値はさらに、20円を切る。
もう、ただ同然だ。
私が泣いた分だけ、安く手にいれて満面の笑顔で、BOOK・OFFを出る人がたくさんいますように。

クレーマーじゃないが、どうも新座店はサービスが悪い。
道を隔てた駐車場に車を停めて、2回にも分けて、箱詰め、カート移動している「じいさん」を見ても、何も言ってくれない。何もしてくれない。
さらには、店のドアすら自己責任。少し坂になっていて、そこでカートを停めてドアを開いて店内に入るのは、ちょっと気を使う。しかし、だれも気づかない、いや気づいているのかもしれない。大学生と思われるお客さんが、見るに見かねてドアを開け、押さえてくれた。

あ、安く買い取られた逆恨みではないことを誓っておきます(笑)

レシートの長さが1mを越えている。そこに印字された、一冊一冊は、6000円に、0が4つも5つも書き足せるくらいに重い。
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旭日旗はとりやめたら?

2019年09月19日 18時30分45秒 | 奇妙な風景
同じ事柄でも、国のフィルターを通すと、なぜにこんなにも面倒なことになるのだろう。施政者は、国家の存立のため、あわよくば国民のためと思っているのかも知れないが、あったことをなかったことのように言明したり、事実を歪曲したり、堂々と嘘を並べる姿は、見苦しいかぎりである。
徴用工問題では、日本政府が認めていた「個人による請求権」を棚にあげ、 「前代未聞」「常識を疑う」的な言辞を、韓国に浴びせてきた。
今回の旭日旗についても然り。自衛隊などが使用して、国際的にも慣れ親しんでいるとか。しかし、それは身内の見解にしか過ぎない。この旗は、戦争中に、大日本帝国のシンボルとして、侵略戦争の「道具」として使われてきたことも事実である。だから、それを見て、不快に思う人がいるのは、至極自然なことだろう。もちろん国の内外に。
それならば、簡単なこと。取り下げればいいだけである。

市民生活のルールなら、それで終わることではないのか。
嫌だと思うことは、ごり押ししない。
相手の気持ちを大切にする。
それだけである。

国家という装置は、なんと厄介なものだろうか。

こんな程度の考えにも、「反日」のレッテルが貼られるのだろうか。
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「みすゞ」を観る

2019年09月15日 22時11分46秒 | わたしごと
彼女についての映画、ドラマはいくつかあるようだが、2001年のものを自宅で観る。田中美里、中村嘉葎雄、永島暎子、寺島進らのキャストのものだ。
前半は、かなり断片の描写で、金子みすゞについて、よく知らないと、ひとつひとつのシーンの意味が分からないかもしれない。
彼女や周りの複雑な関係や思いを、うまく出しているか、については、あまり評価はできそうもなし。ただ、「生涯」の本に描かれている、重大、重要な箇所は、しっかり盛り込まれている。
寂しく、しかし気高く、愛しいみすゞ。
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とんかつ激戦区 山本太郎

2019年09月14日 16時15分10秒 | わたしごと
高田馬場「とん久」に。土曜授業の学校帰りで、ややへばり気味で店に向かう。ブログを見ると、いつも満員のようで、今日はダメかなと思いながらの来店。駅前のビルの地下。空いてる空いてる。カウンターながら、五人は座れそうだ。待つ人もなく、すんなりと座席につくことができた。
ランチメニューを眺めると、1200円から2000円を越える定食が並んでいる。店員さんに聞くと、値段の違いは、皿の大きさと量の違いだと説明される。なら、少しの量のをと、A定食を頼むと、急に年配のおかみさん風の女性が現れ、「あ、値段の違いは、部位が違うからです。すみません」と改めて説明し直す。あれ、さっきの店員さんは新米さんかな?と。
したがって、旨いという、特選ロースカツ定食を注文する。ほどなく目の前に。
私は豚の脂身が好きだから、この地層に広がっているような脂の乗った肉に感動。ご飯の炊き方もよし。昔の洋食や弁当を思い出させるケチャップ味付けのスパゲティの添え物もよし。
2100円で満足なら、寿司やステーキよりも手軽ではないか。


高田馬場を下りて、駅前の広場で、山本太郎の街頭記者会見をすると宣伝していたなと思い出し、行ってみると、ピンク色に広場が埋まっている。歯切れのいい、彼の声が聞こえてくる。
近づいて、しばらく喫煙所から話を聞いてみる。
内容は至極もっともである。良心的な人なのだろうと思わせる雰囲気を持った、やはりタレント性を伺わせる。
途中、黒い街宣車がやってきて、「山本太郎を日本から追放させろ!出てよけ!」とがなりたてる。右翼からも一目置かれるようになったのか。
内容は確かで、大半は賛成できるもの。ただ、この程度のものは、これまでにも社民党や共産党が言ってきたものではないか。それがいきなり200万票をとるのだ。個人のタレント性と、障害者の議員といった話題性だけの躍進でなければと思う。
だとすれば、国民は、やはり「劇場」の華やぎだけを追い回している、三流に成り下がってしまう。ま、三流だが。

日本会議メンバーで固めた、右シフトの安倍改造内閣は、またまたうんざり。話題性なら負けないと小泉入閣も、いずれ色褪せるだけだろう。父親を見ていただけに、情けない息子の河野防衛大臣。こんな道徳性のないやつに使われたくないと、心から思う文科大臣。証拠隠し、忖度の功労賞なのだろう。
そして、アメリカには媚びへつらい、韓国には過去の過ちを認めず、内には愛国主義者然とし、誇示と諂いと嘘で固めて総理の座を死守する、裸の王様。
気候は涼しくなったが、不快指数は上がったままだ。
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特別支援 同調圧力 スタンダード

2019年09月08日 11時53分18秒 | 教育を考える
夏の研修で、講師にお礼状を書いた。その一端を。

「夏休み中のお忙しい中でのご講義、本当にありがとうございました。
時間が足りなく、質疑応答(これこそ大切なものなのに)、が能わず、先生には大変失礼だったなと、お詫びも兼ねて、ここで私なりの感謝と感想とを述べさせてください。

なにから書いてようのか、たくさんありすぎて迷っているのですが、ランダムに思いついたことを脈絡を度外視して書きます。

①特別支援のお考え。「ひとりひとり」の基本的なお考えにまったく同感です。自分としては「特別」支援という用語は、かなり違和感があり、正確には「個別支援」「個々対象の支援」といった風に考えてはいるのですが。どうも現場では、「特別」という言葉で、クラスの中での「特別な存在」「特殊な子」といった風の受け取られ方がいまだにあり、クラスの中の「ひとにぎりの」子に視点があてらけがちなところがあるからです。私のクラスは27人ですが、自作のカルテでは、すべての子に、なんらかの「援助」が必要なところがある。みな「特別なニーズ」を持っていると考えて学級経営をしています。もちろん、その中でも、緊急性があったり、程度の違いがあったり、優先順位をつけながら対処はなくてはならないこともあるのですが。

のっけから、いまくまとまらない感想ですね。すみません。

②「「みんな一律に同じラインを求められる」こと、「子どもを<普通>にしない」こと、この記述に、これまで思ってきたこと、悩みながらも教師を続けてきたことと重ね合わせて、思わず「その通り」と声を上げそうになりました。(笑)現場は、ほとんどの行動様式で、「同調性」が求められます。(教員にも)
たしかに、子どもたちが一斉に同じ行動をとると、「見栄えがいい」「親の評価が高い」と言われます。これについても、ずっと違和感を持ちつつも、「折り合い」をつけながら抵抗してきたことでもあります。
今、現場は、この特別支援の考え方が学校に浸透してきているのと、軌を一にして、「同調圧力」も強化されているといった矛盾した「坩堝」のようなものとなっています、
その背景となっているものは、ここ何年かで急速に、自治体、学校に広がりつつある、「スタンダード」です。親に対して、子どもに対して、「これがふつうです」「こうすれば力が伸びます」「みんなこんなルールを守りましょう」といった、指標が生活・学習を問わず提示され、点検されるようになってきていることです。
昔から、その兆候はあるにはありました。「靴箱の靴は、後ろ向きにして、きちんとそろえましょう」とか「早寝早起き、朝ご飯」などです。最近では、「ノーテレビ、ノーゲームの日をお家で設定して、結果と感想を書いて学校に提出すること」「いきいきキッズ大作戦ーーお家で生活リズムの点検を」といったものもあります。ここ何年かで、それが「丸ごと」セットとなって、親に、子どもに課せられてくるようになってきています。新宿区の教育委員会では、生活リズムの「模範」「崩れている層」を示して、その家庭の子が「学力調査」では、「こんなに差がつきますよ」といったパンフレットを作った事例もあります。

③そして、その「スタンダード」は、教員にも広がってきている昨今です。板橋区では。「指導のスタンダード」を教員に課しています。「授業のはじめには、必ずめあてを板書して子どもに説明する」「途中で、必ず一人で考える時間を確保する」など、何項目もの「約束」があるようです。授業の展開は、この学習内容によって、それこそ「創造」されるべきものなのに、です。
私の学校にも「はいたつです」という「決まり」があります。「はい」と、大きな返事をする。自席からきちんと立ち上がる。語尾に「です」をつけるという約束です。それを完璧に実施している教員は少ないのですが、やはり「同調」こそ美徳といった圧力を感じざるを得ません。

講義を受けて、「ラブレターを書きます」と公言した以上、書かなくては・・・と思いつつ、ここまで怠けてしまいました。

本当は、もっともっとお話ししたいことが山のようなのですが、長文による迷惑もありますので、いったん、ここでタイピングを止めます。先生のプレゼンの資料をファイルに収めて、いつもカバンの中に潜めては、時折眺めています。

一方的な感想となっていますが、それも先生に触発されてのもの。どうかお許しください。

ご活躍をお祈りしています。

また機会がありましたら、お話を伺わせてください。」




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正面から 真摯に 「√ ルート」

2019年09月08日 10時42分31秒 | 素人の劇評
9月7日 Pカンパニー第28回公演「√ ルート」 池袋 シアターグリーン

「悪法も法なり」すでに現場では教科としての道徳が始まり、あちこちで「混乱」を生み出しています。親からも疑問の声が上がっているには上がっているのですが、事情を知らない親、そして情けないことに周りの教員すら、「今までと同じではないか」「道徳は必要ないのか」といった楽観的な見方も蔓延しています。そんな中での観劇。よくもこれだけ丹念に取材したなと思えるほど、現場、現状に近い展開がなされていて、それだけでも感激しました。国家主導に「闘ってきた」老教師、「ヒラメ」のように上の意向ばかりを伺う教師、子育て中の母親教師、権威を誇示し、権威に弱い管理職・・・本当に学校の中は、こんな感じなのですよ。
今、目の前で起きていること、しかも黙っていれば、このまま押し切られてしまうような理不尽な事象を、ここまで正面から迫り描いていただいた劇団の皆様に敬意を表します。現場でもがんばらないといけませんね。
役者のみなさんも、それぞれの個性を発揮され、役のコントラストの表出が見事でした。
ついでに、思ったことをふたつ。
一つ目は、道徳の教材を、「手品師」に変えてみてはどうかと。私たちの現場では、一番「支持」され、そして一番「矛盾だらけ」の教材文です。ほとんどの教科書に採用されている高学年向けのものです。すみません、えらそうに。
ふたつめは、記者会見。うーーん、これはあり得ないかなと。望月記者のような親がいてこその展開ですね。ただ、あり得ないからこそ、劇で実現させる、いや、これが本来の姿なのだということもあるでしょう。観ていて、私なりにスカッとはしましたが。そう私が感じてしまうほど、現場は上意下達の、小心者の集団になっています。
初めて「Pカンパニー」さんの劇を観、これまで百本以上も劇を観てきた私の迂闊さに気づきました。今後、注目していこうと思います。
今日が楽日ですね。たくさんの方が訪れることを心から願って。
昨日は、刺激的な時間を、ありがとうございました。
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「昭和歌謡コメディVol.11〜ツキジーヒルズ青春ハクション〜」

2019年09月08日 10時09分19秒 | 素人の劇評
9月7日 「昭和歌謡コメディVol.11〜ツキジーヒルズ青春ハクション〜」 築地 ブディストホール

とりわけ第二部では、思わず一緒に口ずさんでしまうくらい、なじんだ歌の連続。はじめは、拍手もせずに、「なんだ、中学生のお楽しみ会の延長程度だな」と、達観していたのですが、後半は、自分の思い出と重なる歌が続々でてきて、ついつい「理性」をかなぐり捨ててしまいました。
江藤さんが、あのズートルビの「江藤くん」とはつゆ知らず(久しぶりの顔でしたので、あまりの変わりように、失礼)、驚いています。
お客さんは、本当に心から楽しんでいたようで、あほらしいコントながらも、雰囲気に押されて笑いこけている自分がありました。
まあ、こんなのもありかな。
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