息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

男の操 業田良家

2015年12月27日 08時47分50秒 | こんな本を読みました
 マンガで涙を流したのは初めてではないか。
 彼の「自虐の詩」は、何度も何度も同じモチーフの繰り返しで、少しばかり辟易したのだが、
 この「男の操」は、ややそんな傾向があるものの、最後の20ページで涙が落ちてしまった。
 私自身の変化(老化)なのかもしれないと思いながらも、「親子もの」に弱い私が出たのかなとも。

 なお、「自虐の詩」は最後まで読み切れなかったため、後半でどう展開するのか不明。
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「水のない海」白石一文

2015年12月23日 10時04分00秒 | こんな本を読みました
 偉そうに言えば(笑)、重層感が出てきた、そんな印象を与えてくれた作品。
 彼の作品は、ほとんど読んでいるのだが、いつも感じてきた、そして気になっていたことがあった。
 非常に真面目に、そして真摯に、社会と人と向き合う姿勢がありながらも、
 ①その背景として描く社会現象、社会状況が、ストーリーとまったく絡み合っていないこと。
 ②「性」についても、ふんだんに描くわりには、それがどう登場人物と関わり合って展開しているのか、私には見えてこないこと。

 この2つについての不満。

 今回の小説には、この2つの点が論じられるほど描かれていないため、高評価だったのかもしれない。
 つまり、この2つを除けば、「そこそこ」満足のいく作品になるということか。

 しかし、これではいけないのだと思う。
 彼には、この①と②を追求していってほしいと思うからだ。

 
 愉しく読めた、といっても、「どこにもある面白さ」では困るのだ。


 ついでに、もう1つの注文を。

 ここに登場する人物のだれもが、「恋愛を成就できない」面々なのである。
 夫婦になれば、いつかは破綻する。そんな描写ばかり。
 それは小説としては、扱いやすい設定なのだろうが、それでいいのか。

 共に生き、愛し合える関係を保ち続ける恋愛を描いてほしい。
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身内で祝って 誕生日

2015年12月23日 02時36分13秒 | こんなもの いらない
天皇誕生日。
祝日の位置づけはしない私なので、当然仕事、または学習にあてている日だ。

天皇に個人的な恨みはない。
むしろ生まれつき天皇という「役職」「身分」に縛られ、自由も権利もないものに対する同情と憤りがある。
人間としての生まれついたときから平等であるという理念を打ち壊す仕組みが許せないのである。

「天皇」の制度がある限り、究極の平等の実現はあり得ないだろうし、むしろそれが不平等、格差の理由付けに荷担してしまうことだから。
国民を政治的に、イデオロギー的に「束ねる」ために利用もされる可能性も大きい。
行き着くところは「戦争」だ。

個人として、そのような政治的な戦争推進の流れに乗りたくないものだ。

大阪では、理不尽な判決も出された。
思想・信条の自由の認識が、あまりにも甘い。秩序優先の時代錯誤の判決。

「君が代斉唱の際に起立せずに減給処分を受けた府立学校の教師が、処分の取り消しを求めていた裁判で、大阪地裁は教師側の訴えを退けました。

大阪府立支援学校の教師・奥野泰孝さん(58)は、おととし3月の卒業式で、君が代斉唱の際に起立せず、職務命令に違反したとして減給処分を受け、府を相手取り、処分の取り消しを求めて訴えを起こしていました。大阪府の教職員に君が代の起立斉唱を義務付けた全国初の条例が2011年に制定されて以降、初めての提訴で、条例が「思想や信教の自由」を保障した憲法に違反していないかも争点となりました。21日の判決で、大阪地裁は、「原告の行為は、重要な学校行事の秩序や雰囲気を損なわせようとした」として、教師側の訴えを全面的に退け、府の国旗国歌条例は、「憲法違反とはいえない」とする初めての司法判断を下しました。
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扁桃腺は我が味方

2015年12月21日 09時17分43秒 | 教訓
半年から1年周期で、私の扁桃腺が警鐘を鳴らしてくれる。
連日の過労が蓄積すると、私に「休め」「サボりなされ」と、喉の痛みと高熱で知らせてくれるのだ。
ありがたい相棒だ。
先週の金曜日に、約半年ぶりに、その警報が出され、お言葉に甘えて、5連休を決め込んでいる。
子どもたちには申し訳ないが、考えようによっては、それが子どもたちのためでもある。
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鱒寿司 富山競輪場 そして父

2015年12月07日 01時07分47秒 | 思い出を語る
私がよく買ってくるためだろう。うちの息子は2人とも鱒寿司が好きである。
そしてまた、その嫁さんもよく食べてくれる。
月に1,2度は、私が池袋のデパ地下で買ってきては、みんなして分けて食べるからだろうと思っている。

父は、私が小学校の低学年のころまでは、競輪の選手であった。
すでに実力の峠は越えていたとは思うのだが、覚えている限りでは、もうB級の選手としての父しか知らない。
その父が、遠征に行っては、よくみやげを買ってきてくれた。
覚えているのは、函館からは、青い缶に詰められたトラピストのバター、そして富山の鱒寿司である。
年に1,2回だったと思うが、富山の帰りは必ずと言っていいほど、鱒寿司であった。

鱒の肉を酢でしめて、円い形の押し寿司にしたもので、それがおいしくて、いつも父に、
「今度はいつ富山に行くの?」
と聞いてねだったものだった。

父は私が小学校の3年生ごろに引退するのだが、当時は東京では鱒寿司は販売されていないで、しばらくおあずけの状態だったと思う。
その鱒寿司が、東京でも販売されるようになったのはいつごろだったのか記憶にはないが、デパートやスーパーで行われる「駅弁販売」の
イベントの際には、よく出かけて買ってきたものだった。
そして池袋では、東武も西武も、鱒寿司が常時店頭販売されるようになった。

東京で食べることのできる鱒寿司は、2種類ほどのもので、元祖源のものもあるが、肉が薄い。
しかしそれでも鱒寿司には変わらない。
せっせと私が買って、食卓に並べているうちに、鱒寿司は息子たちの好物にまでなってしまったのだと思う。

息子たちの嗜好とはひと味異なり、私には父の思い出が重なっている。

土日に、妻と富山に旅行に出かけた。
ほたるいか、のどぐろ、白エビ、鱒寿司を食べに、という名目だが、私は「富山競輪場を一目見ておきたい」という理由からだ。
父が訪れて、走り、その帰りにみやげを買ってくる。それを少しばかり追体験しておきたいという気持ちから。

富山駅からライトレールという路面(的)電車に乗って、約20分ほどのところの、海に近い場所に競輪場はある。
岩瀬浜という終点のひとつ前の駅が競輪場前という駅だ。
厚手のジャンパー、片手にスポーツ新聞、そんな乗客が乗り込んだ電車は、かつての武蔵野線と同じ雰囲気をもっている。
寒冷地のため、冬場は開催されていないというから、今日は場外のみかなとも思ったが、よくは分からず。
電車の窓から競輪場の高い壁しか見ることはできなかったが、ここでかつて父は走ったのだ、泊まったのだ、家族を思ったのだと
思うと、また私と父との「独り対話」をすることができた。
曇天、風が湿っていて冷たい。
海側には晴れ間が見えているのに、立山の方角の空には、黒く渦巻くような不気味な雲が恐ろしい速さで流れている。

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