以前から、ずっと読みたいと思ってきた、大西巨人の「神聖喜劇」を読み始める。
かつて彼の息子が、私の母校、埼玉県立浦和高校の受験を拒否されたという報道もあって、なにかしらの「縁」を感じていたこともあり、
気になりつつも、ずっと「大作」の読破を遠ざけていたことは、専ら私の怠慢なのだろう。
老いぼれてしまう前の今しか、腰を据えて向き合うことはないと決め、「一気に」ではなく、考え考え、噛みしめるように読み始めている。
なにしろ、ひとつの巻が400ページほど、全4巻である。いつまでかかることやら。はたまた挫折してしまうことも十二分に考えられる。
読み始めてすぐに、はっとするような文章に出くわした。
「・・・私の当代の思想の主要な一断面は、これを要約すれば次のようであった。世界は真剣に生きるに値しない・・・」
虚無的で情けないものであるが、私自身の考えの半分は、いつもこのテーゼで埋まっている。それを何度も何度も打ち消しながら、生きてきたとも言ってもよい。それを完全に打ち消すことができないままに、今日まで来てしまった。情けないことだ。
しかし、大西巨人のことだ。冒頭のこのテーゼは、ページをめくるごとに、別のものに置き換えられるに違いない。
そう信じて、少しずつ少しずつ、文字を追っている毎日だ。