息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

和解は喜ばしいことだけれども

2010年06月28日 22時33分50秒 | 奇妙な風景
国家による犯罪の最たるものは戦争でしょう。
しかし国家の傍若無人さを目の当たりにしても、それを犯罪と見なさずに、国民の大半が憤りもせずに23年が過ぎでしまったものがあります。
もし企業がそんなことをしたら、それこそ犯罪でとして罰せられます。
組合員だというだけで、長い間不当に解雇状態を強いられた人たち。
金銭的には和解が成立しても、平均年齢が56歳では、JRが採用するかは予断を許さないと言います。こんな高齢にしたのはいったい誰なんだとも叫びたいくらいの理不尽さ。

駅舎、車両、不動産と、新しい会社と、中身はそのまま使用しているにもかかわらず、そこで働くものについては、選別してそのまま使用しようとはしない。
こんなペテンは、とても信じられるものではありません。
ヒトよりモノが優先された「改革」です。

この国家的な犯罪の経過を、詳細にさかのぼり、それを断罪するすべはないのでしょうか。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

認定の困難な教員の自殺

2010年06月27日 09時30分00秒 | 教育を考える
「新規採用されたばかりで自殺した静岡県磐田市立小学校教員、故木村百合子さん(享年24歳)の公務災害の認定を求める第10回公判が、6月24日、静岡地裁(民事第2部・山勉裁判長)で開かれ、傍聴席が埋まる30人以上の支援者が集まった。

木村百合子さんは、2004年新人の年の9月に自らの命を絶った。その背景には、クラス運営の難しい状況、新人教師に対する管理職の支援の無さと過酷な状況を後押しするかのようなパワハラがあった。その時の様子を木村さんは自らの日記に克明に書き残している。

百合子さんの両親は、2004年12月地方公務員災害補償基金静岡支部に公務災害の認定を求めたが裁定は、公務外。その根拠は、「パワハラはなかった」「初任者研修等で充分支援をした」「残業は月あたり20時間程度であった」など、現実とは程遠いものであった。そして両親は、認定取り消しを求め2008年静岡地裁に提訴し、この間弁論が続けられてきた。」

(以下は、レイバーネット http://www.labornetjp.org/news/2010/0624hokoku/
でご覧ください。)

私たち教員が残業をした場合、そのほとんどが「自分の都合で行った」「勝手にやっている」といった種類のものとして扱われます。
テストの採点、通知表の作成、明日の授業の準備、学年・学級だよりの作成、処理しきれなかった会議の延長戦、面談の資料作り・・・

私たちの勤務時間は、8時15分から4時45分まで。たいていは4,5時間授業のあとは、なんらかの会議が入り、6時間授業のあとは、こどもたちの下校が終わると3時半を回り、すぐに私たちは休憩の時間帯に入ってしまいます。
つまり、上にあげた仕事は、そのほとんどが、勤務時間の枠の外で行われることになります。

 1971年に「給特法」が制定された時に、教育職員は、原則として「超過勤務」「休日勤務」はさせないことになりました(都条例45条)。例外は、次の4項目とされ、臨時または緊急やむを得ない必要があるときに限るとされました。

その限定4項目は、

①生徒の実習に関する業務(職業高校の航海実習などの場合)
②学校行事に関する業務(修学旅行などやむを得ないもの)
③教職員会議に関する業務
④非常災害等やむを得ない場合に必要な業務とは、非常災害の場合に必要な業務で児童、生徒の負傷疾病等人命にかかわる場合の業務であること。

です。この中に入るものなら、「残業として認められ」あとで時間の調整が行われるのですが、それ以外については、建前では「残業ではない」「個人の都合で行っていた」ということになってしまうのです。
この限定4項目自体に限界や問題点があるのは、私たちの仕事の実態からして明白なのですが、まだそれには手がつけられてはいません。

静岡の木村先生も、慣れない環境の中で、無制限の、底なし沼のような勤務を続けてきたのでしょう。

私たち教員は「こどものため」という大儀があるなら、それこそ自分の生活の時間を削り取ってでも頑張ってしまう「真面目さ」を持っています。
そして、それができない、または困難な教員にとっては、たまらなく辛いことにもつながるものです。
うちの学校にも、朝は七時くらいには、もう学校に来て授業の準備をし、夜は9時、10時まで残って仕事をしている人が何人もいますが、私たちの「権利」といった観点から、自分の行っていることが、職員全体にどのように影響を与えているか、そんな観点で考えている人は、あまりいないのではないかなと思ってしまいます。
「人のことは考えていられないくらい忙しい」のも分かるのですが・・・

「権利意識」のない真面目さは、ときとして周りには「抑圧的」になります。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

少数派にはどう?

2010年06月25日 22時41分39秒 | わたしごと
参院選の公示が行われて、いよいよ選挙も実質終盤です。
私のように、自民も民主もいや、という有権者にとっては、なんともつまらない選挙戦です。
民主主義は、とりあえずの多数派による政策決定、しかし少数派も尊重するという考え、指針ではなかったのではないかなあ。

議員の大半が、小選挙区制度で決まる、現在の日本では、かなり絶望的なくらい、少数派は切り捨てられます。

民意が、鏡のように反映される、比例代表制への転換を強く望みますo(^-^)o
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

熱くはないけれど・・・

2010年06月24日 23時03分21秒 | わたしごと
未明にデンマーク戦です。
デンマークも、勝たないと予選敗退ですし、これまで予選を突破しないことがなかった国なので、威信をかけて攻撃に精をだすことでしょう。

一方の日本も、開催国のとき以外、予選を突破していませんから、これも真剣に戦うことは必至です。

いい試合を期待しています。

冷めている私です。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

パリ20区、僕たちのクラス

2010年06月22日 00時12分14秒 | 素人の劇評
映画です。
「始業ベルが鳴ってから、着席するまで15分間。注意されるまで、帽子は脱がない。教師のちょっとした言い間違いは嬉々として指摘する──そんな“問題あり”の生徒たちに囲まれて、この中学校に来て4年目になる国語教師フランソワの新学年が始まった。

 24人の生徒たちは、出身国も生い立ちも将来の夢も異なる。フランソワは、自分のクラスの24人の生徒たちに、正しく美しいフランス語を教えようとしていた。しかし、スラングに慣れた生徒たちは、反発する。国語とは生きるための言葉を学ぶこと。それは他人とのコミュニケーションを学び、社会で生き抜く手段を身につけることでもある。

 言葉の力を教えたい教師フランソワにとって、生徒たちとの何気ない対話の一つ一つが授業であり、真剣勝負だ。フランソワはどの生徒にも真正面に向き合おうとして、悩み、葛藤する。一方、多感な24人の生徒たちは、率直な言葉、弾けるような笑い、抑えられない怒りでフランソワに応じる。1年間で、さまざまな個性の子供たちが混じり合うようにして何を学ぶのだろうか。」(公式ウェブサイトより http://class.eiga.com/story.html)

「金八先生」のように、最後は感動的に結末を・・・といったことを期待してはいけない映画です。
 ひたすら、1クラスの国語の授業の場面が続くのですが、授業は「対話」が中心です。

 他民族の子どもたちが、フランスという国家としての教育と、民族・人種の特性や個性との矛盾に、どう立ち向かって学んでいくか興味ある内容のものでした。

 「束ねよう」とする教育と、「個を解き放つ」教育との葛藤を、この国語の教師に見つけたのは、私だけではなかったと思います。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

里山から

2010年06月20日 22時05分21秒 | わたしごと
新宿、高野ビルのコニカミノルタのフロアで、今森光彦さんの写真展が行われています。
私は写真については、まったくの素人。昆虫や琵琶湖湖畔の自然や人々の暮らしに関して、素晴らしい写真を撮り続けている著名なカメラマンなのだそうです。
さて、その写真を見てみると。
まず感じたことは、「ああ、この人は、虫も花も人も、それらをひっくるめた世界をまるごと、心から愛しているんだな」ということでした。それはどの写真からも感じ取ることができます。
露にまみれたてんとう虫の接写、草むらからちょこんと首を出したキジ、明け方の棚田とあぜを歩く一人の老人、水船を沈めて保管する村人の知恵、一枚一枚に今森さんの思いが、私に発信されます。

彼は私と同世代。
羨望、そしてかすかな嫉妬。

いい仕事をしていますね。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

卒業アルバムが届いた

2010年06月17日 23時52分59秒 | 教育を考える
今日の昼、学校に卒業アルバムが届きました。
約100冊のアルバムを、明日の夕方、卒業生たちにとりにきてもらう予定でいます。

今日は、その点検。名前が間違っていないか、写真は依頼通りに掲載されているか、色合いはどうか、乱丁や落丁はないか・・・
昨年の同学年のA先生やT先生と一緒に見ました。
転勤されたM先生は、明日合流です。

卒業式が終わって、まだ三ヶ月も経っていないのに、もうずっと前に、こどもたちが去ってしまったかのような感じで、パラパラとページをめくるたびに、懐かしさで胸がいっぱいになりそうです。

手のかからない、落ち着いた学年でしたが、それでも、あれこれ、たくさん私たちを悩ませてくれたこどもたちでもあります。
とくに、女子同士の関係がなかなか安定せず、保健室にこもってしまったり、学校を休んでしまったり・・・ということもありました。

それでも、全員が揃っての卒業式。
私たち担任も感無量の式となりました。

明日は、アルバムと一緒に、2027年のタイムカプセル開封式のお知らせプリント、謝恩会で流した思い出のビデオと、移動教室、卒業式の写真の入ったCDを配ります。

楽しみな明日です。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

悪質

2010年06月15日 23時15分38秒 | 教育を考える
クラスの男子が、座ろうとしていた女子の椅子を、そっと引いて転倒させた。
私の授業中ではなく、教科をまかせた専科の授業の中でのこと。

ちょっと用事があり、授業が行われている教室に行くと、その先生から、ことのあらましを伝えられ、

「ちょっと悪質なので、指導していました」と話されました。幸いにその女子は、たいしたこともなく、すぐに授業にもどったという。

その男子はいたずらっ子ではあるが、こんなことをしたのは、私が担任となってからは初めてのことだ。

椅子を引くこと自体は、絶対にしてはいけないことだ。
私も小学生のときに、予期せぬ椅子の不在に、いやというほど後ろに倒れて後頭部を打った、痛い思い出がある。一歩間違えると、大変なことにもなりかねないものだ。

しかし、私はこれを「悪質」とは思わない。

この先生は、どんな意味をこめて「悪質」と言ったのだろう。

悪質というのは、「陰湿」「故意」「性悪」といったイメージがある。
つまり確信犯のようなニュアンスがある。

この男子の行為は「無知」から来るものである。
しっかり相対して、なぜいけないのかを、真摯に話せばいいことだと思う。

はじめから、「あなたはなんて悪いことをしでかしたの」といった威圧的な態度で、こどもたちに「説教」するのは、教育的とは言えないだろう。

こんな先生、けっこうどこにでもいるものだ。





コメント
この記事をはてなブックマークに追加

熱狂的ではないが

2010年06月14日 20時24分21秒 | わたしごと
今夜は、日本とカメルーン戦。
こどものころは、好きな長島選手が活躍しなかったり、嫌いな巨人が勝ったりすると、一日中不機嫌だったものですが、さすがに今は熱狂的に見ることがなくなりました。
今夜の試合も、力と運と気力の総合が上回るほうが勝つ、とo(^-^)o非国民だと言われそうですが、そんな気持ちで観ています。だから相手の好プレーも素直に称賛できます。

それでもちょっぴり愛国心はあることと、『弱い』『劣勢』と言われる方に肩入れしたくなる判官びいきとで、日本が勝てば面白いのに、ともf^_^;

矛盾覚悟の上での観戦です。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

BOX 袴田事件 命

2010年06月13日 21時07分57秒 | 素人の劇評
二日連続で映画を観ました。
今日は同じ銀座、シネパトスで上映されている「BOX 袴田事件 命」です。
冤罪事件をもとにしたものです。

1966年に実際に起こった袴田事件を基に元裁判官・熊本典道の視点から描く社会派ドラマ。キャッチフレーズは「あなたなら、死刑と言えますか?」。

「2010年4月7日に「日本の司法を考える会」の主催により憲政記念館で試写会が行なわれ、袴田の姉、免田事件で知られる免田栄が壇上で演説した。大谷昭宏は「この映画を見てもなお“取調べの完全可視化は不要”という人がいたらお目にかかりたい」と述べている(広告より)。
初日は渋谷ユーロスペースと銀座シネパトスの2館上映(以降順次公開)という小規模公開ながら、ぴあ初日満足度ランキング(ぴあ映画生活調べ)では第1位になるなど非常に高い評価を受けており、人を裁く難しさについて考えさせられたと語る観客も多くいたという。
2010年8月26日より開催されるモントリオール世界映画祭ワールドコンペティション部門に出品されることが決まった。
タイトルに入っている「BOX」は、“ボクシング”と“閉じ込め”、両方の意味をかけたものであるという。」(ウィキペディアより)

重い映画です。この袴田事件については、すでに知っていた事件ですが、これほど杜撰な取り調べと捏造に満ちた捜査、裁判は珍しいほど。

パジャマによる犯行という起訴にもかかわらず、パジャマについたとされる血痕は微量すぎて判別できなかったこと。一年以上もたってから、味噌樽から「発見」された五点の衣服により、起訴の内容が変えられたこと。その衣服、とくにズボンは袴田さん自身、小さくてはけなかったこと。付着した血痕は、下着のほうがたくさん血がついていたこと。証言で三度くぐったとされる木戸は、実験により「くぐれない」ことが判明したこと・・・
どう考えても無罪を証明するものばかりです。

二、三日前の東京新聞に、当時の地裁の裁判官が出ていました。
三人の合議で、多数決で有罪がきまったこと。将来を嘱望されていたにもかかわらず、裁判官をやめ、酒に浸っていたこと。映画と同じように、袴田さんを死刑判決を下したことが、ずっと彼の人生を狂わしてしまったようでした。

大学時代、狭山事件の石川さんの救援会に入会しながら、ほとんど会合や現地調査に参加することがなかった私。
なにかできないものかと、考えています。

昨日、今日と、権力による犯罪をテーマにしたものでした。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

オーケストラ!

2010年06月12日 22時23分20秒 | 素人の劇評
銀座、シネスイッチで「オーケストラ!」を見る。
オーケストラの名指揮者が、当時のソ連から反国家主義と指弾され、チャイコフスキーの協奏曲演奏中に途中で打ち切られ、解散させられる。今やボリショイ劇場の掃除夫である。 その彼が、劇場支配人のオフィスで一枚の公演依頼のファックスを手にする。彼は、昔の仲間を集めて、様々な困難を乗り越えて、パリでの公演を成功に導く。
このストーリーに、さらに当時の圧政で別れざるを得なくなった、バイオリニストとして成功をおさめている娘との再会や、当時の共産党のダラ官ぶりのコミカルな描写が入り、時間を感じさせることなく映画は終了した。
映画館には、すでにパンフレットのようなものがなく、たぶんロシア映画だろうくらいしか手がかりなし。好演した主人公や娘であるバイオリニストの女優の名前すらわからない。
暗黒の独裁政治と、その犠牲者を扱ったにしては、ズシンとするものはなかったが、私なりには興味深く見ることができた。

メッセージを気にする堅物な私である。監督の意図はなんだったのだろう。

歴史の過ちを二度と繰り返してはならない。
人間は愚かなものよ。
いや捨てたものではない。
愛は、歴史に翻弄されるが、しかし消えるものではない。

なにかひとつズレているような。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

井上ひさし 絶筆ノートを読む

2010年06月11日 20時08分29秒 | こんな本を読みました
文藝春秋の七月号に掲載された、彼の最後の闘病日記を読みました。
肺ガンと診断されて、わずか五ヶ月余りで亡くなったのですから、彼自身のいつもの生き生きした言葉は、ほとんどありません。それほど進行が早かったのでしょう。
それを補うように、妻である井上ユリさんの手記が挿入されています。
彼女は米原万里の妹、お父さんは共産党の衆議院議員であった米原いたる氏。彼は私の住んでいた東京、豊島区を地盤とする人で、メガネをかけた穏やかな顔つきは、今でも覚えています。(大学生のときに共産党が39議席の当選をしたときにの議員で、あのころは、今の民主党躍進以上に興奮したものです)

その井上ユリさんが、彼と交わした言葉を最後に記しています。
「戦争や災害だと、たくさんの人が同じ死に方をしなきゃならないんだ。ひとりひとり違う死に方ができるというのは幸せなんだよ」

もっと書き続けてほしかった、伝え続けてほしかった。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

一人暮らしを始める次男に

2010年06月11日 00時13分04秒 | わたしごと
私が赤ん坊のころは、よく風邪をひいたらしい。
鼻がつまってフガフガしている私を見かねて、父は私の鼻の穴に口をあてて、鼻水を吸い出してくれたとのこと。

これは大きくなってから何回も、母から聞かされたものです。

昨日の道徳の授業の導入部分で、こどもたちにこの話をしました。

損得のない親子の愛情というのは、だからこそ尊く、また哀しいものなのですね。

古い なんて言われそうですが、私はそんな親子の世界には、かなり弱いようです。

下の息子が、「就活もあるので、家の立て替えや、家庭の煩わしさから逃れて、一人暮らしをしたい」として、吉祥寺のアパートを自分で探してきました。
就職が決まっても、帰る意思はないとのこと。

その息子とは、どうもいつもぶつかっていて、まともに話ができないでいることを残念に思っています。
今回の家を出ることについても、母親に話し、それが私に伝わるといった具合。

たくさん生きてきた父親に、なにも相談することもなく、アドバイスを受けることもなく、激励すらされることなく、家を去ってしまうことは寂しい限りです。

私が、自分の父とは比較的よく話せたこともあり、だからこそなおさら、父親として、精神的になにもしてあげられないふがいなさを感じます。

社会人としては、まだまだ未熟な彼に、なにも影響を与えることができないのだろうか。

たくさんメッセージはあるのに・・・
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

日本の労働を鳥瞰する手がかりとして

2010年06月10日 23時17分11秒 | こんな本を読みました
熊沢誠 「働きすぎに 斃れて--過労死・過労自殺の語る労働史」(岩波書店)
を読み始めました。
386ページの力作ですから、じっくりと腰を据えて読み解いていこうと思っています。

私も過労死予備軍なのですし。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

パンを食べてる人?

2010年06月09日 19時49分15秒 | わたしごと
今日は、うちのクラスにスクールカウンセラーの先生に来ていただき、ちょっと気になる子を遠巻きに診てもらいました。 突然の訪問では、子どもたちもわけがわからないと思い、紹介することにしました。
「後ろにいるのはスクールカウンセラーのM先生です」
「みんなはスクールカウンセラーの仕事って知ってますか?」
一斉にたくさんの手が挙がる。
「スクールだから学校のことをなにかするんだよね」「パンンセラーって、あ、学校でパンを食べてる人」「学校で走っている人」
なにか、もうめちゃくちゃです。
ようやく我がクラスの優等生が、「子どものなやみを聞いてくれる人です」で一件落着。

幼くてかわいい子たちなのですが、やはり心配な課題を抱えた子もたくさんいるクラスです。
なんでも悲観的に考える子、気持ちはいいのに集中力がなくて、学習課題を時間内にこなせない子、友達がなかなか作れない子、いじわるでみんなに注目されて悦に浸っている子、悪口ばかり言い付けにくる子、七の段の九々がなかなか覚えきれない子、ほめることをしない子、謝ることができない子。
教えることは山ほどあります。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加