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人とし生きるために

2010年03月21日 21時39分34秒 | 思い出を語る
学生時代によくみんなで歌った歌があります。
どこでどう歌われ続けられたものかは、まったく分かりませんが、今の格差時代にも通じる歌詞のような気がしています。
私は、よく口ずさむのですが、もうこの歌を覚えていて、思い出しては歌っているのは、私だけかもしれません。

 人とし生きるために
        【作詞・作曲】左腰広志


地の底から 地の底から
怒りが 燃え上がる
この切羽で この切羽で
仲間が息絶えた
金のためには
人の生命も
奪い去る奴らに
怒りが燃える

血にまみれた 血にまみれた
写真が落ちていた
学生帽の ランドセルの
顔が笑っていた
この子にすべての
望みたくして
働いてた
友の姿がうかぶ

命かけて 命かけて
きずきあげた職場
この職場に 闘いの火を
燃やし続けよう
人とし 生きるため
子らの未来のためにこそ
搾取の鎖を
絶ち切ろう

 人とし 生きるため
 子らの未来のためにこそ
 搾取の鎖を
 絶ち切ろう


※ネットで調べてみると、ありました!
 これは、北海道の太平洋炭鉱の労働者が作ったものとか。
 ただ、それ以外のことはわからないようです。
 そのホームページには、
 「太平洋炭鉱は北海道釧路市にあり、2002年1月30日、日本最後の炭鉱として閉山、82年の歴史に幕をおろしました。三池炭鉱と同じく三井系の炭鉱でした。闘う労働組合も、三池闘争を最後として、御用組合に成り下がって行ったようでした。」
 という記述も見られ、荒木栄らが活躍(?)していた時代とも重なるのかもしれません。
 (http://www.utagoekissa.com/utagoe.php?title=hitotoshiikirutameni&type=midi)

 さらにこんなHPも見つけました。

 「63年11月9日に三池三川坑で451人、65年2月に北炭夕張で62人、6月に山野で237人がガス爆発事故で死亡した。
 66年には太平洋炭鉱でも死亡事故が続いたが、この年の死亡者4人はすべて社外員と呼ばれる下請労働者だった。低賃金を個人で克服するために長時間労働を行っていた。そして危険とわかっていても、改善要求が出来ない従属関係のもとで沈黙を続けていた。事故は、直轄労働者との大きな差別のもとで、低賃金と無権利の状態が引き起こしたことは明らかだった。
 ♪「地の底から 地の底から・・・
 この『人とし生きるために』の歌は、このときの情況を歌ったものである。
 労働組合は、「同じ坑内に働いていて死んでからも社外員という差別で弔慰金が少ないのでは、労働者の結束はない」と弔慰金を炭労と同額にすることを要求しストライキを構えて獲得した。労働組合は、以後もこの姿勢を貫いた。」
 (http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/uni/uni21.htm)

 学生時代の私たちは「未解放部落」(被差別部落)について学んでいたため、社会の底辺にあたる人々についての問題意識は、おそらくは高かったのだとは思うのですが、そんな背景などまったく分からないで歌っていたのですね。
 もちろん、この歌に通じるものを、なにか感じ取って歌っていたには違いないのですが。


 

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7 コメント

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セツルメント時代の思いで (でろりまん)
2010-05-19 12:32:19
 懐かしい歌詞が検索にひっかかりました。もう30年近く前に学生セツルメント運動をしていた時に、同じ大学に4つのセツルメントがあり、この歌は確か 井戸田セツルメントのテーマソングになっていたと記憶しています。
 いっつも、何人かの仲間が集まると、その場で歌声が響いて、そののち、何時までも続く討論をなつかしく思い出しました。
ありがとうございます (管理人)
2010-05-23 00:06:55
私もセツルメントをしていたので、きっと同時代に、場所こそ違え歌っていたのですね。
私は子供会を中心に、台東区や墨田区で活動していました。
懐かしい (ノラ)
2010-06-21 17:44:28
学生時代の友達がセツルメントをやっていた関係で知った歌です。
よく歌いました。
本当に懐かしく! (やっちん)
2015-11-02 06:24:21
矢も盾もたまらず辺野古へ行って来ましたU+2757 そこで誰かが歌ってくださいました。「人とし生きるため」! 学生時代、部落問題研究会で仲間たちといつも歌っていた歌でした。若くして急逝した友、隼夫君のことも思い出しました。年が明けると沖縄、宜野湾市長選挙。また応援に行くつもりです。
やっちんさんへ (管理人)
2015-11-22 22:50:37
私は中大の部落研でした。
もしかして、同じ??
立命館、東大、都立大など、たくさんの仲間がいましたから、どこかで肩を並べていたかもしれませんね。
そういえば、12月はいつも京都で全国の仲間が集まっていました。
また戦前に戻っていくような時勢で、このまま老いてなるものかと、私なりに闘っています。がんばりましょう。
懐かしく、懐かしく (Unknown)
2017-03-04 01:22:27
偶然、あの歌はどんな歌詞だっただろうか、と思って検索していたら出会いました。
40年間近く前のことでも歌詞をみると歌えました。学生時代にもどったようで、少し若返らせてもらいました。ありがとうございました。
何故、あの歌は…と思ったかというと、森友学園問題で幼稚園児が教育勅語を暗唱しているのをテレビでみて、恐ろしく感じたからです。
若さ、熱意を失いつつある自分を戒めなければ…
ありがたいコメント (管理人)
2017-03-06 22:58:58
私も、燃え尽きないように、若い感性を失わないようにと心がけてはいます。
森友学園については、洗脳とスパルタ以外のものではありません。そして、それに群がる政治屋。日本精神も地に落ちたものです。
互いに、気持ちは若くありたいですね。

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