たしか1986年に、公安警察が、共産党幹部の自宅を盗聴した事件があった。まさに国家権力は、その維持・継続のためには、「手段を選ばず」で、政治の卑劣さ、冷徹さに恐れ戦いたのだが、この事件をモチーフにして、佐野洋は、「卑劣な耳」というミステリーを書いた。
短編の推理小説は、きっと何十冊もあるのだろうが、古本屋にいくと決まって、彼の短編集を一冊買ったものだった。
文庫本を買って読むたびに、「あっ、これ読んだものだ」と、後悔することもあったが(苦笑)。
九条の会などでの活動も含め、年老いてからも、社会から目をそむけずに発言を続けていた、信念の人だった。
「名物批評コラム「推理日記」の連載などで知られた、作家で推理小説界の重鎮、佐野洋(さの・よう、本名・丸山一郎=まるやま・いちろう)氏が27日午後9時25分、肺炎のため川崎市内の病院で死去した。84歳。葬儀・告別式は故人の遺志で行わない。後日、お別れの会を開く。
「短編の名手」といわれ、読売新聞記者時代の昭和33年、推理作家デビュー。39年、「華麗なる醜聞」で日本推理作家協会賞。48年から月刊誌「小説推理」に名物批評コラム「推理日記」を39年間連載し、日本推理作家協会理事長も務めた。
平成9年、日本ミステリー文学大賞。21年に菊池寛賞受賞。代表作に「事件の年輪」など。」(産経)
短編の推理小説は、きっと何十冊もあるのだろうが、古本屋にいくと決まって、彼の短編集を一冊買ったものだった。
文庫本を買って読むたびに、「あっ、これ読んだものだ」と、後悔することもあったが(苦笑)。
九条の会などでの活動も含め、年老いてからも、社会から目をそむけずに発言を続けていた、信念の人だった。
「名物批評コラム「推理日記」の連載などで知られた、作家で推理小説界の重鎮、佐野洋(さの・よう、本名・丸山一郎=まるやま・いちろう)氏が27日午後9時25分、肺炎のため川崎市内の病院で死去した。84歳。葬儀・告別式は故人の遺志で行わない。後日、お別れの会を開く。
「短編の名手」といわれ、読売新聞記者時代の昭和33年、推理作家デビュー。39年、「華麗なる醜聞」で日本推理作家協会賞。48年から月刊誌「小説推理」に名物批評コラム「推理日記」を39年間連載し、日本推理作家協会理事長も務めた。
平成9年、日本ミステリー文学大賞。21年に菊池寛賞受賞。代表作に「事件の年輪」など。」(産経)