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やりがいのない仕事も一段落

2020年12月12日 10時05分48秒 | 教訓
私が教師になってから、最低の通知表の作成がやっと一段落した。やりがいを見つけられない仕事に対しては、自分を宥め、騙し、説得する時間に手間取る。
保護者会で、共通のプレゼンが用意されていて、そこには、今回の通知表について、「新しい学習指導要領の改訂にそって評定がすっきりしました」「分かりやすくなりました」「がんばったこと、がんばってほさかいことが明確になりました」とある。大嘘。
これをもらった保護者で、自分の子どもの学校生活が「よく分かりました」と納得するのは、一人もいないだろう。
無数に近い欠点だらけの通知表。いくつか挙げてみれば、
まず、指導要録丸写しの通知表だ。要録は、教師サイドの指導の資料だ。それをそのまま通知表の観点に採用していること。例えば「知識、技能」を3段階に分けて評定をもらった親は、何を考えるか。国語で言えば、漢字の読み書き、文法、文章表現の技術、ローマ字の習得などがその中身だろう。その欄にポンと「もう少しがんばろう」という丸印が押される。さて何をがんばるのか?皆目分からない。では、所見で見てみよう。
あれそれについての記述がない。
そう、今回は「所見は、すっきり箇条書きにしました」「2、3項目で簡潔になりました」なのだ。ちっとも分かりやすいとは言えないではないか。何を頑張ればいいのか。謎解きだ。返されたテストで推理し、対策は親が考えなければ、我が子はついていけなくなる。落伍者となってしまう。
新しく教科となった道徳には、所見と同じくらいのスペースをさいて、やはり「所見」欄がある。中身がない文章だ。授業の一部を取り出して、「友情はすばらしいものだと再認識していました。」「ルールを守る大事さを書いていました」こんなことは、思ってなくても書ける。そもそも、我が子の「道徳心」が、担任にはわかるのだろうか。
「生活の様子」は、さらに分からない。「生命を大切にし、自然に親しむ」「運動する習慣つけ、元気に生活する」「公徳の大切さを意識しながら生活する」「自分でよく考え、工夫しながら取り組む」など10項目。これを2段階「できる」「がんばろう」で選り分けられる。「ときどきできる」「よくわからない」「なんとも言えない」があればいいのだが、白黒をつけられて親に渡されるのだ。担任は、おそらく自信を持ってつけられないはずだから、クラスで目立った「トラブルメーカーさん」「生活がはっきり乱れている」子をターゲットにして、「がんばろう」を。また評価する自信のない子(ほとんどの子)には、「ま、できるにしておけば摩擦はないだろう」となる。
私が教師になって、最低の通知表。
内部からは、私がピーピー不満を進言している程度で、周りは黙々従っているだけ。愚痴は言うが(笑)
さて、保護者がこれをもらって、さてどう受け止めるのか。なにも反応がないなら、学校も地域、家庭も、体たらくな「思考停止」状態に成り下がった証だと言えよう。
コメント
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