Do you really dream of jumping sheep?
(ども 火星人です。レイシストお断り)
Martian Official Weblog



ちょこぼとはちがいます。
(そんな勘違いしないは誰もしない)

ピアノソナタなどと違って、バイオリンソナタの場合は、大抵、ピアノの伴奏がつきますね。
本当は、「バイオリンとピアノのためのソナタ」なのですが、普通、日本ではバイオリンソナタといってますね。
バイオリンだけの場合は、無伴奏バイオリンソナタなんて言っちゃってますね。
(当り前のことばっかりですまそ)

んだから、バイオリンソナタって言うと、ピアノとバイオリンのコラボなわけですが、そんなバイオリンソナタの中でも特にお気に入りなのがフランクのバイオリンソナタでつ。
というか、この曲、あらゆるバイオリンソナタの中で突出した傑作で(これには、聴いたことのある人のほとんどが同意すると思われ)、個人的にはクラシックの曲の中で最高だと思っているのでつ。

4つの楽章にきっちり分かれているけれどもすべてが繋がっていて、なんんというか縦糸と横糸をそれぞれ一本ずつで織り上げた織物のようなものというかね。あるいは天衣無縫という表現もあるべさ。
さてそのようにきっちり出来たものであるにもかかわらず、激しく感情に訴えるのら。
最初はちょとかったるく始まるが、第4楽章のサビ(最近の使い方での意味)の部分は、鳥肌が立ってきます。(鳥肌っていうのも、最近の使い方での意味)

さて、そんなすごい曲なので、もちろんたくさんの録音が残されています。
何種類かの録音を聞いたのですが、あるときCD屋さんに行ったら、この曲の面白そうなCDがありました。
バイオリンが、パールマンでピアノがアルへリッチ。
知ってる人は知ってるだろうけど、どちらも最高の演奏家なわけでつ。

最高の曲に最高の演奏家二人なら、「どっちの料理ショー」的には最高の演奏になるはずなわけで、思わず買っちゃったのですが、家に帰って聞いてがっくり。
パールマンは例によってすいすいと弾いているんだけど、今一感情に訴えない。
アルへリッチは、妙にサビの部分で力んでミスタッチしてる。
なんか、おかしなフランクのバイオリンソナタになってしまっている。
やっぱり相性ってのはあるのだろうねえ。

というわけで、また定番のティボー&コルトーを聴くことになったのでした。

それはいいんだけど今日は体調悪いのら。


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テレビ見てたら「義経」をやっているのであった。

義経といえば、判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉が思い浮かびまつ。判官というのは九郎判官という別名によるものでつね。
この言葉は数々の軍功をあげ優れた才能がありながら、頼朝からひどい扱いをうけ非業の最期を遂げた義経に対する同情の気持ちを表しているわけですが、ちょっと分の悪い方や弱い方に味方するような場合にも使われているようでつ。
弱いチームを応援したりとかそういう感じだよね。
義経がそれほどの軍功を実際にあげたのか、それほどの才能があったのかはともかく、まあ、そういう使われ方をしているわけでつが、テレビの「義経」はタッキーがやってまつね。
あれだと「判官贔屓」って、弱いものを応援するというよりも、単にかっこいい人を応援するみたいじゃん。(わら
だいたい、暴れん棒将軍まで味方してるやん。

んでもって、日本人には「判官贔屓」の精神があるといわれて来た。これは現在では怪しいね。
確かに、古田とナベツネでは古田を応援した人が圧倒的に多かっただろうけど。
それはもちろん権力を盾に威張り散らしてるようなじいさんと、さわやかな古田では人気の面で勝負になるはずもないし、理は選手会にあるしね。

さて、自民党があそこまで圧勝する選挙。事前に世論調査などでわかっているはずだけど、投票しちゃうんだね、日本人。
このままでは憲法も危ないねえ。

ところで、「宇宙戦争」とか「インディペンデンス・デイ」とか妙な映画がありますが、あんなことがありうるでしょうか。
もちろん、有り得ません。
どうせ自ら滅びる人類に、わざわざ苦労して戦争しかけるわきゃないだろうに。アフォくさ。



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火星同盟日本支部 北海道東ブロック

2005秋ブロック大会要領

大会目標 地球における火星人ネットワークの充実

1、道東における新たな火星高校の設立

遠軽火星高校の火星科が「火星婦は見た」の人気にも関わらず女子以外の入学が出来なかったことから、校名変更、火星科の学科変更を余儀なくされたため、新たな火星人学校の設立が急務となっています。
新たに学校法人の認可を得ることは時間的に困難であることから、既存の私立校の買収を優先的に考慮し、私立高校のある各都市、釧路、帯広、北見の会員は、買収の可能性、予算の見積もり、必要な人員などを大会時に提出してください。

2 食料調達

現在のところ、概ね順調ではあるが、この3ヶ月の調達状況の報告と、今後の計画を提出して下さい。
特に火星にqwimする会員の健康状態には、昨今心筋梗塞が流行っていることなどを鑑み、各出張所とも十分に気を使い、場合によっては変更なども考慮し、実際に変更がある場合は火星にも連絡を必ず入れてください。

3 メディア進出

すでに進出しているインターネット以外の既存メディアについて、進出の必要性などについて、各自大会前に意見をまとめておいてください。


注 移動手段について

参加者は、極力qwimによって移動してください。また、事情によりqwimが出来なずに犬ぞりを利用する場合は、宿泊先、犬のつなぎ場所など十分に考慮すること。

禁止事項

宇宙船により地球人を攻撃、建造物を破壊する行為。
緑色の全身タイツを着用して、地球人の家屋内にqwimし、その私生活を覗いたり、セクハラをしたり執筆活動の邪魔をすること。特に集団で行った場合は厳罰に処す。

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ネヴィル・シュートの「渚にて」というSF小説があります。
もう20年以上前に読んだのですが、ハインラインなどの(ドンパチと派手な)小説に慣れていた私は、ちょっと驚いたのです。
とにかく悲しいお話なのです。
静かに話がすすみじわじわと悲しくなっていくのです。

あらすじはこちら


で、この本の扉裏に、

このいやはての集いの場所に
われら ともどもに手さぐりつ
言葉もなくて
この潮満つる渚につどう・・・・・

かくて世の終わり来たりぬ
かくて世の終わり来たりぬ
かくて世の終わり来たりぬ
地軸くずれるとどろきもなく ただひそやかに

T・S・エリオット


とあります。

原文は「The Hollow Men」(全文が下にあります)の

57~60行目

In this last of meeting places
We grope together
And avoid speech
Gathered on this beach of the tumid river.

95~98行目

This is the way the way the world ends
This is the way the way the world ends
This is the way the way the world ends
Not with a bang but a whimper.

この部分でつ。

まあ、最後は「こんなふうに世界は終わる。華々しい音はなく、すすり泣く声とともに」というような意味でしょう。

つまり、ネヴィル・シュートはT・S・エリオットのこの詩に、(最近流行のw)インスパイアされて、この小説を書いたというわけです。
ドカンという爆発ではなく死の灰による静かな終末、ゆっくりとしかし確実にやってくる死を描いたわけでうー。

さて、このT・S・エリオットの詩ですが、実は、ブッシュを批判した英語のサイトでよく使われています。
もちろん、この詩の最後の部分の影響があるでしょう。「渚にて」という小説(映画も)の影響もあるでしょう。
ですが、もう一つ、この詩自体、他のあるものにインスパイア(ちょっとしつこいかなw)されて作られたものです。

68~69行目

Here we go round the prickly pear
Prickly pear prickly pear


ここと最後の部分(95行目以降)の組み合わせは、マザーグースにでてくる童謡「桑のまわりを回ろうよ」

Here we go round the mulberry bush 
Here we go round the mulberry bush,
The mulberry bush, the mulberry bush,
Here we go round the mulberry bush,
On a cold and frosty morning.

This is the way we wash our hands,
Wash our hands, wash our hands,
This is the way we wash our hands,
On a cold and frosty morning.


これとそっくりですね。
ちなみに、 この童謡は『鏡の国のアリス』にもでて来まつ。

どんな曲か知りたい方は、素敵なサイトを見つけたので、どぞ。

こちら

このサイトの「マザーグースのメロディ」というページの
「23.桑のまわりを回ろうよ」をクリックしてください。

で、この童謡に bush という言葉がでてきますね。
つまり、このパクリではないインスパイアの連鎖に、ブッシュと世界の終わりを見てとった、そういうブッシュ批判なわけですね。
なかなかやるな。
(この詩、地獄のモグジロウ、じゃなくて黙示録にも出とったばい)

もひとつおまけ。
10月1日のブログのフレッド・ホイルさん、彼が皮肉をこめて言ったビッグバンという言葉が、そのままビッグ・バン宇宙論の名前になったわけですが、彼自身の理論である定常宇宙論には、big bangに対抗してwhimperという言葉を使ったそうでつ。
くす。

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by T. S. Eliot

       Ⅰ

We are the hollow men
We are the stuffed men
Leaning together
Headpiece filled with straw. Alas!
Our dried voices, when 5
We whisper together
Are quiet and meaningless
As wind in dry grass
Or rats' feet over broken glass
In our dry cellar 10

Shape without form shade without colour,
Paralyzed force, gesture without motion;

Those who have crossed
With direct eyes to death's other Kingdom
Remember us--if at all-- not as lost 15
Violent souls, but only
As the hollow men
The stuffed men.

II

Eyes I dare not meet in dreams
In death's dream kingdom  20
These do not appear:
There the eyes are
Sunlight on a broken column
There is a tree swinging

And voices are 25
In the wind's singing
More distant and more solemn
Than a fading star
Let me be no nearer
In death's dream kingdom 30
Let me also wear
Such deliberate disguises
Rat's coat, crowskin, crossed staves
In a field
Behaving as the wind behaves 35
No nearer--

Not that final meeting
In the twilight kingdom.

III

This is the dead land
this is cactus land 40
Here the stone images
Are raised, here they receive
The supplication of a dead man's hand
Under the twinkle of a fading star.

Is it like this 45
In death's other kingdom
Waking alone
At the hour when we are
Trembling with tenderness
Lips that would kiss 50
Form prayers to broken stone

IV

The eyes are not here
There are no eye here
In this valley of dying stars
In this hollow valley 55
This broken jaw of our lost kingdoms.

In this last of meeting places
We grope together
And avoid speech
Gathered on this beach of the tumid river. 60

Sightless, unless
The eyes reappear
As the perpetual star
Multifoliate rose
Of death's twilight kingdom 65
The hope only
Of empty men.

V

Here we go round the prickly pear
Prickly pear prickly pear
Here we go round the prickly pear 70
At five o'clock in the morning.

Between the idea
And the reality
Between the motion
And the act 75
Falls the Shadow
For Thine is the Kingdom

Between the conception
And the creation
Between the emotion 80
And the response
Falls the Shadow
Life is very long

Between the desire
And the spasm   85
Between the potency
And the existence
Between the essence
And the descent
Falls the Shadow   90
For Thine is the Kingdom

For Thine is
Life is
For thine is the

This is the way the way the world ends 95

This is the way the way the world ends
This is the way the way the world ends
Not with a bang but a whimper.


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ジャズ喫茶の話をしようとしたら、昨日、某社所属の○塚愛という歌手のパク○疑惑がライブドアやインフォシークのニュースで出たようです。(この人のパ○リも以前から有名ですが)
今回は、FFⅩの曲と、メロディーや歌詞やPVまでそっくりだそうで、そこまで手を抜いた仕事ってありなのかなあ、と思いますが(最低時給の仕事でももうすこし大変だよね)、これってパクリの元が有名だからまだましで、以前は、○塚愛さん、インディーズの曲のパクリ疑惑が出ていました。
これって非常に悪質な行為なのだ。インディーズで地道に活動して曲作ってる人の作品を勝手にパクるなんていうのは、ものを作っている人たちからすればまさに許されない行為でしょう。
宣伝によって売れたものだけが好き勝手にやっていいのなら、これから頑張ろうとする人たちのモチベーションは失われ、結局はただ売れればいいという人たちだけが音楽(らしきも)をやって、徐々に質は低下するでしょう。

JASRACのジャズ喫茶つぶしやMIDIつぶしなども含めて、文化を衰退させる行為をなぜ彼らが続けるか。
それは彼らに才能がないからであって、頼れるものがお金しかないからでしょう。
JASRACがCDやレコードを流す喫茶店から法外なお金をとれば、喫茶店はたまらないから、CDはやめて「ユーセン」を利用する、という図式もなかなか。
本来なら、ジャズ喫茶などで曲を聴いて知識も増えて、CDやレコードを買うようになったりするものなのに。
このままではジャズを聴く人間はどんどん減っていくでしょう。

著作権というのは、もともとは活版印刷の発明で簡単にたくさんの同じものを増殖できるようになったのが、背景にあるといわれていて、これはもともとの出版者側が既得権益を守るためでありましょうが、当然のことながら、まずは著作者の権利でなければ今となっては意味が無いし、何より文化を守ったり発展させるためにあるべきでしょう。
文化が廃れて損するのは彼らのはずなのだが、結局は当面の利益があればいいというレベルなのだろうね。


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某社の「のまネコ」がモナーのパクリであることは、つとに有名ですが、みなさかなー様によればあれはクリエイティブだそうです。品詞がおかしいのは私のせいではありません。
ネットでは某社が非難を浴びておりますが、最近、ヤフーの株式の某社のトピックで某社を批判する書き込みが次々に削除されているそうです。
それで、トピを見てみましたが、ものすごい虫食いですごいことになっていました。
株式のいろいろなトピを見ている人も、これは異常なことであると言っていました。
「風評の流布」ならともかく、会社がやったことに対する批判が削除されるというのは、そうとう某社が必死になっていることを示していると言えそうです。

えー、ところで、MIDIというものがありますね。
ネットではごくごく当り前に様々なページで流れているあの音楽。
音楽にはもちろん著作権があります。
曲を作った人(あるいは作詞した人)、演奏した人。
MIDIも自作曲や、著作権の切れた人の曲であれば、自由に流すことが出来ます。
しかし、そうでない場合、例えば流行の曲などは、作曲者に著作権があります。
今は、そのため勝手にはやりの曲のMIDIを作ってHPで流したり出来ません。
以前は、今のような規制がなかったそうですが、ある時期に規制が入りだしました。
MIDIは基本的に無料できけますよね。
私も自分のHPで、随分と使わせてもらっています。
メールやBBSで「貸してください」とお願いして、そこのHPのリンクをして使わせてもらっています。
自由に使っていいよ、というHPもあります。
私のHPのトップページ他、2曲使わせて頂いているところでは、
「ダウンロード・二次使用自由です。サイトでご使用の際はご一報いただけると嬉しいです。(強制ではありません)」
と書いてあります。もちろんメールしてリンクもしてますが、ネットのいいことろは、こういうところです。
プロの方の演奏も無料で貸してもらっています。
モナーにしてもみんなが自由に使ってます。だからいろいろなAAが出来るのです。
MIDIで曲をきいてCDを買いたくなる人も少なくないと思います。
ではなぜ規制したのかというと、やはりお金儲けしたい人が居るからなのです。
まず、JASRAC。
ジャズ喫茶つぶしで非常にnotoriousな団体ですが、著作権の切れていない曲を10曲アップしたら、年間一万円払わなければいけないそうです。
HPって見るのは無料だし(当り前だ)、ダウンロードも無料なのにですよ。
完全に暴利をむさぼっています。
もうひとつ、着メロ。これで一稼ぎしたいやつらです。
MIDIだと、CDのようないい音は出ないけど、着メロにはそれなりに使えますね。
でも、そうやってみんなが無料でMIDIの着メロを使っちゃうとお金儲けできないから、規制して有料の着メロで儲けようという人たち。
もちろん某社も大きく関わってるでしょうね。CCCDの会社だもの。w
ちなみに最近話題の「ユーセン」というのは某社の親会社です。
やれやれ。
クリエイティブとは、楽してお金を作り出すために文化をつぶすという意味かもめ。
まあ、あういう人たちを見て思うのは頭が悪いなということ。そうとうにIQが低そうだし、EQについては言わずもがな。(正直でごめんなさい)
それゆえにあのような不細工な生き方しか出来ないのでしょう。
まあ、顔があれだし。(これは私が言うとかなり嫌味だなあw)

ジャズ喫茶つぶしの参考リンク

こちら


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寝ころんで 書読んでたら 眠くなり

さみだれって いつ降るのだねと 火星人

本日は心電モニター二つでつ
(重くて肩が凝るがな)

病院の エレベーターに やっと乗れ
(8月14日 安静度が「院内を歩けます」に変わって)

ぼっちゃんは 盆暮れまでも ぼーっとして

靖国と エイベックスと 楽天だ
(2005秋)

あの月は いったい誰が食べちゃうの?

晴れた朝 工場の煙も 凍りつき
(放射冷却現象により地面が冷やされ接地逆転層ができる。無風の場合には特に顕著。
これを考慮して高い煙突を作らないと煙が下に流れる)

今日もまた ブログのネタが 見当たらず

ひねもすが 延びに延びたり よもすがら

つまらない川柳作って眠くなり

みなさかなー 今後以降の しゃっちょさん クリエイティブの 意味は知ってる?
(品詞まではとてもきけない)

日本語も 英語もひどい しゃっちょさん どちらの国で 育ったのだろ

久方の 光浴びたし 病院の 外に立ちをり 
曇ってやがらあ

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また靖国ネタですまそ。

「首相に就任したら必ず(靖国神社を)参拝する」と表明したことについて、「内閣総理大臣が公的な資格で参拝を行うことを公約したものとは理解していない」

上記は、政府の見解だそうです。
ひょっとしてこの国の内閣って「公約」の意味をわかってないのか?
と思って、ふと選挙のことを思い出した。
「刺客」。
亀井さんや武部さんが「しきゃく」って言っていた。
おっさんにくせになんで「渋谷・池袋の女子高生100人にきいたら61人がこう答えました。ちなみに30人は『さしきゃく』でした」
みたいな読み方しとるんだ、と思っていたのだけど、
今、PCで「しきゃく」と打ったら、なんと
「刺客」と変換できるじゃあないですか。
どうやら、読み違いが多いので慣用読みになってしまっているらしい。
もともと「しかく」も「せっかく」の慣用読みじゃねえか。
国語の先生が漢字の読みの問題に出すネタがなくなるから、なんでも慣用読みにしてしまうのはやめてください。w

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年とってるな。

すまそ。

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シニフィアン(signifiant)とシニフィエ(signifie)はフランス語を起源とする言語学用語で、シニフィアンは「意味するもの」「表すもの」を意味し、シニフィエは「意味されるもの」「表されるもの」を意味する。日本語ではシニフィアンを「記号表現」、「能記」などと表記し、シニフィエは「記号内容」「所記」などと表記するが、「能記」「所記」は古い表現方法である上、見ただけでは何のことか判らないため、最近では用いられることはない。

シニフィアンとは言語が持つ実体のことで、例えば海という言葉の「海」という文字や、「うみ」という表音のことを言い、シニフィアンによって意味されたり表される海のイメージや海という概念、意味内容がシニフィエということになる。ソシュールが創設したと言われる一般言語学においては、シニフィアンとシニフィエとが一体となったものをシーニュ(sign)、すなわち記号であるとしている。

ウィキペディア(Wikipedia)

=======================

「ノーバイ」という発音の言葉があって、ほんとは「のうばい」、書くと「脳梅」。
脳梅毒のことです。病気の名前です。(すいません

上記の説明によると、「ノーバイ」「のうばい」「脳梅」「脳梅毒」はシニフィアンで、それが表わす脳梅毒という病気がシニフィエということになる。

ところで、ぼくの場合、「ノーバイ」っていう言葉は、少し表わすものが違うのだ。
ニーチェの脳梅毒とかじゃなくて、「すすめ!!パイレーツ」という漫画で、粳寅(うるとら)満太郎が父親の満次郎によく言っていた「このノーバイおやじ!」という台詞を思い浮かべるのだ。
ノーバイ(シニフィアン)→病気の脳梅毒(シニフィエ)。これは共通の概念と考えていいだろうけれども、「このノーバイおやじ!」という台詞は誰でも思い浮かべるものではない。

さて、このシニフィエというのは、共通の概念のみを指し示すのか、あるいは、個々おいて異なる概念でいいのか、というのことについて調べてみたが、いまいち分からない。でもたぶん、どうやら後者のようだ。

つまり、「可能世界ぐーちゃん」においては「ノーバイ」(シニフィアン)が、「『このノーバイおやじ!』という台詞」というシニフィエを表わすというは真であるのだ。
しかしもちろん「可能世界ニーチェ」においては、偽である。
つまり、この二つの可能世界においては到達関係がないのだ。
この場合、「ノーバイ」(シニフィアン)→「『このノーバイおやじ!』という台詞」(シニフィエ)は、「ある可能世界で真」(可能的に真)であって「あらゆる可能世界で真」(必然的に真)ではない。

簡単にいうと、言葉が意味するところの概念は人によってちがうのだ。

というようなある程度の年月を生きていれば、直感的にわかる極めて当り前のことを、長々と語ったことをここにお詫びいたします。
m(__)m

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昨日は、久しぶりに、マウンテンバイクに乗って、やや遠くまで行ってみたのです。
割と暖かかったのです。

マウンテンバイクで、といっても街中というか、病院に予約をしに行っただけなんだけど。

街中に行くには中央通りまで出て、そこから一気に下るのが近道というか王道なわけですが、そこまで行く途中の道は、毎年寒くなるととにかく工事をする道なのだ。
今年も始まってしまってちょっと面倒だたでつ。
しかし、最近は工事中に車を誘導する人、随分親切だにゃ。
まあ、それはともかく、中央通りに突入するとなぜか雪虫がやたら多い。(ちなみに雪虫は先週末から見かけるようになったのであります。)
ぶつかって来てちょいと邪魔だなあと思いつつ、下っていると、久しぶりにナナカマドが目に入ったのだ。(いや、もちろん、目にナナカマドなんて大きな植物が入るわけはなく視界に入ってきたわけですが)
中央通りの街路樹はナナカマドなわけで、いつ通りのことなんだけど、ついでに紅葉しているというのも、家の周りの木だって紅葉しているからどうってことないんだけど、実がなっていたのだ。
ちょっと懐かしい気がしたのだ。
そんだけ。

病院に行って機械で予約したがまことに楽ちんだった。(ただ、血液検査の予約はできず、少し早めに行かねばならない)
さて、帰り。ほとんどが上り道なのだ。
前回、街中に出た時は(それも病院だったけど)、体調がよろしくなかったということもあって帰りの上りは半分以上マウンテンバイクを降りて押しながら歩いた。
心臓に不安があったからです。実際非常にしんどかったし。
昨日は、ゆっくり上ってみたけど、大丈夫なようなのでずっと乗っていた。
病院からだと中央通りを1キロ以上ずっと上らねばならず、入院前でも結構嫌な道だったのだけれど、なんとか上れたのでまあ、よかったわけです。
しかし、問題がひとつ。雪虫君だ。
下りのときはあっという間に通り過ぎたので、ただぶつかるのが邪魔という程度だったのが、上りになると時間がかかるうえに、息があがってはぁはぁしながらだから、口に雪虫が入って来そうになる。
深くゆっくり息を吸いたいというこちらの大いなる野望を打ち砕くべく次から次に顔のあたりにやってくる。
帰ってきたら体中雪虫だらけ。(ってそこまでたくさんでもないけど)
君たち、すこしは人間をよけなさい。

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昨日で終わるつもりだったけど、某掲示板でついつい関わってしまったので、続きでつ。
つかー、某掲示板で書いたことのまとめ。(まとまってないけどw)

この問題で不思議なのは、激しく左寄りの意見というものがあまり無いということ。
そこで左寄りに行ったわけですが、
私にいわせれば、当時の国家神道なんていうのは、オウムを国教にしたようなものなのだ。

そりゃ、天皇と麻原が同じようなものだとは絶対に言わない。戦後の昭和天皇は立派であったと思います。
宙ぶらりんな立場になりながら(まあ、それは仕方ないけど)、平和の象徴としてがんがったと思います。

それは置いといて、
国家神道とオウムはいずれも硬直した教義によって多くの人を殺したのです。
オウムの場合は、オウムの外部の敵、あるいは関係ない人を殺したわけだけど、
国家神道は、外国の人も日本の人も殺したのだ。
つまり戦死者も国家神道の被害者です。
靖国神社では戦死者が祀られている、すなわち加害者が被害者を祀っているという信じられない事実があるのだ。
なんだこりゃ。

これはでつね、国家神道は殺人だけではなく洗脳も行ってきたからだべ。
みんな脳味噌ごしごしされたわけだな。(違
だから急にいままでのは間違ってましたっていわれたところでそら信じられまへんがな。

しかも、あんた、戦争で死んだ人は無駄死にでんがな。
国を守るためとかいってももともとは日本から仕掛けた戦争でんがな。
国を守るためではなく、軍部のエゴのためでんがな。
そやけどそんなことのために死んだなんてゆうたら、戦死者がうかばれまへん。
あまりにもかわいそうや。
そやからずっと洗脳されておく必要があったんやな。

そんで、戦後、靖国を強く支持したのは、他でもない遺族会やねん。
大義名分のために立派に死んでいったことにしたいんやろな。
その心情はわかりまっせ。

けど、靖国のかわりの施設については遺族会の人はどない考えてるんやろな。

さてー、戦争をはじめたのは日本であるわけですが(そらみんな知ってるわな)、これについて、「開戦せざるを得ない状況に追い込まれた」という意見もあるようです。
これは、つまり当時の日本の政府は無能だったのですといっているようなものです。
無能は罪ではありませんが、国の行く末に関わるような立場にたつのは罪です。

話は戻って、オウムの場合、それほど大きい規模の宗教団体ではなかったので、彼らの犯罪が発覚した時、日本中のほとんどが彼らを悪だと思ったはずですが、
国家神道の場合は、日本人全員がその信者であったために(強制的にそうなっていたわけだから)、どれほど悪いことをしていても、なかなかその悪さにはが気がつくことが出来なかった、あるいは気がつきたくなかったわけでつ。
詐欺にあった場合でも、一生騙されていれば、それなりに幸福ってわけだにゃ。

ちょと、過激なこといってますが、世間では近頃やたら右寄りな発言が目立つので、左を補強してみました。w
遺族会のみなさん、ごめんなさい。

私自身は、靖国は残すべきだと思っています。日本の恥の象徴として、忘れないように。
それとは別に戦没者を祀る施設を作ればいいと思うのだ。

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またまた時事問題でつ。
おさーんが靖国問題を語ることほどつまらないものはない。
こういうのは女子高生にでもばっさりやってもらったほうが面白いんだけど、渋谷あたりの女子高生にきいても
「なにそれー。あ、tomocoの元カレ?なんか問題あんのー?」
とかで終りそうなので、やっぱあかんがな。
(もしもちゃんと答えた場合は、単に女子高生の格好をしているだけのおばさんである可能性が高いw)

「国内の問題だから、中国や韓国にとやかく言われたくない。」という意見はまあ、はっきり言って正しい。

しかし、それじゃあ国内の問題としてちゃんと処理されているかというと、いうまでもなく「全然」なのだよね。
そもそも靖国神社というのは、なんだろね。
1863年、に倒幕運動で散った尊皇の志士をまつるべく、八坂神社境内に小祠を建立したのが最初だそうだ。
各地でそのようなものができ、「招魂社」となって、1869年に東京「招魂社」ができた。
それが1879年に靖国神社となったらしい。
だから、昔からの神社ではないのだ。明治以降の「国家神道」のための神社なのだ。
普通の神社は、昔の内務省の管轄だったが、靖国は、陸軍省、海軍省、内務省の3省の管轄で、運営は主に陸軍省だったそうだ。
ようするに、一般の宗教的存在ではないどころか、軍が管理し国民の信仰の自由を奪った日本最悪の歴史の象徴であり、現憲法ともっとも遠い存在なのだ。

なぜ、これをいままで放置しておいたのかね。ちゃんと処理しておかないから、中国や韓国にとやかく言われるのだ。
A級戦犯が祀られているのが問題だという声に対し、A級戦犯というのは、外国が勝手に決めたことだという意見もある。だったら、国内でちゃんと戦後処理しておきやがれ。
自分で戦争を仕掛けて負けたんだから四の五の言うな、て感じだな。
潔くないことこの上ない。

そいで、そういう靖国に参拝する人ってなんだろ。
古き良き(超爆)日本へのノスタルジー以外に何があるのだろう?
まあ、靖国を壊して新しいものを作ったら金がかかるというアフォな意見があるけど、靖国に参拝して不買運動されるよりは安く済むと思うが。


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何のひねりもなく薬の副作用の話です。

入院して数日して、薬の詳しい説明が書かれた紙(ようするに説明書)をもらったんだけど、入院中は、副作用なんていうのはほとんど気にならなかったので、その後もまったく副作用については忘れていたのだが・・・。

退院して、突然わけのわからない腹痛や吐き気や胸の痛みなんていうのが、襲ってきて、悩んでいたら昨日変なものが見えた。
そうだ!これは副作用に違いない。

そこで説明書を再び読んでみた。
まずは、バイアスピリンの副作用

蕁麻疹がでる、
息苦しい、
目の前が暗くなる、
鼻血や歯ぐきから出血しやすくなる(注:なんか日本語がおかしいけど)
吐き気、
突然のひどい頭痛、
物がゆがんで見える、
黒い影が飛んで見える、
胸やけ、
胃が痛い、
便が黒くなる、
39度位の発熱、
皮膚がまだらに赤くなる、
水ぶくれが出来る、
口内があれる(注:校内ではない)、
のどが痛い、
息をするときのどがヒューヒュー鳴る、  など。

なんじゃこりゃ。
この調子で、あと4種類の薬も副作用が書いてある。(バイアスピリンはむしろ少ない方だ)

これだとどこが痛くなっても不思議は無い。というか、死んでもおかしくない。いや、確実に死ぬ。

やっぱり薬は体に悪い。出来れば飲まないほうがいいよなあ。
そういうわけで、先日から風邪気味に加えて副作用が出ているようで(ここまで来ると副作用だかあんだかわからんけど)、不調でつ。

つまり、ネタが無いのだ。w

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