Do you really dream of jumping sheep?
(ども 火星人です。レイシストお断り)
Martian Official Weblog



体調不良につき、お休みさせていただきます。



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あまりにも、ひどい内容なので、まとめ直しまふ。

明日あたり。

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だんだん長引いてわけがわからなくなって来ましたが、金は目的になりえるかということと、お金のために仕事をするというのは、どうなのだろうか、というのがテーマだったかにゃ。

経済というのは、ロビンズ(L.Robbins)さんによると、「人間の多様な欲望に対応するために少ない自然資源をもっとも有効に組み合わせる選択システム」だそうでつ。
たぶん「もっとも有効に」という部分ははずれてと思いますが。
まあ、はずれてないにしても、理想の「経済」でしょうね。それほど立派な「経済」はいまだかつて成し遂げられたことが無いでつから。

ここから考えてみると、人口が少ないほうがやり繰りが簡単だということになる。
お父さんの給料が変わらないとすれば、子供は少ないほうが生活が楽なわけでし。
少子化で騒ぐ人はおかしいです。

それはともかく、「人間の多様な欲望」ということから考えると、ぼくらの欲望の対象は、主としてお金になるわけではないようだ。
「あれが欲しい、これも欲しい」「あれをしたい、これもしたい」ということなのであって、お金は直接の欲望の対象にはならない。だって数字だお。
もちろん、お金が貴金属や宝石だと「お金フェチ」の人は結構出るだろうし、数字フェチという人も世の中にはいるけど。w

ところで、他人から尊敬されたいと思う場合、もちろん尊敬されることを狙った行動をとるというのは不細工なことなんだけれども、少なくとも世の中のためになることをしたいと思う人は大勢いるでしょう。
20世紀、世界でもっとも尊敬された人の一人にマザーテレサという人がいます。
この人はほとんど個人の持ち物を持っていなかったことでも知られています。
ぼくは、日本の新興宗教の親玉たちがなぜマザーテレサのようなことが出来ないのかが不思議なんだけど、それはともかく、世の中の役に立つのにそれほどお金が無くてもいいということは分かりますね。
(もちろん、全然ないと飢え死にますが)
こんなことは言うまでもないでつね。

と、ここまで書いたのはいいけど、人類のためになることって、やっぱり地球のためにならないんだよね。
みんな死ねばいいのに。(わら
特に地球の資源を食い荒らしてるアメリカ人とか。
うーん、環境を一切汚染せずに人間だけ綺麗に殺す大量殺戮兵器ってないかな。あれば、とりあえずワシントンDCで試してみたいんだけど。

あ、こんなこと書くと、異常者だと思われるかも。てへ

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前回までの流れとちょっと変わるんだけど。

東北の方で地震があったらしいでつね。
東京で震度5強だったら、ちょっと寒いことになっていただろうと思ったのですが、とりあえずまだ住人も引越しを終えていない状態では洒落にならないので、はやく引越しできるといいでつね。

などと考えていてバブルの頃を思いだしました。
バブルもかなり深く進んだころ、さすがのぼくもなんかおかしいと思い出した。
当時、何かに日本の土地を全部売るとアメリカを四個買えるというようなことが書いてあったからです。
それが概ね事実だったとして、いったい何を根拠にして、そんな土地の値段に成り得るのかと激しく疑問に思えてきたのだ。
もちろん、それまでにも疑問はあったのだけれども、おそらく経済は人間の意識の問題だろう、つまりこれは単にインフレのようなものなのであって(もちろん正確には一般的なインフレとは違うのだけれども)、土地が高くなっても、株が上がっても、全体として上がるならば、さして不思議は無いわけでただそれだけのことなのだろう、と思っていたのだ。
みんなの収入が増える割合と土地の値段が上がる割合や株の値段が上がる割合が同じなら何も上がったことにはならないわけだから・・・。
ただなんとなく右肩上がりになっていれば、いい気分なのだろう。
などと、ちょーてっきとうに考えていたが、やっぱりアメリカが四個買えるというのはおかしい。
単に面積の問題ではなく日本の国土とアメリカの国土では圧倒的にアメリカの国土のほうがそれによって養える人数が多いからだ。
仮に日本が経済的にとてーもうまくいっていたとしても、本来、土地の値段とは関係ないはずなのだ。
もちろん人口が多ければ土地は高くなるだろうが実際にはアメリカの方が人口は多い。
単位面積あたりならわかるが全体でアメリカよりもお値段が圧倒的に高いというのはまるっきりおかしいのである。

日本はずっと右肩上がりに慣れていた。経済的な面から見れば、社会の仕組み自体がそうなっていて、経済成長率がアップしないと困る、そういう状態になっていたのだ。
本来、成熟した社会では成長率は(全体としては)ゼロで推移していっても問題ないという仕組みが望ましいのだ。
そういう対応が出来なくて、植民地支配やら戦争やらをやってきたのが人類の歴史なのであーる。

つまり、頭の中がバブルなのだった。
これ、結構気がついていた人が多かったのではないだろうか。
かなりおかしいことは多くの人が分かっていたのではないだろうか。
でも、言えなかった。
おかしい、と言い出してバブルが崩壊してしまうと大恐慌が待っているからだ。
ほとんど単に気分だけの異常な好景気であることがわかっていただけに、その脆さを考えれば余計それを指摘できないのだ。

もちろん、おかしい状態はいつまでも続かないから程なくバブル崩壊を迎えたが、これって今回の耐震構造偽装事件と似ているでつね。

いつかは崩壊するのだ。それはインチキの仕組みが発覚して崩壊するか、地震が起きて建物が崩壊するかのいずれかである。

というわけで、長くなってますが、次回あたりは一旦まとめられそうな気がしないでもないでつ。


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シリーズはちょとお休み。

国会で証人喚問をやってましたが、ニュースなどで見るとき、どうしても気になるのは議員がどういう姿勢をとるのか、それをマスコミがどのような姿勢で伝えるのか、ということなのでし。

心配していたのは、雪印の事件のときのようなマスコミの対応なのだ。
まあ、雪印の社長もてっきとうな対応だったから腹も立っただろうけど、
社長が「寝てないんですよ」っていったら「そんなこと言ったらこっちだって寝てないんですよ!!」って言うのがあったけど(しかもなぜかその場面を繰り返していた)、「そりゃあ君の勝手だよん」と私は思いますぅた。
その記者が寝ていないのは、その記者の都合であって決して雪印の社長のせいではないのだ。

それはともかく、今回は、姉歯氏に対して、みんな優しかった。(わら
これは当然でつね。
彼は自分の違法行為を認めたわけで、その上でさらに貴重な告発者としての存在意義があるわけだ。
彼からどのくらい事実関係を引き出せるかということはとても重要なのであーる。
なるべく余計なことを気にしないでガンガン話してもらわないといけない。

この点についてはマスコミも賢明だったような気がしないでもないこともないわけでもない。w
姉歯氏がやったことはもちろん悪いのけれども、裁くのは司法で十分なのだ。

というか、まあ、心情としてはどうやら姉歯氏よりも本当に悪いやつがいるようだ、ということなのだよね。
ひと通り姉歯氏の言っていることが本当だとすると、彼はむしろ被害者とも言えるわけですね。
もちろん自立した大人だから、拒否するという選択肢があったことは分かっていたとは思うけれども。

不謹慎なことを言えば、このような事件の場合、姉歯氏一人の問題であるよりも、もっと構造的な悪、小説に出てきそうな巨悪、という存在があったほうが面白いのだ。
そして、それがありそうなのである。
もー暴くしかない。
馬渕議員がんがれ!なのであーる。

今日になって「総研」のビデオなんていうのがテレビで次々と出てきた。
ぎゃはは。(笑っちゃいけません)

こういう巨悪というのは、いくら追及しても無条件で正義であるようなきがするものだ。
自民党の議員がさっぱりなのも、怪しさに輪をかけていてますます巨悪っぽいのであーる。
それを野党議員やマスコミが突っ込むというのはやはり基本なのだ。

騙された人たちは気の毒なんだけど、それも含めて、いくら追及してもオケーなのであーる。
ただマスコミさんたちがやたら感情のみに走っての暴走はやめて欲しいでつ。

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前回の話って、パプア・ニューギニアじゃなくってソロモン諸島のどこかの島かも・・。

それはともかく、お金をそのように使って、バカだねーなんてことは言われずにちゃんと尊敬されるのなら、そのように使ってみたいと思うのは私だけではないだろう。(その前に稼がなければならないけど。w)

といっても日本のような国では無理がある。生活するのにお金がかかる。世間体などを考えるとある程度のレベルの生活を維持していかねばならないし、家族なんかいたら迂闊な散財など出来ない。
そういうことをすべて投げ打って他人のために使ったとしても今の日本ではさほど尊敬されるとは思えないし。

ちょっと話がそれたけど、イルカの歯なんていう不思議な貨幣の動きがあるのは、独特の風習を持った特定の地域に限られるわけで、当然、これが他の村との取り引きということになると、無理が出てきまつね。
隣の村の住民とはそれほど濃密で継続的な関係を結ぶことは難しくなるし、その場合、ある人が散財によって尊敬に値した行動をしたという「事実」を「記憶」している人々の割合も少なくなる。

実に、お金の役割の一つは、「記憶」でもあるのであーる。
「ああ、ママ、今日はつけにしといて」「やーね。またなの?」などという会話がドラマで出たりする。
取り引きが常に二者の間で行なわれるのなら、(山の人と海の人の場合)今月はちょっと、多めに魚をもらったから来月は野菜をたくさん持っていってあげようとなる。
「お金」はとくに不要じゃん。等価交換できない場合でも記憶によって、物々交換は可能なのだね。
でも、これはやはり限定された世界でのみ通用する話であって、世界が広がれば広がるほど貨幣なしに取り引きをするのは困難でつね。
イルカの歯はいい貨幣だとは思うけど。

ううん、そうすると、みんなにとってそれなりに有効な良い貨幣ってなんでしょう。
金のような高価なものでは偽造はなくても(まあ、ないことは無いけど)足りなくなる。
石のお金じゃ誰でも作れるから価値は無い。

不正の心配が(ほとんど)なく、急に足りなくなることもなく、誰でも使える、信用もある、これが条件でしょうか。

今やっている国が安く作って、他の人には作らせないお金、というのはかなりいい線いっていることになりますね。

さて、先日株の取り引きで大騒ぎになったようですが、あそこではお金使ってるぽこ?
現金を実際に動かしているわけではなく、数字を動かしていますね。
一々現金を動かしていたら大変でつ。
結局、記憶しているわけだ。記憶と言っても、それは無理があるから記録しているわけですね。
記録するというのは、記憶を共有するということですね。

つまり、お金とは単なる数字なのだ。

ということになってくるわけですが、またまた続く。


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んと、金や宝石をお金(貨幣)にすると、良いことと困ることがありまつ。
良いことは、
偽造できない、あるいは、勝手に増やせない。増やしてもそれ自体に価値があるのでいいのだ。
わざわざ金をとってきてくれるわけだから、誰も文句は無いはずである。(それ自体に交換する価値がある。)
困るのは、貴重品なので(それ故価値があるわけで)、通貨としていつもちゃんと機能するのかね?っていうことでつ。
要するに、取り引きが大量の場合、足りなくならない?っていうことでつね。
お金がそれ自体価値を持つということは、つまり通貨としては足りなくなる場合があるわけだにゃ。これは困るでつ。
足りなくなることがあるということは、そのお金自体の価値が上がってしまいますね。
これでは安定しません。

ちょっと話は変わるけど、昔、何かで、パプア・ニューギニアかどこかの村にある独特の貨幣(今でもあるのだろうか)というのを読んだことがあるのでつ。

どのようなものかというと、「イルカの歯」でつ。ってイルカの歯であることが問題なのではなくって、その使い方でつ。(当たり前だぽ)
まず、このイルカの歯自体に装飾品としての価値があります。といっても、イルカがその辺で泳いでいる限り(あるいは禁漁にでもならないかぎり)、それほど希少価値があるというわけではないでつね。
(その村では、特に通貨を必要としているわけではないのです。)

物々交換できるところではそうするし、労働に対する報酬もモノで済ませることができるのだ。
ただ、モノとモノ、労働とモノの等価交換が成り立たない場合には、イルカの歯が役に立ちます。
で、なかにはイルカの歯をたくさんゲットしてしまう場合も出てきます。
たくさんモノをあげたり、たくさん誰かのお手伝いをしてあげるとイルカの歯が増えるわけです。
さて、そんな人はどうするかというと、何かの時に大盤振る舞いをするのです。
イルカの歯をぱーっと使ってしまう。
みんなのために使ってしまうのら。まあ、自分もおいしいものは食うだろうけど。w

これでは、今の日本のような社会ではまる損なのであーる。
なのにどうして?
これによって、尊敬を得るのだ。
大事なのは、その人が皆のために貢献したと皆の記憶に残ることなのだ。

その村では豪邸に住むなんてやつもいないし、高級車に意味はないのだ。
つまり物理的な財産というものがろくにない。そんなものに価値はないのであーる。
尊敬されることのほうがはるかに重要なわけでつね。

さて、なかなかいい村だとは思うけれども、これをそのままぼくらに当てはめることはできるだろうか。
村という安定した人間関係を継続できる場所でだけ通じる価値観というか地域貨幣なのだ。

といいつつ中途半端なところで次回に続くでし。


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どうもPCの接続がおかしくて、この頃あまりネットにつなげてません。

それはともかく、最近、お金に関する悪い話題ばかりなので、お金について別の角度から考えてみようと思いまつ。
経済については「ど素人」以前の状態なのでどうなるかなあ。

お金を目当てに悪いことをしたりずるいことを考えたりというような風潮が嫌だと思う人は少なくないわけですが、そもそもお金を目当てにするという行為はありえるのだろうか。
お金を得るためにお仕事をするというのは、至極当たり前になっているけれども、それって当たり前でいいのだろうか。

そもそも人類が地球に登場したとき、お金は無かったのだ。
でも、生きていくことはには問題なかったわけでつ。(あたりまえだw)

ではお金は何のためにできたか。
ぼくの中学校の時の社会の先生は教えてくれなかったぽこ。
というわけで自分で考えてみませう。

お金というのは時代と共に形態が変わっているでつが、これは、どのような形態になってもお金として存在できるということなわけでつ。
それはどういうことかというと、つまりお金というものは実態を持たないわけでつね。よ、お金、かこいー。

お金はどういうふうに生まれたか考えてみませう。
今はお金でものを買ったり労働力を買ったりしていまつが、そもそもお金が無い時はどうしていたのだろうか。

もちろん、物々交換でつね。労働っていうものがいつ生まれたのかが分からないので(つまりお金より先に生まれたか後に生まれたかがぼくには分からない)、ここは物のほうだけ考えます。

海の近くの村に住んで魚をとったり塩を作るのが上手な人と、山のほうに住んで、獣を捕まえたり野菜をとったりする人がいて、彼らがどこかで出会えば、お魚や塩とお肉や野菜をお互いに少し欲しいと思うはずだ。
そこで物々交換するがはじまるわなー。
交換率はお互いに自由に決めるでしょう。

ところがいつも、そのものが十分にあるわけではない。
今、自分の持っているものを相手が希望するとは限らないし、自分の欲しいものを相手があまり持っていない場合もあるわけでつね。
ある年は不作だったり豊作だったり、不漁だったり豊漁だったりするわけだ。
そこで便利なのが、中間媒体だべさ。
おっとここで考えることがあったでつ。
それは、昔のお金はそれ自体に価値があったということでつね。金(gold)や宝石などを使ったりしてましたね。(そうでないのもあるけど)
それ自体に価値があって、もともと中間媒体とはいえないもの、つまりもともとは物々交換の対象だったものが、お金としての意味を持ったわけでつ。

これは、ずっと残って腐らないものだということでしょうか。
今年稼いだお金は来年以降でもつかえる、これですね。
単なる物々交換よりも長期的に有効なもの、それがお金なわけだ。おー、お金マンセー!

といいつつあとは自戒に。じゃなくて次回に続きます。

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昨日の続きだから政治家の話。

戦後の日本の政治家でもっとも影響力の大きかったのは、やぱーり、田中角栄という人でしょう。
思いっきり金権政治家だし、彼の描いた日本の絵は好きではなかったが、他の政治家とは明らかに異なる資質を備えていたようでつ。
もう書いちゃったけど、上手な絵を描けるということなのだ。要するに明確なビジョンを持った政治家で、そのビジョンを好きな人はたくさんいたようだ。(劣等改造論とかいうやつwww)
まず建設業の人たちには歓迎されただろう。それから田舎者の政治屋さん。
地元に大きな橋や高速道路や新幹線をもってくる。「私がつくりました」と言ってみたいのだろうね。
政治家としてたいした手腕がないので、箱物でもつくってなにか大きな仕事をやった気分になりたいのでせう。

今でも、まだ高速道路や新幹線にこだわっている人は多いね。
高速は、北見にも出来るそうだ。ろくに人の住んでいない日本のはずれの土地に高速つくってどうするのだろうか。
地元に何の利益誘導もしてこなかった武部さんの罪滅ぼしか何かなのだろうか。(といっても、安易な利益誘導をしないのは悪いことではないのだよ)

足寄を通るそうである。鈴木宗男さんの影響力の残りかすのような高速道路でつ。
たしか、建設費はすごい金額になるはずであーる。
まあ、高速も悪くはないだろう。建設費が安く済んで維持費もかからないなら。
ろくに利用者もないのだから、お荷物になるのは目に見えている。
にもかかわらずなぜつくるのかというと、さっき書いたようなことでしょう。政治家としての資質なのだ。
(まあ、喜ぶ人もいるにはいるでしょう。建設会社とか。)

さて、そういう地元の利益誘導型の政治から脱却するべく登場したのが小泉さんなわけですが、彼の場合もビジョンがあるわけではない。
「反・今までの自民党の政治家」なのだ。
自民党をぶっ壊すのであーる。郵政民営化といえばきこえはいいが、郵便局をぶっ壊すということだ。
その後の明確なビジョンがあるわけではない。彼にビジョンが無いことはみんな良く分かると思う。
本人も、自分がやることは「破壊」であると、かなり自覚しているようだ。
場合によっては、破壊は新たな創造の前に必要なのだ。
来年の9月で首相を辞めるというのも、後のものに新たな創造をしてもらおうということなのだろう。

でも、破壊者としての資質なら、菅直人の方が上だと思う。
タイプは似ているが、厚生大臣当時(ふたりともやったからね)、実行力は菅直人の方がはるかに上だった。
小泉純一郎って人はまだ、公益法人とか壊してませんよ。
天下りとか、なんとかする気はないのかなあ。


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シリーズ第3弾は、ちょうど「ニイタカヤマノボレ1208(ひとふたまるはち)」とか「トラトラトラ」関係の日なので、無理矢理そっち方面にもって行こう作戦でつ。

戦時中の流行語(笑)に「欲しがりません、勝つまでは」というのがあったらしい。(らしいっていうのはぼくはもちろん戦後生まれだからでつ)
さて、こういう精神というのは戦争に負けたからといってすぐになくなるというわけでもないし、ある種の倫理観としては悪くないので、戦後もしばらく残っていた。(たぶん)
無闇に欲しがらないことは、むしろ美徳とも言えるし。

戦争に負けた日本は、当然、しばらくは貧しい国であった。が、高度経済成長様のおかげで、かなりリッチになっていった。
1970年あたりは革新首長がたくさん出て、福祉政策に力を入れたが、財政的に苦しくなって、結局、保守が再び躍進、80年代はまさに保守の時代で、バブルがはじまったのだ。
そして崩壊、現在に至る。w

福祉に力を入れた革新首長には財政を任せられない、とした人々に、現状をどう考えているのか、きいてみたいが、たぶんもう死んでいるだろう。冥福を祈ります。
言うまでもないけど、福祉に力をいれすぎて財政が逼迫したほうがまだましだったのだ。
福祉や教育なら未来に残せるものがあるが、最初から客もこない草ぼうぼうのリゾート施設(こんなもんに力を入れすぎて財政ガ破綻したのだ。)の残骸なんて肝試しにしかつかえないべさ。

さて、バブル崩壊後、いろいろと原因を考えてどこかに責任を転嫁したがる人が出てきた。あ、ぼくも今やってるか。w
まあ、自分のことは棚に上げて、
例えば、戦後の教育に責任があるとした人たちがいる。
まあ、「教育」というのはそういうものだからまったく責任がないとはいえないが、安易な発想にも程がある。
バブルの時期まで日本をリードしていたのは戦前の人々です。

バブルの時に、ニューヨークのでっかいビルをすごい値段で買ったりしたとことかあるわけですが、これって敗戦のトラウマさんでしょ。
「欲しがりません、勝つまでは」と耐えてきて、ようやくバブルで「勝った」と思って買ったのだ。

さてバブルの前半のように、お金に余裕が出来た時に、どういう行動をとるかというのは、ストレートに個人や企業の資質が反映する。

たいした意味も無くニューヨークのビルを買うようなやつは、ただのオバカでつ。
こういう余裕があるときに、20年後、30年後を見据えることができる企業が将来性のある企業なのでしょうね。
将来、具体的に役に立つかどうかわからないような研究をすすめておく、例えば、自動車を作る会社だったら、エネルギー危機や排気ガスの規制に備えて研究・開発にちからをいれておく、当時そういうことが出来た企業が今、優秀な企業となっていると思われ。

お金がもうかったから、役員報酬増やしました、ボーナス増やしました、不動産買いました、という方向にばっかり逝っちゃった企業は生き残っていけたのだろうか。
(まあ、銀行は公的資金が入ったので、生き残ったけど)

20年後、30年後ってなことをいっちゃったけど、政治家に求められる資質っていうのには確実にこれがあると思うんだけど、今の政治家でこれがある人はいるだろうか。

うーーーん。

さらに続く・・・

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さてー、例の事件でつが、日本の検査機関はなんでザルなのか、ってことも問題でつね。

欧米じゃあ、どうなのよっていうと実は損保会社がやってるという話だ。
損保会社はビルがぶっ壊れたら大損だから、必死でつ。(ていうと、結局はカネなんだが)

そりゃあいい。それじゃあ日本はなぜそうしないのかというと、禁止されているのだ。
検査機関で検査している人たちって、実は元公務員だらけらしいのでつ。
つまり公務員が天下り先を確保するために、他のやつらにはやらせられないというわけだ。
イーホームズだって、検査する人10人全員が元公務員だそうだよ。
そのために甘い検査が続く。
しわ寄せは国民のどこかに行くのである。

なんか、書いててうんざりしてきた。ぶっひー。


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経団連の会長さんが、最近の株の上がり方について、バブルのころに似ているとか、お金目当ての国にならないように懸念しているような発言をしていた。
うーん、経団連の会長が・・。くす

しかし、もう遅いのだ。
例えば(陳腐な例で申し訳ないけど)、耐震設計構造計算偽装事件(ちょと無理に漢字ならべてみますぅた)なんていうのはもうどこまでもそれしかない。
まあ、総研だとか、木村建設だとか、このあたりはまだ逮捕されたわけでもないから、あんまり言っちゃなんだけど、誰が見たって「そもそも君らがやったんでしょ」とついつい言いたくなる状況だにゃ。
あとはヒューザー。知らなかったといっているようだけれども、例えば、税金を投入するに当たって、安いマンションを何の疑問も持たずに購入した人たち(被害者)にも過失があるとする意見が結構出ている。
それはそうかもしれない。買う方も素人とはいえ、高い金を出したのだから、他といろいろ比べているだろうし、安過ぎることに疑問をもたなかったのか?と疑問をもちたくなる。
素人の被害者でさえそうなのだから、プロの売り手に責任がないわけないだろう、ということになる。
「知っていた」と考えるのが妥当だし、仮に知らなかったとしても、「わかるだろ」ということになる。プロなんだもの。

で、今回の事件でぼくがちょっとひどいと思ったのは、木村建設の倒産。
なぜ倒産したかというと、メインバンクの熊本ファミリー銀行が債権保全の目的で
木村建設への手形決済資金の当座預金と債権を相殺してしまったからだそうだ。
これが本当なら、最低な銀行である。みんなが大騒ぎしている中、自分のところだけは損しないようにしようとしたわけだから。

金融庁のお知らせ

↑こういう銀行なのだ。
木村建設はつぶさずに、お金を払わせるべきなのだ、責任をしっかりととらせるべきなのだ、と誰もがわかっていると思っていた。なのに潰したのである。
銀行っていったい何のために存在するのだ?
公的資金はなぜ注入されたのだろうか。

さて、ところが、この件について熊本県のマスコミからは疑問の声があがっていないようなのだ。
熊本県て、どういう県なんだろうか。


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体に力がはいらないのであーる。

さぼりまーす。

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別に遠赤外線というものが謎というわけではないんだけど(赤外線のもうちょい波長の大きいやつかにゃ)、それを売り物にしているのが今一分からんでつ。

「遠赤外線を発生させる」とか言うのを売りにしているものがあるわけですが・・・。

ええと、
シュテファン=ボルツマン定数(Stefan-Boltzmann's constant)というのがあって
黒体の表面から、単位面積、単位時間当たりに放出される電磁波のエネルギー I とその黒体の絶対温度 T との間に成り立つ、
  I=σ・T^4
という式のσが、シュテファン=ボルツマン定数だお。

これの黒体というのは、外からやってくるあらゆる波長の電磁波を吸収する物体なわけでつね。
実際には、厳密に言うとそんなものはないんだけど、それぞれの物質はいろんな波長の電磁波を吸収するわけでつね。
そうするとエネルギーがたまっちゃうわけでつが、電磁波を放射もするわけでつね。
世の中持ちつ持たれつなわけでつ。
さてその放射する電磁波のエネルギーに関する式が上記のものでつね。

で、その放射なんだけど、特定の波長だけを放射するわけではなくて、まあ非常に広範囲の波長の電磁波を放射するわけでつ。
もちろん、どの波長も一定ではなく、ウィーンの変位則(ヴィーン変位則ともいう)というのがあって、
ある物質から1番強く放射される電磁波の波長は、その物質の温度(絶対温度K)と反比例するぞ、ということになっているようだ。

さて、そこで、太陽は約6000Kぐらいなので、太陽から放射する電磁波ではだいたい500nmぐらいの波長が1番強い。それはつまり可視光線あたりの波長でつ。
地球の場合、平均がだいたい300K(27℃)ぐらいなので、温度が太陽の20分の1だから、波長は、500nmの20倍ぐらいのところが1番つよくなるのらね。

さて、その太陽にしても可視光の波長だけではなく、赤外線や遠赤外線も放射しています。
地球も同様。
地球上にある物質も、だいたい平均して地球と同じ温度だろうから、放射する電磁波も似たような波長が強くなる。

つまり、特定の物質が特に遠赤外線を強く放射するというのは、ないということだ。
もちろん、電気的に特定の波長を強調することは出来るけれども。

ところが、遠赤外線を発生させる、というのを売り物にしているものって、別に電気仕掛けではないですよね。大抵。
靴下とか絶対電気入っていないと思う。

さて、物質によって、電磁波をよりよく吸収したりしなかったりということはあるわけで、電磁波を吸収すれば、放射量も多くなる気がする。
そうすると、遠赤外線というわけではなく、とにかく電磁波をよく吸収する物質が遠赤外線を多く放射することになりそうだ。
人間の体に直接触れるものの場合、人間の温度(普通は体温というけどw)を考えれば人間から放射される電磁波は赤外線が強いのだから、赤外線あたりの波長をよく吸収する物質が、遠赤外線をたくさん放射することになりそうだ。
まあ、必ずしもそうは言い切れないけどね。だいたい。
そうすると、単純に黒いものがいいような気がするけど。備長炭を体に貼り付けて過ごすとか。
そこらへんのことを詳しく知っている人はいませんか?

てか、そもそもどのくらい効果があるのかな。いいことあるの?

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水滸伝とは違います。

先月の11日から、連続して「水からの伝言」を使った小学校の道徳の授業について取り上げましたが、それに先立って、「小学校の時の理科の話」というのを10日に書きました。
これには、理由があって(そりゃあわざわざ書いたんだから理由はあるわな)、小学校2年生の時のその先生のことなのだ。
悪い人ではないと思うのだけど、ぼくはその先生にものすごい不満があって、それはあの理科のことではなく、生徒の表面しか見ようとしない、ということなのだ。

ちょっとあまり具体的には書きたくないのと、記憶も曖昧になっているので抽象的な話になるけれども。

生徒がだんだんおかしくなっていくときには兆候があるのだ。その原因はいろいろあるだろうし、家庭が原因である場合が多いと思うので、学校の先生がすぐさま解決するということは難しいだろうが、兆候は分かるはずだ。
その先生は産休の代理の先生で、その先生が来てからだと思うけど、ある二人の生徒が、だんだんおかしくなっていったのだ。
二人はあまりできのいいほうではなかったが、ど田舎の学校だから、それほどプレッシャーなんて無いはずなのだ。
でも2年生にして早くも悪くなりつつあったのである。
これは、もう傍目にも分かるような形で徐々に周りの迷惑になってきた。
まあ、小学2年生だから、たかが知れてるんだけどさ。
イタズラとか嫌がらせとかそんなもんだ。

ぼくなんかは1年生のときは彼らと遊んでいたけれども、変になってきたから、徐々に疎遠になっていった。他に遊び相手になる友達も一杯いたし。
わざわざ嫌がらせの好きなやつらと遊んだりするほど立派な人ではなかったということかも。

彼らは、明らかに授業なんかもきかなくなってきて、誰が見てもおかしいのに、その先生は注意しない。
あるとき、休み時間にぼくのものを盗って、そのまま授業中になり、ぼくから盗った物を教室の後ろのほうに捨てたので、ぼくは授業中にも関わらず怒ったことがあった。

当然、授業の妨げになるから、先生も何事かと授業を中断して、ぼくに話をきく。仕方なく説明したら、一応、彼らのことをしかったが、これがまったく表面だけ。
彼らは「もうしません」といいつつ顔はにやけていたのに、それで終わり。それどころか、ぼくはぼくで、「仲良くします」と言わされる始末。
なんでやねん。
ぼくが彼らと仲良くなくなった理由はきかないのか?彼らがあれでよくなるのか?

とにかくいつもその調子。所謂ことなかれ主義の典型を見た思いがした。

以降、ぼくは彼らと反目することになるし、本来の担任の先生が戻ってくるまで、彼らはなおらなかった。

「もうしません」という言葉があればそれでいいのか、ってことなのだ。
リンクした「水からの伝言」を使った授業のケースを見て、このときのことを思い出していた。

単語の意味だけで、ただきれいとかきたないとかいっても意味がないのだよ。
「水伝」を使った道徳の授業で、生徒に「ありがとう」といわせて、気持ちが入っていない場合は、もう一度言わせる、なんていうのが有ったが、感謝の気持ちもないのになんで心がこもるのだ。バカではないか。
朗読が上手になればいいのか?狡賢い処世術を身に付ける時間なのか?

そんなことしているから、いじめなんていうくだらない行為がなくならないのだ。

大切なのは日常だろう。感謝の気持ちが大切なら、感謝の気持ちを表すべき時にそれを表現するようにすればいいのだ。
そのために小学校では担任がずっとみるのではないのだろうか。


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