Do you really dream of jumping sheep?
(ども 火星人です。株は、やってないお)
Martian Official Weblog



(古いブログに一度書いたんだけど、古いのは消えたので、こっちに再掲載。)

燃料電池の車が中心になるような雰囲気ですが、もっと強烈なのが、空気自動車。

http://www.theaircar.com/index.html

以前、ニュースステーションか「タモリの~」(なんだっけ)かなにかでやっていたような気がしますが、空気で走るんだから凄い。

圧縮空気で動かすようなのですが、単純に圧縮空気でタービンまわすとかではなく、基本的にはエンジンのようです。
冷却した圧縮空気に普通の温度の空気をふれさせて断熱膨張とかそうじゃないとか。
上のサイトでは、あまりちゃんと原理が書かれていないようですが(これが怪しさの原因)、要は空気でピストンを動かすのです。

その他、液体空気というのもあるようです。

ちょっとここで、車のあるべき姿について整理します。(車に限らないけど)

(1)クリーンであること
(2)燃料が(化石燃料のように)いずれ底をつくようなことのないこと
(3)エネルギー効率がいいこと
(4)燃料が(そこそこ)安いこと
(5)インフラに莫大な費用がかからないこと
(6)失業者がでないこと
(7)さっさと給油じゃないけど、詰め替えや充填や充電が出来ること

あとは、それなりに速くて、走行距離がある程度あればいいのです。

(1)~(2)は必須で、(3)の場合、効率が悪いと(1)や(4)(5)に影響するのでほぼ必須。
(5)は一応なんとかなるでしょう。
(6)は不況下では結構重要。

以下、それぞれの車について(1)~(7)についての考察

A 燃料電池で走る車

(1)はオーケー。
(2)も一応オーケーです。要は電気ですから、何で電気を作るかが問題ですが。
(3)一見、ガソリン車よりも効率がわるそうですが、実はガソリン車よりもいいようです。(from 教育テレビ)
(4)これは電気の作り方次第。
(5)インフラの心配はあまり要らなそう。
(6)ここが問題。ガソリンスタンドの立場は?
「おうちで充電出来ちゃうとこまるクポ。」
今のガソリンスタンドがまったくなくなることもないけど、このままでは大幅に失業者がでそうです。
(7)も問題。

そこで、「エネパック」とかネーミングして電池毎積み替えるステーションにすれば、「エネオス」などは名前を変えなくてもいいのではないか。
時間もかからないし予備のエネパックはレンタルのようにするのだ。

スピードについてはなんとかなっているようです。まあ、トヨタやホンダが本気でやれば性能の面で出来ないことはないだろうから。
(ル・マンに出れそうなくらい凄いのもあるようです。モーターで直接駆動させる仕組みのようです。from 教育テレビ)


B 圧縮空気車

(1)まったく問題なし(空気だもの)
(2)もちろん、問題なし
(3)ここがわからないけど、もんだいなさそうだよ
(4)安そう。(100キロ走るのに90円ぐらいだそうです。安すぎだろ)
(5)ガソリンスタンドでやる
(6)は(5)から問題なし
(7)これも問題なさそうです

というわけで、エア・カーの話(スペックやらなにやら)が概ねはずれでなければエアカーの勝ちです。(要するにインチキじゃなければ)
スピードはあまり出ないかも知れないけど、そもそも国内で時速200キロ出せる公道はありません。
もちろん、300キロまで出せる車を80キロで走らせる分には車自体は極めて安全なんだけれども、空気自動車の場合、エンジンと燃料タンク以外がガソリン車と同じならいいわけだから。

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SNS(social networking system)のmixiってば、ぼくも入ってますが、そろそろ200万人突破しそうでつ。
すでに通し番号(ID)は212万を越えてまつ。

4月3日の50万人突破時点ではIDは54万、8月1日100万人突破時点では109万になっていました。
つまり、抜け番があるわけで、単純にIDでは人数がわかりません。

100万人突破の時点で、欠番の割合は8.26%だったけれど、先月の終わりから今月の初めに統計をとったら、7.7%ぐらいになっていました。(データがちょっと多目に偏ったと思われるので、もう少し減ると思う)
たぶん、さらにさがるでしょう。

10月段階でのぼくの予想は、11月29か30日(今日か明日)あたりで、IDが215.5万に達して、200万突破というものだったんだけれど、どうも12月1日、下手をすると2日にずれ込みそうです。
(結局、9月のはじめにやった第一次予想と同じになってしまった)

9月にはかなりいいペースで増えていたようですが、11月に入ってわずかに増加率が鈍っているようです。

さて、参加者ですが、これだけ知名度が上がればそろそろライトユーザーが増えてくるだろう、と考える向きもあるようですが、すでにライトユーザーの世界です。
システムがライトユーザー向きなのです。
面倒なことは一切ないのだ。
HPなんて、作りたいと思ってもいきなりは作れない。ある程度の知識が必要です。(少しだけど)
一方、mixiは、
完全固定ハンドルで、それぞれの自分のページは規格が決まっている。(設定不要)
タグは不要。(まあ、有料の会員の人はタグが使えるけど、普通は無料だし、有料だからって使わなければならないということではない)
コミュニティというのもある。
嫌なやつがいたら自分のページにアクセス出来ないようにもできる。
マイミクシという友人登録の制度も、たぶんライトユーザー向けなのでしょう。
日記は、友人まで、友人の友人まで、全体、と公開の仕方が3段階あるわけだ。
写真についても同様。

あきらかに、出会い系サイトとして使っている人もいます。
たしかに、そのような使い方は有効だと思うし。
まあ、200万もいればいろんな利用の仕方があるでしょう。

そういう中、単純ながら、もっとも効果的だと思われるのが、「足あと」。自分のぺージを見に来た人を最近30人分表示するものです。(ハンドルがちゃんとリンクになっているのだ)
誰かが見に来たら、それが分かるのでその人のページを見に行く。
これは出会い系に向いてるわな。

ぼくはあちこち見に行くのが趣味なので、見に来る人も多いです。ここの3倍ぐらいアクセスがあります。
つまり、機能を使うのも簡単、アクセスを増やすのも簡単なわけです。

ライトユーザーにとってこれは大変に便利。
増え続けて当然なんだろうと思うわけです。

2月で300万人の予想。
しかし、ここまで増えるとクローズな空間ではないわな。w



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もちろん「その1」の続き。

少子化というのは、果たして問題なのだろうか。
とりあえず、問題点を考えてみる事にします。
といっても、この部分はぼくの考えとはいえないんだけど。

(1) 人口の問題
これは前回言ったことから問題なし。人口は多ければいいというものではない。器の容量より多ければこぼれるのだ。
人間の表面張力はそれほど強くない。

(2) 経済の問題
まあ、こっちでしょうね。
労働人口が少なくなってきている、ということなのだ。
お年寄り多くなってきているわけですね。
年金をもらう人ばっかり増えちゃって、払う人が減る。
労働人口が少ないと、国内総生産も減る。
主にそういうことなのでしょうね。

しかし、どう考えても現状で財政がやばくなっているのに、ここから子供を増やそうと予算を取れば、余計なお金がかかります。
それに、実際にこれから子供が増えたとして、労働人口になるには時間がかかるし、その間はさらにお金がかかります。

つまり現状では、安心して子供を育てられないということでんねん。

このような事柄について、問題提起するのは、良いことだと思うのだけれど、、いつも答は決まっている。
「安心して子供が育てられる国にしましょう」なのだ。

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ええと、「気のおけない」問題についてひとしきり語ったので、さらに言葉の問題についてかたりましゅ。

最近、おかしな使い方でよく取りざたされるのが「何気に」。
これは本来「何気なく」なわけですが、何気」というのは何だろう。
辞書では「何気ない」と出てきます。
「何の気なしに」という言い方もありますね。
つまり、特に何かしらの意図はない、という意味で、「何気」とは「何かしらの意図」なわけです。

さて、この「[『何かしらの意図』がある」、といった意味で「何気」ということばを使うことはまずないので、まずその理由から、「何気」が何気ないの意味として使われるようになったのでしょう。
言葉は、より簡略化されてこなれた表現になっていくのが常なわけで、通常これは「洗練」されるといいます。
ただし、「何気ない」というのは、そもそも本来の意味の「何気」があって初めて意味をもつわけで、それとまったく反対の意味で使われようになるのは、いささか問題がないわけではないです。
意味的に見ておかしい「何気に」よりも、どうせなら、「はなげに」とかにしてしまったほうがいいのではないだろうか。(違う

もう一つ、「全然」。まったく、とか、まるっきりの意味でつね。
打消しの言い方や否定の意味を伴って使うわけでつね。

さて、これも打消しの意味を伴わない表現にクレームをつける人がいます。
しかし、昔は、「全然~である」で問題なかったのです。
夏目漱石などは普通に使っておったではないか。

それで、全然が否定的な場合だけに使われるようになったのは、戦後少ししてからなのだ。
したがって歴史的には「全然大丈夫」は全然大丈夫なのであります。
(あと、否定的な意味合いだけれども、例えば「全然駄目」というのはどうなんだろうか。これはずっと使われていたような気がします。駄目は否定だからオッケーなのかな)

さて、ぼくの場合、「全然」という言葉には、打ち消し表現がともなうというのが、感覚的に染み付いています。しかし、打消しを伴わない表現も使います。
それは含意の問題なのです。えーと、以下に書きます。

仮に、否定的な意味合い以外は駄目だとしても、会話で交わされる表現においては、それほどおかしくないのではないだろうか。

例えば「これ、私がつくったの。まずかったら言ってね」などと、女の子にお弁当をだされてみなさい。(妄想か?)
野郎としては、「全然、おいしいよ」といいます。
これは「全然。おいしいよ」なのだよ。→「全然、まずくないよ(あるいは「そんなことないよ」)。おいしいよ」なのである。
全然のうしろが省略されているだけです。
打消しの表現が来ることが決まっているのあれば、省略してもかまわないはずです。
「全然。おいしいよ」ではなく「全然、おいしいよ」と、つながってきこえるのは、実際の会話では、仕方ないことです。

また、「顔色悪そうだけど、大丈夫?」「全然、大丈夫」といった場合。
「大丈夫?」ときかれて、「大丈夫」とこたえるのは、たしかに否定ではない。なにも打ち消していないように見えます。
しかし、質問側のニュアンスを考えた場合、「体調がわるいのではないか?」と心配する気持ちが含まれているはずです。
まあ、本当に心配しているのかというのは別にしてw、少なくとも「体調がわるいのではないか?」の意味は入っているはずでつ。
したがって、「全然、大丈夫」の全然は「全然体調はわるくない」とか「全然、心配には及ばない」の意味が回答する側には含まれるはずなのですぴよ。
このような会話である限り、「全然」の使い方がおかしいとは思えません。
これに文句をつけるおっさんがいるなら、その人は「全然」というシニフィアンを、含意を考慮せずそのままシニフィエとしても捉えているのであろう。(まあ、その人にとっては、まるっきりのシーニュなのだな)
つまりコンテキストを無視して判断しているように思います。
コンテキスト(文脈)の理解は会話の理解や読解の基本でつ。(あたりまえだ)

ただ、一方的に一人でしゃべったり書いたりしていて、「全然、オッケー」というのは、ちょっとお笑いを含んでいるようには思うのであります。


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せっかく解答アプリをDLして準備しておいたのに、いざ、本番になったら接続できなくて、けっきょく手書きになっちまったぜい。
というのはおいといて、問題などについて疑問があるのでつ。

文がでてきて抜けた部分にあてはまる言葉を選ぶという問題。
その中で「彼とは短い付き合いだが、気□おけない関係だ」というのがでてきた。
「気がおけない」とか「気のおけない」というやつだね。
ところが、選択肢に両方あったのだ。え~~。

正解は「気がおけない」のほう。理由は、「遠慮したり気を使ったりする必要がない」という意味だから、とかなんとか。
おいおい、それは理由にならないでしょう。
あとに名詞がついている限り(つまり連体修飾部であるかぎり)「気のおけない」も同じ意味です。
古語では、格助詞「の」が「が」よりも主格で使われていたのは言うまでもないし、今でも「の」は連体修飾部では普通に「が」のかわりに使われています。
「あなたが言っていることはおかしい」と「あなたの言っていることはおかしい」は同じです。

おそらく、出題者は「気のおけない」を「安心できない」などの意味で誤って使っている現状を考えたのでしょう。
しかし(もしそうなら)、それは間違ってます。
「気がおけない」も同じことなのです。
「気のおけない」が誤って使われているというイメージは、つまり、実際には「気がおけない」よりも「気のおけない」のほうがポピュラーなために出題者が勘違いしたものでしょう。
グーグルなどで検索すればわかりますが「気がおけない」が900余りなのに対して、「気のおけない」は65000以上ヒットします。
しかも、間違った使い方は一部です。一部の人たちの間違った使い方のために日本語の意味が変わるとは思えません。
なるほど、辞書には、「気がおけない」しかでてこないようでうが、実際に使われているのは「気のおけない」のほうで、文法的にはまったく問題ないし、辞書の「気がおけない」には、間違った使い方が例として出ています。
つまり、実際には「気がおけない」も一部には間違って使われていると、辞書の編集者は考えている。「気のおけない」の意味が違うなら、同様に「気がおけない」の意味も変わるはずです。

したがって「気のおけない」より「気がおけない」が正しいという理由は一つもありません。

しかも、この問題、分析力の問題になっています。単に知識を問う問題ではありません。
明らかに、出題者がおかしいです。
出題者の分析力がまずくな~い?

おそらく、「何気に」とか「全然」とかの使い方で、日本語の乱れを気にして、自爆したのでしょう。
日本語を知らない「バカな若者」を想定した問題なのだろうか。
そもそも、もしもそのような「バカな若者」ならば「気のおけない」という言葉の意味がよくわかんないから使わないのでは?
これは出題者の分析力の問題だったようです。

間違えるはずのない分析力の問題で間違いになったので、ぷんぷんです。
問題全体としては、いろいろな種類の問題がでてきていて、悪くなかったと思うけど、もう少しあってもいいかも。(テレビ的にはあれが精一杯かな)

さて、もう一つは、得点をIQに換算するのに年齢別にするのはいいが刻みが大雑把過ぎるところだ。
テレビ的にあまり細かくすると分かりにくいという問題はあるにしても、ちょっとひどすぎ。
35~54歳は、満点でも154なのだ。これが55歳だと一気に179になる。
そんなわけないだろ!
参加者(ネットなど含めて)の最高は、163だったそうだが、55歳の人だった。つまり73問正解なのだ。この人が54歳だと140にしかならない。
一年でそんなにちがうわけないだろ。(55歳の人が最高になったのは偶然ではないと思う)
また、35歳の人と54歳の人が同じというのもおかしい。

もう少し刻みを細かくしないと。

と、つまらないことにこだわってまた少子化の話が先送りに・・。

補足:ちなみに若者がバカだといっているのではないので念のため。若者も中年もお年寄りも、いろいろいます。



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少子化の話はひとまずおいといてw、ジャパンカップの日だったから、やっぱりジャパンカップの話しないと。(なぜ?)

毎年、思うのは外国、特にヨーロッパからやってくる騎手の豪華なことでありまつ。
英・愛の二大ジョッキー、デットーリとファロンはもとより、いつもこの時期は日本にいるぺリエ(この人は凱旋門賞を別々の馬で三連覇しているぽ)、同じく最近日本でおなじみのルメール、アメリカの年間最多勝利記録保持者(598勝)のデザーモとか、もー、すごいがな。

ケント・デザーモ騎手は、一度、400勝以上あげて、年間の記録を作っているのだけれど、それをはるかに上回る598勝というのは、だからちょっと想像できないような異常な記録なのだ。

ところが、彼は実は一年中日本で仕事をしたいといって日本に来たのです。
アメリカでは週に6日どこかしらで競馬があるそうだ。(もちろん、全部は乗らないけれど)
まあ、だから598勝したのも、そういうことがあるからなんだけど、彼の二人目の子供が、耳がきこえないということが分かって、できるだけ家にいて子供と過ごしたいと考え(日本のJRAなら週2回だ)、日本で騎手をしたいということになったのら。
まあ、JRAは賞金が高いから効率がいいという側面はあるだろうけどね。

でも、JRAは普通、JRAの競馬学校を卒業しないと駄目駄目なのだ。
まあ、地方競馬の騎手については一定の条件と試験をクリアすれば、オーケーということになったけれど。
(安藤騎手が第1号)
というわけでデザーモ騎手は、気の毒にもJRAの騎手にはなれず、日本では短期免許で乗っている。
(短期免許は、年に3ヶ月だけ乗れる免許で、外国の騎手はこれで毎年何人か、やってくる。特にヨーロッパは平地競走のシーズンが4月から10月までなので、オフにやってくるのだ)

さて、今日のレース。タップダンスシチーが異常なペースで引っ張ってしまった。
(そりゃあいくらなんでも最後はばてるでしょう。)
そんな中、アルカセットは先頭にたってから、これまた異常な粘り。ゼンノロブロイが追いすがってきたが、これにひるまず、最後にハーツクライが一頭だけ明らかに違う脚で、一気に全部かわすかと思いきやこれもぎりぎりで押さえ込んでしまった。
馬の勝負根性もすごいけど、やっぱデットーリの腕でしょう。

今日の着順を、騎手で見ると、デットーリ、ルメール、デザーモ、武、ファロン(ファロンのウィジャボードは直線で不利をうけている)という順番だ。
まったくもって「ジャパンカップは騎手で買え」なのら。

ところでルメール騎手、なかなか勝てません。2着だらけ。(今日のレースなんて普通勝ってるよ、あれ)
こうなったらステイゴールドの後釜でも狙って欲しい。

しかし、今日のレースは激しすぎて上位の馬は有馬記念に余力が残ってないのではないかと心配だ。

(少子化の話は今度)

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「朝まで生テレビ」を、ちょっと見たら森永さんが面白かったので、ちょと書いてみようと思いまつ。
(イケメン、フツメン、ブサメン、キモメンはやぱり面白かた)

まず基本的に少子化自体が問題なのか、という疑問があります。
これはどういう観点で捉えるかによるわけですが。

地球規模で考えれば、人口爆発で将来はいろいろ困る(すでに困っていると思うが)と言われているのに、なんで国内で人口が減るのは問題なのだろうか。
自分のことしか考えていないからではないのかにゃあ。

人口が増えても一人一人が豊かな生活をしたいと思えば、地球に負担をかけるしかないのだ。
日本なんて自国の国民の食い物もその国土では賄えていないのらよ。
人口は減って当然だと思うけど。

今の人口ピラミッドのいびつさというのは、戦後の「生めよ、増やせよ」と医学の進歩などで生じたものなのだ。
医学の進歩や医療の充実は仕方ないけど(まあ、よいことだろうし)、妙に人口が増え、それと同時に社会が成熟していけば、人口調節は自然なのだ。
レミングだって増えすぎれば、自ら減ります。(わら
バカな戦争の反動が「生めよ、増やせよ」なのだとすれば、今になって戦争のつけを払っていることになるのれす。

寿命が延びてなかなか人間が死ななくなっているのに、おなじ調子で子供を作っていたら人口が増えすぎましゅ。
人口は多いほうが良いというのは、戦後(しばらくの間)の単純な労働力が即ち国力であった時代の話で(発展途上国時代)、今は技術力など中身の方が重要なのら。安い労働力でばんばん生産するという国ではなくなってしまっているのら。

どちらかといえば個人の幸せをある程度優先させるような社会になってきて、ある程度豊かな生活になれてしまえば、もう後戻りできないであろう。
ならば、これ以上森を削っていったり海を荒らしたりしないようにするには、人口を減らしていく、少なくとも増やさないというのは人類にとって必須事項でつ。
適正な数まで減れば、自然に少子化は解消しましゅ。

もちろん、国内的に少子化は問題もあるわけですが、これは少子化自体ではなく別の問題であると思います。
というわけで、次回はその別の問題にちゅいて。

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月面宙返りといえば、その昔、塚原さん(父)が発明したもので、その後の新月面(これも塚原さん作)は、今でも(伸身だけど)トップクラスの体操の選手が普通に使ってる驚異的な技ですが、
その塚原さんのことでビックリしたことがあります。
(まあ、普通、月面でビックリするんだけど)

オリンピックで月面宙返りを披露して鉄棒での世界ナンバーワンの地位はゆるぎないものとなったころ、日本の大会(たぶんNHK杯)で、最後の鉄棒の演技をしていました。
当然、会場中の視線が降り注がれます。(ぼくは会場で見ていたわけではないけど)

さて最後の降り技、当然、月面なわけですが、3回ぐらい回って、さあ、と思った瞬間「あっ!!」場内が息を呑んだのでつ。
普通は、降り技の時、斜め上のほうに飛び上がって放物線を描くように、ゆっくり技が出来るようにしますね。
ところが手が滑ったのか、ほとんど真横、やや下のほうに向かうぐらいの角度で鉄棒から離れたのです。(まあ、それでも放物線は放物線なんだけど)
「わー、あぶねーー」と誰もが思ったわけですが(たぶん)、塚原さん、そこでどうしたかというと、やっぱり月面宙返り。
「うそーー」と思っていたら、ものすごいスピードで一通り回ったりひねったりした後、ぎりぎり足から床に着地したのです。
でも、当然回転が足りません。思いっきり前のめりになったのですが、そこから当たり前のように、ころりと前転して立ち上がり、着地の姿勢を決めました。
演技後は苦笑いしていましたが、会場の人たちもみんな「ホッ」。

そのころは月面宙返りを真似する競技者も出てきていましたが、さすがにこれは真似できないだろう。
本家本元の名人は一味違うなあ、と妙に感心しました。w


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部屋の窓から見える土手(って目の前なんだけど)に、まだ一本だけルピナスが咲いているのだ。
ちょっと、君、半年ぐらいずれてますよ。

この土手にルピナスの花が咲くようになって10年近くが経っているのだけれど、はじめは、白い花と紫の花が少しだけだったのだ。

そもそも土手は普通に雑草というか、もとは一応芝生だった。
そのうち、どこかの花畑からやってきたマーガレット、春は菜の花、秋には桔梗などが咲くようになり、しまいには松の木まで伸びてきて、あとからやってきたのがルピナスなのだ。

ルピナスは翌年には2倍、次の年は3倍と毎年勢力を拡大し5年目あたりから伸びは鈍ったものの、依然その版図を広げつつある。
とにかく逞しい。
ここの土手は市が管理しているらしく年に3回ぐらい芝刈り機(人間が手で持ってぶん回すやつ)が入るけど、手入れなどはせず基本は雑草なのだ。
雑草を蹴散らしてがんがん増殖しているのである。

面白いのは、花の色。
最初は(上にも書いたけど)、白いのと紫だけだった。次の年にはその中間の色、その次の年には白と紫の花びらが交互になったものや、紫と中間の色の中間、白と中間の色の中間と、どんどんバリエーションを増やしていく。
ちょっとメンデルでもやりたくなる気分だ。w
と思っていたら、これはマメ科の花だった。やぱーり。

最近はまったく違う色のやつもあるけど、これはまた違う種類のものがどこかの花畑から進出してきたのだろう。

ルピナス以降もさらに新たな植物がやってきている。(名前がわからん)
ちょっとした土手なんだけど、結構面白いのら。
いたずらに花の色が移り変わっているわけではないようだ。


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宗教に限らずどんな団体であっても欠点や問題点はあるのである。
批判するなら、心の部分に注意しながらしっかりとした理屈で行なうべきである。

オウム以来、宗教と見ればカルトと叫ぶお馬鹿な人とかが、後をたたない。
ろくな理屈もなく、ただ難癖つけたり罵倒するしか能がないのだろうか。

そのような人物は、特定の宗教に属していないということで自分が「普通の人」だとおもっているようである。
結局のところ、無宗教という名のカルトに過ぎないのら。
あらたなプチカルトが無数に増えるだけで、世の中の迷惑です。

ネット上ではキリスト教だとか創価学会とか、やたらたたきたがる人物が後をたたない。
もちろんそれぞれに問題点はあるのだろうから、批判するのはいいのだが、まともにやってくれたまえ。
この国では、誰が何を信じようと自由なのだ。
自分と違う価値観だからカルトだというのは、そいつがカルトなのだよ。

少なくともバカと一緒に宗教批判する気にはならないにゃあ。

うーん。我ながらつまらん。







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大きなサイコロを両手で転がして、「死にかけた話。はい」「しにばな~」なんてのが、テレビで午後1時からやってたようなやってなかったような。。。

恒例の月一回の病院の日でした。
チャリで行くのは、今年は今回が最後でしょう。(来月、チャリで行ったら死む。)
朝は10:30過ぎに出たのに、まだ、路面の一部が凍っていて楽しかったでつ。(滑るんだよ。あぶねーだろ)

この間おなか壊して、その後2日ほど調子が悪かったけど、今日は元気ですぅた。
妙だったのは、血圧。
上が78、下が50。
たぶん、入院中にこの数字がでたら、看護師さんは、すぐに測り直したでしょうが、今日はもちろんドクターなので測り直しはしませんでした。(なんでだ?)
「あまり高くないね」(いや、はっきり低いんだってば、それ)

夕食後に飲む薬を減らす(まあ、これで夕食後は薬なし)という話をして、約3分で診察は終了。

診察の前から、どうも教え子(入院していた時の看護師さんとは別)らしき人物が(看護師もしくは助手)、うろうろしていて(一体何をしていたのだろう)、あれれ~と思っていたのだけど、(2階での)診察を終えて階段を降りるときに、その子が声をかけてきたのら。
はっきり言って非常に出来が悪い子だったので(言っていいのか)、その子がこんなまっとうな仕事をしているのはちょとびくりしますぅた。
ちゃんとやってるんだろうか。まあ、表情を見る限り、いい感じではあった。なにより。

さて、精算機で治療費を払おうとしたら、樋口一葉がつまって精算機が故障。なじぇだ。(T_T)
続いて、予約機で次回の予約をしようとしたら、イケメン主治医の都合の悪い日があり、そのせいか予約びっしりで、適正な日に予約が出来ない。
薬は24日までしかないのに、13日以降のイケメン主治医の外来の日は全部駄目なのだ。
それより早い日では無意味なので、 薬だけ20日にもらって診察は27日にしようかと思ったが、27日に診察を予約すると自動的に薬も予約になってしまうのだ。
病院の人に相談すると、なんとかうまく20日の微妙な時間に予約を入れてくれた。
なにやら、機械が役に立たない日であった。


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最近、発見した面白サイトを紹介でつ。

新明解国語辞典を読む

不覚にもこのような面白いものを知らずに生きていました。
こんな辞書が存在するとは・・・。


http://www.ax.sakura.ne.jp/~hy4477/link/zukan/tori/hasibiroko.htm

http://www.aipets.net/nekobaba/html/hasibi1.htm

(直リンを避けてます)
ハシビロコウ
とにかく変な鳥です。
不気味です。


http://www.kyohaku.go.jp/jp/tokubetsu/050412/shoukai/index.htm

曽我蕭白
画家ですが、これまたすごい絵です。
群仙図屏風など。


火星人ゴーホーム

自分のHP(全然、今日のテーマと関係なかったw)

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今日は「フィデリオ」(正確には「フィデリオまたは夫婦の愛」)初演の日です。
ちょうど、200年前の今日、初演されたわけです。
失敗だったようです。(わら
その後、二度書き直されて現在の形になっているようです。

これ(200年記念)は今しがた知りました。

昨夜というかもう今日になってから、BSで「フィデリオ」をやったのです。ザルツブルグで行なわれたものです。
サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルで、歌手とかはよく知らない人たちでした。不勉強ですいません。てへ

「フィデリオ」は初めて見ますぅた。
まあ、オペラはあまり見ないでし。理由は、話がうそ臭いとか、台詞もうそ臭いとか、人の動きなどもうそ臭いとか、ドイツ語とイタリア語ばかりだとか、歌手の見かけの問題とか・・・。

「フィデリオ」も序曲を真面目に聴いたあとは流して見ていたのです。
あらすじは、刑務所長ピツァロの不正を暴こうとしたフロレスタンが反対にピツァロによって不当に捕われる。フロレスタンの妻レオノーレは男装してフィデリオと名乗り、その刑務所の看守ロッコのもとで働く。ロッコの信頼を得たりロッコの娘に好意をもたれたりしつつ、ピツァロがフロレスタンを殺そうとした時、レオノーレが夫を助ける、という勇敢マダムのストーリー。
(まあ、有り得ない。)
いかにもベートーベン的な音なんだけど今一面白くない。ベートーベンに「夫婦の愛」なんてのは似合わないだろ。

というわけで、ずっと適当に見ていたんだけど、ピツァロがフロレスタンを殺しに地下牢に降りてくるときに、「あら?」っと思った。
「ドン・ジョバンニ」だ。やっぱりモーツァルトを意識してるじゃん。
騎士長の亡霊がドン・ジョバンニを懲らしめに来るところ。じわじわと階段を降りながら迫ってくる様子と音もそっくりだよ。
しかもピツァロは「復讐しにきた」と言っとる。(本当はピツァロが悪いのだが)
思いっきり意識してます。
まあ、騎士長の亡霊の場合は本当に復讐で、ピツァロは逆恨みもいいところだから、ここは頼りないレポレロではなく勇敢な(有閑じゃないよ)レオノーレが出てきて、旦那は無事、最後はめでたしめでたしとなるんだけど。

やっぱ、「魔笛」みたいに楽しい曲が一杯つまってないとオペラはきついよなあ。

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退院後は、月一回のペースで激しくお腹を壊すのでつ。
原因を考えてみたが、薬の副作用で腸に影響するようなものはないし(胃はあるけど)、特に変わったものを食べたわけでもない。
月に一回というのが気になる。

月のものか?いやいやそんなバカな。
月一回、便が柔らかくなるからイタロ・カルヴィーノのせいかも知れない。
などと、しょうもないことを考えていたが、わかってしまった。
セレーネの呪いだ。

セレーネのわがままと美形好きは有名である。そのためにエンディミオンを動かなくしてしまったぐらいだ。
ところが、動かないエンディミオンに飽き足らなくなったセレーネが私に触手を伸ばしてきた。
これはまさに触手みたいなもので、月から雫みたいなのがにゅうっと伸びてくるのら。あの月は柔らかいんだよん。
(このあたりは以前にも、このブログに書いているけれど)
私はというと、月が空にある間は危険なので、ステラナビゲータなどを使って月の位置を確認、月が沈んでいる間に外出するという面倒な作業を毎日繰り返していたのだ。

しかし、私が心臓をぶっ壊して入院、若さを失ってしまい、その後攻撃はなくなった。当然、もう興味を無くしたと思っていたが、月の女神は、勝利の女神のように気まぐれではないようだ。
てか、執念深い。
若さを失った私に対して今度は逆恨みである。
そもそも日本語も悪い。体の部分をあらわす漢字に「ニクヅキ」なんか使うから、セレーネにつけ入られるのだ。


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BS見てたら、グールドがでてた。(・∀・)ニヤニヤ

1957年、もちろん冷戦下のソ連にグールドが自分から志願していったのでつ。
ギレリスやオイストラフが北米に行って演奏会をやったのに北米からは誰も行っていないからという名目で行ったらしい。
ゴールドベルク(その1)でデビューして間もなくのことで、ソ連では誰もグールドのことを知りませんでしたとさ。
当時のソ連は、宗教が駄目駄目君だったので、ソ連の人たちは基本的にバッハも聴けなかったのでつ。
もちろん、音楽家や音楽を勉強している人たちは知っていましたが。(そりゃそうだ。バッハを知らんで音楽の勉強もないもんだ)

そして彼のモスクワデビューの日、演奏会の曲目は「フーガの技法」
はっきり言ってこの曲、長いしつまらん。大胆にも程がある。

コンサートホールは半分も埋まっていなかった。好奇心のある演奏家や音楽学校の学生だけが聴きに行ったのら。
さて、青白い顔をした青年(24才)が例の異常に低い椅子に座って演奏が始まると、そりゃあもうみな驚きまくり。
聴きに行った人たちの多くがグールドを宇宙人だと思ったそうだ。「地球人にはこんな演奏は出来ない」というのがその理由。
アシュケナージもそう思った。(本人談)

さて、「フーガの技法」の演奏は長く、途中、かなりの休憩時間があった。
演奏を聴いた人たちは電話口に殺到。
知り合いに後半だけでも聴きにくるようにと伝えるためなのら。
というわけで、後半は大入り満員。
演奏終了後はリヒテルが長々と拍手していたそうでつ。

その後の演奏会では、ゴールドベルクをやったということで、こうなるとモスクワの人たちが大熱狂したことは誰でも予想できちゃうわけだにゃ。
(といってもあまり大騒ぎできなかっただろうけど。ソ連だから)

基本的に演奏を聴いた人たちの口から出たのは「奇跡」という言葉でした。

そのあとベルクなどの演奏やレニングラードでの演奏会の話も続くんだけど、こりゃいわんでもいいやね。

グールドはソ連にはかなりこだわりがあったらしく、芸術が軽んじられているということでソ連に抗議したそうだ。
ソ連の国民がそんなことしたら大変なことになっていただろうけど。(ソ連だから)
カナダ人でよかったね。

アシュケナージとかロストロポーヴィッチとか話してて面白かったずら。
(グールドはあまり出てこなかったけど)

リヒテルの言葉
「私はグールドのようにバッハを上手に演奏することが出来るよ。でもなぜしないかというと、そうするにはグールドのようにたくさん練習しなければいけないからさ」




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