つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

菩提心、一切衆生 悉有仏性

2016-01-24 | Weblog
私達が今神と呼んでいるものは、
外宇宙から来た異星人と思われる。
そのために、
天空より舞い降りし者と記されている。
ただ、人類よりはるかに進んでいた生物である。


その天空より舞い降りし者達によって、人類は創造されたとするのが
見識といえる。地上にある原始的な生物を改善(遺伝子操作)して、
操作した者達の情報と他の情報を掛け合わせて、人という生物を作り上げた。
それは、まるで今の人が、ロボットを作り上げるよな様である。
「神(自分達、天空より舞い降りし者)に似せて作った」と記されている。
そのために、人類は智慧を持つようになり、発達していった。
人類が地球という星に存在するように、他の星にもその星に合った生物がいるもので、
著しく発達するものと、緩慢に発達するものとがいて、高等、下等も、
それぞれの性質から成っている。
敏感で機敏に反応しうるもの、鈍感なものといるのである。それもこれも、相対で成り立っている。
宇宙のエネルギーである為で、事細かに、曖昧と明確、明瞭が具わっているのである。
一つにして二つであり、二つにして三つという巴となっている。

運動する能力というもの、自由エネルギーである。環状体状となっているために循環となり、無尽蔵となっている。
虚空であり虚空蔵である。秩序あるものとなっている。

下等にして緩慢な、そして、鈍感であるものには、
高等にしてあるものの存在をつかみにくく、捉えどころのないものとしてただ恐れをなす。
そのものの意にして、自在にされるものの内にあるために、神と崇める。
今ある命の自由が、自在に操られる手の内にあるためで、何とも従うしかない。
その者達が、エネルギーの自由をどれほどまでに理解しているかが、
鍵である。高等にしても、数値の配列に長け、掛け合わせに優れていても、
曖昧というエネルギーの一面を捉えていなければ、
自由の束縛となって葛藤の狭間にいるものである。おそらく、
来訪者達も未だその狭間にしてあるものと思われる。
単に、この星の者達よりも著しく優れているに他ならないというものである。
しかしながら、著しく優れているということは、人類には脅威であるもの。
人間がジャングルに行って、珍しい様々な動物たちを捕まえて、
動物園で飼うようなものと似る。人は、この星に飼われてある研究動物なのかもしれない。
従順なる労働力と家畜の様な、ということも当てはまる。

人が少しづつ智慧を得て、人工知能というものを開発し始めたように、
そして、高等に組み込まれた知能は、やがて、それ自体が意思を持つようになり、
それなりの判断をするようになる。そうして、作られし従順というものに疑問を抱けば・・・。

あらゆる想定というのはされてはいるが、常に未来は不確定にある為に、定かには計りかねないものである。
未来が既に定まってあるものであれば、誰も現在と過去をいじったりはしないだろう?
そう計り知れてくる。

自由エネルギーが本体である。この自由をどう理解しているかで、
善悪という無記にしてあるものの姿が現れてくる。

さて、
宇宙にして、一つの銀河はちっぽけなものである。その銀河の中の太陽系はもっとちっぽけ、人知を超えてある存在の宇宙は、
ただ謎に包まれている。太陽系の惑星は12あり、ヒトの遺伝子も12螺旋が本来である。
それは、自分達に似せて作ったとされる神でさえ脅威を感じたもので、何れ、
自分達を超えた存在となることを予めている。そのために、遺伝子を2螺旋として指揮下に置いてコントロールしている。

意思は自由である。その意思が、エネルギーの本来の浄化に適えば自然と復元されていく。
何ものにも侵されることのない自由自在な安住の世界が開かれる。
人皆仏性である。それは、エネルギーが善悪の無いものであり、故に、絶対善と為っているためである。
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