つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

ずる賢い者達

2016-01-10 | Weblog
他人のお金で相撲をとる者、金融という仕組みを操る者達は悪魔の僕でもある。
経世済民として表向きは善であり、経国済民、生活苦を救うものであるはずが、
経済的に苦しんで命を絶つ道標にある。今までも、また、これからも
どれだけ多くの人々がお金というもので命を落としてきただろうか。
人民の為にとして作られし制度は、
隷属主義となり、哀しいかな従順な奴隷化となっている。
朝起きて仕事に生き、夜帰って眠りにつくという繰り返しが、疑いも無い幸せへの道のりであると
誰もが思ってしまう。時に、その生き様に疎いものがいて不幸せを招くが、
それは、誰もが自業自得としての仕方なさとして片づける。この社会性の不適合であるとするも、
どうすることもできないとなっている。
誰も助けてはくれないのである。なんら、弱肉強食の獣の世界と変わりはしない。
表向きは、助け合い、共存共栄にあるとして謳われて、
命はこの地球の星よりも重いといわれながら、軽んじられている矛盾に気が付きもしない。
先天的に病にあり、それを治すのにも高額高額お金がかかったりする。
お金の都合ができなければ、助かる見込みの命も助からないとして、現実は矛盾に満ちている。
そのお金を集めるのに途方も無い苦労をして・・・・、集められたら少し助かる見込みが出てくるも、
はてはて・・・。
世の中は、往々にして理不尽なものであると、ただ嘆いて終わりである、と知る。
様々がこれと似ていて、理不尽なものである。その理不尽をずる賢く操って、
ある超?エリートとする者が、当然ながらいて、ずる賢いというエリートである為に、
人民の頂点に上り詰めて偽善を働く。
悉く、自分だけが満足を味わいたくて、と理不尽に振る舞う。
世は、餓鬼の世界である様相を示し、終に近づく。
執着と修羅とで・・・。
従順なる労働者を作り上げて、洗脳に事欠かない。
いままでも、さらにこれからはもっと高度な手法にて・・・。
コメント
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