つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

春夏秋冬の好さ

2016-01-18 | Weblog
春には春の雰囲気で思い出がある。
夏には夏の雰囲気の思い出がある。
秋には秋の雰囲気に思い出がある。
冬には冬の雰囲気な思い出がある。
その時々の醸された哀しみと喜びは、
色合いを濃くして、記憶の彼方で漂いながら、
廻りくるものである。
春には春の・・と、
その良さに惹かれながらよみがえる。
切なくも哀れみ愛でる。
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虚空蔵菩薩・真如の月

2016-01-18 | Weblog
宗教、
虚空にある
ある一つの訓え。
‘ある一つの’であるが、
万事に通じて、
自由という真理より成る。
おそらくそれは、
この上も無くというまったりとした薄い衣に覆われているもので、
その膜より、稲妻のように絶えず煌めいて、刺激しているものである。
その膜は、あるでもない、ないでもないという陽炎のような素振りを成し、
漫然としてあり、虚空蔵である。
その刺激の一つが菩薩の様である。稲妻は道である。
あるでもない、ないでもないという陽炎の様な膜は真如である。
刺激の一つの稲妻、菩薩道に於いても真如を計り知れないでいる。
それは、真如が自由であるからである。
そのために、
自由をはき違えて、
無垢にしてある善悪を生み、浄化と為すも顚倒として浄化とし、
正義としてしまうものである。
それは、苦しむことが当たり前として、地獄を正当化するようなものである。
たしかに、真如は自由であり、善悪というものは無い為に、誤った浄化も
正当性を持ってしまう。

真如は自由であり、円運動の性質である。
そのために、あらゆるものが浄化となっている。
これが絶対善の動きである。
善悪が無い為に絶対善となっている。これが真如の月であることを知らねばならない。
宗教、
虚空より舞い降りし者の訓えであるも、
相対するものの選り分けに翻弄されるのは、
時間と空間の中に生きて、未だ途上にある心理である。
天空にあるものという神々に於いても、真如は計り知れずにいるものである。
ただ、自由が、浄く化けるという善にあることを、素直に受け取ることである。

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