ぽちごや

FC東京のディケイドSOCIOです。今シーズンは丹羽ちゃんとともに闘います。

風立ちぬ

2013-09-17 00:05:53 | 映画

台風一過、午前中の嵐が嘘のように夕方には晴れました。いまは綺麗な月夜です。中部関西地区は甚大な被害がありました。被災された皆さまにお見舞い申し上げます。

出かけるつもりが台風で足止めされ、ぼぉと過ごしておりましたら、ひさしぶりに映画を観たくなりまして、そういえば風立ちぬの前売りが未だ眠っております。さっそく映画館に参りました。

風立ちぬ。

宮崎駿監督の引退作になりました。多くの皆さんと同じく、自分も監督の引退を真に受けておりませんで、そのうちふと、「やっぱり映画人ですから」なんつって帰ってこられるんじゃないかと思っておりますw。なので、監督への感謝のことばは申しません。

例によって予備知識ゼロです。それでもジブリの作ですから、なんやかやと耳には入りますので、堀越二郎さんがモチーフの作品ということくらいは知っていました。なので、てっきりエンジニアにフィーチャーした硬派な物語かと思っておりました。

とってもロマンチックな大人のラブストーリーです。ふわりとした柔和な二郎と、いかにも戦前小説に描かれる悲恋のヒロインらしい美しくも儚い菜穂子さんの、恋の物語です。そこに機会好き、飛行機好きの監督らしい味付けがされていて、ベタつかない爽やかさなテイストに仕上がっています。

堀越二郎は、少年のころから飛行機のデザイナーを夢見てきた青年です。夢のなかで二郎は、イタリアの名飛行機デザイナーであるカプローニ卿に師事し、自分が目指すべき道を迷うことなく進みます。東京大学を卒業後、三菱に入社した二郎は、期待の星として重要な設計に携わり、ついに七試艦上戦闘機の設計主任を任されます。だけどテスト飛行で失敗。失意を癒すべく軽井沢に静養に訪れると、関東大震災で手助けをしてあげた菜穂子と再開します。震災のときはまだ子供だった菜穂子は、美しく成長していました。軽井沢で芽生えた恋は一気に花開き、婚約にいたりますけど、菜穂子には結核という重く不安な影があります。結婚は結核を治してからと、必死で生きようとする菜穂子は、辛く寂しい高原病院での療養に入ります。そのころ二郎は、九試単座戦闘機のチーフデザイナーを任されます。また設計部のリーダーとして尊敬と信頼を得るようになっていました。ある日、そんな日常を二郎がしたためた手紙を読んだ菜穂子は、恋慕募り、ついに病院を抜け出し二郎の元へ行きます。二人は短い逢瀬を覚悟し、結婚します。九試単座戦闘機の設計プロジェクトの間、二人は睦まじい生活を送ります。ついに九試単座戦闘機の試験飛行というとき、試験に立ち会うため遠方に向かう二郎を見送り、菜穂子は家を出、病院に帰ります。死を覚悟し、美しい記憶を残したまま二郎の元を去るという意思です。九試単座戦闘機の試験飛行は見事成功しますけど、やがて戦争は激化。二郎を代表する零式艦上戦闘機の悲劇などを経て、終戦。戦後、多くの喪失感におかれた二郎を、ふたたびカプローニ卿が夢に訪れ、もう一度だけ菜穂子に会わせてくれ、そして、戦後二郎が歩むべき道を示してくれます。

主人公堀越二郎のモチーフは二人います。ゼロ戦の設計士として有名な堀越二郎さんと、本家「風立ちぬ」の作者堀辰雄さんです。菜穂子は、堀辰雄さんの作品「菜穂子」をイメージしているのだそうです。つまり、エンジニアとしてのモチーフは堀越二郎さんで、悲恋の主人公のモチーフは堀辰雄さんという、実在の人物のミクスチャーです。主人公二郎のやわらかな物腰が、実在のふたりを見事に無理なく結合しています。

宮崎監督の作品は、大作になると少々メッセージ性が強くなりすぎ、渋みが残るテイストになるのですけど、本作は、いい加減に脚本に力が抜けていて、自分が好きなテイストです。ただ、監督と言えば、これまでは子供をターゲットにした作品が基本だったと思います。大人も楽しめますけど極端に意識はされていなくても、あくまでも子供が視聴して楽しいというのが基準でしょう。アニメーションのポジショニングは、基本的に子供向けですから。でも本作は、完全に大人向けです。ていうか、監督自身が見たい作品なんじゃないでしょうか。これまでの監督作では、「紅の豚」がテイスト的には近いと思います。自分は「紅の豚」が監督作では最高傑作だと思っています。そういえば、あの作品も大人のラブストーリーでしたね。結局ポルコは恋しないけど。その意味では、監督にしてようやくご自身が作っていて楽しめる、本来監督が作りたい作品を作れるようになったんじゃないかと思うのですけど、もしホントに引退されるのなら、とても残念です。商業的に成功しなくてもいいから、小ぶりな作品を時々作ってほしいと思います。

ジブリ作といえば、独特の作画ですね。もう一人の巨匠、高畑監督は実験的な作画をされますし、宮崎監督は人物を含めた物質の動きを、アニメーションの範囲で忠実に再現することが大きな特長です。リアルではなく、リアリズム。動きの本質を見つつ、でもあくまでも良い加減に漫画なんです。象徴的なのは、菜穂子の涙です。涙がじわっと溢れる動きは忠実ですけど、涙そのものはあくまでもアニメーションの範囲を逸脱しません。それからドイツでパヴェを走る車の描写が素晴らしく、独特のガタガタ感を再現しています。それでも車はあくまでもアニメ。よく拘りと言いますけど、ホントはそうではないんじゃないかと思うんです。リアルを追求したら、実写になってしまいますから。もし拘りがあるのだとすると、アニメーションという手法を守り続けることにあると思います。

少年期の二郎が寝ている表情と菜穂子の表情が、これまでの監督のキャラになく、繊細だと思います。とくに菜穂子の横顔など、思わず高橋留美子先生が描く女性のように思えました。もしこれが新境地なんだとすると、もっともっと人物にフォーカスした監督の作品を見たいと思います。

もう一つこれまでの監督作に無かった本作のテイストが、色香です。二郎と菜穂子の睦は、控えめでかつ悲しいものですけど、ほのかな色気を感じます。先の「紅の豚」のジーナのように、とくに単体の大人の女性はセクシーさを有していますけど、物語そのものに色気を感じることはまずありません。そもそも子供が視聴することが前提ですから。その意味でも、商業的なオーダーのない、いまの監督が本当に作りたい作品を描けたような気がします。

監督といえば忘れてはなりません。機械好きです。この作品でも、これでもかとかっこいい機械が登場します。主に飛行機ですけど、海軍の九試単座戦闘機、七試艦上戦闘機、零式艦上戦闘機をはじめ、陸軍の隼、ドイツ空軍のG-38、イタリア空軍のCa.60など、多数が登場します。ユンカース独特のアルミ機体が醸し出すシルバー光沢の味わい、九試単座戦闘機のエンジン部分など、作画描写が微細で、美しいです。飛行機の作画って、バランスが難しいのです。さらに動画となると、もっと難しい。とくに第二次大戦機以前の飛行機は、さながら生き物のように、各部位が個別に動きつつ全体が調和しているという複雑な動きをします。空母鳳翔艦上で三式艦上戦闘機のテイクオフシーンがありますけど、エンジン部から振動が機体後方に伝播する様が、見事に描写されています。まさにジブリ作画の真骨頂ですね。

もう一度いいますけど、これが引退作だと思っていません。いつの日かまた、ひょっこり作品を世に送り出してくれることを願います。自分はスタジオジブリの近所に住んでいるのでときどき監督をお見かけしますけど、念を送りたいと思います。それまでしばしの「おわり」です。


レ・ミゼラブル(Les Misérables)

2013-02-11 02:16:14 | 映画

前売り券を持っていると観に行かないということがありますよね。自分もそうです。やっぱり観たいと思った直感に従うのが一番かと。

レ・ミゼラブルも然り。前売りを持ちつつなかなか行けませんでした。けど、ようやく観念して観ることにしましたw。

評判通りのすばらしい作品です。ショコラのように濃厚な善と愛の物語です。終わってみれば、キャストのほぼ全員が善い人なんです。結果論も含めて。

フランス革命後、ナポレオン政権の晩年1815年が物語のスタートです。ジャン・バルジャンは社会の底辺にいますから、ナポレオン時代はほとんど関わりがありませんね。新しい人生を軌道に乗せ、最愛のコゼットと出会う1832年前後は、ブルボン王政復古の時代です。その後、劇中では登場しませんけど1830年の7月革命を経ます。この革命でブルボン王朝は崩壊しますけど、ブルジョワジーと呼ばれる資本家階級による政治は、下層階級の困窮を変えるものではなく、市民の不満が再燃します。その不満を代弁する形で、1832年6月に学生が暴動を興します。そのなかでコゼットは、マリウスと出会います。

ミゼラブルは不幸という意味ですけど、この物語はトラジェディではありません。むしろ善行によって深い愛を得る、幸福の物語です。今更ストーリーをお話するのは野暮なので、心に残った名曲をご紹介します。

ミュージカルを観たことがないひともどこかで聴いたことがある名曲がこれでもかと出てきます。

エポニーヌがとってもいい人なんです。この作品でもっとも有名な楽曲でしょうか?。サマンサ・バークスの歌が一番涙腺が危なかった瞬間です。"On My Own" 

ファンティーヌの娘を想う心の叫びがびんびん伝わってくる、アン・ハサウェイの熱唱です。"I Dreamed A Dream" 

革命家と恋する娘と恋する学生と逃亡者と追跡者。それぞれが運命行方を待つ心境を重ねて綴るクインテッド(五重唱)。"One Day More"。重唱シーンは何度か出てきます。ミュージカルならではなんでしょうね。ミュージカル初体験の自分には衝撃でした。

ラストシーンでも出てきます。"Do You Hear the People Sing? (The People's Song)"

コゼットとマリウスの告白シーン。このシーンも、芽生えた愛を確かめる恋人と、自ら導いた失恋を目の前で確認するエポニーヌの感情を素晴らしい重唱で表現していました。"A Heart Full Of Love”

えっと。号泣するために観に行ったのですけど、結局泣けませんでした。うるっと程度でした。ロングランミュージカルで不朽の名作ですから、自分程度の素人が批判するに値しないことは承知の上で暴挙に出ますw。自分都合で感想することをどうかご容赦ください。

泣けなかった理由を考えまするに、二つございます。一つは、感情移入が弱いんですね。自分が泣くシナリオは、感情移入できる対象が特定できることが条件です。この作品は、「ジャン・バルジャンの逃亡とジャベールの追跡」、「コゼットの成長」、「7月革命後のブルジョワ政権に不満を持つ1832年6月の学生暴動」、「コゼットとマリウスの恋とエポニーヌの片想い」と主要な4つのテーマに加え、ファンティーヌの悲劇、ガブローシュの活躍、安宿主人夫妻の活躍?というサブテーマも絡むので、自分の感情が分散されちゃいました。これではなかなか心を移すことができません。ミュージカル版を忠実に再現した作品だそうなのですけど、舞台を観たらまた違う感想になるのかなと思います。ライブの迫力から伝わる魅力は、サッカーでよくわかっていますから。

じつはミュージカルを観たことがないのです。四季を観たいと思いつつ、今はどうかわかんないですけど人気作はずいぶん先じゃないとチケット取れないと聞き、面倒くさくてw。なので、ミュージカルという演出の方法論を初めて経験しました。で、良さがなんとなくわかりました。音楽は聴く側の感情に訴え、かつ記憶に残す最高のメソッドだと思っています。クラシックの作曲手法にありますように、コードの進め方で、聴く側の高揚、不安、焦燥、安堵などの感情に働きかけることができます。ミュージカルは、オペラほどではないにしろクラシックの手法をベースにしていますから、音楽の力で感動を伝えることができるのだと気づきました。ただ、もう一つの泣けなかった理由はそこにあると思います。インストルメンタルなら静表現ができますけど、声楽は基本的に常に何かの感情が入ります。つまり、常にハイテンション。この作品もまた然り。冒頭でショコラのように濃厚と言いましたけど、自分の意図の片方はそういうことです。旋律に乗っていない普通の会話は極めて限られますから、158分間常に何かの感情が動いています。自分が感動するプロセスを考えると、一旦落ち着き(静)があってそこから一気に感情を動かされると涙腺が決壊するというパターンが多いです。涙は、作中の楽曲にはやく乗れるひとの特権だと思いました。なにしろ楽曲もハーモニーも最高に素敵ですから、自分も何度か涙腺の閾値を超えようとしたんですけど。

とは言え素晴らしい作品であることは間違いないです。複雑なストーリーを絶妙にバランスさせている構成ですから、割と長いお話なんですけどまったく飽きません。アクション劇ではないですけど、ノンストップのジェットコースタームービーです。

トム・フーバー監督とは、「英国王のスピーチ」で出会いました。心理を描くのが巧みな監督さんですね。

この作品を素晴らしいものにしているのは、何と言ってもキャストでしょう。

ヒュー・ジャックマンは実は初めてまともに観ました。「ニューヨークの恋人」をテレビでちらっと見た程度。ですけど「Xメン」で有名ですから。男前なんだけどちょっとヒラメ気味の独特の表情は、悲しく重い過去を背負うジャン・バルジャンにピッタリでした。仮釈放から教会で生き方を変えるまでのシーンで、歯を汚していたのが印象的です。

同じく歯で印象的なのが、アン・ハサウェイです。コゼットのために歯を売るシーンがありますけど、その後"I Dreamed A Dream"を歌うシーンでは、左下の歯がなくなっているのです。CGなのかホントに抜歯したのかはわかりませんけど、ビックリしました。先日ダークナイト・ライジングでセクシーな容姿を見たばかりですね。

"On My Own"を歌うエボニーヌ役のサマンサ・バークスは、この作品が映画デビューだそうですね。ミュージカル俳優さんで、舞台でも"On My Own"を歌ったんでしょうか。切なさがいっぱいで、ホントに素敵な歌声でした。

マリウスを演じたエディ・レッドメインは、どこかで見たような気がするのですけど、初めてでした。繊細で一本気な人柄がよく出ていましたね。

アンジョルラス役のアーロン・トヴェイトがとても印象に残りました。美しいのです。革命に殉じた学生の高潔な精神をとても表現できていました。

ラッセル・クロウはよく見てますから、あえて言うことはないですねw。いつになく抑えた演技でした。彼だけフランス的な香りがしなかったのは気のせいでしょうか。

もちろんハッピーエンドということもあるんですけど、鑑賞後幸福感に包まれるんです。これは登場人物がみんな良い人だからだと思います。極端なところですと、安宿の主人夫妻バベとクラスクーも、結果的にはコゼットとマリウス、それからジャンと娘夫婦を引き合わせることになりますから。観終わって幸せな気持ちになれる映画は、素敵な作品だと思います。

個人的に、泣く気満々で臨んだ作品ですので、泣けなかったことで辛口なことを書いてしまいましたけど、素直に素晴らしい作品です。よほどミュージカルが合わない人でない限り、誰でも楽しめると思います。実はウチの両親がミュージカルが苦手でw。素直に音楽に身を委ねるのが、この作品の楽しみかたでしょう。オススメです。


塀の中のジュリアス・シーザー(Cesare deve morire)

2013-02-04 23:42:47 | 映画

銀座テアトルシネマでございます。草刈さんの映画を観て以来ですね。ふと、テアトルシネマって劇場劇場?と思ってみたりw。

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塀の中のジュリアス・シーザーを観ました。ひさびさのイタリア映画です。「ミルコのひかり」以来です。

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非常に重厚なテイストの作品でございます。ジュリアス・シーザーというシェイクスピア作品の重さのみならず、刑務所が舞台というコンテクストが重みを増しています。かなり見ごたえのある作品です。

レビッビア刑務所には、重警備棟の服役囚たちによる“Compagnia dei Liberi Artisti Associati(連携している自由なアーティストによるカンパニー)”という演劇実習があります。構成プログラムの一貫なんでしょうね。100人以上もの服役囚が3つのカンパニーに分かれて参加していて、彼らが演ずる芝居は一般のひとに披露されているんだそうです。

この年のテーマは、シェイクスピア。ジュリアス・シーザーです。キャストは、刑務所内のオーディションで決まります。

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この作品のストーリーはとてもユニークです。まず刑務所内にある劇場で行われた本番芝居のラストシーンから始まります。オーディエンスのオベージョンをキャストが受けたあと、今回の舞台が企画されたところに時間が巻き戻されます。ここからモノクロームになります。オーディションで、悲しみと怒りを表現することを求められた服役囚のなかから、キャストが選ばれました。さっそく台本の読み合わせが始まります。

劇場が改装中ということで、刑務所の一室で稽古が進められます。面白いのは、ここからの展開です。キャストの稽古風景を紡ぐドキュメンタリーなんですけど、これがジュリアス・シーザーの物語に沿っているのです。芝居のドキュンメンタリーはメイキングであることが一般的ですけど、本作はさながら、刑務所全体を劇場にしつらえた芝居という趣向です。本物の劇場が改装中というのは、設定だったのかもしれません。

モノクロームの映像、刑務所の風景、ひとりを除き現役の服役囚によるキャスティングというエッセンスが、本作版ジュリアス・シーザーのオリジナリティです。シェイクスピアには詳しくないのでわかりませんけど、ストーリーそのものは、たぶん新しい解釈をしているわけではなく、オリジナルをシンプルになぞっているのだと思います。そんなことをしなくてもよいほど、本作のシチュエーションに個性があるということでしょう。

演出方法も、芝居のような盛り上げ方なんです。はじめのうちはキャストだけがシェイクスピアの世界に浸り、他の服役囚とは距離があったのですけど、シーザーが戴冠するシーンくらいからすべての囚人がさながらローマ市民になっていくのです。警備する警官だけ、芝居のオーディエンスとして扱われています。ブルータスとアントニーの演説シーンでは、舎房の金網越しにアントリーの扇動に煽られる市民を見事に演出しています。

ひょっとすると、各シーンで舞台として使われている刑務所内の施設も、オリジナルの舞台設定をモチーフにしているのかもしれません。残念ながら知識がないのでわかりませんけど。チャールトン・ヘストンの「'70版ジュリアス・シーザー」と見比べても面白いかもしれませんね。

本作のラストは、フィリッピ平原でブルータスとオスタディアヌスが戦うシーンから本番芝居で、カラーに戻ります。舞台美術の赤と黒のコントラストといい、モノクロームとカラーの使い分けといい、ヨーロッパの作品らしいですよね。

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監督は、パオロとヴィトリオのタヴィアーニ兄弟です。ともに80歳を超えてらっしゃる大ベテランなんですね。なかなかイタリア映画に触れる機会がありませんから、本作で初めて拝見しました。

各キャストの個性が濃いのでみんな紹介したいのですけどキリがないのでw。それに基本的に素人だし。主要な4人だけ。

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舞台監督はファビオ・カヴァッリ。当然このかたもリアルに舞台監督です。このかたは服役囚ではありません。レビッビア刑務所の演劇実習の共同責任者なんだそうです。キャストの喧嘩シーンがあるのですけど、ファビオはただ待つのみ。そりゃあそうですよね。

キャシアス(カッシオ)役のコジモ・レーガは終身刑。「終身刑の自伝」を出版しています。ラストシーンで彼が語る言葉が、本作のテーマなのかもしれません。「芸術を知って、舎房は牢獄になった」。

コジモの想いを実現したのが、ブルータス(ブルート)役のサルヴァトーレ・ストリアーノです。2006年に出所し、現在は俳優として活躍しています。本作の時点ではすでに社会復帰していますから、撮影のために刑務所に戻ったということですね。ある意味ジュリアス・シーザーの主役であるブルータスの苦悩を、張り詰めたテンションの緊張感で見事に演じていました。「シェイクスピアの意図はわかった。あとはどう観客に伝えるかだ」という台詞が印象に残りました。

シーザー(チェザーレ)役はジョヴァンニ・アルクーリ。この人も「内なる自由」という本を出版しています。非常に威厳と高潔さが漂っていて、まさにカエサルという雰囲気です。シーザーが留めを刺されるシーンの有名な台詞、「ブルータス、お前もか」もちゃんと登場します。キタ━(゜∀゜)━!ってなりますw。

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イタリアの伊達男なんて生易しいものじゃない、裏社会を生きてきた服役囚が醸し出す迫力と、芝居がはけた後に彼らが有無を言わさず現実に引き戻される寂寥感がリアルに伝わります。メッセージ性というよりは、刑務所と服役囚たち合意のもと、彼らという素材を活かしたエンターテイメントだと捉えてよいと思います。ですから、敢えて難しく考えず、素直に楽しんでよいんだと思います。マジで、おもしろいです。オススメ。


ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日(Life of Pi)

2013-02-04 01:42:44 | 映画

雪が降ったと思ったらこの土曜日は春のような陽気で、うつろぎなお天気です。インフルエンザも風邪も流行ってます。どうぞ、ご自愛くださいね。

ひさしぶりに映画を観ました。「ライフ・オブ・パイ」でございます。じつは「もうひとりのシェイクスピア」を観たのですけど、途中でお腹が痛くなる不覚(T_T)。全部観れなかったのです。結構面白かったんだけどなー。

さて、「ライフ・オブ・パイ」。最高に素敵なファンタジーです!。ベンガルトラと二人っきりで漂流した青年パイ君のサバイバルストーリーですけど、根底に流れるのはインディアン・イデオロギーなんだと思います。もちろん自分はインド思想にまったく無知です。でも問題なく楽しめます。一般的な”インド的”イメージを認識してさえいれば、理解できると思います。

物語は、カナダで暮らす現在のパイが、数奇な経験を、初めて訪れた小説家ヤン・モーテル(原作者自身)に語るいう設定で進行します。ピシン・パテルは、インドで生まれた男の子です。水泳が趣味のパパジ(おじさん)がパリで体験したプールの素晴らしさから、ピシン(フランス語でプールだそうです)と名付けられましたけど、ヒンドゥー語だと「おしっこ」w。当然友達にいじめられます。一計を案じたピシンは、πを暗記し学校の皆に披露することで自らをパイと呼ばせることに成功し、いじめを乗り切りました。

パイのパパは実業家で、動物園を経営しています。ママは植物学者。パパの動物園にやってきたベンガル・トラ、リチャード・パーカーに興味津々なパイは、パーカーを餌付けしようとしますけどパパに止められます。パパは野獣の恐ろしさをパイに教えます。パイは、信仰に影響されないニュー・インディア思想を持つパパからは「理性」を、そして、パパと同じくニュー・インディアンながら、敬虔な信仰心も持つママからは「観念」を学んで育ちました。

パパの決断で、動物園の動物とともにカナダに移住することになった一家は日本船籍の貨物船に乗り込みますけど、嵐の夜に船が沈没してしまいます。ひとりぽっちで漂流することになったパイとライフセーブボートに同乗したのは、なんとリチャード・パーカー。船の外にも中にも命の危険が。どうなるパイ!。

物語の冒頭、パイというあだ名の由縁が語られるなかで、パパがパイを諭して語った言葉が、この物語をいとおかしいものにしているんだと思います。それは、「様々なイデオロギーに触れ自分なりの考え方をすべきだが、理性的な判断のもとで生きろ」という言葉です。この作品では、理性的な判断を求める問いが大きく二つあります。

ひとつ目は、この物語そのものが真実なのか?。あ、もちろんフィクションですけど、フィクションのなかで真実なのかという意味です。現在のパイは、ヤンに二つのサバイバルストーリーを語ります。果たしてどちらが真実なのか?。ヤンが「トラと漂流したほうが素敵だ」と答えたときにパイが見せたミステリアスな微笑みを含め、オーディエンスの理性に問いかけているんだと思います。もちろんエンターテイメントですから、社会問題としてではなく、純粋に「あなたならどっちの物語を受入れますか?」という問いかけです。自分はもちろん、トラとの漂流物語を楽しみます。

もうひとつは、パイが生き延びた過程です。ヒンドゥー教とキリスト教とイスラム教を信じるパイは、観念として漂流を捉え、死を受け入れても不思議ではない状況だったと思います。でも、パイは理性的に判断して、サバイバルすることを選択しました。それでいて、生死の狭間を漂う日々の傍らには、いつも神がいました。結局雷鳴のなかでパイが見た神は、ヴィシュヌなのかイエスなのかアッラーなのかわかりませんけど、たとえばそのシーンが信仰という観念と理性の共存を象徴していたと思います。雷鳴のなかには神が確かにいました。でも、雷鳴に怯えるリチャード・パーカーを見て、自分と彼を生かしたいという理性をパイは取り戻します。パイは、彼の家族を奪い彼とパーカーに試練を与える神を畏れます。また、彼とパーカーに海の幸を与える神に感謝します。一方で、ライフセーブボートにあったサバイバルマニュアルを参考に、命を維持する工夫をします。人間が生きるためには、観念と理性が両方必要ということを示唆しているような気がします。

パイという名は、理性と観念の同乗を象徴していると思います。西洋的な数学である円周率は、その存在そのものがとても宇宙的な観念に満ちています。すばらしいネーミングだと思います。

小難しい感想はほどほどにしてw。映像がなにしろ綺麗です。CGの使い方も好みがあるかと思いますけど、やっぱりファンタジーで使われるのが一番しっくりきますね。とくに、満天の星空と光るクラゲの群れの真ん中に漂うボートと、その周囲をクジラが巡るシーンは、息をのむほどの美しさでした。それから、ミーアキャットの群れがパイを一斉に見るシーンは、とっても微笑ましかったです。リチャード・パーカー、オレンジ・ジュースをはじめとして、シマウマやハイエナのどこまでがCGなのかわかりませんけど、フルCGだとしても異論はまったくありません。それもこれも、ファンタジーストーリーだからだと思います。やっぱりCG技術そのものがファンタジーだからでしょうね。

それから、ストーリーが素晴らしいです。パイの由縁という割と淡々とした入り方をしますけど、漂流してからはハラハラドキドキのエピソードがこれでもかと続き、とにかく飽きません。あっという間の127分です。映画とはこうありたいですね。

アン・リー監督の作品は初体験です。「グリーン・デスティニー」、「ハルク」、「ウッドストックがやってくる」が代表作なんですね。インド文化に縁がないかただからこそ、インド的なイメージを適度なライトさで表現できたのかもしれません。インドのかたが観ると、どんな感想を持つのか興味深いです。

青年パイを演じたスラージ・シャルマが、なにしろ魅力的なのです。とってもハンサムです。理知的ななかにも繊細な雰囲気を漂わせている表情が、理性と観念をバランシングしているパイを見事に表現していたと思います。少年時代と現在を除くとほぼ孤独な漂流シーンでしたから、パイを演じる役者さんによほどの魅力がないと作品が死んでしまいます。ですから、この作品に対するスラージ・シャルマの貢献は、とても大きいですね。

現在のパイを演じるイルファン・カーンも魅力的な表情をしています。先ほど紹介した、ヤンに問いかけるシーンで見せたミステリアスな微笑みは、珠玉です。YesともNoとも取れるし、そのどちらでもないかもしれない。もしくは何も考えてないのかもしれない。極論すると、あの笑顔がこの作品を決定付けているとも言えると思います。

少年パイの両親も素敵です。ママ役のタッブーは42歳でいらっしゃるのですね。失礼ながら、とてもそう思えないほど若々しく、とても美しいです。パパはこの作品のコンダクターだと思います。パパがパイに語る言葉が、その後のストーリーを方向づけしています。アディル・フセインはニュー・インデュアを象徴するビジネスマンの価値観を好演していました。男前ですしw。

「スラムドッグ$ミリオネア」、「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」、それに今作と、現代インドに触れる機会が増えてきました。この作品は、リアルな現代インドというよりは、何ども言ってますけど”インド的”なイメージをベースにしたファンタジーです。なので、インド独特のアクの強さはありませんから、身構えなくて大丈夫ですw。

なにしろ、大袈裟ではないファンタジーに触れたいかたに、とくにオススメです。ぜひ一度触れてみてください。


砂漠でサーモン・フィッシング(Salmon Fishing in the Yemen)

2012-12-09 13:03:19 | 映画

あの時以来の大きな地震がありましたね。また金曜日の午後。東日本の皆さん、大丈夫でしたか?。お部屋の被害はないですか?

街はすっかりクリスマス色ですねー。

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快晴の土曜日(#^.^#)。スーツを受取りに吉祥寺に出掛ける用事があったので外に出ると、もうちょっと先に行きたくなって、神田界隈をうろうろしてたら有楽町に出まして。映画だろってことで、スーツが映画に変わりましたw。

砂漠でサーモン・フィッシングです。

自分的にはちょっと期待はずれでした。いつ大好きな英国映画的なテイストがくるのかなーって待っていたのですけど、ついになかったw。大人のラブストーリーでございます。

英国で評判となった小説に基づいているそうですね。イギリス人はこういうのがお好きなのかな?

アルフレッド・ジョーンズ博士は、英国の農水省に勤めるお役人です。ですけど、博士と呼ばれる通り、ちょっと変わった、水産学のいわゆるオタクさん。趣味に走った仕事をしていて、浮いた存在です。私生活でも奥さんとうまくいってません。バリバリのビジネスマンとして、スイスとイギリスを往復する多忙な奥さんと、コンサバティブでのんびり暮らしたいフレッド先生との間に、長い間溝が出来ていました。

そんなさえないフレッド先生のもとに、一通のメールが。投資顧問会社のフィナンシャル・アドバイザー、ハリエット・チェトウッド=タルボットからのメールです。イエメンの川に鮭を育てようという冗談のようなオファー。当然フレッド先生は”丁寧に”お断りのメールをします。ところが事態は、奇妙な縁が連鎖してフレッド先生の思わぬ方向に進みます。イギリス軍が駐留しているアフガニスタンでモスクの爆破テロが起こります。イギリスへの抗議。首相広報官のパトリシアは、世論をコントロールしようとして、イギリスと中東が好関係であることを示すニュースを探します。サーチに引っ掛ったのが、イエメンの鮭プロジェクトです。パトリシアの圧力でフレッド先生のボスに指令が下ります。プロパガンダとして利用するために、鮭プロジェクトを成功させる必要があるのです。そこで、ボスの命令でフレッド先生がプロジェクトに加わることになりました。やる気のないフレッド先生はハリエットに、鮭プロジェクトの計画と最低予算として5,000ポンドを机上論として見積もります。

ハリエットには最近恋人ができました。軍人のロバートです。ところが、恋が始まったばかりなのにロバートはアフガニスタンへ派遣されることになってしまいました。フレッド先生の奥さんもジュネーブに長期出張することになり、フレッド先生とハリエットは同じような境遇になります。

フレッド先生の計画をハリエットが、プロジェクトのオーナーであるシャイフ殿下に伝えたところ非常に乗り気で、さっそく5,000ポンドが振り込まれました。ダムや輸送技術、気象、水質条件などが、フレッド先生の想像を越えて鮭の生息に耐える可能性があることもあって、先生は徐々にモチベーションを高めます。ハリエットの魅力も影響して。でも先生にもっとも影響を与えたのは、シャリフ殿下です。知的で優雅、上品を越えて神秘的ですらある殿下は、プロジェクトが個人の欲求を満たすだけでなく、砂漠に農業を起こし国民生活を豊かにすることを期待していることを知り、先生はすっかり殿下に魅了されます。

インフラの整備はほぼ目処がついたのですけど、肝心の鮭が入手できません。釣人の反感を恐る環境省が賛同せず、それどころかメディアを通じてネガティブ・キャンペーンを打ちます。天然の鮭が入手できず、遡上しない可能性がある養殖鮭を使わざるを得なくなります。

そんなとき、ロバートが作戦行動中に行方不明になったとの知らせがハリエットに届きます。部隊が全滅した可能性があると。悲しみのあまり引き篭るハリエット。プロジェクトは行き詰まります。

そしてついに、フレッド先生が変わります。先生のプライベートなこととしては、問題を抱えていた夫婦関係を決着すべく離婚を決意します。それからハリエットを、慣れない手製のサンドウィッチと飲めないワインで勇気づけ、プロジェクトにはハリエットが不可欠な存在と説きます。極めつけは、養殖鮭に難色を示す殿下を説得しちゃうこと。ロジカルが服を着ているような先生が殿下に話したのは、信念。根拠はないけど養殖鮭もDNAがあって、遡上すると。

先生の活躍でプロジェクトが再起動します。先生とハリエットは鮭と一緒にイエメンに入ります。プロジェクトの苦楽を共にするなか、恋心が芽生える先生とハリエット。パトリシアは、かねてからの計画どおりプロジェクトをプロパガンダとして利用すべく、外務大臣を現地に連れてきます。殿下も高らかに計画の成功を祝います。パトリシアは、もうひとつのプロパガンダを用意していました。なんとロバートが生きていたのです。奇跡的に生還したロバートとハリエットの劇的なラブストーリーをプロパガンダに利用するのがパトリシアの計画。この計画で、先生は一気に失恋しましたw。

放流された鮭は、無事遡上を始めました。さっそく釣を始める殿下、先生、ロバート、外務大臣。ところがそこで、殿下の計画が、過度な西洋化であると反対する敵対勢力により妨害されます。夢が一気に流れさり、失望する殿下。離婚と失恋が一気にやってきた先生。ロバートと再開するも、価値観のギャップを感じ始めたハリエット。3人の行方はいかに。

ストーリーを振り返ってみるとわかったのですけど、テーマが分散していて中途半端なんですね。個々のテーマは意外性もあって興味深いのですけど、それぞれを無理矢理くっつけた感がして、全体が浅いんですね。原作を読んでないのでわからないのですけど、原因は原作にあるのか脚本にあるのか。ラブストーリーにするなら、もっと先生とハリエットの絡みにフィーチャーしてもよいような気がします。砂漠で釣りっていうモチーフが、濃すぎるのかもしれません。むしろそれなら、ラブストーリーではなくプロジェクトの成功ストーリーにすべきでしたね。それこそ英国映画の真骨頂ではないでしょうか?。

自分は成功ストーリーの英国映画が大好きです。フル・モンティ、ブラス!、リトル・ヴォイス、グリーン・フィンガーズ、そしてシーズン・チケット。さえない庶民階級の人々が、紆余曲折の末小さな成功を得るっていう、ほっこりできるストーリーが好きです。そのような映画は、英国ならではのペシミズムとユーモアで味付けされることで、どこかのんびりとした暖かさを感じさせてくれるのです。例によってほぼ予備知識ゼロで、英国映画と聞いただけで期待したのですけど、ユアン・マクレガー以外からは、自分が好きなテイストはあまり感じられなかったですね。

そんなわけで、この映画が英国映画のテイストをかろうじて感じさせるのは、ユアン・マクレガーのおかげなわけです。オビワンに象徴されるように、周囲に振り回されることを迷惑がりつつも、ユーモアを交え嫌味なく軽やかな印象を与えらる役をやらせたら、ユアン・マクレガーに勝るひとはいないと思います。フレッド先生もそんなキャストでした。

ハリエットのエミリー・ブラントは始めてみましたけど、スタイルがいいですねー。ユアン・マクレガーと並ぶと、背の高さと足の長さがわかります。

この作品で一番の素敵な出会いは、シャイフ殿下役のアムール・ワケドです。目が素敵です。室伏広治選手をイメージするとわかりやすいです。包容力と優しさと気高さと憂いを併せもった、神秘的な目をしています。引きつけられます。この作品を、なんとか最後まで楽しめたのは、ひとえにアムール・ワケドのおかげです。それほどかっこよくて、素敵です。

ラッセル・ハルストレム監督はお馴染みですね。マイライフ・アズ・ア・ドッグ、ギルバート・グレイプ、サイダーハウス・ルールなどなど、魅力的なスモールストーリーの描き手です。監督のファンは日本にも多いみたいですね。劇場から出るエレベーターでも、監督の作品だから観にきたって会話が聞こえていました。監督が得意とする分野と自分が好きな英国映画はマッチすると思うのですけど、この作品はちょっとテーマが違いましたね。

というわけで、この作品の魅力はアムール・ワケドさんです。作品のオススメはしませんけど、この俳優さんを観るだけでも価値はあります。