I love you,baby 福島 I need you,baby 福島 I want you,baby 僕らは福島が好き♪
東北の旅の最後に、どうしてもいまの福島を感じたくて。福島市で一泊しました。夜の東北道、仙台から福島は、下り基調のうえカーブが多く、しかも震災の影響もあってトラックが多い、さらに雨模様で、非常に怖かったです。自分は目が悪いので、かなり神経すり減らした運転でした。
夜半に福島市に着きました。会津には行ったことがあるのですが、中通りは初めて。福島駅前にもかかわらず、街にあかりがなく人もほとんど歩いてなく、とても静かでした。福島県はもともと郡山のほうが大きな街だということで、存外、これが平素なのかもしれません。だから一限の自分には比較はできません。ですが、やはりどことなく元気のなさを感じてしまいます。
直接の被害は薄かった山形はもとより、宮城、岩手の被災地では、いずれも「がんばろう」の文字を多くみかけました。とくに岩手では、街々で「がんばろう 岩手」ののぼりやポスターがあって、震災から半年を経て、復興に向けがんばるんだという意気込みを強く感じました。
だけど、福島には「がんばろう」をほとんど見かけませんでした。復興はおろか、復旧すら何時になるのかわからない状況で、「がんばろう」という気持ちにはなれないんでしょう。だからいま、福島のひと達にかける言葉がありません。
帰り道は磐越道~常磐道を選びました。少しでも浜通りに行ってみたくて。これも震災前との比較はできないのですが、車はまばらにしか走ってなく、高速はとても閑散としていました。阿武隈高原SAで、ようやく見かけました。
いま思うことは、福島を避けないということ。震災前とおなじように暮らしたい。お米にしろ野菜にしろ製品にしろ、無理に福島産を選ぶ必要はないと思います。他の地域とのバランスを考えると。普通がいちばんなんだと思います。だから、福島を避けない。
とは言え、福島第一原発の問題は現実のものとしてボクらの暮らしに存在します。完全な収束には数十年かかるとのことで、おそらく自分は生きていないでしょう。だからこの先の生涯、大なり小なりの影響があるでしょう。可能な限り見届けたいです。できることなら、原発を実際に見たいです。でも、なにより浜通りが復興することが大事。
被災地をただ見て感じただけですけど、足を運んで本当によかったと思っています。言葉にならない被害のすさまじさは、現地に来ないとわかりません。被災地を目にすることで、自分がやっている仕事の意味や、いやもっと大きくいうと自分のこれからの人生のレゾンデートルすらも感じることができました。
思えば、この2011みちのくの旅は、「がんばろう日本」の意味を知るための旅だったんだと思います。「がんばろう」って何だろう?。何を頑張ればいいんだろう?。そんな疑問や焦燥を感じていました。被災地を旅して、何となく答えがわかったような気がします。
それは、日本に住む人々が同じ目標を持つということなんじゃないでしょうか。がんばるというと、無私や無理の必要性を想起させますけど、そうじゃない。それでは継続できません。大事なことは、ボクらが前を見て生きていくことだと思います。誤解を恐れず言えば、天災は天命だと思います。現代社会は個人的な効用の最大化が優先されます。これが混沌を生んでいる。国家規模の困難に向き合えば、個人よりも社会がナチュラルに優先される。かつて維新や太平洋戦争後の復興で我々日本人は、国家一丸となって同じ方向を向くことができました。結果論としての無私。「がんばろう」の言葉には、日本人が一丸となることを期待しているんだと思います。それがこの旅のなかで見つけた結論。残念ながら、被災は広範囲であっても局地的なもの。例えば西日本では被災の様子を実感することは難しいでしょう。だから「がんばろう」の課題は、いかに日本全体を同じ方向に向かわせるのか、だと思います。そのために必要なことはビジョン。震災を踏み台にするくらいの図太さで、新しく力強い日本を日本人全員で作っていく。そんなビジョンがいまの日本には必要だと思います。
まもなく2011年が終わります。本当にいろんなことがあった一年でした。東日本大震災。台風12号、15号。多くのひとが迷い傷つきました。
来る2012年は、これから始まる復興のスタートラインであって欲しいと願います。
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ