西日本で育った自分はもう一つ実感が難しいのですけど、この時期札幌の雪は積もるほどではないらしいのですけど、今年は大雪に悩まされています。折しも一番の大雪だった18日、札幌に行っておりました。羽田はこんな感じ。
新千歳に着いたらこんな感じ。
そんで、札幌市内の朝はこんな感じ。聞くと、新千歳空港より札幌のほうが雪が多いそうですね。
お昼になるとこんな感じ。
夜はもう、こんな。
JR札幌駅です。
日帰りはしんどいですw。
で、翌日、雪がまったくない東京で日本は広いなあと思いながらw、文京学院大学で大学改革シンポジウムを聴いてきました。講演されたかたは下記の皆さんです。
濱田純一先生 東京大学総長
安西祐一郎先生 日本学術振興会理事長・中央教育審議会大学分科会長
川口清史先生 立命館総長・日本私立大学連盟常務理事
原田泳幸さん 日本マクドナルドホールディングス株式会社代表取締役会長・社長・CEO
木場弘子さん キャスター・千葉大学特命教授
大学という枠組みで見たら、キーマンがズラリと揃った豪華なメンバーです。テーマの当事者であり、言い出しっぺの濱田先生に加え、行政側の安西先生、私学を代表する川口先生、企業人としてグローバル化を体現している原田さんが議論に様々な角度で光をあて、幅を生むお立場として望まれました。
基調講演「社会システムとしての秋入学」 濱田先生
昨夏(2011年7月)、東京大学が秋入学制に全面移行することを発表して以来、様々な議論をしてきたが、3つの具体的な論点が明確になってきた。
①学事暦を海外に合せ、留学および留学生の受入れを促進する。これに伴い、いわゆるギャップタームの課題が議論されている。就学前の若者に、主体性と国際センスを磨く期間として有効活用してもらうことが望ましい。
②学生に主体性、能動性を持たせる教育カリキュラムを構築する。
③単に大学だけの問題とせず、社会の仕組み、システムを改革する。若者に主体性を持たせるためには、幼児から高校までの教育のあり方を変革する必要がある。また、卒業生を受入れる社会の構造も変わる必要がある。
グローバル化とは、国際社会に対する正しい知識を持ち、個人がその社会を利用することである。日本と外国の違いを理解することが必要。その上で受容あるいは批判する実行力を、自分のなかに取込んでいく。このような人材は、国際舞台だけでなく、地域社会にも必要になる。
このように大学のグローバリゼーションには、多くの課題が複雑に絡み合っている。これらを個別に議論していても何も始まらないので、きっかけとして秋入学に取組んでいる。東京大学内で、今までやろうとしてもできなかった課題に取り組めるようなスキームを作ることができた。
ギャップタームについて、学生新聞が新入生にインタヴューをした。多くの学生が、有効活用したいと答えている。経済格差や高校までに受けた教育差などの課題があるが、ギャップタームの活用は、学生の主体性、自主性に期待している。高校卒業直後の18歳は未熟で、主体性を持てないという意見もある。しかし、結婚、就職ができる年齢であることを考えると、未熟と扱うことは疑問である。むしろ未熟と扱う社会の仕組みと意識を変革する必要があるのではないか。いま議論している、4月入学、9月開講の学事暦は、秋入学を香車のようにまっすぐ進めたものではなく、いわば桂馬のように斜め前進である。入学後の半年は、語学の集中講義や留学の奨励などにあてる方向で議論している。
大学内の課題もある。大学業務のスムーズな移行が必要である。また非常勤講師のスケジュールと東京大学の学事暦が合わない問題にも取組まなければならない。
大学としての教育のあり方の、本質的な議論も必要である。大学教育は、基本的に学内で完結すべきという意見が根強い。学生を育てるという、先生の責任感が現れた意見であり、それ自体は大変リスペクトすべきことである。グローバル化という視点で見た場合、この考え方は日本独特である。海外の大学では、単位取得を大学間相互で流通することは、常識である。
学生は忙しいという。取得が必要な単位数が多く、授業に出ないといけないので留学する時間などないという。これは、学生により多くの知識を与えることを旨とし、知識豊富な人材を社会に提供することで高度成長を支えてきたという、大学の成功体験に基づいている。このようなこれまでの大学の歩みは、日本の誇りである。いま時代は変わり、国際視野で考えたときに日本の社会が求める人材排出機関として、トラディショナルな大学教育が合わなくなってきていると感じている。どちらかが良いというのは極論で、割り切れないものではないか。様々な思想の教育システムが混在してよいと思う。
このように、秋入学は社会システムを変革し国際化するための取組みなのである。
パネル討論「秋入学をどう人材育成に活かすか」
ここからは濱田先生に加え、安西先生、川口先生、原田さんがパネリストとして登壇されました。モデレーターは木場弘子さん。
第1部「いまなぜ秋入学か」
安西先生のご意見をまとめるとこんな感じ。経済界は前向きに捕らえ、保護者も大学のレゾンデートルを考えるようになり、社会の総論としては賛成の向きにあると捉えている。大学は自治を主張する存在で然るべきだと思うが、自治には権利と責任が伴う。その意味で、日本で最も自治権を持つ存在である東京大学が改革に踏み切ったことに、大いなる意味がある。日本の大学をタイタニックに例えると、ボールルームにいる乗客。沈みつつある状況を理解できず、船と運命を共にしてしまうようなもの。
川口先生のご意見です。東京大学のマニュフェストとして捉えている。私学は既にグローバル化に取り組んでいるところがあり、国立大学は改革が遅れている。立命館も然り。私学の取組みに対する東京大学の違いは、大学全体の学事暦をスコープにしているところである。私学は、日本のトラディショナルなスケジュールと国際標準を完全に分けている。また、教育システムについてもクォーター制を採用し、シラバスも柔軟である。立命館は、附属高校との連携が今後の課題である。東京大学のギャップタームの議論は大胆な発想で、価値ある議論と考える。
原田さんのご意見です。日本の社会システムがグローバル化しなければならないことは、議論の余地がなく、秋入学は変革の突破口としての取組みであると認識している。国際競争力を確保した社会システムのモデル作りが必要であり、そのためには大学のみならず、国、企業を巻き込んだ、日本のダイバーシティ(多様性の受容)確立に向けた議論が必要であろう。たとえば幼児と児童の期間がグローバル化教育にとって重要。英語であれば、英語文化的な発想で考え、英語で話す訓練をしなければならない。各国のマクドナルド現地法人のマネジメントには、その国のネイティブだけで構成されていないが、残念ながら日本以外の国に日本人の経営者はいない。これは、先進国では日本だけである。グローバルなコミュニケーション能力が欠如していることが大きな原因。
濱田先生の基調講演にあった18歳までの教育について議論が及びました。重要な論点なのですけど、ちょっとこのメンバーだけでは偏り感があると思いましたけどね。小中高の教育機関のみならず、国や保護者の意識や、仕組みを変える必要があるけど、大学が変革を先導することで他が追随し、社会システム全体を変えられるというご意見でした。若者が将来を選択する場として大学が存在し、選択できる判断力の素地を18歳までに醸成することが必要。予算という意味で国のサポートが薄過ぎることが大問題だとの意見がありました。フューチャースキルズプロジェクトで、新入生を対象に答えのない問題に真剣に取組むというカリキュラムを実施していると安西先生から紹介がありました。学生は受講後に、主体性や能動性に飛躍的な成長を見せるそうです。このような取組みが、国のレベルでサポートされ、大学に浸透することで、若者のグローバル化がなされていくのでしょう。
第2部「どんな人材を育成するか」
原田さんが、企業のグローバル化に向け必要な人材像を端的に言うと、グローバルなコミュニケーション能力を持ったタレントと仰っていました。キーワードとしては、instruction、exception、creation、discovery、construct debate、contribution。本質的には、Run Each Other。つまり微妙なニュアンスの違いによる誤解を恐れず言えば、国際的なチームワークが必要ということでしょうね。
それから、トラディショナルな大学教育システムからの移行ギャップをどう埋めていくかが課題との議論になりました。多国籍なメンバーが集まると日本人は発言しないのだけど、これは正解がわからないと発言してはならないというポリシーに依拠していること。大学入試に象徴するように、日本の教育は「知識を正しく、より多く知っている能力」を基準としている。高校以下の教育は、これに準拠しているもの。たとえば小学校で、「~がわかる人?」と先生が問う形式の授業が相変わらず主流で、日本の教育システムを象徴している。いま必要なのは、「~についてあなたはどう思う?」という問いかけの積み重ね。これは、教育システムのパラダイムシフトです。日本人は、統一されたルールの元では、最大限の能力を発揮する国際競争力を持っているとの意見がありました。スポーツや芸術の分野で世界で活躍する人が非常に多くいますけど、これはルールが決まっているから。何をすべきかという方向性がギブンな世界では、これまでの日本の教育システムが見事にはまります。でもビジネスにおいては、世界中でルールが異なっていて、グローバリゼーションって言い換えるとマルチスタンダードに耐えるということです。トラディショナルなシステムでは、このような多様性を持った人材を排出することができません。
社会人学生という言葉は日本にしかないそうです。大学は19歳から23歳の4年間に限ったものではなく、生涯教育の場というのが国際的な常識と、安西先生が紹介してくれました。OECD加盟国のなかで、社会人が大学で学ぶ比率は日本が最下位で、わずか2%。平均で20%なのだそうです。これも、トラディショナル教育の弊害で、必要な知識を積み込むことが大学教育の責務と考えているから、卒業者つまり社会人教育に資するカリキュラムがないのです。安西先生は、グローバル化できないと卒業できないシステムを作る必要があると提言されていました。
それから、グローバル人材というと日本の外で活躍する人のように思われているけど、そうではなく、地域で活躍する人材の育成も考えるべきとの意見がありました。これは、地域が世界につながっていることを前提としています。実際、ローカル企業が海外と直接コンタクトする事例は数多ありますね。そのような企業、あるいは農家、自治体、教育機関で活躍する人材には、グローバルな視野が必要でしょう。
パネルディスカッションの結論として、大学のグローバル化は議論の余地がなく当然であり、しかも待ったなしな局面であると総意され、閉会されました。
先にも述べましたけど、講演者が全員秋入学を推進、もしくは賛成しているかたなので、偏りがあるように感じますけど、議論の余地はないという意気込みを現していたのだと思います。自分も賛意していますので、気持ちは理解できます。ただ、いささか論点が広すぎたような気がします。もしくはズレてしまったというか。秋入学の本質的な意図を知ってもらうことが目的であれば、十分果たせたと思います。秋入学そのものを議論するには、パネルディスカッションの構成が、ちょっと違っていたような気がします。たとえばシラバスや大学事務の課題にフィーチャーしてもよかったのではないかと思います。でもまあ、メンバーが豪華ですから、これでよかったのかもしれませんね。具体的な議論は、実務レベルが集まるコンソーシアムで十分ですから。ただ、反対論者の意見は、そこに集中していると思いますけど。
話題が、国や高校以下の教育に及びましたので、文科省や中教審の高校以下を主事されている方を呼んでも良かったかなと思いますけど、そうすると議論がカオスになりそうですね。シンポジウムとしてまとめるためには、大学という範囲に絞って正解でしょう。ただ、国あるいは高校以下の教育機関側の意見も聞きたくなりました。
先日衆議院選挙がありましたけど、秋入学は政策レベルの論点として上がっていませんね。残念なことです。興味を示す政治家が少ないことを表しています。言い換えると、大学側の政治活動が十分ではないってことですね。まだまだ東京大学単体の議論に過ぎないってことです。
秋入学というよりも、社会のグローバル化というテーマで、濱田先生、安西先生、川口先生をはじめとする方々の本音が、濱田先生がパネルディスカッションの最後に仰っていたことで垣間見ることができました。公平性に対する思想の相違です。トラディショナルな社会では、中庸思想というか右に習えというか、とにかく国民の権利が平等であることを主旨とします。詰め込み型の教育は、その象徴です。濱田先生は、もう少し柔軟に公平性を捉えてよいのではないかと仰り、安西先生、川口先生、原田さんも同意されていました。自分も常々同様な考え方ですから、激しく共感しました。これについては濱田先生のつぶやきで終わり深く議論されませんでしたけど、本当に先生方が論じたかったのは、このテーマのような気がします。「柔軟な公平性」を自分なりに解釈すれば、「個人のタレントと価値観に応じた幸福バリエーションの確立と、その範囲内での公平な享受」だと思っています。つまり、人がその人の個性に合った場所で生き、評価されるということ。この考えに反対する人の立場で表現すると、エリート主義ですね。でも、エリート主義とは似て非なるものだと思います。現在の公平性システムのもとで生き場を失っている、あるいは埋もれている人がいる一方、不相応な期待をされ苦しむ人もいます。もっと、個人を大切にしてもよいのではないでしょうか。日本が、個人に立脚した国家になっても良いのではないでしょうか。自分の政治的な思想は、そこに依拠しています。先生方が仰っていた公平性も、同じ考えなのかなと感じました。
濱田先生は、とってもソフトな語り口で、穏やかな印象を受けます。東京大学の職員さんに伺うと、実際のお人柄も、とってもお優しいのだそうです。シンポジウムでも木場さんに突っ込まれ、「どうして自分が秋入学なんて言っちゃったんだろうって後悔することがあるんですよねw」と冗談めかして仰っていましたけど、たぶん本音でしょうw。本来は政治的なことを好まれない先生が宣言されたということは、我が国の叡智を結集し、先導する立場にある東京大学の並々ならぬ責任感を感じます。と同時に、もっとがんばらんかい我が母校とも思いましたw。
日常に追われていると国家の課題を考えることはあまり無いです。たまにはこういう刺激を受けることも必要だと思います。エキサイティングで濃密な時間を過ごせた、素晴らしいシンポジウムでした。
Merry Christmas!