ぽちごや

FC東京のディケイドSOCIOです。今シーズンは丹羽ちゃんとともに闘います。

みちのくの旅 ―2011/8/25 山形―

2011-08-29 23:24:02 | 旅行記

米沢から山形に戻ってきました。米沢から雨を運んできてしまいました。

米沢の上杉をみたら、最大のライバル、最上義光公に会いにいかないとね。

というわけで小雨のなか、山形駅を通り抜け霞城に向かいます。山形で地元スイーツを楽しみにしてたんですけど、駅に行けばあるかと思ったら意外にもない。いったい山形スイーツはどこに? さくらんぼスイーツよー。

これはさくらんぼではありません。

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南追手門から二の丸に入りました。体育館の横から正面にぐるっと回ると本丸石垣が見えてきます。

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一文字門橋です。ここに一文字門が復元予定なんだそうです。

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山形市郷土館でございます。

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にゃあ。

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一文字門橋を出て東側、東大手門の枡形をはいったところに、いらっしゃいました!

最上義光公。

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山形城は修復工事中です。東大手門は復元されました。西側のやぐらを一般公開中。無料です。17時で終わるんですが、16時に飛び込みました。

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なかは、復元中の写真、瓦、山形城の変遷、今後の修復計画などが展示してあります。入口が二つあり、それぞれに係のおっちゃんがいます。それと角に案内のおっちゃん。ぶらぶら見てたら、案内のおっちゃんが声をかけてきました。以下そのおっちゃんとのやりとり。

「なんか聞きたいことありますか?」

「うーん。山形城はなんで建物がないのかなって」

「ちょっとこちらにきてもらえますか?」 櫓から義光公がいる広場を見下ろす場所に移動。

「あそこに碑があるでしょう。山形城は日露戦争のとき連隊がいたのですよ。その記念碑」

「32連隊?」

「そう。歩兵連隊は広い場所が必要なんですよ。一番場所をとるのが大砲」

「ふーん」

「ところが山形には広い土地がない」

「えっ?」

「日露の当時、いちばん大切なんは農業。たんぼや畑はつぶせないの。それで目をつけられたのが山形城というわけ」

「あー、なるほど」

「江戸時代が終わったら、お城なんてなーんの役にもたたんから、無駄なわけ」

「うーん」

「あんた、こういうのに興味あるの?」

「はあ、まあ」

「それじゃ、こっちきなさい」 だんだん先生と生徒になってきた。山形城の変遷図に移動。最上時代から近代までの、山形城の古地図が並んでます。これ、なかなかおもしろい。

「最上の殿様が、関ヶ原の功績で57万石の大大名になったわけ。それで山形城を大きくしたの。ちょっとこれごらんなさい」 と、山形城のパンフをもらう。

「あー、くしゃっとしないっ。みんなすぐくしゃっとしおる」

「すんません」

「いまの山形城はここ。それで、この赤い線の囲い、なんだと思う?」 現在の山形市街地を広くカバーするエリアを赤い線で囲ってあります。山形駅がちょうど真ん中にくるくらいの、かなりの広さです。

「ん? これ、城?」

「そう。山形城の三の丸。広いでしょう?」

「広いね」

「山形城は、奥州で最大の広さを持つ城。東日本では江戸城についで二番目。」

「そうなんすか?」

「そう。それが山形市民の誇りなわけ」

「そっすか」

「なんでこんなに大きいかわかるか?」

「えーと。そうか。上杉と伊達を見張るため? でも、最上も外様でしょ。外様が外様を見張るって?」

「それだけ義光公は家康の信頼を得てたということ」

「なるほど。でも、最上は三代で終わるんでしょ」

「そう、こっちきなさい」 と、年表を見せられる。最上以降、鳥居、保科、松平、奥平、堀田ほかと並ぶ。

「あ、譜代ばっかり」

「そう、最上のお家騒動(いわゆる最上騒動)」 ここはボソっと。

「あらま」

気をとりなおして 「山形城は別名霞城という。日本でもうひとつ霞城があるけど、どこでしょう?」 クイズかよっw

「わかんね」

「二本松城」

「あ、福島の」

「そう」 そんだけ?

「本丸の形をみなさい」 そんだけみたいw

「あ、丸っこかったのが、四角になってる。なんで四角くなったんですか?」

「それは私は知らないの」 知らないんかいw

「山形藩は石高のわりに城閣が大き過ぎるの。だから手入れできないで荒れるわけ」

「うーん」

「これ、明治。外堀がないでしょ」

「うん。ない」

「明治になって城は売りに出されたの。それで三の丸は無駄だから、農地になった」

「ふーん。もったいないね」

「それは今の感覚」

「まあね」

「連隊がはいって本丸も埋め立てられたの。戦後もずっとそのままだったけど、むかしのお城の姿を取り戻そうという動きになって、復元工事が始まったの。復元と言っても、適当に石を積んでうわ物を乗せてじゃあ、国指定の史跡にならない。石垣は堀に埋まっていたのを掘り起こし、足らないのを昔の工法で切り出した」

「あ、石工さんだ」

「そう。ちょっとこっちにきなさい」 石垣が見えるところに移動。

「石の色が違うでしょう」 たしかに下半分が黒い。

「えー。そうだけど、雨に濡れてるからじゃないの」

「バカ。黒いのは堀からあげたもの」 バカ1回目w

「そうなんすか」

「うわ物も設計図なんかないから、昔の図面を参考にしてやったわけ。ちょっとこっちにきて。あの柱、一本いくらだと思う?」

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「えー、うーん。100万円」

「バカ。当時で3,000万と私は聞いてる」 バカ2回目w

「まじっすか!」

「そう、いまだと1億らしい」

「えっ、じゃあ7本くらいあるから、ざっと7億?」

「さあ、私は知らんよ」 知らんぷりw

「こっちきなさい」 修復工事の写真をみる。

「工事してるこのおじいさん、もうこの世にいないだろう。こっちのおじいさんも」 それも説明?w

「いやいや、ご健勝ですよ。きっと」

「歴史好きなの?」

「ええ、まあ」

「もうひとつ山形の自慢があるの」

「なんすか?」

「ここ見終わったら、義光公の像をみなさい。後ろ足の二本足だけで立ってるのは、日本で義光公だけ。これ、山形の自慢」

「うそだー。だって政宗」

ここで目をギラっとさせ 「バカ。なーんも知らねーんだな。この写真みなさい」 バカ3回目。仙台城のおなじみ伊達政宗の騎馬像が出てきた。たしかに三本足だ。

「ほんとだ!! え、地震でも大丈夫だったってこと?」

「バカ。大丈夫だから立ってんの」 バカ4回目w

「ふーん」

「おめ、どっから来た」

「東京がんす」

「そうか、芋煮食ったか?」

「まだでがんす。これから食べようかと思いまして」

「そうか。山形も風評被害ってやつで大変なんだわ。うちは農家ではないけども、農家は大変だー。おめみてーに東京から来てる若そうな奴は金持ってるんだから、山形でいっぱい金使え」 若そうってw

「そうします」

おっちゃん、バカっていう度にだんだん笑顔になってくるんです。

おっちゃんに礼をいうと、ちょうど17時になりました。櫓を降り、城外に。

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奥羽本線です。

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山形駅です。

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東大手門の外観。

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お城を出て、おっちゃんに教えてもらったお蕎麦屋さんに。佐藤屋さんです。芋煮蕎麦をいただきました。

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月山に行けなかったけど、地元のひとと触れ合えて、めっちゃ楽しい一日でした。


みちのくの旅 ―2011/8/25 米沢―

2011-08-29 21:38:22 | 旅行記

山形二日目は月山に登る予定だったんですけど、残念ながら雨。山形市内は降ってなかったけど、山の上はまた違うだろうと思い、断念しました。

それで米沢に行きました。ちょっと遅れた天地人ツアーのつもりw。昨日通ったバイパスを南に一時間くらいです。途中、一部有料でした。道中、左手に駒ヶ岳が見えるんですけど、裾野がおぼろに霞んでて日本画のようでした。綺麗な風景に感動。気持ちのよいドライブでございます。

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米沢は高いビルがなく小さな街です。上杉の名と共に、全国区の知名度なんだけ、実際の米沢は慎ましくてビックリしました。それでも米沢城の回りは広々とした綺麗に整備された公園になっていて、やっぱり上杉の誇りなんでしょうね。

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上杉といえば、コレ!

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上杉神社のある本丸前が広場(松が岬公園)になっていて、本丸を背に右手に伝国の杜(米沢市上杉博物館)があります。立派な建物です。上杉の文化財が展示してあります。慎ましい藩だけに展示品も少ないですけど、そこはさすが上杉。見物のひとつは上杉本洛中洛外図屏風。国宝でございます。展示はコピーですが、ホントに見てて飽きません。安土桃山の都の風俗が生き生きと描かれてます。祇園祭をやっていたと思うと桜が咲いていたり、紅葉狩りやお正月の準備をやっていたりと季節感がバラバラです。

それがまた楽しい。公式な舞踊があったり歌舞いていたりするすぐ傍で猿を抱えたひとや綱引きしてるひともいて、当時の生活の様子がよくわかります。御所や公方家、細川家があると思えば神社仏閣、庶民の住居もあるんですけど、諸侯のなかでは松永弾正の屋敷だけが書いてあり、このひとってすごいと思ってみたりw。狩野永徳作。解説のCGもありますから、わかりやすいし楽しいです。

もうひとつは上杉鷹山公。米沢を改革した名君ですね。単に質素倹約をしたのではなく、反物など、天候に影響される一次産業に頼らず収入を得られる産業を興し、経済を安定させます。誰もが知ってる「なせば成る」は鷹山公の言葉なんですね。

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いっぽうで、謙信公の関連資料はほとんどありません。洛中洛外図屏風は信長が謙信に送った品ですから、それくらい。上杉神社にある稽照殿に、謙信公、景勝公、兼続公(あの愛の兜)の甲冑があるらしいのですが、残念ながら耐震補強工事のため見られず。願わくば、工事のあいだ、甲冑を博物館のほうに移してくれたらいいのにな。

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米沢にもゆるキャラが。

かねたんでございますw

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ここでお腹がすいたので、お昼に。米沢といえば米沢牛ではないですか。まったく米沢は街の大きさに不釣り合いに有名なものが多いな。米沢駅前の「まるぶん」さんに行きました。米沢城と米沢駅は結構離れてます。歩くのはちょっと無理。で、ステーキとかすき焼きとかいいんですけど、ここはリーズナブルに牛重なるもの。美味いす。

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米沢城に戻りまして、上杉神社です。

曇り空に毘が映えますね。

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謙信公でございます。

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景勝公と兼続公。大河以来、なんだかセット物みたいになってないですか?w

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さきほどの稽照殿。

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お手水が虎です。さすがに越後の虎だけある!

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上杉神社本殿。謙信公は毘沙門天の化身ですから仏式だったんですけど、明治に入り神式に改められ、神として祀られたんだそうです。シンプルですがしっかりした社殿です。

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米沢城本丸の一番高いところには、謙信公を祀る御堂があったそうです。上杉家歴代藩主は、困ったことがあるとここに籠るならわしがあるんでしょうか。鷹山公も御堂で思索されたそうです。御堂は長命寺本堂として現存するそうです。

続いて、ちょっと移動して上杉家廟所。つまりお殿様の御墓です。奥方は一緒じゃないんですね。

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謙信公以降、江戸期の歴代藩主が眠ります。越後から転封のとき、なにも持ってこなかったのは有名ですが、謙信公の遺骨は大切に持ってきたそうです。ここは有料。入所料を払うところで、鷹山公直筆サインが!!

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木立に囲まれ、いい雰囲気です。

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謙信公でございます。

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手前のてっぺんが丸いのが鷹山公。ちなみに鷹山公の廟からてっぺんが丸くなってます。

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と、ここまで見てたら突然雨が。上杉家から自分へのメッセージ???

あっという間に豪雨になりました。急いで車に戻り、かねたんを後に山形に戻ります。雨は米沢だけでした。昨日山形に入ったときは山形道から月山が見えた気がしたんですけど、米沢からの帰路は曇ってて見えず。道中向かって右に山形蔵王ですが、これまた雲のなか。左に東海大山形高校がありました。

JFKが尊敬する日本の政治家として上杉鷹山公をあげたことは有名ですけど、震災や不況で厳しいこの国のあり様をみて、このかたはどこに向かえと諭してらっしゃるんでしょうね。

ねえ、鷹山さん。ボクらを導いてよ

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2011J1リーグ第23節モンテディオ山形v清水エスパルス@NDソフトスタジアム20110824

2011-08-29 18:31:46 | サッカー

この旅の目的のひとつ。訪れたことないJリーグスタジアムに行く。

というわけで、NDソフトスタジアム。山形vs清水。

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ホテルの駐車場で係のおっちゃんに「どこ行くの?」と言われ、モンテだよって言ったら「今日はどこ?」って聞くので清水だよと答えると、なんともいえない顔で苦笑しながら「はあ~」とため息ついてた。おっちゃん諦めるの速っw。まだわかんないよー。

山形駅前から羽州街道、山形バイパスを通って30分程度とのことなんだけど、ミッドウィークだし、ちょうど家路につく車がいっぱいで渋滞。試合開始ギリギリになりそうで、ちょっと焦ったあー。でも、市街地とバイパスに入る信号待ちのところを除けば、あとは順調。立谷川を越えてJリーグ観戦駐車場の案内看板がみえたら、はやめに右折したほうがスムーズなようです。渋滞あったけど、やはり30分ほどで着きました。ちなみにこの旅はほとんど渋滞知らずでラッキーでした。駐車場はめっちゃ広い。どこにとめたらいいのか迷うほど。やっぱりほとんどのひとが車でくるのか、駐車してる車でいっぱいです。でも、まだまだキャパあったと思う。

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仮設を取り外した市原臨海に雰囲気が似てるかな。外から覗けそうなところがゆるくていいw

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スタジアム外のスタ飯が有名なスタジアムですけど、お店が豊富なわりに下調べをまったくしなかったのと、しっかりと晩ご飯になりそうなメニューが意外になかったので、結局スタジアムのなかでお弁当買いました。

かなりのゆるキャラに遭遇。

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スタジアムからの見晴らしは、スタンドの傾斜が緩いのでとても遠く感じます。トラックはしかたないにしろ、スタンドをなんとかできないものかな。はじめてプロのサッカーをみるひとには、やっぱりリアルな迫力を感じてほしくて、それがファンを増やすきっかけになると思うので、器の問題は結構大切だと思います。

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ゴール裏とバックスタンドは結構な密度。休日開催ならもっと多いんだろうな。

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自分が座っていたあたりはコーナー付近なんですが、年配のご夫婦が多かったような気がします。

試合開始まえには、オーバー ザ レインボー♪ いい雰囲気。

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清水が攻め、山形が受けるという展開で試合が始まりました。お互いのプラン通りだったんだと思います。清水の入り方がよかったです。ボールを持たせてもらえるというのもあるんですが、ゆったりとボールを回してきます。高原にいい形で預けられるので、二人目、三人目が絡みやすいんだと思います。そして攻撃のタクトをふるのはやはり小野伸二。もちろん小野だけのチームじゃないんですが、攻撃のオーガナイザーは小野のようです。小野のポジションも、アンカーの位置に貼りつくんじゃなく、オーガナイズできる場所を探して動くイメージ。小野を軸にサイドバックを含めた攻撃陣がポジションを決めてる印象をうけました。

前半に小野が選択したのは山本真希のサイドアタックのようでした。山本が深い位置でパスを受けるシーンが目立ちました。枝村の攻撃参加は十分脅威だけど、それに山本とアレックスが流動的に動いて絡む攻撃は、静かなんだけど迫力満点。スキルフルでアダルティなサッカーですね。

高原が前半途中で大前にスイッチしました。これで清水の雰囲気が一転。アレックスがトップに入るのですが高原と違いポストが収まりません。それで清水の攻撃の重心が低くなってしまいました。結果、ボールを回す位置が低いからパスからシュートにつなぐにはゴールの距離が遠すぎ、ミドルスルーパス中心の攻撃に変わります。それでもアレックス中心に何度も山形ゴールを脅かすのですが、この日の清水はシュートに難がありましたね。とくにアレックスはシュート精度が低すぎ。そのままハーフタイムに入りました。

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先制は清水。後半10分にセットプレーから岩下が頭で。

ここから清水が引いて受け、それに応じて山形が押し出される流れになります。高原アウト後、清水の攻撃がカウンターに近くなっていたので、合理的な判断だと思います。1点差を逃げ切ることをチョイスしたんでしょう。

結果的に、清水は受けに失敗しました。後半35分に山崎の千金ゴールで同点。山形には山崎がいてよかったね、清水はそれを忘れていた?的な展開でした。

山形はとにかく大久保をめがけてました。チームの重心が低いのでボールを奪う位置が低く、必然的にゴールが遠くなります。だから、とにかくロングボールを大久保に入れるしかない。ところが、ボールの出し手のコントロールと大久保の動きがシンクロしません。早めにボールを当てるので大久保も1対1に持ち込みやすいのですが、出し手が無理に急いじゃってた印象を受けました。一呼吸おいてから当てに行ってもよかったんじゃないかな。

それから、守備に重心を置くのはいいのですが、小野伸二がいるあたりがルーズ過ぎます。これはダービーでも同じだったんですけど、バイタルエリアを開けちゃってます。ゾーンの決めごとを守るのはいいのだけど、それで脅威となる相手をフリーにしてしまったら危険が増えるだけです。もっとコンパクトに守ったほうがいいと思う。

それから両翼ですね。ロングボールを受ける位置も、なにもトップだけじゃなくていい。ウイングに機動力があれば、サイドにパスを送ってもいいわけで。タレントからいってスペースに送り込むサッカーは仕方ないと思うのだけど、それなら高速ランナーを置きたい。トップは仕方ないかな。山崎の勝負強さに今後も期待というところですね。

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同点になってからのスタジアムの雰囲気は、J1にあがったころの東京を彷彿とするようで、完全にイケイケ状態でした。その流れからPKを獲得。一気に逆転か!の期待から、スタジアムのボルテージはほど沸点近かったです。沸点に到達しなかったのは、キッカーが川島だから。そして、案の定PK失敗。。。

そしてタイムアップ。

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とっても惜しかったです。内容はともかく、がんばりました。お客さんは1万に満たなかったけど、チームはいい感じで雰囲気つくってたんです。勝ちを拾えた展開だけに、PKはいたかった。内容はダメでも勝てたら弾みつくところだったんだけどな。

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ただまあ、にわかモンテファンとすると、とっても楽しかったです。ファンのひとは、じっくりサッカーを見る感じで汚いヤジもなく、好感持てました。ゴール裏のチャントも、リズムセクションがいい響きを作っていました。ほぼ全曲同じリズムなんですが(いわゆる念仏リズム)、それが逆にいいんです。シンクロしやすいんでしょうね。

一元さんに優しいスタジアムでした。


みちのくの旅 ―2011/8/24 山寺―

2011-08-29 15:24:34 | 旅行記

山形につきましたら、そりゃもう、山寺でございますよ。

俳聖芭蕉の句で有名なお寺ですね。

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階段をのぼると根本中堂。あれ?階段がいっぱいでキビシイんじゃなかったっけ?という印象があるんだけど、すぐでした。

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こんな福福しいかたが。

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んで、横っちょに有名な一句が!

このとき、ホントに蝉の鳴き声がしたんですよ。しかも静か。お寺には結構ひとがいたんですが、この一瞬だけ時間がとまったようでした。

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俳聖が。手前はもうじき俳聖になるサラブレッドw

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さっきの根本中堂はぜんぜん序の口で、キビシイのはこっからでした。山門をくぐると拝観料300円なりで入山。門番がのびをしてらっしゃいましたw

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森のなかの階段をえんやこら。

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階段を登ること15~20分くらいですかね。汗だくになりつつ森を抜け伽藍に入ります。仁王門を越え左手納経堂を見上げます。

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さらに上に登ること5~10分ほど。大仏殿に出ます。角度が鋭角なので、距離と時間はそれほどでないけど結構しんどいです。

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大仏殿の手前向かって左手にいくと、国指定重要文化財の小三重塔。まじでちっちゃいです。こどもの背丈くらい。

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下る途中、中性院は工事中。裏のお山にトロッコを設置していて、資材を運んでいるようです。現地調達なんですね。地産地消。

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ひと階段くだり、納経堂と開山堂に向かいます。山寺って感じのところ。

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開山堂の右奥に狭い階段があり、1、2分登ると五大堂に出ます。舞台があります。山寺の集落を眼下にし、山々が綺麗です。雲がかかっていたので幻想的。

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開山堂に戻って伽藍中央部を望みます。

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仁王門と楓。秋には綺麗なんでしょうね。楓は実をつけてました。

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ちょいと怖い看板がw

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山門に戻ると、門番が「おかえりにゃ」

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こんにゃくをいただきました。一本100円。醤油味がきいてて美味いす。

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サッカーお守り。頑張れサムライジャパン&なでしこジャパン!

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いったん山形市街に行ってホテルにチェックインしました。

さあ、天童へ!

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みちのくの旅 ―2011/8/24 小平~山形―

2011-08-29 13:38:16 | 旅行記

ちょっと遅めの夏休みで、東北に行ってきました。

ながーく患っていたこともあって長旅は無縁だったんですけど。そういえば以前に回復したときも東北に行ったなあ。縁があるのかな。

車の旅なんで、旅程は適当。山形と仙台でJリーグを観るのと、被災地を見に行くことが決まってるくらい。結果的にはこんな旅程になりました。

8/24 小平~山形 山寺拝観、山形vs清水 山形泊

8/25 米沢観光、山形観光 山形泊

8/26 三陸沿岸 北上泊

8/27 盛岡観光、みちのくダービー 福島泊

8/28 福島~小平

8/24は天童でモンテディオの試合を観る日。

小平を8:30に出て練馬ICから東京外環を経由して東北道。山形道を通り、山形北ICまで。

東北道は震災の影響をかなり受けています。陥没がそこかしこにあって路面が波打ってます。穴ぽこはないので、常識の範囲内wで走るぶんには、ちょっとぐわんぐわんと上下するのを感じますが、走行にそれほど支障はありません。弱いひとは車酔いするかもしれないですね。常識の範囲を超えてスピードを出すのはマジでオススメしません。まあ、車種にもよるでしょうけど。

震災という意味で印象的なのは料金所です。被災者のために無料措置があるのですが、東北道を走るほとんどの車はこの措置を受けているんでしょう。料金所に行くとETCを通る車はまずいません。なので、料金所がとても混んでます。これは東北道に限らず、山形道も三陸道も磐越道も常磐道も同じでした。自分は平日に走ったのでそれほどでもないのですが、休日はICによっては本線まで列が伸びるかもしれません。ETC車は巻き込まれないように。ただ、中型以上は9/1から無料措置がなくなりますから、渋滞もちょっと回復するかもしれませね。

北方で会ったおばちゃんが言ってましたけど、震災後東北の高速道路は車の量がとても多いそうです。たしかにちょっと走りにくい。自分は運転が苦手なので余計感じるのかもしれません。一般の車のほかに、被災地支援車両、トラックが走ってて流れが安定してないし、そのうえ路面が波打っているためだと思います。東北域外から入る慣れないかたは注意したほうがいいでしょう。

東北道を走っているあいだ中、いろんなところで「がんばろう日本」の横断幕がはってあります。それが、福島に入って最初にみた横断幕は「ありがとう日本。がんばります東北」に変わってました。東北とコミュニケーションできたみたいで、ちょっとうれしいです。

天気が心配だったんですけど、ありがたいことに24日は雨が降りませんでした。山形道に入ると蔵王に近づくので曇ってきましたが、なんとか大丈夫でした。

今日は山形vs清水の試合なので、清水サポとほぼ同じ行程でした。なんで途中で清水サポに会うかと思ってましたけど、残念ながら一度も見ませんでした。清水サポは熱心なんで、どこであっても見にくる印象だったんだけど、さすがに平日かつ遠方だからなあ。

15時すぎに山寺に着きました。