フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

7月10日(日) 晴れ

2016-07-11 12:06:11 | Weblog

9時、起床。

カレー、サラダ、ご飯の朝食兼昼食。(起きてから2時間ほどしての食事なのである)

午後も遅い時刻になって、妻と投票へ出かける。投票所は私の母校、相生小学校。

プールがある。

下駄箱(来客用)がある。

卒業制作の作品が壁に掛かっている。

平成5年といえばもう20年も前だが、上の作品よりは新しいのだろう。「個人化」が進行し、共同制作とはいえないものになっている。しかも一人一点とすれば一学年あたりの生徒数はずいぶんと少なくなっている。

投票を済ませ、外へ。

時刻は4時半。どこかで早めの夕食をとろうということになる。「西洋料理SUZUKI」に電話をして、ディナータイムの開始の5時に行きますのでと伝える。商店街を本屋などのぞきながらブラブラ歩いて時間を調整する。

5時5分前に店の前に到着。われわれが電話をしていたせいか、「営業中」の札が出ていた。

注文を済ませてから、散歩の途中で「一二三堂」で購入した本をパラパラと読む。片岡義男『コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。』(光文社)。帯に「著者初の書下ろし自伝「勤労」小説」とある。「大学時代、3か月の会社員生活、原稿用紙に鉛筆と喫茶店、バーの日々。あのころのジャズ・歌謡曲・ロックと、作家以前の「僕」の物語がいっぱい」ともある。3か月で会社を辞めたのか・・・。

連作短編なので、その3か月で会社を辞めた日のことが書いてある「あなたは、このコーヒーの苦さを忘れないで」を読んだ。ホントだ、確かに3か月で会社を辞めたんだ。顔なじみのエレベーター・ガールに「なぜ辞めると?」と聞かれて、彼はこう答えた。

「早朝会議は八時三十分からだった。隣の課が対抗して、早朝会議を八時から始めることにした。それに対抗して、僕のいる課は、七時三十分から、早朝会議を始めることになった。始業時間の一時間半も前から、会社に来なくてはいけない。これが俺のやりかただ、嫌な奴は辞めればいい、と責任者が言った。だから僕は挙手して、では僕は辞めます、と言った。辞めるなら会議室を出ていけ、と言われたのでデスクに戻り、新聞を読んで過ごし、九時過ぎに本社の人事部に電話をかけ、退社届にきまった用紙はあるのかと訊いた。便箋でいい、という答えだったので、退社届を便箋に書いた。きみが読んだとおりだよ」

「引き留められたでしょう」

「順番にいろんな人が慰留に努めたけれど、僕は辞める。嫌だから辞めるのではなく、自分はここにいるべきではない、と思うから辞める」

なんてスタイリッシュなんだ。三カ月というと短いように思うが、沢木耕太郎に比べたらずいぶんと長い。彼は出社初日に会社を辞めたのである。「春の背広」というエッセイに書いてあった。

作品のタイトル、「あなたは、このコーヒーの苦さを忘れないで」というのは、エレベーター・ガールが喫茶店で彼に行った一言だった。男がスタイリッシュなら、女もまたスタイリッシュだった。きっと1963年はそういう時代だったのだろう。私はまだ小学校3年生だったので、よく覚えていないけど。

トマト・サラダ。とても甘いトマトで、丁寧に湯引きをしているので、舌触りがとてもよかった。

メニューを見て、コーンポタージュスープ(妻はオニオングラタンスープ)を注文しようとしたら、お店の方が「本日はヴィシソワーズもございます」と言ったので、そちらを注文した。夏のスープはこれ。

ビーフシチュー。この店の看板料理。

海老フライ。トロリとしたビーフシチューとサクッとした海老フライの組み合わせは素晴らしい。

鴨のロースト。素敵な歯ごたえだ。牛、海老、鴨・・・陸と海と空、このバランスにはわれながらほれぼれする。

食後にコーヒーを注文。

毎度お馴染みのデザートが付いてくる。

ごちそうさまでした。とっても美味しかった。

来た道を帰る。

夕方の「ちょっと一杯」の時間だ。

西口には二つの「すずき」があるが、こちらは鰻の「寿々喜」。すでに列が出来ている。

花屋で仏花を買って帰る。東京はそろそろお盆だ。

夕飯を早く食べた日は寝るまでの時間がたっぷりある(ただでさえ夜更かしだし)。

選挙結果の報道番組は長時間見る気がしない。第一に、冒頭の出口調査の結果で大勢についてはわかってしまう。第二に、番組の内容そのものが「いまさらそんなこと言ってもしょうがないのでは」というものがほとんどだ。面白く作ろうとしているのだろうが、報道機関であるという自負があるならば、番組の視聴率を上げることに苦心するよりも、投票率アップに貢献するために事前の番組作りにもっと力を入れたらよい。

今回の選挙から有権者の年齢が下がったが、それは全体の投票率を上げることにも下げることにも働かなかったようである。投票率については10代の有権者も20代の有権者と同質的・連続的な存在だということだろう。彼らの投票先については与党支持が多く、重視したことは「景気・雇用」がトップだった。野党は若い世代からの支持を得ることが出来なかったのである。かつて与党は大人と、野党は若者と結びついていた時代があった。いまは昔の物語であるが、野党の性格も変わり、若者の性格も変わったのである。

3時半、就寝。