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※ 練金術(ねりきんじゅつ)とは『週刊金曜日』練馬読者会的やり方という意味です。

いま、九条を守るとは★非武装原理主義者として考える

2014年07月06日 | 練馬の里から

非武装原理主義者として考える

          井上澄夫(米軍嘉手納飛行場・一坪反戦地主)

 安倍首相は七月一日、閣議決定をもって憲法9条を葬り、現憲法施行以来続いてきた戦後立憲体制を破壊した。痛恨の極みだが、反改憲勢力は歴史的な敗北を喫した。その重い事実を胸に刻みながら、敗因を考える。

 改憲反対運動は「九条を守れ」と主張してきた。そこで語られてきた「九条」はどのような内容をもつのか。
 九条は一項で〈戦争の放棄〉を、二項で〈戦力不保持〉と〈国の交戦権の否認〉を定めている。しかし反改憲運動はこれらの三規定すべてを「守る」ものだっただろうか。私は総じてそうではなかったと思う。
 ほとんどの場合、「九条」は〈戦争の放棄〉のみを想起させ、九条を守れば戦争にならないという「信仰」を生んできた。その場合、〈戦力不保持〉と〈国の交戦権の否認〉はどうとらえられていたのか。

 吉田茂首相は現憲法公布前の一九四六年六月二五日、政府の憲法案について衆院本会議でこうのべた。
〈戦争抛棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定して居りませぬが、第九条第二項に於て一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、又交戦権も抛棄したのであります。従来近年の戦争は多く自衛権の名に於て戦はれたのであります。満州事変然り、大東亜戦争然り。〉
 これはまさに稀代の名論卓説というべきだが、吉田はわずか数年後の五〇年一月二四日、衆院本会議での施政方針演説でこうのべた。
〈戦争放棄の趣旨に徹することは、決して自衛権を放棄するということを意味するものではないのであります。〉

 この年の元旦、マッカーサーが年頭の辞で日本国憲法は自己防衛の権利を否定せずと声明しているから、吉田が自衛権に関する見解を変えた理由は明らかだが、この吉田の見解変更こそ、《最初の解釈改憲》だっただろう。それ以来、吉田のいう自衛権は「個別的自衛権」と名を変えて第二次安倍政権以前の歴代保守政権によって正当な九条解釈とされてきた。しかしこの個別的自衛権保有論が、九条が定める三規定、〈戦争放棄〉〈戦力不保持〉〈国の交戦権否認〉のいずれとも矛盾することは言うまでもない。

 ところでこれまでの反改憲運動は九条が定める三規定に基づき個別的自衛権を明確に否定してきただろうか。七月一日付北海道新聞の記事「「自衛隊城下町」千歳の不安 集団的自衛権閣議決定へ 隊員「戦争で死ぬのは嫌」 家族「言い出せずつらい」」にこうある。
 〈千歳九条の会は、自衛隊を批判する活動と思われ非難されたこともある。中山竹生(たけお)代表(七七)は「市民である隊員を否定する活動ではない」と話す。「専守防衛に徹すべきだ」と伝えたいのだが、賛同の輪は広がらない。〉

 専守防衛に徹すべきとは、九条の戦力不保持規定に違反する自衛隊の存在を容認することを前提にしている。それは国の交戦権を認めるということでもある。
 しかし専守防衛論は安倍政権の七・一閣議決定による解釈改憲を批判する多くのマスメディアの論調にも顕著である。七・三付東京新聞の一面トップ記事「半田滋編集委員のまるわかり集団的自衛権」にはこうある。
〈憲法の縛りの中で自衛隊を活用してきたから平和国家なのです。〉
 これは「自衛隊による平和論」の典型だが、反改憲運動においても「千歳九条の会」は例外ではないのが現実ではないだろうか。

 九条を守るのであれば自衛隊を容認する人でも歓迎という運動の広げ方も耳にするが、そういう運動は九条のナニを守るのか。
 安倍は明文改憲を当面棚上げし、七・一解釈改憲では九条の文言をいじらなかった。それゆえ九条の文言は意味を殺されて残った。

 私は九条の内容である三規定を一括して〈非武装・不戦〉ととらえる。私が九条を支持するのは非武装原理主義者だからである。この国は一八七二年に始まる琉球処分と一八七四年の台湾侵略以来、侵略戦争と植民地支配によってアジア・太平洋諸国に筆舌に尽くしえない惨害をもたらした。九条はその歴史を反省し二度と同じ轍を踏まないと決意して世界に発した誓約である。その誓約を保証するものこそ戦力不保持=完全非武装なのだ。

 吉田茂による《最初の解釈改憲》は安倍晋三による《究極の解釈改憲》に行き着いた。私たちはその負の歴史を清算するところから反戦運動を立て直すべきである。自衛隊の存在を「あってはならない」と明確に否定し、現に自衛隊という名の新日本軍が展開している作戦に正面から反対すべきである。
 自衛隊が大きくなりすぎて海外で戦争されては困るが、いざというときは自衛隊サンに頑張ってもらいたいという虫のいい魂胆は、戦争放棄とは無縁であるし、反戦ではない。

 安倍政権は沖縄・名護市辺野古での新米軍基地建設工事を本格的に開始した。新基地にはオスプレイを含む五八機の米軍機が配備されることになっている。安倍は「尖閣諸島」をめぐる日中間の緊張をあえて高め、「尖閣」戦争に備えるとして自衛隊を与那国、石垣、宮古、奄美大島の島じまに配備し、琉球弧を最前線の要塞にしようとしている。そのために自衛隊にもオスプレイを導入するのみか、敵前上陸用の水陸両用車を開発中である。安倍の解釈改憲による戦争国家化は近い将来現実になるのではなく、私たちの眼前ですでに進行しているのだ。

 かつて自民党の幹部が「九条を素直に読めば、自衛隊があるのはおかしいと中学生でもわかる」と語るのを数度聞いた。むろんその人物は「だから九条を変える必要がある」と主張したいのだが、彼のいう「中学生の理解」はまったく正しいのだ。

 九条が〈戦争放棄〉〈戦力不保持=非武装〉〈国の交戦権否認〉を鮮明に規定していることには明確な歴史上の根拠がある。歴史に学び、日々の反戦の実践によって「九条の意味」を完全に実現することは私たちの責務である。

竹富町教育委員会への是正要求に抗議し撤回を求める声明 に賛同を!

2014年03月22日 | 練馬の里から
 みなさん、どうか「竹富町民の会」の呼びかけにご協力を!!
以下の呼びかけと声明は拡散大歓迎です。           井上澄夫


《文部科学省による竹富町教育委員会への是正要求に抗議し、撤回を求める声明》に全国の皆さんの賛同を呼びかけます

 2014年3月14日、文科省は竹富町教育委員会に沖縄県教育委員会を通さず、直接「是正要求」を送りつけました。これは前代未聞の異常な事態です。
 全国の皆さん、私たちは、3月19日、この是正要求に抗議し、撤回を求める声明(末尾に掲載)を発表しました。
 この声明にどうぞ賛同してください。私たちと一緒に竹富町教育委員会を応援し、教育の自由と中立性を守りましょう。
 下記の要領で賛同ください。賛同者のお名前を添えて、下村文部科学大臣へ届けます。

 2014年3月19日
    竹富町の子どもに真理を教える教科書採択を求める町民の会
                    世話人代表  仲村貞子

    【賛同の方法:メールをください】
      *あて先: chouminnokaiアットgmail.com  (アットを@に直してください)
      *メールタイトルに「声明に賛同」と必ず入力してください。 
      *メール本文:お名前(フルネーム)と、お住まいの都道府県 をお願いします。
      *コメント大歓迎。匿名希望の場合はその旨書き添えてください。
      *締めきり:2014年3月31日深夜(4月1日朝8時にメールボックスを開くのが最後です)


文部科学省による竹富町教育委員会への是正要求に抗議し、撤回を求める声明

 2014年3月14日、文部科学省(文科省)は竹富町教育委員会へ是正要求を出しました。竹富町が中学校公民分野において、採択地区内で同じ教科書を使っていないのは、教科書無償措置法に違反しているから、2011年8月23日の教科書採択八重山地区協議会で選ばれた育鵬社版を使用せよとの強制です。
 しかし8月23日の協議会は、石垣市教育長である玉津博克協議会会長による独善的な協議会規約の改変とメンバーの入れ替え、教科書調査員の意見無視、無責任な選出方法など、非民主的で問題の多い協議会でした。公民教科書に関しても内容がほとんど審議されないまま、調査員の推薦のない育鵬社版を強引に選び、答申しました。
 それを受けて石垣市と与那国町の教育委員会は答申どおり育鵬社版を採択しましたが、竹富町教育委員会は8月23日の協議会の審議過程に問題が多いこと、育鵬社版の公民教科書は米軍基地問題に触れていないなど、竹富町の子どもたちにふさわしくないことから、東京書籍版を採択しました。
 これに対して文科省は、竹富町教育委員会の採択を違法とし、同年12月には無償措置からはずしました。しかし、同一地区内で同じ教科書が採択されていない状態が違法なのですから、3市町がそろって違法状態をつくっているのであり、竹富町だけを違法だというのは筋が通りません。
 この状態を解消するため、文科省と沖縄県教育委員会の指導のもと、同年9月8日、採択地区内全教育委員の協議が行われ、6時間半に及ぶ論議を経て東京書籍版が選ばれました。ところが、文科省と石垣市・与那国町教委はその協議を無効とし、今に至るも同一教科書採択は実現していません。 

 教科書無償措置法は、採択地区内の協議で同一教科書を採択すると規定しています。9月8日の協議を認めないのなら、文科省は協議を続けるよう指導すべきです。それゆえ、是正要求によって育鵬社版の教科書採択を強制する文科省こそが、市町村の教育委員会に採択権を認めている地方教育行政法に違反していると言わざるを得ません。
 したがって、今回の是正要求はまったく不当であり、違法です。直ちに撤回すべきです。
 竹富町の島々では先の戦争で、空爆やマラリア有病地への強制疎開などにより、家族や友人を失った者も多く、西表島には軍の「慰安所」もありました。沖縄島で地上戦に巻き込まれた経験を持つ町民も身近にいるので、戦争を知らない世代は彼らの体験を聞く機会に恵まれています。
 しかし、それだけでは歴史や公民の学習には不十分です。子どもたちは学校で、戦争が起きた経緯や当時の日本政府の過ちもきちんと学び、自分の頭で考える力をつけることがぜひ必要です。それには育鵬社版公民教科書は適しません。この点でも私たちは竹富町教育委員会の決定を断固支持します。
 
 たった50冊の教科書に、なぜ文科省が執拗に介入するのでしょうか。教科書検定基準や教育委員会制度の改悪、武器輸出三原則の事実上の撤廃、特定秘密保護法の強行採決など、今の政治状況をみると、行きつく先は国定教科書の復活、そしてまたもや戦争ではないかと危惧せずにはいられません。
 また、沖縄は戦後69年間、人権を奪われ、米軍基地の集中など、米軍と日本政府の差別政策によっていじめ続けられています。今回の文科省による竹富町教育委員会への強権発動も「弱いものいじめ」そのものです。
 辺野古新基地建設問題では、稲嶺名護市長が市長権限で建設に抵抗するなら、政府はやはり、地方自治法による是正要求を検討するということです。このように文科省の竹富町教育委員会への是正要求は、教育の国家統制だけでなく、地方自治を抑圧する第一歩でもあり、とうてい許すことはできません。
 私たちは、政治が教育に介入することに断固として反対します。
 私たちは、文部科学省が竹富町教育委員会に発した是正要求を直ちに撤回することを強く要求します。
 
     2014年3月19日
 
          竹富町の子どもたちに真理を教える教科書採択を求める町民の会

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「国家の安全保障」について

2014年01月19日 | 練馬の里から
〈非武装・不戦エッセイ〉 その8

  ●「国家」および「国家の安全保障」について


                    井上澄夫 米空軍嘉手納飛行場・一坪反戦地主

 昨年の12月17日、安倍内閣が「国家安全保障戦略について」を閣議決定した。ここでは同「戦略」の内容ではなく、まず「国家」と「国家の安全保障」について考える。
 ※ 閣議決定された「戦略」とそれに基づく新「防衛大綱」および「中期防」については別に書く予定である。

 まず手近の三省堂刊『新明解国語辞典』を見ると、国家とは「一定の領土に住み独立の統治組織を持つ人民の社会集団」とある。だがこの定義は国家なるものが不可侵の神聖なるものと思わされ、それに疑問を抱かない人びとにとっては違和感があるだろう。なぜならそういう人びとにとって国家は「人民の社会集団」を超越する〈あるもの〉だからである。単なる人間集団ではない何らかの霊的超越性を付与されないと明瞭に「国家」と感じないのである。そこはかとなくありがた味がないし、奉仕し甲斐がない。
 岩波書店の91年版『広辞苑』では国家は「一定の領土とその住民を治める排他的な権力組織と統治権とをもつ政治社会」であるが、この定義も国家に至高の神秘性を求める人びとを納得させないにちがいない。国家神道が帝国臣民に仕込んだ毒はそれほどまで底深い悪影響を及ぼし続け、戦争と無縁の戦後世代まで巻き込んでいる。

 こういう神秘主義的国家観は天皇を戴く大日本帝国においてはあまねく共有された社会常識だったが、その疑うべくもない常識は1945年の敗戦を経ても断絶しなかった。それは敗戦で虚脱状態の旧帝国臣民に新生日本への脱皮を志向しそれをになう力が余りに弱く、自らの戦争責任を痛切に自覚しなかったからだ。それゆえ万事「だまされた」で済ませて戦犯の追及を怠り、戦後補償に背を向けた。 
 こうして戦前・戦中に叩き込まれた「国家」に超越的な価値を見出そうとする心性は変わらなかった。その点では、日本社会に戦前と戦後の断絶はない。自分が〈主権在民〉原理の主体であるという根本的な意識革命はごく一部でしか起きなかったのだ。大日本帝国は崩壊し帝国陸海軍は解体されたにもかかわらず、「天皇の国」の観念は依然として敗戦国民の脳裏に生き続け、天皇制と軍隊の蘇生の基盤になった。それゆえ国家にあらがうことを今でも「犯罪」と感じ、抵抗を自粛する心理から解放されない。

 『新明解』には先の定義に続けて「和語的表現は国(クニ)」とあるが、靖国参拝閣僚などが判で押したように「国のために命を捧げた英霊」とか「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊」(2013・12・26、安倍晋三談話「恒久平和への誓い」)と語るときの「国」は大日本帝国であって、日本国憲法をもつ現代日本ではない。「天皇の国」のために死んだからこそ「英霊」なのである。
 しかし戦没者の死を美化して政治利用するのは許されない大犯罪である。軍国主義教育を叩き込まれ、勇んで前線におもむいた人がたとえいたにせよ、「兵隊にとられた」(徴兵で入営させられたの意─長男を戦争で失った私の祖母が繰り返した表現)人びとが本当に「国に命を捧げる決意」を固めていたのかどうか、「英霊」をかつぐ政治家たちは山ほどある戦記を片っ端から読んでみるがいい。

 1・6付時事通信の記事「新追悼施設に否定的=安倍首相」にこうある。
 〈安倍首相が6日夜、東京都内のイタリア料理店で俳優の津川雅彦氏らと懇談した。靖国神社に代わる新たな国立の追悼施設建設も話題になり、首相は「別の施設を造ったとしても、赤紙1枚で戦争に駆り出されて犠牲になった方のご家族は、そこにはお参りしないだろう」と否定的な考えを示した。
 出席者によると、首相は「『靖国で会おう』という一言でみんな死んでいった。その魂というのは、あそこにあるんじゃないか」とも語ったという。〉
 記事は「靖国で会おう」とにこやかに言い交わし……という類のステレオタイプ化された美談に安倍が呪縛されていることを暴露しているが、私家版を含む数々の戦記にはその種の神話とは無縁の応召者の最期が数多く記録されている。
 ほんの一例だが、すでに物故された知人の元従軍看護婦は「お母さんとつぶやいて逝かれた兵隊さんは何人もいましたが、天皇陛下万歳と言って亡くなった兵隊さんはいませんでしたよ」と証言した。

 先に引用した『新明解』の定義を煮詰めて「政府をもつ人民の社会集団」を表記しようすれば、「国家」には漢字の語義上どうしても家(いえ)観念がつきまとうので、単に国とかクニと呼ぶのが適切なのではあるまいか。それは命を捧げるべき至高の存在という虚飾まみれの観念と主体的に決別する意味においてである。
 安倍首相は子どもたちに「愛国心」をすり込もうとしているが、そこでいう「国」はかつてと同様〈忠誠を誓うべき価値としての国家〉である。「国家への忠誠」こそ彼の求める「愛国心」である。

 「国家の安全保障」といわれると、他のことはさておいても謹聴して聞くべき話と受け止めるのは、戦前から継承されてきた国家幻想の呪縛から解き放たれていないからである。「身捨つるほどの祖国はありや」と寺山修司は詠んだが、命を要求しない政府を求めるなら、それはクニの自治組織(コミューン)である。その自治組織は本来、人民に対し絶対に抑圧的であってはならず、秘密など保持してはならない。人民には何ごとも隠し立てしない行政運営における透明性・公開性が保障されることこそ、政府を成立させる最低限の必須要件である。それゆえクニの政府が人民に対し抑圧的・敵対的になりかけたり、隠しごとを始めるなら、人民はそういう政府を倒し、取り替えなければならない。

 昨年末、安倍首相らが内輪で策定した「国家安全保障戦略」は、治安を最優先するため約42万件の「特定秘密」で武装する国家の権力維持・膨張拡大方針である。
 「戦略」は「我が国(国家)の平和と安全を維持し、その存立を全うする」ために「国益」を見定めるとしている。そこでは「国民の平和と安全」も「民益」(民衆の利益)もまるで問題にならない。こう言うと政府は「国家の平和と安全が確立されてこそ、国民の平和と安全が保障される」というタテマエをオウムのように繰り返すが、人びとがあってこそ社会があるのであり、国家のおかげで、あるいは国家のために人民があるのではない。 国家などなくても人びとは生きる。それを大日本帝国が崩壊しても人びとが焼け跡闇市の修羅場を生き抜いた、あの事実が実証しているではないか。
 安倍首相は「国民の皆さまのため」をよく口にするが、彼の脳裏にはそもそも〈主権在民〉原理がない。それは安倍首相が「戦後レジームからの脱却」のために現憲法を正面から踏みにじる決意を固めているからである。全否定する対象に人は依存しないものだ。  それゆえ私たちが安倍流「国家安全保障戦略」に向き合う姿勢は非協力、阻止・妨害あるいは抵抗しかない。彼らの「国家の安全保障」に対しては人民の抵抗権を鮮明に対置しなければならない。
 「国家の安全保障」に身を寄せたりそれを信奉したりすることは、私たちが自分の人権を放棄し売り渡すことにほかならない。それは自ら人間をやめることである。

 さて、私たちはどうやら「内なる国家」を粉砕することから始めねばならないようだ。国家幻想から解放されるなら、安倍首相らの「国家安全保障戦略」なんぞゴミに等しい。 読んでみれば、なんのことはない、いとも陳腐な固定観念で綴られた、とてつもなく出来の悪い戦意高揚のアジビラ、いかがわしい怪文書、安倍流「国体の本義」である。 
 ついでに記しておくと、『国体の本義』は1937(昭和12)年5月31日に文部省が全国の学校・社会教化団体などに配布し始めた。ここでは配布が始まった同年の7月7日に廬溝橋で日中両軍が衝突し、中国全土への侵略が始まったことを強調しておきたい。

 かつての「国体」観念の強制と同じではないが、「自発的な」戦争協力を誘発するイデオロギー操作はそのへんの書店の一角を大きく占めて陳列されている日中戦争をシミュレート(模擬実験)するマニュアル本の山を見れば誰もが理解するだろう。自分が戦地におもむく覚悟はともかく、読売や産経の「尖閣」危機煽動で「気分はもう戦争」ムードが広がっていることは実に戦慄すべき事態である。
 安倍首相らは故意に「尖閣」危機を煽動しながら戦争を準備しているが、本当に「尖閣」有事(戦争)が勃発すれば、戦場になるのは沖縄なのだ。沖縄が再び戦場になるのだ。そこを強く意識しようではないか。

 空疎な観念としてしか存在しない「国家」をかつぎ「国家」の顔をしたがる者どもに踊らされるな。〈クニの自治〉を破壊し抑圧する超越的観念の強制を根底から拒否して生きよう。私たちの暮らしや労働以外に実存はない。幻想に依存すれば、幻想を操る者たちに利用されるだけであり、場合によっては命を奪われる。
 国家が敗れてもなお〈ある〉山河、自然環境こそ私たちの生存の基盤である。国家依存症中毒をそろそろ根治しようではないか。 

 ※ 『国体の本義』は今日ではまさに抱腹絶倒を禁じ得ない切り貼りイデオロギーの張りぼてであるが、忠君愛国主義の支離滅裂ぶりを理解するには役立つ。http://www.j-texts.com/showa/kokutaiah.html
 2014・1・10 記


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〈沖縄への敵意〉に変質し始めた「本土」世論

2014年01月04日 | 練馬の里から
【非武装・不戦エッセイ】 その7
〈沖縄への敵意〉に変質し始めた「本土」世論
                  井上澄夫 米空軍嘉手納飛行場・一坪反戦地主

 「本土」の世論は日ごろは〈沖縄〉を意識しない。95年秋、沖縄で少女が米兵にレイプされる痛ましい事件が起きたときは〈沖縄〉に強要されている恐るべき事態にいくらか関心が寄せられたが、それも1,2年ほどのことで、その後〈沖縄〉は再び忘れられた。
 〈沖縄〉と「本土」世論との関係はこのサイクルの繰り返しである。「本土」世論はなにか大事件が起きないと〈沖縄〉を意識しないのだ。

 「本土」世論のここ5、6年ほどの状況には若干質的変化が生まれたように感じる。それはもっともらしい言い訳が共通の心理になってきたということだ。
 地方紙を含めてマスメディアは以前より〈沖縄〉を取り上げるようになった。沖縄への米軍基地の集中がもたらす事件・事故の頻発がいくらかは報道されるようになったのだ。それ自体はむろん悪いことではない。しかしそれは同時に「本土」民衆の心に重苦しい感情を生むことになった。
 一口にいえば自分の加害者性への負い目である。ことあるごとに「本土」側の自分たちが批判されることに次第にいたたまれなくなってきた。そしてその鬱屈した心情は出口を求めてさまようことになったのだが、その結果、多くの人の心に生まれたのが私が「危険手当論」と呼ぶ屁理屈である。
 沖縄県民が米軍基地の集中で大変な目にあっているのは「わかる」、だが、だからこそ、政府が莫大な振興予算を毎年沖縄に拠出しているではないか、「危険手当」をたんまりもらっていながら、そのうえまだ文句を言うのはどうかしている……わがままではないか……。
 ※ 全国紙の記者が「沖縄はわがままだ」とつぶやいたという証言が実際にある。

 仲井真知事が辺野古の海の埋め立てを承認したことで首相官邸の公式ホームページには「揺すりたかり」といった沖縄批判が続々書き込まれたという(12・30付沖縄タイムス記事「全国での基地報道単純化 県内に危機感」)。
 これは「沖縄はごまかしとゆすりの名人」という暴言(2010年12月)でケビン・メア在沖米総領事が沖縄県民の囂々たる非難の嵐によって辞任に追い込まれたことを覚えている人びとによる反撃だろうが、12・31付琉球新報はまた官邸の同じホームページに沖縄を中傷して「盗人ですよ」と書き込まれたと報じている。
 こういう低劣な非難が官邸に寄せられることには、沖縄が抱え込まされている困難と苦悩の全体像を鮮明に伝えず、振興予算と基地問題との関係だけをひたすら強調する全国紙などのメディア報道に多大の責任がある。

 しかし私はこの現象の問題性はそれだけにとどまるものではないと思う。これまで「本土」社会の底辺でひそかに積もり積もってきた〈沖縄に対する逆恨み感情〉が、いくらかは「理屈」めいた「危険手当」論をも乗り越え、ついに〈沖縄への敵意〉に変わったのだ。
 沖縄を軍事植民地として支配してきた日本政府の構造的差別・抑圧政策に「本土」世論がとうとう合流し始めたのである。
こう記すと、それはオーバーな表現で「本土」の世論はそこまで悪化していないという人がいるだろう。しかしそういう人は沖縄が強制されている惨状や沖縄の人びとの思いを伝える街頭宣伝に30分でも参加してみればいい。そうすれば、〈沖縄〉をめぐる世論動向をリアルに肌で感じることができるだろう。

 少し前まで街を行き交う人びとは私たちの街頭情宣に対し圧倒的に無関心であるか、少なくともそう装っていた。しかし今はあれこれむき出しの反応がある。わざわざ近寄ってきて「オスプレイ賛成!」と叫ぶ、ビラ撒きを妨害する、「沖縄から米軍がいなくなったら誰が日本を守るんだ!」と喧嘩腰で議論をふっかける……、そういう事例にはこのところ実に事欠かないのである。
 私の先輩の沖縄出身高齢者に「沖縄は勝手に独立しろ!」と怒鳴って脱兎のごとく走り去った女性もいた。 
 しかもそういう人びとの多くはいわゆる右翼団体関係者ではなく、ごく普通の市民、ちまたの人である。そしてその事態にこそ、現代日本社会の深刻な病状が表われている。(2013年1月17日、超党派の沖縄代表上京団の銀座デモを妨害した集団は右翼団体が動員した者たちで、同種の団体がすでに沖縄で活動している。)
  
 この明白な敵対関係を生んだ主因は政府の〈「尖閣」危機煽動〉である。中国軍がいつ「尖閣諸島」に侵攻してくるかわからない、見よ、中国公船がたびたび繰り返し日本の領海を侵犯している、しかも中国は勝手に「尖閣諸島」を含む防空識別圏を設定し、識別圏を侵犯すれば戦闘機で対応するとまで宣言しているではないか……。
 こういう危機煽動を続けながら、安倍政権は中国を敵視する、今後「おおむね10年程度」の「国家安全保障戦略」を策定し、それに基づき新しい防衛大綱と中期防衛力整備計画(中期防)は南西諸島を想定する「離島・島嶼防衛」を最重点課題とするものになった。
 自衛隊を送り込んで新たにレーダー基地を建設するなど南西諸島を要塞化し、航空自衛隊那覇基地の戦闘機を増やして2個飛行隊とする(約40機)、「離島奪還」の備えとして水陸両用車、機動戦闘車、オスプレイ、新早期警戒管制機、新空中給油機・輸送機、無人偵察機を導入し、水陸機動団を新編する、イージス艦を増やす、陸上自衛隊員を増員する……など安倍カラーの軍拡が着々と進められている。

 安倍政権は米国政府に〈「尖閣」有事〉に当たっての対応の保証を求め、「尖閣諸島」が日米安保条約第5条の適用範囲であることを繰り返し確認している。そういう事態が連日大々的に報道されれば、沖縄が中国と対峙する最前線として「本土」防衛のついたて(盾)になるのは当然だ、米軍はオスプレイを辺野古新基地に常駐させ、日本を守るべきだ、沖縄がそれを拒否するとは何ごとか、すでにもらうべきカネはもらっているではないかという心理が「本土」世論に蔓延してくるのは当然すぎるほど当然である。「本土」世論が見せ始めた沖縄への敵意は安倍政権が意図して醸成し増長したものである。
※ 日米安保条約第5条・条文
 両国の日本における、(日米)いずれか一方に対する攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであるという位置づけを確認し、憲法や手続きに従い共通の危険に対処するように行動することを宣言している。

 そしてこの差別・抑圧政策と「本土」世論との合流の趨勢こそ、安倍首相が仲井真知事をああもやすやすと屈服させた最大の政治的条件だったのである。
 私は知事を擁護する気は少しもないが、安倍政権による露骨な構造的差別・抑圧政策と政権の煽動・誘導に乗せられて沖縄への敵意を示し始めた「本土」世論の犯罪的変質とを阻止できなかったことに「本土」民衆の一人として責任を痛感する。
      2014・1・1 記 

【付記】
沖縄の新聞、琉球新報の2013年12月30日付社説「年末回顧 県民は屈服しない 尊厳と覚悟問われた一年」は結語をこう記している。
 〈沖縄の尊厳と覚悟が問われた一年だった。「屈辱」は味わったが、この経験を生かし、沖縄の民意はより「屈強」になるだろう。「不屈」を誓い、新年を迎えよう。〉
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-217284-storytopic-11.html


【参考】(2014/1/2 練金術師)
「沖縄の闘いは、その差別構造につながる内部矛盾の克服を含めて、当分続く。沖縄の闘いが、構造的沖縄差別を突き崩す時期は、周辺諸地域の民衆の、沖縄に対する共鳴・共感・連帯の度合いによって、遅くもなれば早くもなるだろう」
  新崎盛暉が説く構造的沖縄差別 http://www.koubunken.co.jp/0500/0483.html あとがき


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石破茂幹事長の耳を疑う暴言★至急、強く抗議を !!!

2013年12月02日 | 練馬の里から
●緊急アピール(拡散希望)
   2013年12月1日   井上澄夫 米空軍嘉手納飛行場・一坪反戦地主
              
●石破茂自民党幹事長が耳を疑う暴言を吐きました。下の共同の記事と、本メール末尾で資料として紹介する彼の最新のブログでの発言をご参照ください。発言はこういう出だしから始まっています。

 〈沖縄・普天間移設問題に明け、それに暮れた1週間でした。
 その間に特定秘密保護法案の衆議院における可決・参議院への送付という難事が挟まり、いつにも増して辛い日々ではありましたが、沖縄県選出自民党議員や自民党沖縄県連の苦悩を思えばとてもそのようなことは言っておれません。〉


 そしてこういう結語で終わっています。

 〈今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。
 主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。〉

 
 デモであげる私たちの声が「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」という発言は前代未聞の暴言ではないでしょうか。この主張によれば、特定秘密保護法案の廃案や脱原発を求める声、そして沖縄・辺野古新基地建設反対などの叫びはすべて「テロ行為」になります。
 特定秘密保護法案では「秘密指定」される対象の一つは「テロリズムの防止に関する事項」です。デモで発せられる声は「テロ」であり、それを弾圧する警察・公安の動きも「秘密指定」されるのでしょうか。
 石破暴言は日本国憲法が保障する基本的人権の一つ、思想・表現の自由を踏みにじるものであり、断じて許せません。

 石破茂自民党幹事長に、至急、強く抗議することを呼びかけます。

◆ 石破氏、絶叫デモは「テロ行為」 秘密法案めぐり波紋必至 11・30 共同
 自民党の石破茂幹事長が11月29日付の自身のブログで、特定秘密保護法案に反対する市民団体らのデモについて「単なる絶叫戦術は、テロ行為とその本質においてあまり変わらない」などと批判していたことが分かった。「表現の自由」に基づく有権者の主張をテロ行為に例えたとして波紋を呼びそうだ。
 石破氏は衆院議員会館の外で、法案の「絶対阻止を叫ぶ大音量が鳴り響いている」などと指摘。「ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう」とした。

http://www.47news.jp/CN/201311/CN2013113001002365.html

■石破茂のメールアドレス g00505@shugiin.go.jp
            (アットマークを半角に直してください)

※ オフィシャルブログ「イシバチャンネル 第39弾」を読むと、コメント欄があります。それを用いてあなたの意見を送信することもできます。

◆自民党公式サイト
石破茂・東京事務所 
〒100-8982 東京都千代田区永田町2-1-2 衆議院第2議員会館515号室
TEL 03-3508-7525 FAX 03-3502-5174


●資料 石破茂のオフィシャルブログ「イシバチャンネル 第39弾」から
2013年11月29日 (金)
沖縄など
 石破 茂 です。

 沖縄・普天間移設問題に明け、それに暮れた1週間でした。
 その間に特定秘密保護法案の衆議院における可決・参議院への送付という難事が挟まり、いつにも増して辛い日々ではありましたが、沖縄県選出自民党議員や自民党沖縄県連の苦悩を思えばとてもそのようなことは言っておれません。
 多くの方がご存知のことと思いますが、沖縄における報道はそれ以外の地域とは全く異なるものであり、その現実を理解することなくして沖縄問題は語れません。沖縄における厳しい世論にどう真剣かつ誠実に向き合うのか。私は現地の新聞に「琉球処分の執行官」とまで書かれており、それはそれであらゆる非難を浴びる覚悟でやっているので構わないのですが、沖縄の議員たちはそうはいきません。
 繰り返して申し上げますが、問われているのは沖縄以外の地域の日本国民なのです。沖縄でなくても負うことのできる負担は日本全体で引き受けなくてはならないのです。(中略)
 特定秘密保護法の採決にあたっての「維新の会」の対応は誠に不可解なものでした。自民・公明・みんなの党とともに共同修正を提案したからには、その早期成立にも責任を共有してもらわなくてはなりません。しかるに、日程を延ばすことを賛成の条件としたのは一体どういうわけなのか。質疑を通じて維新の会の主張は確認されたのではなかったのか。反対勢力が日程闘争を行うのはそれなりに理解できなくもありませんが、共同提案をしている党が日程闘争を展開するという前代未聞の光景に当惑せざるを得ませんでした。
 今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。
 主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。

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「秘密」を必要とする政府はいらないということ

2013年10月31日 | 練馬の里から

  〈非武装・不戦エッセイ その6〉
    「秘密」を必要とする政府はいらないということ
                              井上澄夫

 「国家には守るべき秘密がある」とか「秘密があって当然」という主張がまるで常識のように流布している。

 防衛省や外務省など政府関係者だけではなく、マスメディアにも、「特定秘密保護法案」に反対している人たちの中にさえそう語る人がいる。

 しかし日本国家(この場合は具体的に日本政府のことだが)には秘密があって良いと日本国憲法に書いてあるのだろうか。

 民主主義が機能するためには情報の共有が不可欠だ。情報が共有されてこそ、誰もが対等・平等の民主的な議論が成り立つからだ。

 政府が情報を独占し、国民がそれを知ろうとしても、「秘密」であることを口実に公開しないのは、その政府が民主的でない、主権在民原理を踏みにじる違憲集団であるということだ。

 私は政府にはいかなる「秘密」もあってはならないと思う。「秘密」をもたない政府は理想ではなく、民主主義を実現する上であたりまえのことだ。

 だから私は、「秘密」をもちそれを国民から隠さないと維持できない政府はあってはならないと考える。

 それが私が「特定秘密保護法案」に反対する、そもそもの理由である。

     2013・10・31
                         いのうえ・すみお 米空軍嘉手納飛行場・一坪反戦地主

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特別緊急アピール★竹富町教委への文科省の露骨な政治介入に抗議しましょう!

2013年10月03日 | 練馬の里から
【特別緊急アピール】
  竹富町教委への文科省の露骨な政治介入に抗議しましょう!

                    井上澄夫 在沖米空軍嘉手納飛行場・一坪反戦地主
                                  2013・10・3

 八重山・竹富町教育委員会の中学公民教科書選定について、文部科学省があからさまな政治介入を決めました。町教委が文科省の「指導」に従わないとして同教委に地方自治法に基づき「是正要求」をするというのです。
 この暴挙に沖縄では強い怒りが広がりつつあります。同教委への激励と文科省への抗議を呼びかけます。
 以下で沖縄タイムスと琉球新報の社説を紹介します。両社説で問題の全体像を理解できると思います。ぜひ全文を読んでください。みなさんのご協力を切に求めます。

■竹富町教育委員会 教育長・慶田盛安三
e-mail takekyousoumu@town.taketomi.okinawa.jp FAX:0980-82-0643
■文部科学省 文科相・下村博文
御意見・お問合せ 入力フォーム教科書に関すること
https://www.inquiry.mext.go.jp/inquiry06/

 〔資料〕 沖縄タイムスと琉球新報の社説

◆◆社説[教科書是正要求]教育に政治介入するな 10・3 沖縄タイムス・社説
 八重山地区の3市町で中学公民教科書が一本化されていないことについて、文部科学省が竹富町教委に、地方自治法に基づく是正要求をする方針であることが分かった。
 教育に対するあからさまな政治介入というほかなく、文科省は是正要求の方針を直ちに撤回すべきだ。……
 教育への政治介入はあってはならないことはいうまでもない。圧力や押し付けは、民主的な教育現場からは最もかけ離れた行為だ。
 政治介入によって被害を受けるのは竹富町の生徒たちであり、教師である。文科省には生徒たちのことが念頭にあるのだろうか。
 竹富町教委の採択には何の瑕疵(かし)もない。文科省は地方教育行政にこれ以上の混乱を引き起こしてはならない。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-10-03_54824

◆◆社説 是正要求 文科省は「恫喝」やめよ 教育への政治介入は暴挙
 10・2 琉球新報・社説
 恣意(しい)的な法解釈に基づく地方教育行政への政治介入である。八重山教科書問題で文部科学省は、育鵬社教科書を拒否して別の教科書を使う竹富町教育委員会に対し、是正要求を出すことを決めた。
 是正要求に従わなければ、国が自治体を訴える違法確認訴訟も検討するという。小さい自治体にとって訴訟費用の負担は重い。自治体の財政力の弱さを見越した「恫喝(どうかつ)」の意図がうかがえる。
 地方教育行政に政治的意思で圧力をかける暴挙は許しがたい。識者は是正要求が最高裁判例に反すると指摘する。竹富町はこの「恫喝」に屈せず、堂々と今の教育行政を続けてほしい。……
 問題の背景には教育関連の二つの法の矛盾がある。地方教育行政法は教科書採択権が市町村教委にあると定める。竹富町教委の決定はそれに基づく。一方、地区内の教科書一本化を求める教科書無償措置法はあくまで国の財政措置の要件を定める法だ。
 二つの法は採択地区協と市町村教委の判断が分かれる例を想定していない。教科書に関する「執行権」を持つ市町村教委の判断より、「答申」する諮問機関にすぎない地区協の判断を優先すべきという論理は、まっとうではない。
 そもそも竹富町は違法と言えるのか。町が教科書無償化の恩恵を受けながら無償措置法の規定を守らないなら同法違反とも言えよう。だが独自財源で購入するなら法の対象外のはずだ。なぜ同法違反か。文科省の解釈は非論理的だ。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-213291-storytopic-11.html

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オスプレイの配備撤回と8月追加配備の中止を求める緊急呼びかけ

2013年07月24日 | 練馬の里から
【お知らせ】(緊急)
オスプレイの配備撤回と8月追加配備の中止を求める
7・29署名提出・官邸前抗議行動



日時 7月29日(月)

行動(1)14:00~記者会見(衆議院第2議員会館第7会議室)※13:30~1階ロビーにて通行証を配布します

 発言者⇒・石川元平(普天間爆音訴訟団 副団長)
     ・東京沖縄県人会
     ・ジャン・ユンカーマン(映画監督)
      ※現在、ドキュメンタリー映画「沖縄1944年~2014年(仮)」を製作中
     ・厚木基地・横田基地の住民運動団体
     ・道田哲郎(フォーラム平和・人権・環境 副事務局長)
  (2)16:00~署名提出行動 ※時間変更の可能性あり
  (3)18:30~首相官邸前抗議行動(国会記者会館前路上)

主催:オスプレイの沖縄配備に反対する首都圏ネットワーク

連絡先
 ●沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックTEL:090-3910-4140 
 ●沖縄意見広告運動TEL:03-6382-6537
 ●ピースボートTEL:03-3363-7561

▽配備の撤回と追加配備を許さない団体署名のお願い
今回は短期間で、多くの団体名を連ねる署名を集めて提出することになりました。
貴団体の署名とそして他の団体への呼びかけをお願いします。なお、個人名での参加も可能です
  ●署名用紙はホームページからダウンロードできます http://noosprey.xxxxxxxx.jp/
<集約締切日> 2013年7月27日(土)必着
<送り方>
 (メール)noosprey_xxxxxxxx@yahoo.co.jp
 (FAX)047‐346‐9632
 (郵 送)〒101-0061東京都千代田区三崎町2‐2‐13‐502
 沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック気付、オスプレイの沖縄配備に反対する首都圏ネットワーク

▽呼びかけ
 日米両政府は、昨年の10月に、沖縄県民の島ぐるみの反対の声と、「本土」からの配備反対の声を踏みにじり、欠陥機MV22オスプレイ12機を世界一危険な普天間基地に強行配備しました。
 沖縄では、昨年は配備に反対して県民の命を守るために「オール沖縄」で配備反対の闘いを取り組みました。そして、本年1月27日、28には県民大会実行委員会による総理直訴東京行動が行われました。
 いまでも連日早朝からの市民による普天間基地ゲート前での抗議行動や、沖縄平和運動センターや普天間爆音訴訟団などによる毎週の抗議行動が続けられています。
 配備されたオスプレイは、連日、運用ルールを定めた「日米合意」に違反して、人口密集地での飛行、人口密集地でのヘリモードや転換モードでの飛行、超低空飛行、夜間飛行を繰り返しています。さらに、訓練はより実戦的になり、無灯火での超低空飛行、編隊飛行などが頻繁に行われています。沖縄県民は「墜落と死の恐怖に脅える」毎日です。
 そして、オスプレイは、「本土」での低空飛行訓練も開始し、さらにグアム、フイリピン、タイ、韓国での演習にも参加しています。また、キャンプハンセンでは自衛隊と海兵隊がオスプレイに搭乗しての日米共同訓練も行われています。
 このような中で、4月30日の日米防衛首脳会談で、8月にオスプレイ12機の追加配備を決定しました。「オール沖縄」の配備撤回を求める総意をまたしても踏みにじり、県民に更なる「墜落と死の恐怖を押し付ける」沖縄差別のこの暴挙を絶対に許すことは出来ません。
 さらに日本政府は、5月28日に、県が人口密集地での飛行など日米の運用ルール違反とした指摘した318件について「違反なし」と回答しました。この回答に対して、「目撃は錯覚というのか」「防衛省は現場を見てくれ」「私たちがうそをついているのか」「米国のいいなりである」などと、またしても沖縄の声を無視する政府へ怒りの声は頂点に達しています。
 私たちは、沖縄県民との連帯を強化し、「オスプレイの配備撤回と8月の追加配備の中止を求める」署名活動を皮切りにして、8月の追加配備を許さない大きな闘いを首都圏から作り上げていく決意です。
 多くのみなさんが、沖縄県民に基地の犠牲を押し付ける、日本政府の沖縄差別政策に怒りをもって8月の追加配備を許さない闘いへの参加を強く呼びかけます。

(井上澄夫)             ページトップ                にほんブログ村 地域生活(街) 東京ブログ 練馬区情報へ


合意のない与那国島自衛隊配備にNO!

2013年07月07日 | 練馬の里から
【拡散希望】

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  ドゥナンチマ カティラリヌン! ※与那国の言葉で「与那国島を棄てられない!」
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合意のない与那国島自衛隊配備にNO! 7/27集会
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<日 時>7月27日(土)18時30分開始
<会 場>渋谷勤労福祉会館・第1洋室(東京都渋谷区神南1-19-8)
     http://asp.netmap.jp/map/905872.html">
<最寄駅>「渋谷」駅7分(JR山手線、東京メトロ、東急東横線・田園都市線、京王井の頭線
<参加費>500円
≪沖縄への自衛隊強化の動向≫ 問山栄恵(といやまさかえ 『琉球新報』東京支社報道部)
≪与那国島の反対運動≫ 大仲尊(おおなかたかし 与那国島出身)
<主催>沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック
<問い合わせ>電話090-3910-4140
<呼びかけ>
 みなさん!
 今、与那国島では’08年から始まった自衛隊配備反対の闘いが大きな節目に差しかかっています。来る8月11日、陸自沿岸監視部隊配備の是非をめぐる町長選挙が行われます。
 この間、与那国改革会議は自衛隊誘致反対の署名(誘致派の署名数を上回る)、自衛隊配備の賛否を問う住民投票条例制定にむけた運動など、文字通り島を二分する闘いを展開してきました。8月6日告示、8月11日投票の町長選挙はこれまでの総決算をかけて闘いぬかれます。自衛隊配備反対の旗を一貫して掲げて闘っている与那国改革会議は、議長として自ら先頭に立ち、闘いのけん引役を引き受けてきた崎原正吉さんを町長候補者として擁立し、町長選を勝ち抜くための布陣を敷いています。
 外間町長・与党は6月定例議会に「与那国町町有土地貸借契約について」の議案を提案しました。しかし、議案提出の前段に、手続き上クリアしなければならない大きな問題があります。ちなみに計画用地の地目変更にかかわる農業委員会の決定と南牧場契約者(農業法人)の同意書が前提条件なのに、それらの手続きを行った形跡は今のところありません。手続きなどおかまいなしに議会での多数をたてに暴力的に押し切り賃貸契約を決議しようとするのでしょうか。許せません!
 安倍政権は「防衛計画の大綱」を今年中に見直す方針で、尖閣諸島を巡る中国の動きを念頭に水陸両用車やオスプレイを配備した水陸両用部隊の新設、また自民党は「国境離島保全・振興法案」を国会に提出しようとしています。この法案は「日本最西端に位置する沖縄県の与那国島や長崎県の対馬などを対象に、自衛隊施設設置の努力義務、港湾や空港整備への国庫補助かさ上げを盛り込んだ」。この法案は、とりもなおさず与那国島への自衛隊を強行配備するためであることは言を俟ちません。
 軍隊のいない与那国は、かつては国境なるもの跨ぎ100㌔しか離れていない台湾と自由に行き来し生活圏をともにしてきました。1972年沖縄の施政権返還ではめ込められ、「領土ナショナリズム」で鼓舞され、自衛隊という軍隊を強引に配備しようとします。すべては国家というものの無策を覆い隠すための手法にすぎません。
 与那国での自衛隊配備を許さないたたかいは、国境という上からの押し付けを跳ね返し、領土ナショナリズムに抗い、軍隊なしで自由に生きる島社会を取り戻す闘いでもあるでしょう。
 自衛隊はいらないと闘い抜く与那国改革会議を支援し集会に参加してください。

★案内チラシをダウンロードできます。http://www.jca.apc.org/HHK/2113/130727yonaguni.pdf

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沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック http://www.jca.apc.org/HHK/
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(井上澄夫)              ページトップ                にほんブログ村 地域生活(街) 東京ブログ 練馬区情報へ

沖縄の民意を愚弄するオスプレイの追加配備

2013年06月02日 | 練馬の里から
【拡散希望】
   NO!オスプレイ6・6集会
        =追加配備はもってのほか!=

 講 演: 桃原功さん(沖縄宜野湾市 市議会議員)
 と き:6月6日(木) 開場18:30 開始19:00
 場 所:文京区民センター3A(文京区本郷4-15-14)
     http://www.city.bunkyo.lg.jp/gmap/detail.php?id=1754
     都営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」徒歩2分、
     東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅4b出口」徒歩5分
     東京メトロ南北線「後楽園駅6番出口」徒歩5分、
     JR水道橋駅東口徒歩15分
 参加費:500円
 主 催:オスプレイの沖縄配備に反対する首都圏ネットワーク
 連絡先:沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック TEL:090-3910-4140
     沖縄意見広告運動 TEL:03-6382-6537
     ピースボート TEL:03-3363-7561
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 昨年9月、沖縄では、10万名以上の人々が参加して集会が開かれ、県民総意でオスプレイの配備に反対することを表明しました。
 しかし日米両政府は、こうした声を全く無視し、10月1日、激しい抵抗の中、配備を強行しました。以降、運用に関する日米合意を全く無視し、病院、学校、市街地だろうが、夜間も、傍若無人に飛び回り、騒音、低周波音、そして墜落の恐怖と危険を沖縄の住民に振りまいています。3月からは、岩国を拠点に、低空飛行訓練を開始し、更に全国に拡大しようとしています。
 こうした中で去る1月には、沖縄の全ての市町村長と議会議長、県会議員らによってオスプレイの配備撤回を求める建白書が提出されました。また全国で174の自治体がオスプレイの配備・訓練に反対して決議を上げています。しかしこうした沖縄の総意を全く無視して、7月には、普天間基地に更に12機を追加配備し、沖縄の住民に一層の被害と危険を与えようとしています。

 オスプレイの追加配備は、県民総意で反対している沖縄の民意を愚弄するもので、民主主義を踏みにじるものです。
 安倍政権は、辺野古の海の埋立申請を強行し、沖縄では屈辱の日であるサンフランシスコ条約が締結された4月28日に「主権回復の日」として政府主催の記念式典を閣議決定しました。このことは、これからもアメリカに従属し、米軍基地を存続させ、沖縄に苦難と犠牲を強いようとするものです。オスプレイの追加配備もこの一環です。

 私たちは、沖縄の人々と共に連帯し、オスプレイの7月追加配備を許さず、全国低空飛行訓練に反対し、オスプレイの沖縄配備を撤回させていきましょう。
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(井上澄夫)               ページトップ                にほんブログ村 地域生活(街) 東京ブログ 練馬区情報へ

自衛隊の存在を問う9条改憲反対運動を !!

2013年05月12日 | 練馬の里から
【非武装・不戦エッセイ】 その4
   自衛隊の存在を問う9条改憲反対運動を

                      井上澄夫 米空軍嘉手納飛行場・一坪反戦地主

 話を進めるため、日本国憲法の前文と9条を改めて掲げる。

●日本国憲法前文
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

●日本国憲法・第二章 戦争の放棄 第9条
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 第2項  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 前文と9条はこれまで繰り返し掲げられ、今もそれが続いている。しかし「9条を守れ」と叫ぶ人たちは前文と9条を本気で「実現」しようとしているのだろうか。前文と9条はこの国の平和立国原理である。したがってその原理にそむく政治は全力をあげて排されねばならないし、私たちに求められているのは平和立国原理をタテマエとすることではなく、それを実現することである。

 さてその平和立国原理とは、一口にいえば〈国家非武装・不戦〉である。強調しなければならないが、ここでいう非武装はあくまで「国家非武装」、国家として武装しないことである。日本国憲法はまず何より国家権力を縛(しば)る最高法規であり、9条は日本国家が国家として武装することを固く禁じているのだ。
 9条は「国民」(本来人民というべきだが)に非武装を義務づけているのではない。作家の野坂昭如氏が1981年、つまりまだ冷戦が続いていた時代に『国家非武装 されど我、愛するもののために戦わん。』という実に刺激的な著書を光文社から刊行している。タイトルだけでも野坂氏の思想の骨格は鮮明だが、彼は同書の末尾でこう主張している。 〈しかしあえて、ソ連だか、アメリカだか、韓国、北朝鮮、ベトナム、台湾なんて国が日本を力ずくで押しひしごうと、攻め渡って来るのなら、一人一人が抵抗すればいい。考えただけでも恐ろしいけれど、市民が蜂起(ほうき)して、さまざまな次元による戦いを、しぶとく継続することだ。メガトン級の二つ三つくらう覚悟と、どちらが有効だろうか。〉 侵略に対する民衆の抵抗のありかたは民衆自身が決めることで、それについては別に考察が必要であるが、ここで問題にしているのはあくまで国家非武装である。

 現憲法の9条1項は「戦争の放棄」、2項は「戦力不保持」を鮮明に規定している。それらが意味するところは誰が読もうと疑問の余地はありえない。
 ところがえてして「戦争の放棄」は強く意識され「護憲」運動でも度々強調されるが、「戦力不保持」が同程度に語られることは少ない。

 なぜか。
 一つは「9条を守れば戦争は避けられる」という〈思い込み〉が支配的だからである。現憲法施行以来9条が戦争を抑止する歯止めになってきた実例は数多いし、今も9条は歯止めの役割を一定果たしている。
 しかし同時に「9条は個別的自衛権を否定していない」という政府解釈がまかり通り、警察予備隊、保安隊を経て自衛隊が創設され、それがどんどん肥大してきた事実が示すように、9条が骨抜きにされ、ほとんど抜け殻に近くなっていることもまぎれもない事実である。
 「9条を守れば戦争は避けられる」という〈思い込み〉において語られる「9条」は言うまでもなく9条の条文であるが、そう語る人自身は条文が現実の〈9条状況〉の実態から余りにも深刻に乖離(かいり)している現実をどれほどリアルに認識しているだろうか。 「戦力不保持」が強調されないのは、多くの人がホンネでは「いざという時は自衛隊に守ってもらいたい」と思っているからである。そのホンネは匿名で対応できる世論調査では表に出てくるが、あまり公然と語られない。それはいわば日本社会が呼吸する空気のように、暗黙の了解として〈言わずもがな〉の扱いをされている。

 「9条を守れば戦争は避けられる」という〈思い込み〉は、私たちの眼前の現実によってすでに裏切られ破壊されている。
 この国は軍事費の比較ですでに世界第5位の軍隊を保有し、安倍政権は「集団的自衛権の行使」を合憲化して日米共同戦争態勢を構築しようとしている。すなわち戦争は現政権の政策によって〈手が届く範囲にまで〉手繰り寄せられているし、PKO(国連平和維持活動)という名の海外派兵はカンボジア派兵以来ずっと続き、南スーダンに派遣された陸上自衛隊の部隊が今にも戦闘に巻き込まれないという保証はない。

 多くの人が「戦争になると困るから9条は変えてほしくないが、自衛隊はあってもいい」と考えているが、そういう9条支持論は自らが9条2項を踏みにじっていることを顧みない。9条2項が規定する「戦力不保持」=国家非武装はさりげなくまるで棚上げされているが、それでいて「9条を守れ」というのは明らかに自己矛盾である。
 〈9条の実現〉を追求する意味で「9条を守れ」と言うのなら自衛隊の存在を根本的に批判し、安保破棄運動とともに反自衛隊の活動を「護憲」運動の基軸に据えるべきである。

 長い間、自衛隊を問わず自衛隊の動きを阻止しない「護憲」運動が続いてきたが、そのような「護憲」運動は自国軍たる帝国陸海軍がかつて筆舌に尽くしえない「戦争の惨禍」をもたらしたことを本当に反省しているのだろうか。「明治維新」と呼ばれる王政復古以来この国は国権の伸張を基本国策とし、植民地を拡大し、侵略戦争を継続してきた。日本国家が「戦力不保持」=国家非武装を貫かねばならない根拠はまさにその忌まわしい史実に存する。
 あのようなことを二度と絶対に繰り返さない確実な保証として、9条でアジア・太平洋諸国をはじめ世界に新生日本国家の非武装を誓ったのである。現憲法前文に「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」とあるのはまさにそのことだ。

 さらにもう一つ注意すべきは、国家非武装は「政府の行為」による戦争を許さないだけではなく、〈国家が武装して自己防衛を図ること〉を防止することでもあるということだ。国家は権力を維持するために人民から自らを防衛したがる。それを許すと、武装した権力は武力による人民弾圧を制度化する。現行自衛隊法が第3条・自衛隊の任務に「必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする」と明記し、「治安出動」をすでに自衛隊の本務にしていることを忘れるべきではない。

 戦争体験者がかつての戦争を反省しているからこそ9条を守りたいと語るときその思いの真摯さを疑うことはできない。しかし戦争を実体験した世代は次々に鬼籍に入り、戦争を知らない世代の政治家が排外主義むき出しの領土ナショナリズムを煽り、それに無批判に踊らされる人びとが増えているという現実に対して平和立国原理=〈国家非武装・不戦〉原理をもって正面から対抗しようとしない「護憲」運動とは何か。

9条1項が宣言している「戦争の放棄」と同2項の「戦力不保持」とは切っても切れない不可分の関係にある。戦力(軍隊)を保持すれば国家権力は政治・外交の手段としてそれを用いる誘惑に容易に駆られる。それは戦前の歴史が実証するところであり、誰にも理解できることだ。

 ずばり、ことの核心に触れよう。9条の1項と2項が不可分の関係にある以上、〈9条の実現〉とはその両者をともに実現することにほかならない。この国が世界有数の軍隊を保持している以上、〈9条の実現〉とは【自衛隊を解体し日本政府が戦力を行使できないようにすること】である。
そのように9条をトータルに実現するなら、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起る」ことはありえない。

 しかし、戦後「護憲」運動はそのように9条を実現しようとしてきただろうか。自国軍の膨張を前にその現実に押し負け、「戦争の放棄」だけ突き出しつつ、どんどん後退してきたのではなかったか。その結果が「戦争になると困るから9条は変えてほしくないが、自衛隊はあってもいい」という意見が世論において有力になるということだったのではないか。

 自国軍の膨張を阻止する努力を怠ってきたことは「護憲」運動の重大な弱点であり、私たちに〈いま〉問われていることはそれを心底から反省し自衛隊の解体をめざす闘いを始めることである。

私たちは、9条が維持されながら、つまり〈9条があっても〉戦争の準備が進行している眼前の現実と向き合わなければならない。

 南西諸島を「防人(さきもり)の島」として要塞化する計画を防衛省・自衛隊は強引に進めているが、それは9条護憲と無関係なのだろうか。
 防衛省は2008年7月、沖縄島本部(もとぶ)町の米軍上本部飛行場の跡地に計画していた海上自衛隊P3C哨戒機との交信施設、ASWOC(対潜水艦戦作戦センター)用送信所の建設を中止することを決めた。建設中止は飛行場返還から37年を経てようやく実現したが、その成果は本部町住民を中心とする沖縄の人びとの粘り強い抵抗によってもたらされたのである。

2013・5・10 記
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国家がないと生きていけないと誰が言うのか。

2013年04月28日 | 練馬の里から
【非武装・不戦エッセイ】 その2
    「コク」がつく言葉のこと      井上澄夫
 「コク」(国)がつく言葉にはろくなものがない。
 まず、国旗、国歌── 国歌の斉唱に加わらないと教師がクビになる、口パクも監視されるなんぞ正気の沙汰ではないが、そういう抑圧を司法が認めるのは三権分立に基づく立憲政治の根太が腐っているのだ。
 「日本の日の丸、なだて赤い。帰らぬ息子の血で赤い」とある母が詠んだが、その悲憤こそ忘れられてはなるまい。
 そもそも旗を掲げて国家への忠誠の証(あかし)とするのは、その国家の上げ底性を自ら告白するようなものだ。もっとも上げ底でない国家があるとは思えないが。

 国土── このエッセイの初回は「『固有の領土』はないということ」だったが、左右を問わず、国土なるものには異常な執着があるらしい。子どもの遊びに椅子取りゲームがあるが、あれに似たことを国家同士がやっているのはなんともコッケイである。自分の目で見たことも触ったこともない絶海の孤島の領有に血が騒ぐという心理は実に不可思議である。

 国境── 四囲が海だから、アメリカ・カナダ間のように地面に敷かれた国境線はこの国にはない。かつて「南樺太」(南サハリン)が日本領だったときは陸上の国境線(北緯50度線)はあったが。
 70年代にタイとビルマ(現ミャンマー)の国境の町を訪れたら、それはさして川幅が広くない川だった。立派な橋がかかっていて両側から人びとが歩いて渡っているから、入国管理官氏に「ちょっと向こう側に渡りたいが」と言ったら「ダメ」という。「だけどみんな行ったり来たりしてるじゃないか」と言ったら、入国管理官氏はやおら橋の方向に向かって大声で叫んだものだ。
 「ああ、こりゃこりゃ、勝手に渡ってはいかんぞ、いかん! いかん!」
 そしてこちらにウインクして、にやっと笑った。
 言うまでなく、野菜を天秤棒でかついている人や鶏を何羽も束ねてぶら下げて行き交う男女の群には何の変化も起きなかった。

 国民── ある辞書によれば「その国の国籍を持つ人民」である。したがって在日外国人は国民ではないことになり、まちがいなく古くからの住民であっても国民でない人には日本国憲法が明記する基本的人権は保障されないことになる。むろん国民であっても人権が保障されるとは限らないことは、次々に冤罪が明らかにされ、いまだに死刑制度が維持されている現実が実証している。
 問題は、国民であるのは、それ自体、排外的存在であるということだ。それは意図しようとしまいと在日外国人との関係において否応なくそうなのだ。この地球上に住む誰もがまぎれもなく何十億かの人類の一員であるにもかかわらず、そういう排外的存在としての国民であり続けることに安住していいのだろうか。

 国威── これまたある辞書によれば「その国の持つ対外的な威力」である。日本国憲法の前文には「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあるが、それなら必要不可欠なのは本当に信用されることであり、〈相手を恐れさせる強い力〉たる国威など持つのは信用を損なうことにほかならない。世界の多極化の中で大国が国威を失いつつあることは平和の構築にとってとてもいいことだ。「ニッポンの国際的地位の低下」を憂うる政治家よ、つまらぬことで気をもむな。

 国益── これは「コク」のつく言葉群の中でも断トツの妖怪だ。国益の実体は「時の行政権力(政権)にとっての利益」にすぎないのだが、政治家も官僚も正直にそう言わないで、いかにも〈国民みんなの利益〉のように思わせたがる。
 つまり、愛国心もそうだが、国益も悪党の隠れ家である。明らかに理不尽な主張でも、声高に国益と言いさえすれば道理が引っ込むていの便利な「魔法の言葉」である。
 よって、国益を掲げられたらまず民衆の利益を害することを疑うべきである。国益は最も警戒すべき政治用語の典型である。

 「コク」は国家のこと。「コク」がつく言葉を信じてはならない。「国敗れて山河在り」(杜甫)と詠まれているが、山河があれば民(たみ)は生きられる。「コク」、国家がないと生きていけないと誰が言うのか。国を信じれば民は滅ぶ。
 

● 愛(かな)す宮古(みゃーく)市民ピースアクション ●

2013年02月13日 | 練馬の里から
 沖縄・宮古島からのアピール
「2・24 愛(かな)す宮古(みゃーく)市民ピースアクションに全国からご参加を!」をお送りします。
「愛(かな)す宮古(みゃーく)」とは「宮古を愛する」という意味です。
 「かなす」は宮古に古くからある言葉で、今も使われていて「いとしい」ということです。

 宮古郡には宮古島の他に伊良部島(いらぶじま)などがあります。その伊良部島に寄り添うように下地島(しもじじま)があり、その島はいま、民間空港になっています。
 その下地島空港を航空自衛隊の戦闘機基地にする計画が最近浮上しました。「尖閣諸島」の領有をめぐって日中関係の緊張が先鋭化していますが、「尖閣」を含む南西諸島を「防衛する」という口実で、安倍政権は民間空港を軍事基地にしようとしています。
 宮古郡の人たちは自分たちの平和な島を基地にする計画にはっきり反対しています。お送りするアピールはその趣旨で2月24日に「市民ピースアクション」を行なうというお知らせです。

 宮古島まで行くのは大変という方も多いでしょうが、このアピールを転載することで、宮古のみなさんの切実な訴えを友人・知人に広げることはできるでしょう。 どうか、2・24ピースアクションを全国に紹介してください。もし連帯のメッセージを寄せてくださるのであれば私にご送信ください。すぐ宮古島に中継します。
 みなさんのご協力を心からお願いします。

              井上澄夫 米空軍嘉手納飛行場・一坪反戦地主

【沖縄・宮古から訴えます!!】  ※ 愛(かな)す宮古(みゃーく)=宮古を愛する

◆2・24 愛(かな)す宮古(みゃーく)市民ピースアクションに全国からご参加を!

                                    実行委員会 清水早子

 40年前、宮古圏内の下地島空港建設当時の危惧が、まさに現実のものになろうとしています。
下地島空港にF15戦闘機や、無人偵察機グローバルホークや、やがては自衛隊が導入すると言っているオスプレイが置かれることになろうとしています。
 平穏に暮らしている宮古の市民の頭上に、いきなり戦争の恐怖が近づいて来ています。
 沖縄の本土復帰後、最大の島の平和の危機が近づいています。
新政権の安倍総理大臣は、はっきりと「自衛隊は国際的には軍隊なのだから、『国防軍』と名乗る」のだと言っています。憲法を変えると言っています。そして、変えなくても解釈を変えて、とにかく「集団的自衛権」の行使で、アメリカが戦争すると一緒に戦争できるようにするのだと言っています。
 尖閣問題だ、北朝鮮の脅威だ、と騒ぎますが、戦争の歴史を振り返ればわかるように、国家は、この沖縄の離島の島々の人々の生命と生活を守るために、この島を基地にするのではありません。
 かつて、沖縄島が太平洋戦争時に、日本本土を守るために犠牲になったように、今度は南西諸島が次の戦争の犠牲になるのだ、と状況は示しています。
 鹿児島の馬毛島から沖縄の与那国島までの南西諸島全域を軍事基地化し、とりわけ宮古・八重山・与那国には、レーダーを強化し、戦闘機とともに空自部隊を置き、海兵隊化させた陸自部隊を配備し、軍事衝突が起こった場合は、宮古~与那国での小規模な戦闘にとどめようという布陣を敷こうとしています。
 日本本土の多くの国民の無関心を背景に、南方の小さな島々は打ち棄てられようとしています。
 今こそ、私たちは島の平和な暮らしと子どもたちの命を守るために、声をあげて、行動しなくてはなりません。「宮古を、与那国を、南西諸島を自衛隊基地にしないで!」と。
 
 2月24日(日)に、集まって声を上げましょう!歌ってもいい、踊ってもいい、叫んでもいい、静かに歩いてもいい、全身で、平和な暮らしを壊さないで!と表現しましょう!
 親にも子にも、兄弟にも、親戚にも、友達にも、声をかけましょう!
 沖縄や石垣や与那国や、大阪や東京や、島外や県外の知人にも、来て欲しいと、連帯して行動してほしいと、呼びかけましょう!
 今、ここで声を上げ、止めないと、私たちの島は軍事基地になってしまいます。

  と き 2013年2月24日(日)午後1時半~4時半
  ところ 宮古島市立中央公民館にてメインイベント (1時半~3時半)
  行 進 公民館→市役所まで           (3時半~4時)
      市役所前にて集会            (4時~4時半)  
 
●愛(かな)す宮古(みゃーく)市民ピースアクション ■実施要領■
 
目的:・平和な宮古の日常を守るため、自衛隊増強配備の動きを市民に伝え、どうすればいいのか、考え行動してもらう機会にすること。
   ・政府・防衛省に、宮古の市民は島の軍事基地化を望んでいないことを
    伝える機会にすること。
   ・より多くの市民(子どもからお年寄りまで・とりわけ若い市民)に
家族ぐるみの参加を求めること。       
日時: 2013年2月24日(日)午後1時半~4時半
場所: 宮古島市立中央公民館 野外広場(晴天のとき)/大ホール(雨天のとき)
                  
プ ロ グ ラ ム:  
 1 手作り物品販売         1時半~3時半
   (放射能汚染を"華麗にかわした"お菓子などあります!)
 2 コンサート&フラ        2時~2時半
   (地元ミュージシャン・アーティストによる)  
 3 リレートーク          2時半~3時半
 4 併設パネル展「辺野古・普天間・下地島」
 5 平和アピール行進     3時半~4時
   (音楽や各人思い思いのパフォーマンスで)
 6 市役所前でミニ集会       4時~4時半

        2・24愛(かな)す宮(みゃー)古(く)市民ピースアクション実行委員会・事務局 清水 090-9784-1545

                         
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●「固有の領土」はないということ ● 官邸の主は代っっても… ●

2013年01月24日 | 練馬の里から
※ 1月例会は会場が変わります。2013年1月26日18時30分喫茶ノウ゛ェル(西武池袋線大泉学園駅北口駅前英林堂書店2階

●「固有の領土」はないということ

 原理的に考えてみる。そもそも地球は誰のものでもない。人類は地球ができてからずいぶん後に発生したのだから、地球は人類のものではない。もともと人類のものではないのだから、人類の諸集団が割拠して各地に住むようになったとしても、その地を自分の「領土」と称するのは不当である。

 いくつかの国家がいわゆる「センカク」、いわゆる「ギョチョウ」、いわゆる「チョウギョタイ」の島嶼をそれぞれ「固有の領土」と主張しているが、固有とは「他のものには無く、そのものの特徴として有る様子」(新明解国語辞典、三省堂)だから、それらはどれも偽称であり、不当表示である。

 この地球上にも宇宙空間にも「固有の領土」はない。人類は地球に仮住まいさせてもらっているのだから、海も空も大地も細切れにして破壊してはならない。国際法の先占論など〈国家固有〉の屁理屈である。

                        井上澄夫(埼玉県新座市)
 首相官邸の主は代っっても…。

 新総理が当面、“経済回復”の猫をかぶって、とにかくこの夏(参議院選/原発「新安全基準」策定)まで凌ごうとしているとしても、その“ヤベ~”正体は隠しようもない。
 夏にむかって、経済回復から切り捨てられる99%の怒りを胸に、「有権者は福島を忘れない!」というメッセージを、官邸に届けることからはじめよう !!!(練金術師)

★大飯原発を停止せよ!首相官邸前抗議
    定例!毎週金曜!「大飯原発を停止せよ!首相官邸前抗議」

2013年も首相官邸前抗議!

  日時:2013年1月25日(金)18:00~20:00 予定
  場所:首相官邸前および永田町・霞が関一帯
     (霞ヶ関駅、虎ノ門駅、桜田門駅をご利用ください)
     ※千代田線・丸ノ内線の国会議事堂前駅は混雑が予想されます。
  呼びかけ:首都圏反原発連合
 

● 緊急アピール 日本政府の沖縄政策転換を目の当たりにして ●

2012年10月20日 | 練馬の里から
【緊急アピール 日本政府の沖縄政策転換を目の当たりにして】
名護市辺野古に米海兵隊新基地を建設する計画と東村高江での米軍ヘリパッド建設、南西諸島への自衛隊配備を阻止し、オスプレイ配備を撤回させ、普天間飛行場の即時閉鎖・返還を実現するため、力を尽くしている全国のみなさんへ
      2012年10月16日           井上澄夫 米空軍嘉手納基地・一坪反戦地主

 10月9日に行なわれた仲井真沖縄県知事、佐喜真宜野湾市長との会談で、野田首相はオスプレイ配備の撤回を求める沖縄県民の切実な願いをけんもほろろに一蹴しました。
 しかも会談前後の政府の姿勢は明らかに、従来のタテマエをかなぐり捨て、もっぱら〈カネの力〉で沖縄をねじ伏せてオスプレイ配備と辺野古新基地建設を呑み込ませる方向に転じました。 
 これは決定的に重要な沖縄政策の転換です。以下、それに触れます。 

 森本防衛相は9月28日、共同通信加盟社論説研究会で講演し、米軍普天間飛行場の「辺野古移設」について「オスプレイ配備後、普天間問題に一定の方向付けをしたい。実現できなければ普天間の固定が続く。知事に移設を認めてもらう政治的、経済的環境をどうつくるかだ」とのべました。そのうえ防衛相は、基地と振興をリンクさせる形で地元を納得させるか、と問われて「そうですね」と答えています。
仲井真県知事が繰り返し普天間飛行場の「県外移設」を主張し、県民の圧倒的多数が「県内移設」に強く反対していることを熟知しているはずなのに、「普天間の固定」を避けるというおためごかしの小理屈を振りかざして「基地と振興のリンク」を表明したのです。
 9月28日の防衛相の言明を沖縄タイムス紙は9月30日付社説(「[ゲート前抗議]マグマが噴出し始めた」)で明確な「基地負担と振興策のリンク」と受け止め、「県民の意思は、県内移設や振興策との取引で妥協できる段階を超えている。政府の思考停止ぶりは悲劇といえる」と厳しく批判しました。
 それは当然です。政府は従来、沖縄との折衝にあたり基地問題と経済振興とのリンクを否定してきたからです。藤村官房長官は10月2日の定例会見でも「基地と振興はリンクしていない。絡めたことはない」と全面的に否定しています。
 言うまでもなく、この姿勢はタテマエに過ぎず、政府はことあるごとにリンクをちらつかせて沖縄を脅迫してきたのですが、それでもリンク論が表向きタブーだったことは事実です。
 それを防衛相はいとも簡単に公然と覆しました。

それだけではありません。野田第3次改造内閣で留任した森本防衛相は10月1日、初閣議後の記者会見で、「辺野古移設」について「16年半も行き詰まっている問題を前に進めるための道筋をつくっていきたい」とのべ、普天間問題の前進は野田首相の指示であると明かしながら、それをオスプレイ配備後の「次のステージ」と位置づけました。停滞していた「普天間移設」を強行する決意をあらわにしたのです。
 もっとも防衛相はリンクの表明が沖縄側の猛反発を買うことに遅ればせながら気づいたのか、その翌日、2日の記者会見で「何かをリンクするという考え方には立っていない。そう受け止められる発言を私がしたならば、誤りだ」と釈明しましたが、それがうわべの「撤回」であり、リンクして〈カネの力〉で沖縄を屈服させる決意がホンネであることに疑問の余地はありません。

 実際、それを実証するふるまいを政府はしました。それを10月10日付琉球新報社説(「知事・首相会談 意図的な印象操作はやめよ」)はこうのべています。
 〈仲井真知事と会談した首相は〔知事のオスプレイ配備撤回要求を〕「重く受け止める」としながらも、オスプレイ配備撤回に応じることはなかった。想定内の回答であり、何ら驚くに値しない。
 許し難いのは、首相会談直後に、沖縄政策に関する関係閣僚と知事との意見交換の場が政府側の提案で設定されたことだ。沖縄の基地負担軽減と沖縄振興策をセットにして話し合うこと自体、「アメとムチ」で問題解決を図ろうという魂胆が見え隠れしており、やはり不純なものを感じる。
 それはオスプレイの普天間配備強行後の5日、沖縄政策に関する関係閣僚会合を開いたことからも見て取れる。外務、防衛大臣のほか、副総理や財務相らが出席し、普天間移設問題や沖縄振興策などの課題について、政府が一体となって取り組む方針を確認している。
 裏を返せば、野田政権や防衛官僚などの間には、「沖縄はしょせん、金次第で片が付く」との差別意識が根強いことを示している。より悪質なのは、そのような誤った認識を、国民にも植え付けようと躍起になっていることだ。〉
琉球新報紙の憤激は、まぎれもない事実に基づいています。言葉面(づら)でどう取り繕おうと、政府の「アメとムチ」で強行突破を図るという魂胆は隠せません。

 政府は2012年度予算では沖縄側の経済振興のための3000億円の要請に対し、一括交付金など2937億円の「満額回答」で応えました。気前のいい大盤振る舞いを県民が好感し、本年6月の沖縄県議選で知事の支持基盤である自民・公明など与党が議席の過半数を占めるだろうと期待したのです。そうなれば、与党の勝利を背景に知事が「県内移設」容認に転じるというのが政府のシナリオでした。
 そのシナリオは結局、画(え)に描いた餅でしたが、今また、2013年度予算について県が再度3000億円を求めていることにつけ込み、〈カネの力〉でオスプレイ配備と「県内移設」とを一気に容認させようとしています。
 政府内では、沖縄県知事がどうしても言うことを聞かないならカネは出さないと脅しつけ、沖縄側の対政府要求と引き換えに「県内移設」を認めさせ、同時に知事が「自発的に」引責辞任するというシナリオがささやかれてきました。
 1997年12月21日、名護市で海上ヘリポート案の是非をめぐる市民投票が行なわれ、名護市民は明確に「NO」の意思表示をしました。しかしその直後の12月24日、当時の比嘉鉄也名護市長は首相官邸で橋本首相(当時)に対し海上ヘリポート案の受け入れを表明し、その翌日市長を辞任しました。仲井真県知事の「県内移設」容認と同時の引責辞任というシナリオはそれを再現しようという企みです。
 余りにも下劣で狡猾な政治手法ですが、現実政治においてはそういうこともあり得ることを私たちは念頭に置かねばなりません。

 沖縄県ではこれまで41の全市町村議会が次々にオスプレイ普天間配備の撤回を求める政府あて意見書を可決しました。6月18日に那覇市議会が採択した意見書はオスプレイ配備は「沖縄県民を墜落の危険と死の恐怖にさらす」とのべています。
 9月9日付沖縄タイムス別刷り「オスプレイ特集」は、沖縄では戦後、米軍機事故で少なくとも32人が殺され、234人が負傷したと報告しています。続々明らかになる数々のオスプレイの事故に沖縄県民が身を切るような恐怖を味わっていることについて、私たちは人間的な想像力を働かせるべきです。
 しかし野田政権は「沖縄はしょせん、金次第で片が付く」と考え、県民の痛切な思いに向き合う気はさらさらなく、それを正面から土足で踏みにじっています。
 オスプレイは普天間飛行場にすでに12機配備されましたが、米軍は2014年までにさらに同数配備します。岩国基地を起点にした試験飛行、岩国から沖縄への移動、そして本格運用を前に開始した訓練飛行、そのどれについてもあまた「運用ルール」(日米合意)違反が指摘されていますが、防衛省は不遜にも「直ちに日米の合意に反しない」と開き直っています。  

 9月28日の講演で森本防衛相は「辺野古移設」に向けた「環境影響評価書」の補正作業は「あと2、3カ月だ」と年内終了の見通しを示し、その後の県への公有水面埋め立て許可申請について「一般論として申請から知事の判断にはおおむね10カ月程度を要する」と一方的に期限を設けました。
 さらに10月1日の記者会見で防衛相は埋め立て許可申請に関し、「どのように知事に認可いただくかがこれから重要な問題になる」とのべましたが、その「どのように」が「カネと引き換えに」であることは以上のべたことから明白でしょう。
普天間飛行場の固定化を回避する唯一の方法は〈基地の閉鎖と返還〉であり、それこそ沖縄県民が熱望していることです。しかし政府は固定化回避を〈基地の閉鎖と返還〉ではなく「辺野古移設」にすり替え、米軍が思うままに辺野古新基地で24機のオスプレイを運用できるようにする気です。米軍が辺野古は人口密集地の宜野湾市と違い住民が少ないと繰り返し主張してきたことはよく知られています。

 オスプレイ配備の撤回を要求する沖縄県民の闘いは、座り込みなど不屈の非暴力直接行動と自動車の配列による普天間飛行場封鎖に発展し、米軍を震え上がらせました。それゆえ粘り強い果敢な闘いに直面した政府はついに「県民の説得は不可能」と判断しました。持続する怒りの噴出に対し、政府に残る手だては警察力による弾圧と〈カネの力〉しかありません。野田政権にはもはや民主政治にふさわしい道義性はカケラもありません。

野田首相らの念頭にあるのは、今年1月にオバマ米大統領が発表した新「国防戦略」と防衛大綱だけです。ある財界寄り全国紙が「至る所にほころびが目立つ日本外交。どこから手を着けたらよいか悩むほどだ」と慨嘆していますが、それは戦後処理をなおざりにしてきたツケが今、まとめて回ってきたのです。国会議員の離党が相次ぐ野田民主党政権は外交での無能さをさらけ出し、右往左往するばかりです。
 つまるところ、拙劣な失策を重ねて自ら招いた外交破綻を解決する道は中国を強く意識した日米共同軍事態勢の迅速な構築、すなわち〈軍備の強化〉しかないと考え、それを「日米同盟の深化」と称しています。
 神奈川県の相模湾で10月14日に行われた海上自衛隊観艦式での訓示で、野田首相は旧帝国海軍兵学校の「五省」を読み上げ、日露戦争時の日本海海戦で掲げられた「Z旗」同様「一層奮励努力」を持ち出して自衛官らを督励しました。

 野田首相は最近「尖閣防衛にオスプレイは有用」とぶち上げましたが、それを機にオスプレイ沖縄配備推進派メディア、産経・読売などが同趣旨のキャンペーンを繰り広げています。
 その趨勢を端的に示すのが「島嶼防衛」を金看板にした南西諸島への自衛隊配備です。台湾の隣り島、与那国では防衛省が陸上自衛隊と航空自衛隊の基地建設のため、すでに土地の取得にまで踏み出しています。さらに宮古の下地島空港(民間)の軍事利用を虎視眈々と狙い、「尖閣諸島」の領有権をめぐる日中関係の緊張を追い風に石垣島にも陸上自衛隊を送り込もうと画策しています。しかもその動きは陸・海・空3自衛隊の統合運用と米軍との連携を前提としています。
 最近のグアム・テニアンでの米日共同訓練や、来月予定されている渡名喜(となき)村に属する入砂島(いりすなじま、沖縄島から約60キロ西、米軍射爆場)での日米共同統合訓練が中国をにらむ「離島奪還」演習であることは多くのマスメディアが伝えるところです。

 名護市辺野古に米海兵隊新基地を建設する計画と東村高江での米軍ヘリパッド建設、南西諸島への自衛隊配備を阻止し、オスプレイ配備を撤回させ、普天間飛行場の即時閉鎖・返還を実現するため、努力を重ねている全国のみなさんに心から訴えます。
 
なりふりかまわず、まるでかつての「琉球処分」のように沖縄をほしいままに屈服させようとする野田政権と全力を振り絞って闘いましょう。
沖縄の人びとの闘いに呼応し、改めて決意を固めて創意工夫をこらし、「本土」世論への働きかけを強化し、アメリカの「属国政府」を追い詰めようではありませんか。

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