練金術勝手連

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※ 練金術(ねりきんじゅつ)とは『週刊金曜日』練馬読者会的やり方という意味です。

●● テレビ見ざるの記 ● もう一つのメディアリテラシー ●●

2009年07月29日 | みんなの日記
    テレビ見ざるの記                      草場 純

なぜ見ないの?
 私はテレビを全く見ない。この40年間あまり自宅にテレビは存在しない。ラーメン屋などに入ったときも、客がほかにいなくてテレビが点けっぱなしになっているようなときは、 「消してくれ。」 と、言うようにしている。他の客が見ているようなときも、なるべく背を向けている。
 そのような私によく言われるのは、 「なぜ見ないの?」 「話題に困らない?」 「ニュースはどうやって知るの?」 「コマーシャルだって情報ですよ。なくて困りません?」 などの質問である。
 ついでに述べておけば、私は新聞もとっていないし、週刊誌もマンガを立ち読みする以外に読まない。実は「週刊金曜日」だけは、とっているし、音読奉仕もしているので実際読むのだが、なんと週刊金曜日の記者に 「そんな偏った読み方は危険です。」 と、言われてしまった。(笑)
 余談はともかく、上記の疑問にここでまとめて答えていこうと思う。

 まず、「話題に困らないか?」ということに関しては、全く困らない。むしろテレビを全く見ないことが話題になって便利である。また、回りの人の話す、最近の流行だとか、流行語だとかに新鮮な興味を覚えられるという利点がある。巧まずして素朴な疑問を提供できるのがよい。
 そうした視点から流行だとか流行語だとかを見ると、ありきたりの感想で申し訳ないが、流行だとか流行語だとかは、やはり無内容でくだらない。流行がなぜ流行なのかと言えば、実にそれが流行だからでしかない、というのがよく見て取れる。もちろん、はやり始めるきっかけとしては、そうした流行やら流行語やらが、何らかの時代の機微をついているからだろう。しかし一度はやってしまえば、むしろそれは小さいことであり、みんなが持て囃すから自分も遅れずに持て囃そうとするだけのことである。流行しているものが素晴らしいのではなく、単に流行しているという認識が、そのものに虚の光輝を与えているにすぎない。その証拠に、流行が過ぎ去ってしまえば、まるで憑き物が落ちたようにその物は色褪せてしまう。

 テレビは実にそうした小時代の「空気」を作るのに能率的・機能的な装置であり、人々を流行の空気に包み込む機械である。そうした空気なり光輝なりを取り去ってみれば、そうしたものがいかに矮小で馬鹿馬鹿しいかはよく分かるのだが、こうした単純な事実もテレビを見ている人にはきっとわからないのだろう。それともうすうす気づいているのだろうか。

覗き見させる素晴らしい装置
 同じような水準で、ニュースも語ることができる。
 ニュースは報道機関を通じて一刻一秒を争って報ぜられるが、本来そのような必要があるようには思えない。私は具体的にテレビのニュースを見ないで困ったことは、全くない。尤もこれは私が営業だとか金融だとかの仕事に従事したことがない故であって、この点は割り引いて論ずる必要があるかも知れない。
 どちらにしろ、北で子供が親を殺し、南で親が子を殺しても、そんなことを知る必要があるとは、私には全く思われない。週刊誌も含めて、「他人の不幸は蜜の味」だから注目し、「事実は小説より猟奇である」から貪り見、それが分かっているから扇情的に「報道」するのであろう。
 ただし、私は現在テレビを全く見ないので、今述べたことは単なる想像である。いくらなんでもそんな下賎なことは、今はしていないかも知れないが、私には分からない。
 ともあれ、テレビは送り手が恣意的に切り取った画像を、受けての都合も考えずに送り込んでくるものである。こんなものは見ないに越したことはない。

 実は、私も遠い昔にはテレビに耽溺していた時代がある。
 私はテレビ登場以前の文化も、高度成長と軌を一にして白黒テレビが地域や家庭に侵入してくる過程もつぶさに見た。今上天皇のいわゆる「御成婚」のろぼを、家族揃って茶の間で見た世代である。
実際に、中学校三年の3月までは、私も毎日四時間ぐらいはテレビを見ていた。しかし、全寮制高校入学と同時にテレビのない世界に移行し、それ以来見ない生活が定着してしまって現在に至るのである。
 それ以前の記憶だが、ニュース映像で次のような場面があったのをよく覚えている。
 細かな状況こそ忘れてしまったが、事件で子供をなくした母親が涙にくれる映像であった。アナウンサーは感想を求めてマイクを突きつけるが、全く言葉にはならない。ただハラハラと涙を流すだけであり、私は顔をそむけたくなった。ところがテレビの映像はその母親の顔を更にアップにするのである。
 こういうときは、目をそらすのが礼儀というものではなかったのか。より近づいて覗き込んだりするのは、無礼であり、非道であり、残酷ではないのだろうか。ただ、私はそのとき画面から目をそらさなかった。なぜなら、彼女の泣き顔を覗き込んでいるのは、私ではなくテレビカメラだからである。この構造に気づいた私は慄然とした。見る者は画面の後ろの、写されている者からは見えない地点にいて、これニュースである、テレビ報道であるというエクスキューズをしつつ、恥も感ずることなく覗き見ているのである。テレビとは、実にそのような装置であったのだ。
 そうだ。テレビは見る者に恥も遠慮も品性も要求せずに、他人の不幸なり不祥事なりをこれでもかこれでもかと覗き見させる、素晴らしい装置なのである。したり顔で、深刻ぶって「報道」してはいるが、貪欲に面白いもの、恥ずかしいもの、悲惨なものに喰らいつくのも、広範な国民の「支持」をその背後に感じているからに違いない。視聴者は、あるいは同情し、あるいは悲憤慷慨し、あるいはご高説を垂れながら、それを貪っているのである。

カップ麺を食べる?シュワルツネッガー
 最後にコマーシャルに関して述べよう。
 前述したように私はテレビを見ないのだが、ラーメン屋などでたまたま目に入ることがある。そのようなときに時々ビックリするようなコマーシャルを見かけることがある。
 何年も前に驚かされたのは、アーノルド・シュワルツネッガーがカップ麺の宣伝をしているコマーシャルだ。これだけ書いても私は噴出しそうになるのだが、そういう人は私だけらしい。
 シュワルツネッガーは、筋骨隆々のいわゆるマッチョな大男である。その体躯を作り上げるためには、弛まぬ鍛錬と蛋白質・ミネラルなどを主体とした栄養あふれる食餌管理が必須なのであろう。その彼が、ぶっとい腕でガッシとカップを掴み、薬缶でお湯を注いで、なんとカップ麺を食べるのである。この漫画のような構図に、私は思わず笑ってしまったが、周りの誰もその可笑しさに気づかない風なのに、二重に驚いてしまった。私はこのコマーシャルはてっきりギャグだと思ったのだが、どうもそうではないらしい。
 もちろんシュワルツネッガーは、ギャラを貰ってやったのだろうが、おそらく普段食べたこともないようなカップ麺を美味そうに食べる彼を、金を貰えば何でもやるという意味で見上げたプロ根性の持ち主と、私は感心してしまった。

 もっと驚いたのは、ドッグフードのコマーシャルである。
 ラーメン屋のテレビに、アフリカの飢餓の映像が流れた。腹ばかりが膨れた、手足の棒のように痩せた子供たちの映像は、衝撃的であった。しかしもっと衝撃的なのは、そのあとにドッグフードのコマーシャルが流れたことだ。毛並みのよい、よく肥えたワンちゃんが、美味しそうに、そしてもりもりとドッグフードを食べるのである。私は思わず、 「こりゃあないだろう。」 と言ってしまった。そうしたら一緒に見ていた同行者が、 「何が?」 と言ったので、私は三重に衝撃を受けた。

 私は変人なのだろうか。とすると、テレビを見ることで常人になれるのかも知れない。 けれども、私はどうしても変人でありたい。

★健康診断??? ★ 拡大読者会へどうぞ

2009年07月15日 | 読者会定例会
『週金』練馬読者会6月例会では、久しぶりに参加された方から全国で行われている集団検診に関する貴重な問題提起を伺うことができました。
 まず、各市町村や職場などで行なわれている集団検診は癌などの早期発見にほとんど効果はないという話。具体的な事例では、集団検診の後に癌が発見され結局亡くなった村民が相次いだことから集団検診そのものを止めた村さえあるとのこと。レントゲン検査などで使われているX線は、発癌性が高く、早期発見の可能性を考えても、X線を浴びることで癌を発症してしまう危険性も同時にあること、また(社)日本放射線技師会が4年前から始めた「医療被ばく低減施設の認定事業」は画期的な取組みだが、認定病院は2008年度現在、全国で11しかないこと。以上のような事実は一般にはあまり識られておらず、X線検査で放射線を浴びる人間ドックはむやみに受けない方が賢明だという。
 以上の話のあまりの恐ろしさに、その場にいた者は、皆言葉を失ってしまった。また、筆者(kdak)も、病院等での検査を盲信してはいけないと改めて思ったものだった。
 次回の読者会は7月25日(土)、6:30から近藤宅(寂静庵)にて恒例の“拡大読者会”です。
(kdak)
練馬読者会
  09年夏の拡大読者会

  会  費:3500円(飲み物持参)
  時  間:7月25日(土) 18時半から24時
  参  加:03-3925-6039 近藤まで
  申し込み:23日まで(気軽に問い合わせください)
  会  場:寂静庵 http://www.interq.or.jp/tokyo/jakujoan/ 
           (地図は《予約》をクリック)

★★ 明日は都議選 ★ 投票しなくちゃはじまらない ★★

2009年07月11日 | 壊憲STOP勝手連
明日の東京都議会議員選挙投票日に投票することは

  “市民の権利”なのか
  “都民の義務”なのか?


“政権交代ブーム”はそれとして
 定数6のところに民主3人、議席のなかった社民1人を含む11人が選挙バトルを展開してきた練 馬区は激戦区中の激戦区。激戦区は劇撰区、もしかして自分の1票が何かを変える。

投票率が低いことを望んでるのは、組織政党・宗教政党、与党系…といわれちょる。
 だけど、明日の天気は絶好の投票日和。
  しないで後からグダグダいうのはみっともない!
   とにかく投票!さそってさそって投票所!


首都東京。今の時代、争点は? 投票基準は?

  
 《石原銀行》
 
 《石原オリンピック》

 《石原卸売市場》

 《教育の石原化》

 《石原ダム》
  ※ 参考:『週金』7月3日(757)号 隠された“本当の争点”

(在日日本人)