おいらのとこにも『週金』(週刊金曜日)今週号(8.29号)が来た。
特集は「嫌韓・民族差別と歴史修正主義=ヘイトの深層」だ。
はたして、深層へ分け入ってどこまでヘイトの「真相」にせまってれれるか、読み応えはありそう。
(8.29号もくじ)
最近ちまたでは、じぶんの国の過去・現在のありようを客観視…または批判的、自省的に見る考え方に対し《反日左翼》ちうレッテルを張るのが、ちまちまと流行っているようで、じつに不思議な感じがしていた。
たぶん、不思議に感じるのはおいらだけではないのだろう?…ネ。
人生にたとえるとたとえ未来へ一歩踏み出すためだっても、気に入らない過去の自分を清算するのはつらいことだネ…。立ちもどってみること自体しんどい。
ましてや、よりどころとすべきじぶんの国が、かつてアジアの国を侵略し過酷な植民地支配をしてたなんて信じられない、信じたくないかも…。
だからって…日の丸振ってりゃ済む問題でもない。
だからって、気に入らない部分はなかった、気に入るように経歴を書き換えるちうのも、ちがうよ…ネ。
そうゆーこと、自分のことをじぶんだけの日記に書いた自分史で自己満足ちうならアリエールかも(自己正当化)…。
だけど、世界から見られてる「国の歴史」でそれはあり得~ないこと。
侵略と植民地支配の過去にキチッと向き合い、負の歴史を清算したうえで近所とイイ関係を創る…。それはニポン人として、いつかは乗り越えなければならない試練なのだ。
そんなとき、やれ自虐だ、自虐史観だって吠えてみたってはじまらない。まして、あたりかまわずの《反日》呼ばわりエスカレートは危うい。それこそ、国の未来を危うくするちう意味で《反日右翼》的自慰行為?な~んて、おいらは考えてしまう。
横行するヘイトスピーチと安倍内閣の容認姿勢に対して諸外国、諸国民からの、それは厳しい評価があることは知ってるよネ。
(今週号参照、さらに参考:のりこえねっと)
それに答えを出さなければならない与党・自民党は、官邸前や国会まわりで日夜くりひろげられてる直接抗議、もっと拡大するかもしれない“国民”の声の可視化(国民主権)
の動きを規制したがっている。
( 東京新聞:自民、国会デモ規制検討 政権批判封じの疑念 )
ホントおかしいヨ。
自分で、歴史を学ぶことがなにより大切。
それは、安倍ちゃんの暴君ぶりが極まってる、今でしょ !!! 。
ところで、『週金』今週号巻頭コラムの「風速計」で佐高編集委員は、《右でも左でもある立場》という題で、姜尚中や大学教授を引き合いにして、「~編集委員だった筑紫哲也について私は今度、『不敵のジャーナリスト 筑紫哲也の流儀と思想』(集英社新書)を出した。特に安倍晋三に嫌われた筑紫には、3つのこだわりがあった。『少数派の立場に立ち続けたこと』『沖縄への思い入れを持ち続けたこと』そして『護憲の立場を崩さなったこと』である。」と書いているネ。
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