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参考★安倍内閣の歴史解釈を問題にする欧米研究者等による日本の歴史家を支持する声明

2015年05月12日 | 参考資料
日本の歴史家を支持する声明

 下記に署名した日本研究者は、日本の多くの勇気ある歴史家が、アジアでの第2次世界大戦に対する正確で公正な歴史を求めていることに対し、心からの賛意を表明するものであります。私たちの多くにとって、日本は研究の対象であるのみならず、第二の故郷でもあります。この声明は、日本と東アジアの歴史をいかに研究し、いかに記憶していくべきなのかについて、われわれが共有する関心から発せられたものです。

 また、この声明は戦後70年という重要な記念の年にあたり、日本とその隣国のあいだに70年間守られてきた平和を祝うためのものでもあります。戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、警察権の節度ある運用と、政治的な寛容さは、日本が科学に貢献し他国に寛大な援助を行ってきたことと合わせ、全てが世界の祝福に値するものです。

 しかし、これらの成果が世界から祝福を受けるにあたっては、障害となるものがあることを認めざるをえません。それは歴史解釈の問題であります。その中でも、争いごとの原因となっている最も深刻な問題のひとつに、いわゆる「慰安婦」制度の問題があります。この問題は、日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました。そのために、政治家やジャーナリストのみならず、多くの研究者もまた、歴史学的な考察の究極の目的であるべき、人間と社会を支える基本的な条件を理解し、その向上にたえず努めるということを見失ってしまっているかのようです。

 元「慰安婦」の被害者としての苦しみがその国の民族主義的な目的のために利用されるとすれば、それは問題の国際的解決をより難しくするのみならず、被害者自身の尊厳をさらに侮辱することにもなります。しかし、同時に、彼女たちの身に起こったことを否定したり、過小なものとして無視したりすることも、また受け入れることはできません。20世紀に繰り広げられた数々の戦時における性的暴力と軍隊にまつわる売春のなかでも、「慰安婦」制度はその規模の大きさと、軍隊による組織的な管理が行われたという点において、そして日本の植民地と占領地から、貧しく弱い立場にいた若い女性を搾取したという点において、特筆すべきものであります。

 「正しい歴史」への簡単な道はありません。日本帝国の軍関係資料のかなりの部分は破棄されましたし、各地から女性を調達した業者の行動はそもそも記録されていなかったかもしれません。しかし、女性の移送と「慰安所」の管理に対する日本軍の関与を明らかにする資料は歴史家によって相当発掘されていますし、被害者の証言にも重要な証拠が含まれています。確かに彼女たちの証言はさまざまで、記憶もそれ自体は一貫性をもっていません。しかしその証言は全体として心に訴えるものであり、また元兵士その他の証言だけでなく、公的資料によっても裏付けられています。

 「慰安婦」の正確な数について、歴史家の意見は分かれていますが、恐らく、永久に正確な数字が確定されることはないでしょう。確かに、信用できる被害者数を見積もることも重要です。しかし、最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません。

 歴史家の中には、日本軍が直接関与していた度合いについて、女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかという問題について、異論を唱える方もいます。しかし、大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです。特定の用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねることや、被害者の証言に反論するためにきわめて限定された資料にこだわることは、被害者が被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを搾取した非人道的制度を取り巻く、より広い文脈を無視することにほかなりません。

 日本の研究者・同僚と同じように、私たちも過去のすべての痕跡を慎重に天秤に掛けて、歴史的文脈の中でそれに評価を下すことのみが、公正な歴史を生むと信じています。この種の作業は、民族やジェンダーによる偏見に染められてはならず、政府による操作や検閲、そして個人的脅迫からも自由でなければなりません。私たちは歴史研究の自由を守ります。そして、すべての国の政府がそれを尊重するよう呼びかけます。

 多くの国にとって、過去の不正義を認めるのは、いまだに難しいことです。第2次世界大戦中に抑留されたアメリカの日系人に対して、アメリカ合衆国政府が賠償を実行するまでに40年以上がかかりました。アフリカ系アメリカ人への平等が奴隷制廃止によって約束されたにもかかわらず、それが実際の法律に反映されるまでには、さらに1世紀を待たねばなりませんでした。人種差別の問題は今もアメリカ社会に深く巣くっています。米国、ヨーロッパ諸国、日本を含めた、19・20世紀の帝国列強の中で、帝国にまつわる人種差別、植民地主義と戦争、そしてそれらが世界中の無数の市民に与えた苦しみに対して、十分に取り組んだといえる国は、まだどこにもありません。

 今日の日本は、最も弱い立場の人を含め、あらゆる個人の命と権利を価値あるものとして認めています。今の日本政府にとって、海外であれ国内であれ、第2次世界大戦中の「慰安所」のように、制度として女性を搾取するようなことは、許容されるはずがないでしょう。その当時においてさえ、政府の役人の中には、倫理的な理由からこれに抗議した人がいたことも事実です。しかし、戦時体制のもとにあって、個人は国のために絶対的な犠牲を捧げることが要求され、他のアジア諸国民のみならず日本人自身も多大な苦しみを被りました。だれも二度とそのような状況を経験するべきではありません。

 今年は、日本政府が言葉と行動において、過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会です。4月のアメリカ議会演説において、安倍首相は、人権という普遍的価値、人間の安全保障の重要性、そして他国に与えた苦しみを直視する必要性について話しました。私たちはこうした気持ちを賞賛し、その一つ一つに基づいて大胆に行動することを首相に期待してやみません。

 過去の過ちを認めるプロセスは民主主義社会を強化し、国と国のあいだの協力関係を養います。「慰安婦」問題の中核には女性の権利と尊厳があり、その解決は日本、東アジア、そして世界における男女同権に向けた歴史的な一歩となることでしょう。

 私たちの教室では、日本、韓国、中国他の国からの学生が、この難しい問題について、互いに敬意を払いながら誠実に話し合っています。彼らの世代は、私たちが残す過去の記録と歩むほかないよう運命づけられています。性暴力と人身売買のない世界を彼らが築き上げるために、そしてアジアにおける平和と友好を進めるために、過去の過ちについて可能な限り全体的で、でき得る限り偏見なき清算を、この時代の成果として共に残そうではありませんか。

署名者一覧(名字アルファベット順)

ダニエル・オードリッジ(パデュー大学教授)
ジェフリー・アレクサンダー(ウィスコンシン大学パークサイド校准教授)
アン・アリソン(デューク大学教授)
マーニー・アンダーソン(スミス大学准教授)
E・テイラー・アトキンズ(北イリノイ大学教授)
ポール・バークレー(ラファエット大学准教授)
ジャン・バーズレイ(ノースカロライナ大学チャペルヒル校准教授)
ジェームズ・R・バーソロミュー(オハイオ州立大学教授)
ブレット・ド・バリー(コーネル大学教授)
マイケル・バスケット(カンザス大学准教授)
アラン・バウムラー(ペンシルバニア・インディアナ大学教授)
アレキサンダー・ベイ(チャップマン大学准教授)
テオドル・ベスター(ハーバード大学教授)
ビクトリア・ベスター(北米日本研究資料調整協議会専務理事)
ダビンダー・ボーミック(ワシントン大学准教授)
ハーバート・ビックス(ニューヨーク州立大学ビンガムトン校名誉教授)
ダニエル・ボツマン(イェール大学教授)
マイケル・ボーダッシュ(シカゴ大学教授)
トマス・バークマン(ニューヨーク州立大学バッファロー校名誉教授)
スーザン・L・バーンズ(シカゴ大学准教授)
エリック・カズディン(トロント大学教授)
パークス・コブル(ネブラスカ大学リンカーン校教授)
ハルコ・タヤ・クック(ウイリアム・パターソン大学講師)
セオドア・クック(ウイリアム・パターソン大学教授)
ブルース・カミングス(シカゴ大学教授)
カタルジナ・シュエルトカ(ライデン大学教授)
チャロ・ディエチェベリー(ウィスコンシン大学マディソン校准教授)
エリック・ディンモア(ハンプデン・シドニー大学准教授)
ルシア・ドルセ(ロンドン大学准教授)
ロナルド・P・ドーア(ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス名誉フェロー)
ジョン・W・ダワー(マサチューセッツ工科大学名誉教授)
マーク・ドリスコル(ノースカロライナ大学チャペルヒル校教授)
プラセンジット・ドアラ(シンガポール国立大学教授)
アレクシス・ダデン(コネチカット大学教授)
マーティン・デューゼンベリ(チューリッヒ大学教授)
ピーター・ドウス(スタンフォード大学名誉教授)
スティーブ・エリクソン(ダートマス大学准教授)
エリサ・フェイソン(オクラホマ大学准教授)
ノーマ・フィールド(シカゴ大学名誉教授)
マイルズ・フレッチャー(ノースカロライナ大学チャペルヒル校教授)
ペトリス・フラワーズ(ハワイ大学准教授)
ジョシュア・A・フォーゲル(ヨーク大学教授)
セーラ・フレドリック(ボストン大学准教授)
デニス・フロスト(カラマズー大学准教授)
サビーネ・フリューシュトゥック(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)
ジェームス・フジイ(カリフォルニア大学アーバイン校准教授)
タカシ・フジタニ(トロント大学教授)
シェルドン・M・ガロン(プリンストン大学教授)
ティモシー・S・ジョージ(ロードアイランド大学教授)
クリストファー・ガータイス(ロンドン大学准教授)
キャロル・グラック(コロンビア大学教授)
アンドルー・ゴードン(ハーバード大学教授)
ヘレン・ハーデーカー(ハーバード大学教授)
ハリー・ハルトゥニアン(ニューヨーク大学名誉教授)
長谷川毅(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)
橋本明子(ピッツバーグ大学教授)
サリー・ヘイスティングズ(パデュー大学准教授)
トム・ヘイブンズ(ノースイースタン大学教授)
早尾健二(ボストンカレッジ准教授)
ローラ・ハイン(ノースウェスタン大学教授)
ロバート・ヘリヤー(ウェイクフォレスト大学准教授)
マンフレッド・ヘニングソン(ハワイ大学マノア校教授)
クリストファー・ヒル(ミシガン大学助教授)
平野克弥(カリフォルニア大学ロサンゼルス校准教授)
デビッド・ハウエル(ハーバード大学教授)
ダグラス・ハウランド(ウィスコンシン大学ミルウォーキー校教授)
ジェムス・ハフマン(ウイッテンバーグ大学名誉教授)
ジャネット・ハンター(ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス教授)
入江昭(ハーバード大学名誉教授)
レベッカ・ジェニスン(京都精華大学教授)
ウィリアム・ジョンストン(ウェズリアン大学教授)
ジャン・ユンカーマン(ドキュメンタリー映画監督)
イクミ・カミニシ(タフツ大学准教授)
ケン・カワシマ(トロント大学准教授)
ウィリアム・W・ケリー(イェール大学教授)
ジェームス・ケテラー(シカゴ大学教授)
ケラー・キンブロー(コロラド大学ボルダー校准教授)
ミリアム・キングスバーグ(コロラド大学助教授)
ジェフ・キングストン(テンプル大学ジャパン教授)
ヴィキター・コシュマン(コーネル大学教授)
エミ・コヤマ(独立研究者)
エリス・クラウス(カリフォルニア大学サンディエゴ校名誉教授)
ヨーゼフ・クライナー(ボン大学名誉教授)
栗山茂久(ハーバード大学教授)
ピーター・カズニック(アメリカン大学教授)
トーマス・ラマール(マギル大学教授)
アンドルー・レビディス(ハーバード大学研究員)
イルセ・レンツ(ルール大学ボーフム名誉教授)
マーク・リンシカム(ホーリークロス大学准教授)
セップ・リンハルト(ウィーン大学名誉教授)
ユキオ・リピット(ハーバード大学教授)
アンガス・ロッキャー(ロンドン大学准教授)
スーザン・オルペット・ロング(ジョンキャロル大学教授)
ディビッド・ルーリー(コロンビア大学准教授)
ヴェラ・マッキー(ウーロンゴン大学教授)
ウォルフラム・マンツェンライター(ウィーン大学教授)
ウィリアム・マロッティ(カリフォルニア大学ロサンゼルス校准教授)
松阪慶久(ウェルズリー大学教授)
トレント・マクシー(アマースト大学准教授)
ジェームス・L・マクレーン(ブラウン大学教授)
ガビン・マコーマック(オーストラリア国立大学名誉教授)
メリッサ・マコーミック(ハーバード大学教授)
デイビッド・マクニール(上智大学講師、ジャーナリスト)
マーク・メッツラー(テキサス大学オースティン校教授)
イアン・J・ミラー(ハーバード大学教授)
ローラ・ミラー(ミズーリ大学セントルイス校教授)
ジャニス・ミムラ(ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校准教授)
リチャード・マイニア(マサチューセッツ州立大学名誉教授)
中村美理(ウェズリアン大学准教授)
ユキ・ミヤモト(デポール大学准教授)
バーバラ・モロニー(サンタクララ大学教授)
文有美(スタンフォード大学准教授)
アーロン・ムーア(マンチェスター大学准教授)
テッサ・モーリス=スズキ(オーストラリア国立大学教授)
オーレリア・ジョージ・マルガン(ニューサウスウェールズ大学教授)
リチャード・タガート・マーフィー(筑波大学教授)
テツオ・ナジタ(シカゴ大学名誉教授)
ジョン・ネイスン(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)
クリストファー・ネルソン(ノースカロライナ大学チャペルヒル校准教授)
サトコ・オカ・ノリマツ(『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』エディター)
マーク・ノーネス(ミシガン大学教授)
デビッド・桃原・オバミラー(グスタフ・アドルフ大学准教授)
尾竹永子(ウエズリアン大学特別講師、アーティスト)
サイモン・パートナー(デューク大学教授)
T・J・ペンペル(カリフォルニア大学バークレー校教授)
マシュー・ペニー(コンコルディア大学准教授)
サミュエル・ペリー(ブラウン大学准教授)
キャサリン・フィップス(メンフィス大学准教授)
レスリー・ピンカス(ミシガン大学准教授)
モーガン・ピテルカ(ノースカロライナ大学チャペルヒル校准教授)
ジャネット・プール(トロント大学准教授)
ロジャー・パルバース(作家・翻訳家)
スティーブ・ラブソン(ブラウン大学名誉教授)
ファビオ・ランベッリ(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)
マーク・ラビナ(エモリー大学教授)
シュテフィ・リヒター(ライプチヒ大学教授)
ルーク・ロバーツ(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)
ジェニファー・ロバートソン(ミシガン大学教授)
ジェイ・ルービン(ハーバード大学名誉教授)
ケネス・ルオフ(ポートランド州立大学教授)
ジョルダン・サンド(ジョージタウン大学教授)
ウエスリー・佐々木・植村(ユタ州立大学准教授)
エレン・シャッツナイダー(ブランダイス大学准教授)
アンドレ・シュミット(トロント大学准教授)
アマンダ・C・シーマン(マサチューセッツ州立大学アマースト校准教授)
イーサン・セーガル(ミシガン州立大学准教授)
ブォルフガング・ザイフェルト(ハイデルベルク大学名誉教授)
マーク・セルデン(コーネル大学上級研究員)
フランツイスカ・セラフイン(ボストンカレッジ准教授)
さゆり・ガスリー・清水(ライス大学教授)
英子・丸子・シナワ(ウィリアムス大学准教授)
パトリシア・スイッペル(東洋英和女学院大学教授)
リチャード・スミスハースト(ピッツバーグ大学名誉教授)
ケリー・スミス(ブラウン大学准教授)
ダニエル・スナイダー(スタンフォード大学アジア太平洋研究センター副所長)
M・ウイリアム・スティール(国際基督教大学教授)
ブリギッテ・シテーガ(ケンブリッジ大学准教授)
ステファン・タナカ(カリフォルニア大学サンディエゴ校教授)
アラン・タンスマン(カリフォルニア大学バークレー校教授)
セーラ・タール(ウィスコンシン大学マディソン校准教授)
マイケル・ティース(カリフォルニア大学ロサンゼルス校准教授)
マーク・ティルトン(パデュー大学准教授)
ジュリア・トマス(ノートルダム大学准教授)
ジョン・W・トリート(イェール大学名誉教授)
ヒトミ・トノムラ(ミシガン大学教授)
内田じゅん(スタンフォード大学准教授)
J・キース・ヴィンセント(ボストン大学准教授)
スティーブン・ブラストス(アイオワ大学教授)
エズラ・ヴォーゲル(ハーバード大学名誉教授)
クラウス・フォルマー(ミュンヘン大学教授)
アン・ウォルソール(カリフォルニア大学アーバイン校名誉教授)
マックス・ウォード(ミドルベリー大学助教授)
ローリー・ワット(ワシントン大学(セントルイス)準教授)
ジェニファー・ワイゼンフェルド(デューク大学教授)
マイケル・ワート(マルケット大学准教授)
カレン・ウイゲン(スタンフォード大学教授)
山口智美(モンタナ州立大学准教授)
山下サムエル秀雄(ポモナ大学教授)
ダーチン・ヤン(ジョージ・ワシントン大学准教授)
クリスティン・ヤノ(ハワイ州立大学マノア校教授)
マーシャ・ヨネモト(コロラド大学ボルダー校准教授)
米山リサ(トロント大学教授)
セオドア・ジュン・ユウ(ハワイ大学准教授)
吉田俊(西ミシガン大学教授)
ルイーズ・ヤング(ウィスコンシン大学マディソン校教授)
イヴ・ジマーマン(ウェルズリー大学准教授)
ラインハルト・ツェルナー(ボン大学教授)

この声明は、2015年3月、シカゴで開催されたアジア研究協会(AAS)定期年次大会のなかの公開フォーラムと、その後にメール会議の形で行われた日本研究者コミュニティ内の広範な議論によって生まれたものです。ここに表明されている意見は、いかなる組織や機関を代表したものではなく、署名した個々の研究者の総意にすぎません。


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参考資料★表現の自由と「エンキャンプメントの自由」

2015年02月22日 | 参考資料
【脱原発経産省テント裁判資料】たんぽぽ舎メルマガより

     いわゆる「経産省前テントひろば」に関する憲法学的意見書
            -表現の自由と「エンキャンプメントの自由」

                                   2015年2月19日
            
東京地方裁判所民事第37部  御中

                         内藤光博(専修大学法学部教授・憲法学)            
1.序 論 

 東日本大震災・福島原発事故発生から半年後の2011年9月11日、経済産業省(以下、「経産省」とする)の北側角の敷地内に、実際に福島原発事故で避難を余儀なくされた被災者、いまだに原発事故による放射能汚染に晒されている福島の人々、さらには原発再稼働に反対する一般市民ら(以下、「市民団体」とする)が、政府に対する反原発・脱原発の意思表示と脱原発への政策転換の請願を目的として、テントを設営し、表現・集会活動を開始した(以下、当該テント設営および居住地を「テントひろば」とする)。
 これに対し経産省側は、2013年3月29日に、テントの撤去と「テントひろば」の明渡しを求める訴えを東京地裁に起こした。同年4月25日には、経産省の敷地を不法に占拠し経産省の所有権を侵害したとして、これまでの土地使用料として約1140万円と、敷地明渡しまで一日あたり約2万2000円の土地使用料の支払いを追加請求した。
 他方、市民団体側は、「経産省前テントは、2011年3月11日の福島原発事故を受けて、原発政策を推進した経産省と霞が関に対する闘いの砦として建てられたものであり、それは脱・反原発運動の一つ象徴として、今日では絶対に必要なものとなっている」「国が原発推進の政策を変えるまで、テントをたたむつもりはない」「飽くまで原発政策の是非を問う、大衆的・市民的な運動として、ねばり強く、幅広く闘っていく」としている。
 本意見書では、「テントひろば」における市民団体による「テントで設営および居住(エンキャンプメント )」とそこでの意見表明・請願活動を、一時的に公開の空間(パブリック・フォーラム)を利用した「集会活動」の一類型と見た上で、憲法21条1項の「集会の自由」の保障を受けるものであるのか否か、また「集会の自由」による保障を受けるとした場合、経産省による本件提訴は、市民団体の「集会の自由」を違法に制約するものであるのか否かについて、憲法学的視点から検討した。

2.「集会の自由」および「エンキャンプメント(テント設営および居住)の自由」
  
1.「集会の自由」の意義と内容
 憲法21条1項は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と規定し、「集会の自由」を表現の自由の一形態として保障している。
 第1に、集会とは、「多数人が政治・経済・学問・芸術・宗教などの問題に関する共通の目的をもって一定の場所に集まること 」をいう。集会を行うためには、一定の空間(場所)を必要とするが、それは公園、広場、公開空地など屋外の公共施設から公会堂など屋内の公共施設を含む。また集団示威運動が「動く公共集会 」とされ、集会の自由に含まれると解されていることから、道路もその本来の利用目的の一つとして集会および意見表明のための施設として位置づけることができる。
 第2に、表現の自由の一形態としての「集会の自由」とは、単に「多数人が共通の目的をもって集合する自由」のことをさすのではなく、「集団としての意思形成やその意思を実現するため集団としての行動をとることがその自由の内容となっている 」といえる。したがって、「集会の自由」で保障されるべき内容をより厳密にいうと、「目的、時間、方法のいかんをとわず、集会の開催、集会への参加、集会における集団の意思形成とその表明、さらにはそれへの実現行為などを公権力が妨げてはならない」こと、つまり「公共施設の管理者たる公権力に対し、集会をもとうとする者は、公共施設の利用を要求できる権利を有する」ものとされている 。
 言い換えれば、「集会の自由」が保障されるためには、集会の開催・参加・意見形成と表明に対する公権力による規制はもとより、集会の「実現行為」をも公権力により妨げられてはならないものとされているのである。
 第3に、こうした目的を持つ「集会の自由」の意義としては、以下の点が重要であることが指摘されている 。
 まず挙げられるのは、巨大な資金力を持つマス・メディアによる言論市場の支配的独占状態により阻害されている「一般市民」の意見表明権の保障という点ある。こうしたもっぱら情報の「送り手」であるマス・メディアの言論市場の支配状況もとで、もっぱら情報の「受け手」に置かれ、資金力をもたず有効な意見表明手段を持たない一般市民が、とりわけ政治・経済・社会問題について、自らの意見を国家や市民社会に向けて表明し、異議申立てを行う方法として、「集会の自由」や「集団行動(デモ行進など集団示威運動)の自由」の保障が位置づけられる。
 もう一つの意義としては、現代の議会政治における少数派の意見表明権の保障という点ある。現代の政治民主のもとにあっては、政治的少数者は、国の政策決定に参加する機会がしばしば閉ざされがちである。彼らにとっては、集会(あるいは結社)という集団を形成し、意見形成を行い、連帯して政府(公権力)に対して批判や自らの意見表明を行わざるをえないことになる。「政府や社会の支配体制に対する少数派による批判を保障することは、民主制の維持・発展のための基本要請であり、また少数派個人の権利や利益を保障するという人権の基本原理から生ずる要請でもある」といえる。
 第4に、「集会の自由」は、「多数者が集合する場所を前提とする表現活動であり、行動をともなうこともあるので、他者との利益と矛盾・衝突する可能性が高いので、それを調節するためには必要最小限の規制を受けることもやむを得ない 」といえる。

2.「集会の自由の実現行為」としての「エンキャンプメント(テント設営および居住)の自由」  
 前述のように、「集会の自由」の目的が「集団としての意思形成」と「その意思を実現するため集団としての行動をとること」にあり、「目的、時間、方法のいかんをとわず、集会の開催、集会への参加、集会における集団の意思形成とその表明、さらにはそれへの実現行為」を保障することを内容とする自由であるとすれば、集団の意思形成とその表明を行うための「実現行為」の保障が最も重要な要素となる。
 その「実現行為」の保障には、政府が、集会を主催者たちに「すべての人々に開かれた集会の場」の提供の保障を前提とし、彼らの主張する多様な意見、政府に対する批判的見解や要求を最も効果的に政府や社会に対し表明できる方法や手段を保障する必要がある。その方法は、平和的な方法であることを前提として、集団行進や示威運動をはじめ、多種多様な形態が考えられる。
 本件「テントひろば事件」における「テントの設営および居住」、すなわち「エンキャンプメント(encampment)」も、集会を行うための「実現行為」として効果的な方法と考えられる。すなわち、誰もがアクセスできる「公開の空間」に簡易テントをはり、そのテントを利用して寝泊まりしながら、自らの意見表明を常時行い、またテントを利用して定期的に集会を開くことにより、「恒常的・持続的な集会」を可能にし、さらには「公開の討議の場の創設」を導くことから、マス・メディアのように充分な資金力をもたない一般市民によるきわめて簡便かつ効果的なコミュニケーション活動と評価できる。
 そしてこうした「テント設営および居住」は、「集会の自由の実現行為」の有効なる方法であるが故に、憲法21条1項が保障する「集会の自由」の一類型として、「エンキャンプメント(テント設営および居住)の自由」と命名されるべき表現権として保障されるべきである。
 言い換えれば、「エンキャンプメントの自由」は、一般市民が、誤った政策を強行する政府に対して、その政策の修正変更を求めて、その意思を伝えるために緊急かつ一時的に居住する権利である。その具体的行使にあたっては、�長期・短期を問わずに持続的に、公共的な空間を平和的に占拠して居住すること、�複数の人間による討議空間を確保することによって、思想的、政策的な表現の自由を行使しつつ、事実上の請願権を直接的に行使することを、その特徴としている。

3.「人間に値する生存」の確保のための「やむにやまれぬ意思表示・請願行動」
 2011年3月11日の東日本大震災とそれにともなう原発事故は、現在および将来にわたる甚大な被害をもたらした。
 原発事故にともなう放射能汚染により、多くの市民は長期的に避難を余儀なくされ、故郷を離れて避難所暮らしを強いられている。これにより、避難民は、家や財産の喪失、失職、家族の離散、自治体や隣近所などのコミュニティの崩壊をもたらした。さらには、放射能汚染は、住民に、とりわけ子どもたちに現在から将来にわたる放射能被曝による健康被害をもたらす危険性をはらんでいる。すなわち、原発事故は、文字通り人々から「生存の基盤」を奪い去るものであり、「人間に値する生存」の基礎を大きく突き崩すものである。
 このように考えると、「エンキャンプメント」による反原発・脱原発への政策転換の主張と政府への直接請願行為は、「人間に値する生存」を確保するための主権者国民による「やむにやまれぬ直接行動」であると理解される。
 さらに、こうした「エンキャンプメント」による継続的な表現・請願活動が、原発政策の直接の推進者であった経産省前で行われることは、反原発・脱原発の意見表明と請願を行うあたり、政府および市民社会に大きなアピールを行うという効果を持つ象徴的表現行為ということができる。
 このように本件の「エンキャンプメント活動」が、「人間に値する生存」を確保するための「やむにやまれぬ直接的表現・請願行動」であるという点を考慮した場合、憲法21条1項の保障する表現の自由の保障のより強い保障がなされるべきものと言わなければならない。なぜならば、基本的人権および権利の行使および人権侵害の被害回復は、それを強く主張して初めて実現するものであり、ましてや「人間に値する生存」の確保を求める意見表明と請願は、まさに人権保障の根幹にある「個人の尊重(尊厳)」に直接的に関わる問題であるからである。

3.「パブリック・フォーラム」としての経産省前「テントひろば」

1.アメリカにおける「パブリック・フォーラム」の法理
 表現活動やその一類型である集会には、それを行うための手段(言論・出版・多種多様な表現手段、また集会や集団示威運動なども手段ではあるが)や物理的空間(場所)が必要となる。表現の自由が保障されるためには、それを行うための空間、すなわち誰もがアクセスすることのできる「公共空間」の利用が保障されなければならない。こうした言論のための「公共空間」を「パブリック・フォーラム(公共の言論広場)」とよぶ。
 この「パブリック・フォーラム」の概念は、アメリカの判例の中で、集会や集団行進の自由とその場所的(空間的)限界を論じる際の法的概念として主張され、展開されてきた。アメリカで伝統的に「パブリック・フォーラム」とされてきたのは道路・歩道・公園などであり、「道路や公園を利用する権利」として主張されてきた。
 そして、これまでのアメリカの判例論の「パブリック・フォーラム」法理の展開の中で、ある空間(場所)が「パブリック・フォーラム」と判断されると、その場所での表現活動は全面的に禁止することはできず、そこでの時・方法などの規制は合理的なものでなければならず、すべての表現者に平等にアクセスが保障されなければならないとされ、その場所における所有権や管理権よりも、その場所の本来の利用目的と両立されるべきか否かが問題とされるに至った 。
 さらに、1983年のPerry Education Association v. Perry local Educator's Association事件連邦最高裁判決では、「パブリック・フォーラム」を、(1)「伝統的パブリック・フォーラム」(道路・歩道・公園)、(2)「指定的パブリック・フォーラム」(公会堂・公立劇場)、(3)「非パブリック・フォーラム」の3類型に区分され、その区分に応じて問題の解決を図る判例理論が確立してきた 。
 (1)の「伝統的パブリック・フォーラム」とは、「永きにわたる伝統ないし政府の命令により集会及び討論に捧げられてきた場所」をさし、「その主要な目的は思想の自由な交換であるので、言論主体がパブリック・フォーラムから排除されうるのは、その排除がやむにやまれぬ政府(州)の利益に仕えるのに必要であり、かつ、その排除がその利益を達成するために限定的になされている時のみである」とされる。
(2)の「指定的パブリック・フォーラム」とは、「政府がある場所やコミュニケーション手段を意図的にパブリック・フォーラムに指定した時は、言論主体は、やむにやまれぬ政府の利益なく排除されえない」とされる。
(3)の「非パブリック・フォーラム」とは、「伝統」や政府による「指定」のいずれによってもパブリック・コミュニケーションのためのフォーラムではない公的財産をいう。
 この分類にしたがった場合の違憲審査基準としては、(1)の類型では、通常の表現の自由の規制に関する違憲判断基準が適用されるが、政府はこの類型のパブリック・フォーラムを表現・集会活動に対して閉ざすことが禁止される。(2)の類型については、政府は表現活動に開いておくこと、こうしたフォーラムを作ることについての憲法上の義務はなく、やめることもできるが、この類型のフォーラムが存在し続ける限り、表現の自由の法理が妥当する。(3)の類型については、政府に広い裁量が認められ、特定の見解に基づく差別でない限り、内容に基づく差別さえ認められるものというものである 。
 しかしながら、こうした「パブリック・フォーラム」の3類型論には、アメリカの理論においても、日本の憲法学でも、要旨つぎのような批判が向けられている 。
 第1に、この類型論によると「パブリック・フォーラム」と認められるのは、政府所有の財産のみであり、私有財産はパブリック・フォーラムから排除されてしまうことである。また(1)の類型に分類される「パブリック・フォーラム」の基準が「伝統」にあるとすると、新しい類型の表現の場(大規模な国際空港など)が除外されてしまうことである。
 第2には、(2)の類型の「パブリック・フォーラム」について、「指定的パブリック・フォーラム」の内容や射程が政府の意図により確定してしまうので、救済を求めている表現者が排除されてしまう点である。
 すなわち、こうした3類型による「パブリック・フォーラム」論は、ある場所を「パブリック・フォーラム」でないとすることにより、表現活動や集会の規制を正当化する理論として機能するおそれがあるのである。
 このような批判があるものの、「パブリック・フォーラム」の法理においては、道路・歩道・公園など、明らかに「パブリック・フォーラム」にあたるとして、政府による規制を極力排除して、活発な言論空間を保障しようとしてする点で評価される。

2.日本における「パブリック・フォーラム論」と違憲審査
 日本においても、この「パブリック・フォーラム」の法理は注目され、最高裁判例の中で論じられている。
 私鉄の駅構内で鉄道係員に無断でビラ貼りおよび演説を行い駅管理者の退去命令を無視して駅構内に滞留した行為が鉄道営業法35条と刑法130条後段の不退去罪に問われたいわゆる「駅構内ビラ配布事件」最高裁判決 における伊藤正己裁判官の補足意見は、つぎのように述べられている。

「ある主張や意見を社会に伝達する自由を保障する場合に、その表現の場を確保することが重要な意味をもつている。特に表現の自由の行使が行動を伴うときには表現のための物理的な場所が必要となってくる。この場所が提供されないときには、多くの意見は受け手に伝達することができないといってもよい。一般公衆が自由に出入りできる場所は、それぞれその本来の利用目的を備えているが、それは同時に、表現のための場として役立つことが少なくない。道路、公園、広場などは、その例である。これを『パブリック・フォーラム』と呼ぶことができよう。このパブリック・フォーラムが表現の場所として用いられるときには、所有権や、本来の利用目的のための管理権に基づく制約を受けざるをえないとしても、その機能にかんがみ、表現の自由の保障を可能な限り配慮する必要があると考えられる。道路における集団行進についての道路交通法による規制について、警察署長は、集団行進が行われることにより一般交通の用に供せられるべき道路の機能を著しく害するものと認められ、また、条件を付することによってもかかる事態の発生を阻止することができないと予測される場合��妨造辰董��弔魑颪爐海箸�任�襪箸気譴襪里癲丙嚢盧枉赦存渭伺�覆◆紡荼渭三豺翔姥渕掲�谿豬邂賚仔�荵鮎�…酥酬茵Ψ砂源囲惨�谿豺羔紂使�濃仮函法�始�里發張僖屮螢奪�Ε侫�璽薀爐燭訐�舛鮟纏襪垢襪發里塙佑┐蕕譴襦���� もとより、道路のような公共用物と、一般公衆が自由に出入りすることのできる場所とはいえ、私的な所有権、管理権に服するところとは、性質に差異があり、同一に論ずることはできない。しかし、後者にあっても、パブリック・フォーラムたる性質を帯有するときには、表現の自由の保障を無視することができないのであり、その場合には、それぞれの具体的状況に応じて、表現の自由と所有権、管理権とをどのように調整するかを判断すべきこととなり、前述の較量の結果、表現行為を規制することが表現の自由の保障に照らして是認できないとされる場合がありうるのである。」

 この伊藤補足意見における「パブリック・フォーラム」の法理では、アメリカにおける3類型論にはよらず、「伝統」や「公的・私的」の区別をすることなく、「パブリック・フォーラム」の概念をより広く捉え、「一般公衆が自由に出入りできる場所は、それぞれその本来の利用目的を備えているが、それは同時に、表現のための場として役立つことが少なくない」場所と定義し、道路、公園、広場などがこれにあたるとしている。そして、「パブリック・フォーラム」と認定された場所(空間)が、表現活動の場として用いられるときには、所有権や、本来の利用目的のための管理権に基づく制約を受けざるをえないとしても、その機能にかんがみて、表現の自由の保障を可能な限り配慮する必要があるとしている。
 つまり、伊藤補足意見は、表現・集会活動と管理権との利益較量を前提としつつ、当該空言論空間(表現・集会を行う場所)の「パブリック(公共・公開)性」に着目して、「パブリック・フォーラム」に当たる場合には、表現活動の空間的保障の領域を拡げることにより、民主政治の基礎をなす表現の自由および集会の自由の優越性に配慮した法理として一応の評価はできよう 。

3.「パブリック・フォーラム」としての経産省前「テントひろば」 
 それでは、本件テント設営および居住の場所(「テントひろば」)は、「パブリック・フォーラム」と評価できるのであろうか。ここでは、現時点ではほぼ妥当と思われる伊藤正己補足意見に即して考察してみたい。 
 本件におけるテント設営および居住の場所土地(明渡しの対象となっている経産省前の土地)は、経産省の北側の交差点角に位置し、経産省の敷地(すなわち、国有財産)ではあるが、敷地を区切る柵外にある半円形をした形状の空間である。面積は89、63平方メートルあり、霞ヶ関付近の建物の案内板が設置されている。経産省ビル前庭との間には柵を挟んでベンチ本石が置かれており、その目的は特定されていない。筆者の見る限り、一般市民の交通などの利便に供せられるべく提供された「公開空地」と評価される。
 すなわち、「テントひろば」は、経産省が公開空地とすることによって、事実上のパブリック・フォーラムとしての機能を担っているといえる。本件「テントひろば」は、アメリカの判例理論に言うところの「伝統的パブリック・フォーラム」にあたり、「駅構内ビラ配布事件」最高裁判決野伊藤正己補足意見が指摘するところの「一般公衆が自由に出入りできる場所」であり、「表現のための場として役立つ」「テントひろば」は、パブリック・フォーラムとして、誰も自由にアクセスでき、憲法が保障している自由な言論活動を行いうる空地であると考えられる。
 また、経産省はこの空地を何らかの公共目的をもって利用しているわけでもなく、市民団体側は平和のうちに表現活動を行っており、言論活動を行おうとする他者との競合もない。
 したがって、経産省は、国有財産として管理権を有するものの、「パブリック・フォーラム」としての機能にかんがみ、表現の自由の保障に可能な限り配慮する必要があるといえる。

4.経産省による本件提訴の「スラップ訴訟」性

1.スラップ訴訟とは何か
 近年、大企業や政府機関により、ジャーナリストや報道機関はもとより、一般市民、市民運動団体や労働組合などの私的な団体をターゲットとして、言論を封じ込めることを目的とする民事訴訟法が提起される事例が問題となっている。いわゆる「スラップ訴訟」である。
 スラップ訴訟とは、1980年代に、アメリカでその問題性が指摘された訴訟の性質を表す言葉である。英語では"Strategic Lawsuit Against Public Participation(SLAPP)"という。直訳すると「公的参加を妨害することを狙った訴訟戦術」であり、具体的には「公に意見を表明したり、請願・陳情や提訴を起こしたり、政府・自治体の対応を求めて動いたりした人々を黙らせ、威圧し、苦痛を与えることを目的として起こされる報復的な民事訴訟」と理解される 。
 スラップ訴訟の特徴 としては、大企業や政府機関が、(1)その正否や妥当性をめぐり論争のある重要な政治・社会問題や公共の利益にかかわる重要な問題について、(2)大企業や政府機関など財政・組織・人材などの点で優位に立つ側が原告となり、(3)憲法二一条一項で保障されている正当な意見表明行為(集会、デモ行進、ビラ配布、新聞や雑誌への寄稿、記事の執筆など)をおこなった個人や市民団体などを被告として、(4)プライバシー侵害、住居不法侵入、業務妨害などの民法上の不法行為に基づき、合法的に裁判所に提訴し、多額の損害賠償金を請求し、(5)その真の目的が、裁判を提起することにより、金銭的・精神的・肉体的負担を市民や団体など被告に負わせることにより、言論活動に萎縮的効果 を与え、言論弾圧を行うことにある点にある 、といえよう。
さらには付け加えるとするならば、いまだ訴えられていない潜在的な公的発言者も、企業や政府機関の提訴を見みて表現活動をためらうようになり、かつ市民や市民団体を提訴した時点で、彼らに苦痛を与えるという目的は達成されることになるので、原告の企業や政府機関の側は、訴訟の勝敗にはこだわることはない、いわば裁判としての意味をもたない提訴であるといえる。

2.スラップ訴訟としての経産省による提訴
 経産省による本件「テントひろば」立退き・損害賠償請求訴訟は、アメリカでいうスラップ訴訟であることは明らかである 。
 第1に、土地明渡しの対象となっている経産省前の土地は、前述のように、公開空地として一般市民に提供された空間であり、その目的も特定されていない。経産省はその土地から何らの収益をあげているものでもなく、またテントが設置されたからといって公共の利便性を大きく損なうものでもない。つまり、経産省にとっては、逸失利益は何ないといえる。
 第2に、経産省が公開空地とすることによって、「テントひろば」は、事実上の「パブリック・フォーラム」としての機能を担っているといえる。つまり、「テントひろば」は、「パブリック・フォーラム」として、憲法が保障している自由な言論活動に利用されているのであり、誰に対しても意見表明を行うために開かれている。テントが設置されているとはいえ、決して占有などとはいえない。
 第3に、前述のように、原発政策を推進してきた経産省前で、原発に反対する意見表明を行うことは象徴的な言論行為といえる。すなわち、反原発・脱原発の主張を、原発政策を推進してきた経産省前で行うことは、最も効果的な社会的アピールを可能にする。
  第4に、経産省は、土地明渡しの他に、高額な損害賠償を請求しているが、これこそまさに市民の言論活動に対する弾圧行為であるといえる。つまり、経産省は「テントひろば」から何らの収益や利益を得ているわけではないのであるから、損害となるべき権利侵害は生じていないにもかかわらず、多額の損害賠償を要求することにより、市民団体に言論活動を躊躇させる効果(萎縮的効果)を期待し、言論を封じ込めようとする意図を読み取ることができる。経産省の目的は、土地の明渡しでも損害賠償金を手に入れることでもなく、もっぱら脱原発・反原発に対する言論弾圧にあるといえよう。
 したがって、この裁判は、政府により土地明渡しにかかわる民事裁判として提起されたものであるが、その本質は、政府による脱原発・反原発運動に対する言論弾圧事件であり、さらにはこうした言論弾圧を通じて、政府の原発事故についての責任を回避し、原発推進政策を維持・強行しようとする意図をもつスラップ訴訟であるといえる。

5.結 論
 
 以上論じてきたところにより、以下のことが論証された。
 第1に、「エンキャンプメント(テントの設営および居住)」は、憲法21条1項が保障する表現の自由の一類型としての「集会の自由」の実行行為であり、かつ本件「テントひろば」における「エンキャンプメント」による意見表明活動は、原発事故により長期的避難を余儀なくされている被災者や放射能汚染に苦しむ福島の人々、そして反原発・脱原発を主張する一般市民が「人間に値する生存」を維持しようとするための「やむにやまれぬ行為」であることから、とりわけ強く表現の自由の保障を受けることである。
 第2に、経産省前「テントひろば」はいわゆる「パブリック・フォーラム」にあたり、経産省の管理権よりも市民団体側の「集会の自由」の保障が優位されるべきことである。
 第3に、経産省による市民団体に対する提訴は、訴訟による権利救済などの実質的な法的利益がないと考えられることから、「裁判を利用した言論抑制」、いわゆるスラップ訴訟であり、実質的な表現の自由への侵害行為である。

★舛添要一について 3つの罪★広瀬 隆さん

2014年02月06日 | 参考資料
★壊憲STOP勝手連 資料

  舛添要一について 3つの罪

たんぽぽ舎メールマガジン「地震と原発事故情報」より

【TMM:No2079】
┏┓
┗■1.舛添要一について 3つの罪 その一「厚生労働大臣としての罪」
 │ 出馬会見での - 驚くべき二枚舌 - 
 └────(広瀬 隆)

◆厚生労働大臣としての舛添要一の罪
 彼は、今回の都知事選に出馬するにあたっての記者会見で、「医療・福祉をしっかりしなければならない」と語ったが、これは驚くべき二枚舌である。
 2007年7月29日に自由民主党参議院議員に当選した舛添要一は、2007年8月27日~9月12日辞任表明・崩壊までの2 週間だけ、安倍晋三内閣厚生労働大臣をつとめた。その後、引き続き安倍のピンチヒッター、福田赳夫内閣の厚生労働大臣に居すわった。その年末、2007年12月に年金不払い者への全員支払いを約束した公約を破って、国民から悪罵を浴びたのが、舛添要一だ。
 さらに2007年12月20日には「厚生省が引き起こした薬害」のため、C型肝炎患者が国家の責任を明確に認定させるため、患者全員の一律救済を求めて、年末の寒風吹きすさぶ街頭で、患者の悲しみと苦難の涙を流し、必死に訴えた。
ところが舛添要一はそれを足蹴にし、法律論を楯に国家の犯罪を認めず、者
の線引きを譲らなかった。患者が必死の声をあげたのに、それを切り捨てたことを、舛添本人は忘れたのではなかろうな。2008年以後も、福田康夫改造内閣で厚生労働大臣に居座り、患者を無視して、およそ人間として最低の人格を示した。その年9月1日に、福田首相が辞任を表明した。この無責任内閣の閣僚だった人間が、都知事選で「医療・福祉をしっかりしなければならない」だって? 冗談もほどほどにしろ。
 この厚生労働省が、現在のきわめて危険な食品の放射能基準を定めている部署なのである。したがって舛添要一は、放射能の危険性など眼中にない。これから、東京都の子供たちを被曝させる方向に邁進している男が舛添だ。おそるべき都知事の候補者だ。舛添が、ずっと原子力産業の広告塔として動いてきた人間であることを、改めて都民に広く伝えていただきたい。

【TMM:No2080】
┏┓
┗■1..舛添要一について 3つの罪 その二「電力会社の広告塔の罪」
 └──── 広瀬 隆

◆舛添要一は、「朝まで生テレビ」のレギュラーであった。それで知名度をあげてきた人間である。
 ある時、「朝まで生テレビ」に出演して、「原発論争」をしてくれるよう、テレビ朝日から私(広瀬隆)に依頼があった。私は何度か、あの喧騒な番組に引っ張り出されていたので、「舛添要一のように、原子力について何も知らない人間が大声でわめくような番組なら出ません。電力会社とまっとうな技術論をして、日本人に事実を知ってもらいたいだけだ」と要求した結果、テレビ朝日がそれを了承して、舛添が出演者から外されたので、私は1988年7月30日放送の「朝まで生テレビ」に出演した。舛添はくやしがっていた。
 ところがその後、1995年の高速増殖炉もんじゅ火災事故など、原発がたびたびの深刻な事故を起こした。そのたびに、テレビ局やラジオ局から私に電話がかかってきて、舛添要一との対談を求められ、私は引き受けた。勿論、舛添要一がゴリゴリの原発推進派、私が反対派として論争し、彼のデタラメを論破してきた。
 あるいはまた、新潟県巻町で東北電力が原発建設を進めて、最後に町長選挙の大決戦がおこなわれた時、私は地元から頼まれて、建設反対を訴えて町内での街頭演説をくり返した。そこに、舛添要一が電力会社の広告塔として巻町に乗りこんで、原発建設の必要性を訴えた。この歴史的な戦いで、巻町の住民は原発「拒否」を決断し、最終的に2003年12月24日に東北電力が建設断念を正式決定して、私たち反対派が勝利した。巻原発は、電源開発基本計画に組み入れられながら、計画が撤回された初めての原発となったのである。
 ことほどさように、原発の広告塔として走り回ってきた舛添が、今回の東京都知事選の記者会見で「私も脱原発です」と言ったので、私は腰が抜けるほど驚いた。福島第一原発事故を引き起こした責任者が、舛添要一なのである。事故についてひと言の反省もなく、人間として、選挙民に対して、よくもこれだけの大嘘をつけるものだ。嘘つきは、真っ平御免だ。この男がしゃべっていることは、全部嘘の公約だ。

【TMM:No2081】
┏┓
┗■1.舛添要一について 3つの罪 その三 「日本も核兵器(原爆)を持つべきだ主張の罪」
 └──── 広瀬 隆

◆舛添要一が原発の広告塔であることは、報道界に周知のことだが、今回の東京都知事選の記者会見で舛添が「私も脱原発です」と言った時、そのあとが重要である。「でも、すぐにはできませんよ」と舛添が付け加えたではないか。子供が聞いても分るが、「すぐに原発ゼロにできない」ということは、「すぐに原発を再稼働します」ということだ。先日の細川護熙支持者の記者会見で、私が報道陣に、このように重大な彼の脱原発発言の嘘を追及して、彼が原発推進論であることの言質を取ってほしいと求めた。すると、その後の舛添記者会見でテレビ局の人が「原発ゼロはすぐにはできない、とはどういう意味か」と説明を求めてくれた。すると舛添は、「それは政府が決めることです」と言って逃げてしまった。自分の意見を他人に転嫁する、実に姑息な人間だ。ところがそのあと、「原発をゼロにするには、30年か40年ぐらいかかるでしょう」とポロリと本心を暴露してしまった。つまり舛添は、30年か40年も原発を動かすつもりなのである。
 彼が、これほど原発に固執する理由は、第一は電力会社がくれる広告塔としての醜い金ほしさであろう。しかし第二には、舛添要一ほど、高速増殖炉もんじゅの宣伝に熱心に活動してきた人間はいない、という点が問題である。ここに、安倍晋三・自民党が、舛添要一を都知事選で支持した最大の理由がある。もんじゅは、六ヶ所再処理工場で抽出したプルトニウムを、原爆用の兵器級プルトニウムに変換するための原子炉である。おそるべき原爆用原子炉なのである。日本の核兵器保有に必要不可欠だ。だから、安倍晋三は原発を、とりわけ六ヶ所再処理工場と高速増殖炉もんじゅを断念しないのである。
 その安倍晋三は、2007年の首相時代に、「日本も核兵器を持つべきだ」という、祖父・岸信介から受け継いだ危険思想をしゃべりまくった。そのため、「日本も核兵器を持つべきだ」という同じ考えの舛添要一を引き立てて、厚生労働大臣にしたのである。つまり今回の選挙で、安倍晋三が必死になって舛添要一を支持するのは、日本の核兵器保有のためである。その一連の流れが、昨年来の秘密保護法と、今から出てくる集団的自衛権の行使と、憲法改悪である。地球の裏側まで行って戦争する、と言っているのだから、正気の沙汰ではない。安倍晋三と舛添要一は、北朝鮮と同レベルの戦争屋なのだ。

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いよいよ名護市長選★世界の識者文化人29人による声明

2014年01月17日 | 参考資料

いよいよ名護市長選

(19日投開票)。ウチナンチュだけでなく安倍狂気政治を拒否したいすべての人にとっても負けられない選挙。
山本太郎参院議員も応援に駆けつけた。
稲嶺ススム候補の決意は強く大きい。稲嶺ススム

稲嶺ススム、大決起大会での決意表明の全内容!
【ひっくり返す100万人無料メルマガ】<amenohimoharenohimo@gmail.com>より。


以下、1月7日に名護市で行われた、稲嶺ススム大決起大会での決意表明のスピーチの文字起こしです。誤りなどありましたら教えて下さい。
=====
ハイサイ、グスーヨー、チューウガナビラ「こんにちは、みなさん、ごきげんよう」
チューヤ、ンガサナーヌチュガ、メンソーチクミソーチ「今日はこんなにたくさんの人が来てくださり」
イッペーニヘーデービル「大変ありがとうございます」
ショーグァチ、元旦スディミチ、
カミティ、ククルカラシカタ、ワカワカ、ミルクユガフネガヤビラ
「元旦が過ぎ心から新しい気持ちで弥勒の世を願っております」
※正月の祈りの言葉、意訳です。

先ほどは糸数慶子議員から辺野古の海の、日の出の状況をお話をしていただきました。
ほんとうに真っ赤な、まんまるい大きな太陽がニライカナイ(海のかなたの常世国)から上がってきました。
そしてしばらくするとすごい輝きを増して名護市を、ウチナー中を、日本を照らしているかのそんな思いがしたところであります。

実は4年前のショーグァチ(正月)も辺野古に行きました。少し遅い初日の出でしたけれど、しばらく待っていましたらやっぱりすばらしい初日の出が
アガイティーダ(日の出)が昇ってきたんです。
そしたらそのときに嘉陽(地名)のウジファー(おじさん)が「すすむ、ガンバッティチューンドー!(がんばってくるよ)」こんな風に○○をしていただきました。

あのアガイティーダをウガンデル(拝んでる)うちに去年12月のあの嫌な思いを、なにか吹き飛んでいきそうな希望をもってアガイティーダを拝みました。しかしまたしばらくすると現実に引き戻されてしまうんです。

11月に県選出の国会議員、そして自民党の県連、ヤマトゥ(大和)の力に首がウサーサッティ(抑えられて)ムヌゥイワサンアタイ(物をいえないような)イッターヤ、ウヤヌイイシ、チカンガンブイ(おまえたちは、親のいうことをきかないのか)

こんな感じで脅かされて恫喝されて、そして屈服をしてしまったんです。
石破幹事長のうしろに座らされていた5名の姿が新聞に出ておりました。
アギジャビヨー(あーあ…)
あんなに恥ずかしい思い、そしてカメラの前に晒されてあの惨めな姿、あれを見てワジワジー(腹が立つ)というよりも悲しくなったんです。

そういう状況をこれまで我々は68年間ずっと煮え湯を飲まされるような形で虐げられてきた。
そして68年後に今、あらためてあの琉球殖民を思い起こさせるようなそういう姿が映し出されます。
アンスカマデ、スンナーサイ(そこまでしますか?)
そこまでやりますか、みなさん。でもそれが今後の姿なんです。

4.28の記念式典、靖国神社の参拝、集団的自衛権特定秘密保護法、などなど。

どこに向かっているんですかね、私たちの日本は!このような状況を私たちはガッティンナラン(合点できない)!
早くその状況から脱する手立て、方法を我々は見つけ出して、そしてそれを追求していかなければいけないと思っております。

仲井真県知事も予算折衝に行ったんでしょうかね。東京に行ったら病院に逃げ込んで何もかもみんな外からも誰も入って来れないように隠れて、しかし入っていたのは貴賓室だったんでしょうかね。
そこで日本政府との裏工作、そんなことをやっていたんですね。
最初ウチナーンチュは入院したというからみんな心配していたんですよ。
大丈夫かねー、と。

しかし、ふたを開けてみたら、あれ本当に病気だったのかね、と。
本当に情けなくなります。
そしてその後、官邸に行って、その帰りに、驚くべき内容を提示した、と。
よい正月を迎えられる、140万県民を代表して感謝申し上げます。

誰がお願いしましたか、そんなこと。本当に、何が驚くべき内容ですか。
驚いたのは、ワッターウチナーンチュ(私たち沖縄人)です。

3000億円か知りませんけれども、ワッターウチナーンチュ(私たち沖縄人)、そこまで卑屈になる必要がありますかね。
ネーランヨーヤーサイ(ないですよね)
本当に悲しい、むなしい、そういう思いがこみ上げる状況でした。

そして沖縄に帰ってきたら、ちゃんと仕事を県庁に出てやるのかと思ったら
帰ってきたら知事公舎に向かいました。
また県民と向き合わない。県民の抗議を恐れて知事公舎に引っ込んで
そこでまた、承認しますという発表をする。
どこまでウチナーンチュの代表としての気概、そして覚悟があるのかな、と。

こんなにこそこそしながら、あんな大事なことをやっちゃったんで
ヌガーラサナイヨヤーサイ(ゆるしませんよ)
記者団の質問にいろいろ、やったやつね、何か少しキレてしまって、そのときに知事は何を言ったかといったら、私も人並みに日本語上手だよ、と。こんなことを言ってるんですよ。

アンシ、イッチョーシェー、ムルワカラングトゥ
(それで、言ってることみんなわからないですよ)
言語明瞭、意味不明ということであります。
こんな風にして不可解な言動を私たち沖縄県民に晒し、
そしてそれをそのまま日本国民のすべてに伝わっていってるんです。

先ほどもお話しありましたけれども、結局沖縄はお金か。
反対するのはその金を引き上げるためにやってるんじゃないの。
こんな誤ったメッセージをいちばん○○がそれをやっちゃったということですね。
我々がウチナーンチュとしてとても許されるものではない。私は沖縄の自立経済ということを言っております。
しかしあの瞬間、私は沖縄の自立は遠のいてしまったと思います。
そんな形でボールは名護に投げられた。名護に押し付けて、そして責任転嫁をした。

知事は名護市を見捨てたんでしょうか。あの会見の中でも言ってました、私は県外は捨てていない、と。
公約違反ではない、ということを言っていますけれども1月の仕事初めに来たときは、辺野古の人たちには苦労をかけるけど、という話をしていた。

県外といいながら、辺野古の人には苦労をかけると。
言ってることがわかりませんね、こんな日本語がありますか。
本当にこういう形で屈服してしまった県知事は本当に私たちウチナーの41市町村を管理する代表としてふさわしいと思いますか、みなさん。

マーカラ、ワジワジーサビラ(本当に腹が立ちます)
ガッティンナランヨヤーサイ(合点がいきませんよね)
国会議員も自民党県連もそうですが言ったこと、やったことには責任を持つ。そして、わかりやすく説明責任をしっかりやる。
それは政治家としてのジョウト(?)であります。

しかし、こういうことばかりではありません。みなさん今日の琉球新報をご覧になりました?
オリバーストーンさんをはじめ世界の有識者29名のみなさんが連名で辺野古移設中止を、との声明を…。
ここには平和と尊厳、人権、環境保護のために闘う県民を支持する、とあります。続けて知事の埋め立て承認は県民の民意を反映したものではない、県民に対する裏切り、と、ばっさり言い切っております。

我々は今、危機に直面しておりますけれども、このように我々の応援団は世界中にいるということであります。
こういう動きを見ますと、我々もまた、よしがんばるぞ、という気持ちにもなりますよね。
私も就任以来、辺野古の海にも陸にも新しい基地は作らせない、そういうみなさんへの公約を、その信念をこの間ずっと貫いてまいりました。
しかしその間、多くの関係大臣が沖縄詣でをし、議会の○○、
たくさん沖縄にメンソーチソービータン(いらっしゃいました)
そして辺野古とやかびには行くんですが、名護市長のところには来ないんです。

なんでかねー。
私はそんなに怖い顔してるんですかねー。失礼です!
そういう辺野古の問題については、これからもしっかりみなさんへのお約束のとおり信念を貫いてまいりたいと思います。

そしてこの4年間は15名の与党議員をはじめ、多くの支援者のみなさんの
力をいただきながら再編交付金に頼らない街づくりということを実証してまいります。

子育て支援では保育所の数を増やし、○○の定員を増やしました。
そして、中学校卒業までの入院、通院治療費の助成、これはたぶん11市ではここしか始めていないです。
○○、学校のトイレ改修、○○、それから古くなった教室、○○、3年間前倒しで100%実施する、こういうことも進めてまいりました。

このほかにも農業やそれから財政健全化、それに入札制度の改善などなど前々政権の再編交付金をもらっていたときでも手が届かなかったところにも手が差し伸べられた、そういう分野もきめ細かく対応してきたつもりであります。
市民のみなさまにも一定の評価をいただけたのではないかと
思っておりますけれども、実は私の後援会長からこの4年間の稲嶺すすむの通信簿はオール5ですよ、という評価をいただきました。

アンシガ、クァビーチャー(だけども、子供贔屓)というだけではないですよね。
クァビーチャーってわかります?その通信簿がこのパンフレットに掲載されておりますのであとでご覧になっていただきたいと思っております。

ところでみなさん、肝心の1月19日の市長選挙のことでございます。
忘れていたわけではないんですよ。

話は長くなりましたけれども中身はナマカラヤイビーンドー(中身は今からですよ)今度の選挙ですね、これまで皆さん方いろいろ話がありましたようにこれは名護市だけの問題ではないと思うんです。
そして沖縄県の問題にもとどまらない。
これからの日本のあり方を問う、あるいはそれに対して我々はアンチドゥヤンドー(アンチですよ)ということを示す選挙になると思います。

4年前の市長選挙、みなさんのお力で当選させていただいた後ウチナーの政治環境、県民は本当に変わりました。
大きな流れとなって、そしてこれまでずっとそれは県民のチムグクル(こころ、たましい)としてひとつにまとまっている、今こそそう思います。
そういうことからしても、今度の選挙、今いる私たちに、その大きな責任が問われている、というように思います。

後世の子どもたちに負の遺産を残すのか、きっぱりノーの答えを出すのか、その答えを出すのは今いる私たちなんです。
これからの子どもたち、あるいはその子どもたちではないのです、決めるのは。

1月19日に投票権を持っている名護市民、私たちなんです。
ですから、私たちは正しい判断をして後世の子どもたちに、お父さんお母さん、ありがとう、おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう、そういわれるような答えを導き出さなければいけないと思います。
大義は我々にあります。正義はかならず勝ちます。
名護市民の心意気を、気概を示そうではありませんか、みなさん。

稲嶺すすむは、かならず市民のみなさんの信頼と期待に応えます。
決して裏切るようなことはしません。
すすむを信じて、すすむにお任せください!
最後まで共にがんばりましょう!ありがとうございます!(終)

明日2014年1月12日8:30に出陣式とのこと。
チバリヨ~!

オリバー・ストーン、ノーム・チョムスキー、ジョン・ダワーら世界の識者と文化人29人による、沖縄の海兵隊基地建設にむけての合意への非難声明 

【プレス・リリース】
世界の識者と文化人による、沖縄の海兵隊基地建設にむけての合意への非難声明
                         2014年1月7日
米国、カナダ、欧州、オーストラリアの識者と文化人は本日付で、添付した書類にあるように、沖縄・宜野湾市の中央に位置する普天間海兵隊飛行場の代替施設として日米政府が計画している辺野古の米海兵隊新基地の建設に反対する声明を発表した。この声明は「沖縄の人々による平和と尊厳、人権と環境保護のための非暴力のたたかいを支持する」と呼びかけている。

呼びかけ人として、言語学者ノーム・チョムスキー、アカデミー賞受賞映画監督のオリバー・ストーンとマイケル・ムーア、ノーベル平和賞受賞者マイレッド・マグワイア、歴史学者ジョン・ダワー、元陸軍大佐・外交官のアン・ライト、国連のパレスチナ問題特別報告者リチャード・フォーク等が連名している。(声明文にある呼びかけ人全員のリストを参照。今後も賛同を募る。)

呼びかけ人を代表して、アメリカン・フレンズ・サービス委員会のジョセフ・ガーソン氏(沖縄で基地に反対する人々と連携し、少女暴行事件を受けて1996年に「激怒と痛恨の声明」を発表した)は、今回の声明の意図は「沖縄の人々による、70年にも及ぶ軍事植民地化を終わらせ、自らの尊厳と人権を守り、平和と環境保護を確保するための、勇気づけられる大切な非暴力運動への国際的支援を集める」ことであると述べた。

『語られない米国史』(邦題『オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史』)をオリバー・ストーン監督と共著したアメリカン大学のピーター・カズニック教授は、仲井真弘多沖縄県知事による沖縄の有権者の裏切りを非難した。「選挙運動時、仲井真氏は普天間基地の県外移設に取り組むと約束した。今回の知事の決定について、世論調査では72.4%の県民が『公約違反』と言っている」とカズニック氏は語った。「米国と、日本の安倍晋三首相の強い要請により取引が行われた。オバマの『アジア回帰』を前進させるために沖縄の人々の権利を踏みにじるものである。」

この声明は沖縄の迫害と搾取の歴史を振り返る。最初は日本による侵攻と併合、その後は米国の太平洋における覇権的利益を支えるためであった。国土の1%にも満たない土地に日本の米軍専用基地の73.8%が集中するという不当性を指摘する。署名者たちはまた、沖縄の人々が70年にもわたって「米国独立宣言が糾弾する『権力の濫用や強奪』に苦しめられ続けて」おり、「その例として同宣言が指摘する『議会による同意なしの常備軍の駐留』」があると指摘している。

『抵抗する島々:沖縄は日本と米国に立ち向かう』(邦題『沖縄の〈怒〉‐日米への抵抗』)を乗松聡子と共著したオーストラリア国立大学のガバン・マコーマック教授は、「基地に起因する事故、性暴行を含む数々の犯罪、それらに対し米軍が十分に責任を問われないこと、耐え難い軍用機の騒音、化学物質による環境汚染」など、沖縄の人々の命と生活、健康を脅かす基地被害について語った。「長年の軍事占領にようやく終止符を打ち、本当の安全を享受するための沖縄の人々の勇敢でたゆまぬたたかいは、
世界の人々の支持を受けるに値するものである。」

【声 明】
私たちは沖縄県内の新基地建設に反対し、平和と尊厳、人権と環境保護のためにたたかう沖縄の人々を支持します。

 私たち署名者一同は、2013年末に安倍晋三首相と仲井真弘多沖縄県知事の間でかわされた、人間と環境を犠牲にして沖縄の軍事植民地状態を深化し拡大させるための取り決めに反対します。安倍首相は経済振興をエサに、軍港をともなう大型の海兵隊航空基地を作るために沖縄北東部の辺野古沿岸を埋め立てる承認を仲井真知事から引き出しました。

 辺野古に基地を作る計画は1960年代からありました。それが1996年に掘り起こされ、前年に起こった少女暴行事件もあり当時沖縄で最高潮に達していた反米軍基地感情を鎮めるために、日米政府は、宜野湾市の真ん中にある普天間基地を閉鎖して、辺野古の新基地にその機能を移転させようと計画しました。辺野古は稀に見る生物多様性を抱え、絶滅の危機にある海洋哺乳動物、ジュゴンが棲息する地域です。

 仲井真知事の埋め立て承認は沖縄県民の民意を反映したものではありません。知事は2010年の知事選直前に、それまでの新基地容認姿勢を変更し、「普天間基地移設は県外に求める」と言って、新基地反対で一貫していた候補を破って当選しました。近年の世論調査では県民の辺野古新基地への反対は7割から9割に上っていました。今回の仲井真知事埋め立て承認直後の世論調査では、沖縄県民の72.4%が知事の決定を「公約違反」と言っています。埋め立て承認は沖縄県民に対する裏切りだったのです。

 在日米軍専用基地面積の73.8%は日本国全体の面積の0.6%しかない沖縄県に置かれ、沖縄本島の18.3%は米軍に占拠されています。普天間基地はそもそも1945年の沖縄戦のさ中、米軍が本土決戦に備え、住民の土地を奪って作りました。終戦後返還されるべきであったのに、戦後70年近く経っても米軍は保持したままです。したがって、返還に条件がつくことは本来的に許されないことなのです。

 今回の合意は長年の沖縄の人々の苦しみを恒久化させることにもつながります。沖縄は、日本による17世紀初の侵略に始まり、19世紀末の日本国への強制併合を経て、1944年には、米軍の襲撃を控え、天皇制を守るための時間稼ぎの要塞とされました。沖縄戦では10万人以上、住民の4分の1にあたる人々が殺されました。戦後、米軍政下において基地はさらに増えました。沖縄は1972年に日本に「返還」されたものの、基地がなくなるとの沖縄住民の希望は打ち砕かれました。そして今日も、沖縄県民は基地の存在によってひき起こされる犯罪、事件、デシベル数の高い航空機の騒音や、環境汚染による被害を受け続けています。戦後ずっと、沖縄の人々は米国独立宣言が糾弾する「権力の濫用や強奪」に苦しめられ続けています。その例として同宣言が指摘する「われわれの議会による同意なしの常備軍の駐留」もあてはまります。

 沖縄の人々は、米国の20世紀における公民権運動に見られたように、軍事植民地状態を終わらせるために非暴力のたたかいを続けてきました。生活を脅かす実弾砲撃訓練に対し演習場に突入して阻止したり、米軍基地のまわりに人間の鎖を作って抵抗を表現したりしました。大規模なデモが時折持たれ、約10万人-人口の10分の1にもあたる人々が参加してきています。80代の人たちが辺野古基地建設を阻止するために立ち上がり、座り込みは何年も続いています。県議会は辺野古基地反対の決議を通し、2013年1月には全41市町村首長が、オスプレイ配備撤回と県内移設基地の建設を断念するよう政府に求める建白書に署名しました。

 私たちは、沖縄の人々による平和と尊厳、人権と環境保護のための非暴力のたたかいを支持します。辺野古の海兵隊基地建設は中止すべきであり、普天間は沖縄の人々に直ちに返すべきです。

2014年1月

ノーマン・バーンボーム: ジョージタウン大学名誉教授
ハーバート・ビクス: ニューヨーク州立大ビンガムトン校歴史学・社会学名誉教授
ライナー・ブラウン: 国際平和ビューロー(IPB)共同代表、国際反核兵器法律家協会(IALANA)事務局長
ノーム・チョムスキー: マサチューセッツ工科大学言語学名誉教授
ジョン・W・ダワー: マサチューセッツ工科大学歴史学名誉教授
アレクシス・ダデン: コネチカット大学歴史学教授
ダニエル・エルズバーグ: 核時代平和財団(Nuclear Age Peace Foundation)上級研究員、元国防総省・国務省職員
ジョン・フェファー : 政策研究所(IPS)「フォーリン・ポリシー・イン・フォーカス」(fpif.org) 共同代表
ブルース・ギャグノン: 「宇宙への兵器と核エネルギーの配備に反対する地球ネット」コーディネーター
ジョセフ・ガーソン: 「アメリカン・フレンズ・サービス委員会」平和と経済の安全保障プログラム部長、政治学・国際安全保障学博士
リチャード・フォーク: プリンストン大学国際法名誉教授
ノーマ・フィールド: シカゴ大学東アジア言語文明学部名誉教授
ケイト・ハドソン: 核軍縮キャンペーン事務局長
キャサリン・ルッツ: ブラウン大学人類学・国際問題学教授
ナオミ・クライン: 著述家、ジャーナリスト
ジョイ・コガワ: 作家、『オバサン』(和訳『失われた祖国』)著者
ピーター・カズニック: アメリカン大学歴史学教授
マイレッド・マグワイア: ノーベル平和賞受賞者
ケビン・マーティン: 「ピース・アクション」事務局長
ガバン・マコーマック: オーストラリア国立大学名誉教授
キョー・マクレア: 作家、児童文学者
マイケル・ムーア: 映画監督
スティーブ・ラブソン: ブラウン大学名誉教授・米陸軍退役軍人(沖縄・辺野古にて1967-68年駐留)
マーク・セルダン: コーネル大学東アジアプログラム上級研究員
オリバー・ストーン: 映画監督
デイビッド・バイン: アメリカン大学人類学部准教授
ロイス・ウィルソン: 世界教会協議会前総会議長
ローレンス・ウィットナー: ニューヨーク州立大学アルバニー校歴史学名誉教授
アン・ライト : 元米陸軍大佐、元米国外交官
(東京新聞1/8日夕刊)


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● 大いなる怒りを !!! 霞ヶ関へ 官邸へ ● 9/21 6:00~ ●

2012年09月20日 | 参考資料
【緊急声明】
法と民主主義の精神を踏みにじり、
 「利用と規制の一体化」「原子力ムラの支配」「国民の信頼の失墜」を招く
    規制委の原子力ムラ人事の強行に抗議


本日、原子力規制委員会が発足し、野田総理は、田中俊一・高度情報科学技術研究機構顧問(元日本原子力研究所副理事長)を委員長に、更田豊志日本原子力研究開発機構原子力基礎工学研究部門副部門長ら4人を委員にそれぞれ任命しました。私たちは、この決定は、国民の声を無視し、法の精神を踏みにじり、福島原発事故の教訓から何も学ばないものとして、強く抗議します。

私たちは、多くの市民や弁護士、国会議員のみなさまとともに、今回の人事案について下記の問題点を訴えてきました。また、のべ5万筆を超える一般市民の署名を政府に5回にわたり届けました。政府からは何ら納得のいくお答えを頂いていません。

1)「利用と規制の分離」「国民の信頼の回復」「原子力ムラの影響力の排除」の原子力規制委員会設置法の趣旨を踏みにじるもの。それどころか、原子力事業者の委員への任命は、設置法法第7条第7項、7月3日付政府ガイドライン違反
2)無責任な原子力推進行政に加担してきた田中俊一氏などを抜擢
3)田中俊一氏は、自主的避難への賠償に反対し、低線量被ばくのリスクを過小評価してきた。

この「総理任命」は、「法律に基づく」とされていますが、法の濫用にほかなりません。
事案は1か月も国会の議運にかけられていました。国会議員の批判・質問に政府が十分こたえることができず本会議にかけることができなかった状況です。

原子力規制委員会設置法附則第2条第5項に基づく総理による委員の任命は、あくまで、「国会の閉会又は衆議院の解散のために両議院の同意を得ることができないとき」です。今回のような状況下で、この規定を適用すべきではありません。いったん国会にかけられたのにもかかわらず、原子力非常事態宣言に関する原子力規制委員会設置法附則第2条第6項をもって国会の同意を先送りにすることは、さらに許されません。

このように内容もプロセスも法に抵触する原子力規制委員会に対して、私たちは全く正当性を見出すことができません。

さらに、初代原子力規制庁長官に、池田克彦前警視総監が就任しました。政府は、「緊急時対応の強化」と説明していますが、原子力災害は、人が引き起こす犯罪やテロなどの対応とは全く異なります。これは、解せない人事であるばかりでなく、市民運動の規制のためでないかという疑いすらいだかせるものです。

私たちはあらためてこれらの問題を提起します。とりわけ国会議員に対して、国会軽視のこの暴挙に反対し、規制委員会人事の事後承認を与えないことを求めます。

  2012年9月19日

国際環境NGO FoE Japan/福島老朽原発を考える会/原発を考える品川の女たち/プルトニウムなんていらないよ!東京/経産省前テントひろば/再稼働反対!全国アクション/福島原発事故緊急会議/首都圏反原発連合/美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会(美浜の会)/子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク/国際環境NGOグリーンピース・ジャパン/eシフト(脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会)/たんぽぽ舎/ふくしまの子ども達を救う会/怒髪天を衝く会/No Nukes Asia Actions/震災被災者支援コミュニティー富士の麓のうつくし/九州住民ネットワーク/自然村 有限会社/日本山妙法寺/ふぇみん婦人民主クラブ/放射能のゴミはいらない!市民ネット・岐/平和・人権・環境を守る岐阜県市民の声/さよなら玄海原発の会・久留米/環境教育ふくおか/玄海原発プルサーマル裁判の会/「脱原発」を考える市民講座・四日市/さよなら原発・ぎふ/さよなら原発の会 中津川/足元から地球温暖化を考える市民ネットえどがわ/国連・憲法問題研究会/会津放射能情報センター会津マスクワイア/研究所テオリア(準)/会津子どもクワイア/核のごみキャンペーン・中部/岩手有機農業研究会/平和と民主主義をめざす全国交歓会/原発八女ん会/原発はいらない東濃おかあちゃんの会/さよなら!志賀原発ネットワーク/みどりの未来・ふくしま/子供たちの未来を考える親の会/さよなら原発かながわ/津野山脱原発を考える会/虹とみどりの会/唯足舎/人権・平和ネットうべ/原発さよなら四国ネットワーク/DearChild/エネルギーシフトパレード/脱原発とうかい塾/放射能から子どもを守る岩手県南・宮城県北の会/島根原発増設反対運動/田布施町まちづくり研究会/地球の子ども新聞/子どもふくしま/宮崎の自然と未来を守る会/みらいアクション青森/瓦礫問題を考える会・福岡/原発と暮らしを考える会(神奈川県横浜市)/草の根の会・中津/鎌倉平和学習会/七番めの星/原発がこわい女たちの会/エコリレーかめおか/グリーン市民ネットワーク高知/アマナクニ/名前のない新聞/原発をなくし、自然エネルギーを推進する高知県民連絡会/<ノーモア南京>名古屋の会/時を見つめる会/さよなら原発東三河ネットワーク/ミチミチズム/プルトニウム/フリーコミニケーション神奈川/新空港反対東灘区住民の会/神戸空港の中止を求める市民の会/暮らしの環境情報室/生活環境を考える洛北の会/放射性物質拡散NO!の会/子供たちの未来を考える親の会/アジェンダ・プロジェクト/「脱原発の日」実行委員会/Campaign for Nuclear-free Japan/原発廃炉で未来をひらこう会/「21世紀を愉しむ会」/大阪此花発!STOPがれき 近畿ネットワーク/NGO Globe サポーター危険学プロジェクト/ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン/みどり福岡/「Fukushima ゴーシュセロの会」/特定非営利活動法人水泳NPO/こどもの未来を守る会/放射能問題を考える会/脱原発大分ネットワーク/いのち・未来 うべ/「さよなら原発」ステッカーの会/三陸の海を放射能から守る岩手の会/上五島住民新聞/東北アジア情報センター・広島/サヨナラ原発福井ネットワーク/三陸のさんま・わかめを愛する会/原発おことわり三重の会/脱原発国民の会/ストップ原発&再処理・意見広告の会/福井原発訴訟準備会/STOP原子力★関電包囲行動/とめよう原発関西ネットワーク/関西合同労働組合/バイバイ原発京都/5.3改憲阻止共同行動実行委員会/アジア開発銀行福岡NGOフォーラム/子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク/「平和への結集」をめざす市民の風/熊野の森ネットワーク・いちいがしの会/ストップ!放射能汚染ガレキ・関西ネットワーク/イマジン原発のない未来/ kamakura parade/災害ガレキを考える多気の会/安心な健やか地域づくりをすすめる会/核の炎を憂うるイザナミの会/放射能から健康を守る女医の集い

  9.21大飯原発を停止せよ!首相官邸前抗議  首都圏反原発連合有志

【お知らせ】多くの原子力規制委員会人事案反対の声を踏みにじる形で9月19日に原子力規制庁が発足してしまいました。それに伴い合同庁舎4号館の原子力規制庁準備室は撤収したため(原子力規制庁は六本木になりました)、9月21日の抗議では合同庁舎4号館での抗議は行いません。スピーチエリアは官邸前および国会正門前になります。ご了承お願いいたします。


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◇ 大飯原発3、4号炉の再稼働に反対する声明 ◇ 脱原発弁護団全国連絡会 ◇

2012年06月11日 | 参考資料
大飯原発3、4号炉の再稼働に反対する声明

 脱原発弁護団全国連絡会は、関西電力大飯原発3,4号炉の再稼働を進めるとの2012年6月11日付けの政府決定に対し、これに断固として反対し、その撤回を強く求める。

 野田首相は2012年6月8日、首相官邸で「国の重要課題であるエネルギー安全保障の観点からも原発は重要な電源だ」「国民の生活を守るために、大飯発電所を再起動すべきだというのが私の判断だ」と記者会見で述べた。大飯3,4号機について、第一次ストレステストに基づいて、政治家である閣僚が暫定基準に基づいて安全性に対して政治判断を行ったうえで運転再開を行うとしている。
 福島原発事故の発生によって多くの市民の生活が根底から破壊され、放射性物質による汚染による健康被害発生の不安の内に暮らしている。野田首相にはこの深刻な現実が見えているのだろうか。
現行の安全設計審査指針が誤っていたことは班目原子力安全委員会委員長自らが認めており,原発が安全設計審査指針やこれを前提とする技術基準に適合していても安全と言えないことは,今や国民的確信である。我が弁護団連絡会議に所属する二つの弁護団が担当する仮処分事件において、大飯3,4号機の再稼働の適否について司法判断を求め、その中で以下のような問題点を具体的に指摘している。
 市民の生活を守るためには、今、首相に求められていることは、脱原発の政治的意思を示すこと、確実な安全性を確保するための規制委員会・規制庁等の原子力安全行政を経済産業行政とは完全に独立させ、その確立を図ること、そして原発稼働の条件がないならば、再稼働なしでも夏を乗り切るための需給ギャップ対策に注力することにつきる。
 安全性が確認されないまま再稼働に突き進むことは、次なる破局的事故を招きかねず、市民生活を破滅の淵に晒すものである。
 我々は、次の理由から、政府の再稼働の判断には法的な根拠がなく、また政策としても不適切であり、直ちに撤回されるよう強く求めるものである。

1 国会事故調の報告を待て
 福島原発事故に対する国会事故調査委員会の調査報告が、今月にも公表される。この報告を待ち、事故の教訓を踏まえた上での対策を講じた上でなければ、判断の前提がない。

2 規制改革と新安全基準に基づく審査が不可欠
 福島原発事故を踏まえた、原子力規制行政の改革が成し遂げられていない。原子力安全保安院と原子力安全委員会は、その能力にも独立性・公正性にも深刻な疑問がある。 
 現行の安全設計審査基準については現に原子力安全委員会はこれらの見直し作業を行っており、この作業はまだ完了していない。再稼働について判断するためには、①事故の正確な経緯と原因を解明する。②原発の安全審査の根幹をなしている安全設計審査指針、耐震設計審査指針等について、津波や電源対策だけでなく地震や老朽化などの広範な分野について公正な専門家の討議を通じて見直す。③新たな指針を適用して、付近で発生が想定される最大の地震・津波の程度、地震・津波対策の進捗度、運転経過期間や脆性遷移温度などに示される老朽化の程度などについて適切な審査を行い、危険性の程度を正確に把握した上で許否を判断するというプロセスを経なければならない。
 新たな機関のもとでの新たな安全基準とこれに基づくバックフィット判断がなされるべきことは、法制上も福島原発事故という未曾有の事態を踏まえた再稼働の最低限の要件であると考えられる。

3 ストレステストの想定に科学的根拠がない
 ストレステストの前提とされている対策はもっぱら津波対策、電源対策に限られており、従来の想定を超える地震に対する対策、過酷事故対策などがきちんと盛り込まれていない。また、津波対策、電源対策も福島事故時の想定を超過した津波高さ(福島第1原発での津波高さ15メートル-想定されていた津波高さ5.5=9.5メートル)を機械的に加算することを全国の原発に求めただけであり、その想定には科学的な根拠がない。津波及び地震のみを考慮した原発の頑健性を検討するストレステストはそもそも安全基準の代替とはなりえない。
 不公正な規制行政を繰り返してきた保安院によるストレステスト評価にもとづく関係大臣の安全判断など全く信用することはできない。
 大飯原発の地震に対する安全性には、重大な懸念がある。原発の傍らには海側に二本、陸側に一本活断層が通っており、これが三連動した場合、大飯原発に定められた制御棒挿入時間2.2秒をこえてしか制御棒が挿入されないため早期にメルトダウンにいたる危険性がある。にもかかわらず、関西電力はそのような危険性はないとして何ら対策をとらず、原子力・安全保安院もこの問題を放置している。

4 ずれ破壊が指摘されるf-6断層(破砕帯)の現地調査が不可欠
 さらに、最近になって次のような事実も明らかになってきた。関西電力大飯原発の敷地内にあるf-6断層(破砕帯)について、名古屋大の鈴木康弘教授(変動地形学)と東洋大の渡辺満久教授(同)が付近の活断層と同時に活動し、地表がずれる可能性があり、原子炉施設のずれ破壊の危険性を指摘し、再稼働前の現地調査の必要性を指摘している。関西電力は「活断層ではないと判断しており、再調査の必要はない」としているが、問題は活動性だけでなく、この破砕帯が付近の活断層活動時に連動してずれるかどうかにあり、正確な反論となっていない。

 班目春樹原子力安全委員長は、「最新の知見が出たなら、保安院で評価をしっかりやり直すべきだ」(福井新聞6月8日)との見解を表明しており、また産総研の杉山雄一主任研究員も「大飯原発など若狭の原発は、現地調査で改めて状態を確認するべきだ」としている。断層活動によるずれ破壊は震動によるものと比べても強烈な破壊力であり、施設そのものが裂けてしまう危険性もある。このような可能性が指摘されている原発の十分な調査なしに運転再開の判断を下すことは到底許されない。

5 専門家ではない政治家は止める判断はできても、動かす判断はしてはならない
 専門家ではない政治家が判断できることは、専門家の判断が信用できない時に原発の運転を止めることである。菅直人前首相が浜岡原発の運転の停止を求めたことは正しい。しかしながら、原子力安全委員会の委員長も疑問を留保している状況で、専門家の間でも意見が分かれ、本来実行すべき手続が履行できない状況で、専門家ではない政治家が安全判断をするようなことは、できるはずもなく、無責任きわまりない。

6 受給ギャップ策を講ずることが、停電など避けるための政治の責任である
 原発比率が5割近かった関西電力は、原発なしでは夏場のピーク時に必要な電力の85%程度しか賄えないとする。しかし、自家発電などの供給への確実な組み入れやピークカットのための新たな利用料金契約の拡大、大口需要家への協力依頼などの受給ギャップ策を講ずれば、停電などの事態は避けられる。そのための努力こそが政治の責任である。

 以上のとおりであって、福島原発事故のような深刻な原発事故被害の再発を未然に防止するためには、現在停止中の原子力発電所については、福島第一原子力発電所事故の原因を解明し、その事故原因を踏まえた安全基準について、議論を尽くし、それによる適正な審査によって確実な安全性が確保されない限り、再稼働しないことが当然であり、このような条件もないのに、政治家の判断によって再稼働を強行することは次なる原発事故の破局をもたらしかねない。我々は、市民の生活を守るため、政府の判断に断固として反対し、その撤回を強く求める。

   2012年6月11日
                           脱原発弁護団全国連絡会 共同代表 河合 弘
                                       同    海渡 雄一

   
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◇ 311フクシマ後の被曝生活を乗り切るために ◇

2012年04月08日 | 参考資料
 見たくないことは見ないですましたり、見たいものだけ見てたンじゃないか、と感じるようになったおいらは、311後の生活を考えた。
 2011年のこの日から、われらはみんなヒバクシャになった…。同時にわれらはみんな、間違いなく《原子力依存社会》をささえて来たトウジシャではないかと…。そう想うおいらはまず、ここからスタートしようと想う。

 放射性セシウムの食品新基準は
   内部被爆犠牲者を出すことを容認するもの

               安田節子 食政策センター・ビジョン21

 4月1日より食品中の放射性物質の新基準がこれまでの暫定基準に代わり
 施行された。

 ○放射性セシウムの新基準値
   食品群    基準値 (単位:ベクレル/kg)
  ------------------------------------------
   一般食品   100
   乳児用食品   50
   牛乳      50
   飲料水     10
  ------------------------------------------

1.原発事故後のもっとも重大な被ばく源は食品からの体内取り込みだ。放
 射線防護の観点から、いかに国民の内部被ばくを防ぐかという思想に立って基準策定されるべきところ、新基準は内部被ばくの犠牲者を出すことを認めるものとなった。

 放射線の影響には閾値がないのだから、限りなくゼロを目指して国民の内部被ばくを防ぐ基準を定めるべきだ。その数値にもとづき市場流通前にふるいわけ(スクリーニング)の全ロット測定が実施され、超えたものは東電賠償対象とし、基準以下のものだけ市場に流通する体制を構築するのが政府の責務ではないか。

 日本の公衆の被ばく限度は年間1ミリシーベルト以下という法律の定めがある。しかし、1年間運用された暫定基準は、食べる食品の半分が基準ぎ
りぎりだとして年間17ミリシーベルトの被爆を認めるものだった。これは非常事態の介入値で、安全濃度を示すものではないと政府がいうように、途方もない緩い値であった。新基準は、セシウムについて5分の1に引き
下げたというが、暫定基準が途方もない数値であるから、引き下げたといってもなお高過ぎる。

 また主食の米について、一般食品と別に厳しい数値が設定されるべきだった。100ベクレルぎりぎりの米を誰が食べたいと思うだろうか。ウクライナ、ベラルーシでは主食のパンには一般食品より低い基準を定めてる。
 流通する米は一桁レベルの規制値にしない限り、生産者も米流通業者も消費者の懸念のはざまで対応に苦慮するだけだ。

2.セシウムの基準値のみで、ストロンチウムなど他の核種の基準値が定め
られていない。政府はセシウム値に他の核種を比率に応じて考慮していると言い訳をしている。同じ理屈で暫定基準のときもストロンチウムの基準は示されなかった。基準値がなければ考慮されず、検査体制の構築や実質的規制はなされない。わけてもストロンチウムの基準は不可欠だ。なぜならストロンチウムは作物のみならず、魚介類にも取り込まれやすい。事故後1年から2年に魚の汚染のピークが来ると言われている。計測器配備や検査体制に費用と労を惜しむようでは、本気で被爆防護を考えているとは思えない。ストロンチウムはベータ線核種であるため体内への摂取後に毒性を示す。化学的性質がカルシウムに似ているため、骨に蓄積される。そのため生物的半減期が長く、セシウムと異なり次第に蓄積されていく。食品にわずかしか含まれていないとしても危険性が高くなるのだ。

3.乳児食品と牛乳に50ベクレルはとうてい許容できない。ゼロであるべ
きだ。細胞分裂が活発で成人の何倍も影響を受ける乳児や子どもたちを内部被ばくから守るためにはゼロ基準でなければならない。しかもゼロ基準の達成は不可能ではない。乳業メーカーは輸出向け粉ミルクは汚染ゼロを保障して輸出しているのだ。現在、乳業メーカーは多くの酪農家から集めた原乳をクーラーステーションでミックスした後、計測している。高い汚染の原乳があっても薄まり規制値をクリアーすればよしとしている。酪農家の牛を個別に検査し、汚染牛を特定するというきめ細かい作業を続ければ、汚染のある原乳の混入はなくなる。牛乳だけでなく米も茶も同様で、きめ細かな測定による汚染源の特定と排除が最も被ばく防止に有効だが、それはコストがかかるからしないで、ミックスして基準値以下に薄まればよしとする業界にやさしい食品流通規制を続けていては国民全体が内部被ばくさせられるのは必至だ。

4.飲料水の10ベクレルはあまりにも高い。 ちなみに飲料水の基準は米国
0.111ベクレル、ドイツ0.5ベクレルだ。現在いずれの浄水場も計測値は検出限界以下となっている。検出限界値は小数点以下だ。実現できている小数点以下の規制値にすべきだが、なぜしないのか。あえてWHO基準の高い数値を持ってくる意図はどこにあるのか。再び飲料水の汚染が起こりうると想定しているのかもしれない。

5.幼児、子ども、妊婦への配慮がない  乳児食品と牛乳以外の一般食品
はおしなべて100ベクレルだ。半分は汚染のない食品で、残り半分がこのレベルぎりぎりの食品を摂取したとする前提で一般食品に割り当てる線は、1mSv/年から「飲料水」の線量(約0.1mSv/年)を差し引いた約0.9mSv/年としている。これは内部被ばくだけでだ。

 ドイツ放射線防護令では、公衆の年間放射線被ばくの制限値を0.3ミリ
シーベルトとしている。この基準を守るためには、セシウム137の制限
値は子どもと青少年に対しては食品1キロ当たり4ベクレルを、大人は8ベクレルを超えるべきではないと勧告している。それでも年間0.3ミリシーベルト被ばくすると国際放射線防護委員会(ICRP)のリスク数を使用した場合、10万人当たり1~2人が新たに癌で死亡する結果となる。

 日本は半分は汚染していない食品という前提だから、ドイツ放射線防護令
からすると、6倍くらいになるのではないか。日本の年間1ミリシーベルトの被ばく限度はICRPの基準を参考にしている。放射線防護の考えは出来る限り被ばくは最小化するという原則があったが、ICRPは
「ALARA(As Low As Reasonably Achievable)」Reasonablyを挿入したアララの原則にすり替えた。合理的、現実的に達成できる限り、低くというもの。「合理的」とは経済性の観点から決められる。

 新基準は明らかに経済性優先で放射線防護がその下に置かれている。日本
政府はアララの原則に則って基準を決めている。多くの内部被ばくの犠牲者を生むことを承知しての基準であり、とうてい納得できるものではない。

6.米、牛肉、大豆については、米、牛肉は2012年9月まで、大豆は12月まで暫定規制値500ベクレルの適用が続く。また加工食品については、3月31日までに製造、加工された食品は暫定規制値を賞味期限まで認める 9月30日までに製造、加工された米、肉を原料とする加工食品は賞味期限まで認める 12月31日までに製造、加工、された大豆食品は賞味期限まで認めるとなっているため、2本立ての基準となり、500ベクレルの食品も流通することになる。注意が必要だ。

 それにしても現状は加工食品原料やコンビニ弁当など放射能検査はほとん
どされていない。食品企業やコンビニ各社に新基準より厳しい自主基準を定め、放射能検査体制を敷き、数値を公表するよう電話を集中させよう!
       (たんぽぽ舎メルマガ【TMM:No1413】2012年4月6日(金)より) 

        
 試される私たち 食品汚染の「根」断とう

               料理研究家 枝元なほみさん 東京都港区

東京電力福島第一原発の事故で食品の汚染が広がり、料理を紹介する者として悩みました。「スーパーで安心して買える食材がない」とツイッターでつぶやいたら、「私も同感だけど言えなかった」って声がびっくりするほど寄せられて。

それで、思ったことを外に出すことが大事だと知ったんです。

「食べる」と「生きる」はイコールです。でも、このままでは日本の「食」がうつ状態になってしまう。問題の根本を断たなければいけない。

自分に何ができるかを考え、原発稼働の是非を問う都民投票条例直接請求の請求代表者を引き受けました。

「ただちに影響はない」「規制値以下なら食品は安全」と、政府は都合の悪いことをオブラートにくるんで差し出してきます。でも、そんなのこっちはお見通しだってことを分からせたい。面倒でも、国の古い体質そのものをたたき直したい。

私は生産者と消費者をつなぐ仕事をしています。原発の影響で酪農家が自殺した時、本当に申し訳ないと思いました。「病気になった土地に医者のように寄り添う」と話す農家もいます。でも、私は「食べて応援しよう」と言えない。彼らに対し何ができるか、今も悩み続けています。

原発に賛成の人も、反対の人も、3・11後の世界を生きる当事者です。高い所にあるように見える課題を引きずり降ろし、皆で料理すべきだと思います。台所の窓を開けて、社会とつながっていきましょう。
                 (東京新聞2012年3月25日(日)より)

(在日日本人)             もどる

▼△▼ 見逃したひとへ △▼△

2012年01月29日 | 参考資料
 おいらは最近、テレビをあまし見なくなった。たまには、これは!っち思う番組もあるけど、時間の浪費と思えることの方がずっと多い。
 映画にしろTVにしろみてる間は他の事はできないよネ。時間の節約のためにも、TVを見るかわりにネット動画を探索しておいて、時間のあるとき(だいたい夜中になるけど)じっくり見るようにしてるんだ。そうすると番組の見逃しもないし、本当の事を識るのに不自由しないサ。
 たとえばこれ…。見逃したひとは観ておくれ。

《 その1 》
NHKスペシャル 知られざる放射能汚染~海からの緊急報告
  こちらに番組映像

《 その2 》
第13回 終焉に向かう原子力
 2011年12月17日(土)午前10:00-午後6:00 文京区民センター

● 藤田祐幸氏(物理学者、長崎県立大学シーボルト校) 講演
 「原発と原爆の間」
  1-1 1-2 1-3 1-4 1-5 1-6 1-7
 参考書籍:藤田祐幸が検証する原発と原爆の間
   藤田祐幸著 本の泉社 2011.10 1143円

●田中三彦氏(サイエンスライター、元原子炉設計技術者) 講演
 「このままでは必ず原発震災が繰り返される」─政府と電力は福島原発事故から何も学んでいない
   2-1 2-2 2-3 2-4 2-5 2-6 2-7
 参考映像:田中三彦 2011/7/10 耐震脆弱性問題と東電シュミレーション解析批判 公開フォーラム「福島原発の真実」

●広瀬隆氏(作家、ジャーナリスト) 講演
 「福島原発に残された膨大な事故始末の深刻さ」
  3-1 3-2 3-3 3-4 3-5 3-6
 参考図書:こういうこと。-終わらない福島原発事故-
      広瀬隆著 たんぽぽ舎著 金曜日 2011.7 1000円

(在日日本人)

★イラクで自衛隊がしてきたこと ★

2009年10月06日 | 参考資料
09年10月6日東京新聞(TOKYO Web)

イラク空輸 情報開示 06年7月以降、米兵が67% 政権交代で判断

 防衛省は情報公開法に基づき、航空自衛隊がイラクで行っていた空輸活動を記録した「週間空輸実績」を請求者に開示した。陸上自衛隊が撤収した二〇〇六年七月以降の空輸活動で、昨年、名古屋高裁が憲法違反とした首都バグダッドへの米兵空輸を行っていた時期にあたる。前政権では中身が分からない黒塗りでの公開だったが、今回初めて全データが開示された。請求者は「政権交代の効果」と評価している。 

 開示された「週間空輸実績」は〇六年七月から空輸活動が終わった〇八年十二月までの百二十四週分。運航日数は四百六十七日あり、うち二百十八日、47%がバグダッド空輸に充てられた。

 空輸した人数は二万六千三百八十四人。米軍は一万七千六百五十人で67%を占め、他国の軍も含めると71%が兵士だった。一方、国連職員は二千五百六十四人で一割にとどまった。

 前政権で政府は「空自は人道復興支援を行っている」と説明してきたが、復興支援を担う国連職員に比べ、武力行使を伴う治安維持を担当する兵士の空輸数が圧倒的に多いことがあらためて確認された。これは米軍などの「後方支援」にあたる。

 情報公開請求したのは岐阜県大垣市田町の近藤ゆり子さん(60)。過去六回、「週間空輸実績」の公表を求めた。開示されたのは「実施期間」「運航日数」のみで、あとは黒塗りされ、空輸の中身は不明のままだった。

 これを不服として四回異議申し立てをしたが、三回は「防衛省・自衛隊の効果的な運用に支障が生じる」「関係国・関係機関との信頼関係を損ねる」との理由から不開示のままとなった。今回は七月に異議を申し立て、九月二十四日付の北沢俊美防衛相名の「現時点で不開示とする理由がない」との通知とともに全面開示された。
◆新政権の検証不可欠

<解説> 民主党中心の新政権に代わり、航空自衛隊によるイラク空輸活動の「週間空輸実績」が開示された。次の課題は、野党当時に反対していた自衛隊イラク派遣の再評価だ。「対米追随」が目立った前政権との違いを鮮明にできるか注目される。

 二〇〇三年三月、当時の小泉純一郎首相は米英によるイラク戦争にいち早く支持を表明した。すると米国は「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(陸上自衛隊を派遣せよ)」と求め、日本政府は自衛隊派遣に踏み切った。

 陸自が撤収後の〇六年七月以降、空自は空輸先をバグダッドなどへ広げ、空輸の中身が米兵となった疑いが浮上した。

 民主党の原口一博氏(現総務相)は「週間空輸実績」をもとに「全部黒塗りですよ。これで私たちがシビリアンコントロールを果たすことができるのか」(〇七年五月衆院イラク特別委)と政府に迫った。

 社民党の辻元清美氏(現国交副大臣)は「人道復興支援というなら、黒塗りじゃないものを出してください」(〇六年十一月衆院安全保障委)と情報を隠す政府に不満を表明した。

 こうした人々が政権を取り、空輸活動のデータは開示された。その一方で、新政権は米英でさえ揺らいだ「戦争の大義」をどうみているのか、自衛隊派遣は何だったのか見解を示していない。

 昨年四月、名古屋高裁がイラク空輸について違憲判断を示した際、空輸担当の最高幹部は「判決は乱暴だ。バグダッドにも非戦闘地域はあるし、輸送機から降りた米兵がそのまま戦闘に加わるわけでもない」と反論した。

 公開された「週間空輸実績」だけでは、この反論の適否は分からない。幸い検証の材料になる自衛隊の資料は新政権の手元にある。鳩山由紀夫首相が目指す「対等な日米関係」の構築には、安保政策の検証が不可欠だ。 (編集委員・半田滋)
◆政治の意思示した

<北沢俊美防衛相の話> 国民の知る権利を阻害する政治は本来の姿ではない。一定の軍事機密があることは承知しているが、政治の意思として国民にきちんと情報を提供するよう官僚に指示すれば、明らかにできる。情報の隠ぺいは日本のためにも省庁のためにもならない。国民に真実が明らかになるプラスの方が、日本の政治としてはるかに大きい。

<イラク空輸活動> イラク特別措置法に基づき、航空自衛隊のC130輸送機3機が2004年3月から08年12月まで、クウェートを拠点にバグダッド空港などイラクの空港に国連や多国籍軍の兵士、物資を空輸した。名古屋高裁は昨年4月、「他国の武力行使と一体化し、憲法9条などに違反する」と違憲判断を下したが、政府は傍論部分の指摘で拘束力はないとして活動を継続させた。