まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

スペイン王フェルナンド7世妃 マリア・アントニア

2009-05-20 00:34:12 | スペイン王妃・王女
女の争い勃発!!
フェルナンド7世妃 マリア・アントニア・デ・シシリアス


1784~1806/在位せず

マリア・アントニアの母シチリア王フェルディナンド1世妃マリア・カロリーネは
ルイ16世妃マリー・アントワネットの姉で、彼女はその叔母の名をもらいました。

可愛らしく繊細な上に賢くて17歳で数カ国語が堪能だったそうです。
祖母である女帝マリア・テレジアの血を受け継いでいるともっぱらの評判でした。
      
あいかわらずスペインを取り巻く状況は厳しくて
フランスのブルボン家も信用ならないしっ! ということか
カルロス4世は王子フェルナンドと姪のマリア・アントニアを結婚させることにしました。
同時に王女マリア・イサベルとシチリア王太子フランチェスコの縁談もまとまりました。

1802年、18歳のマリア・アントニアはスペインに嫁ぐやいなや母に宛てて
“ フェルナンドは醜男で下品なの ” という失望の手紙を書き送っています。
(後年ふたりはとても仲睦まじかったと言う人が現れますけど…)

マリア・カロリーネがよしゃあいいのに友人に宛てて書いた手紙には
“ フェルナンドってすごく醜いうえにずんぐりむっくりらしいわ。
それからひどく退屈で鈍くてバカなの。妹(息子の嫁のことか?)とおんなじよ 。
娘を一時もひとりにしておいてくれないんですってさ ” てなことが書かれていました。

広そうで狭いヨーロッパ貴族の世界、この悪口が耳に入ったのか、
あるいは過去に男の取り合いでもしたのか、フェルナンドの母マリア・ルイサ
“ とにかく性悪な女よ!死にかけのカエルみたいで邪悪な蛇みたいなんだから!” と
愛人ゴドイへの手紙でマリア・カロリーネをコキおろしてます。

もちろん、マリア・アントニアだって黙っていません。
母から疎まれて寂しい少年時代を過ごしたフェルナンドを言いくるめて
マリア・ルイサとゴドイに敵対するグループをつくり勢力争いを行います。

フェルナンドはもともと母を嫌っていたようですが
かなり優柔不断で人の影響を受けやすかったみたいです。
ナポレオンが侵攻してきた時も彼についたり裏切ったりしているし
王になってからも “ ひとり自民党 ” 的に政策を覆したりしました。

スペイン宮廷内の嫁姑戦争はそんなに激しかったのか
母マリア・カロリーネも心配になったようです。
マリア・アントニアに“ シチリアに帰ってくる?” と手紙を出しています。

そんな勇ましいマリア・アントニアだったのですが、22歳の若さで結核で亡くなりました。
マリア・ルイサとゴドイが毒殺したのだという噂が広く流布されましたが真相は闇の中です。
マリア・カロリーネはこれを信じ、シチリア王フェルディナンド1世は
スペインの支配下にあったナポリを併合しました。

もう少し大人の嫁だったらうまく立ち回ったのかもしれないですね。
18歳の生意気盛りで、まわりの大人たちに利用されてしまったのかもしれません。
よく考えたら叔母のマリー・アントワネットもヴェルサイユで同じようなことを
やってるわけで…祖母マリア・テレジアより彼女の血をひいていたのかもしれません。

(参考文献 Wikipedia英語版)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« スペイン王ホセ妃 マリア・... | トップ | スペイン王フェルナンド7世妃... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

スペイン王妃・王女」カテゴリの最新記事